いつか見た蜃気楼

#R レオン視点

 彼女の「いざ、船長室へ!」という声が後ろから聞こえて、その瞬間視界が暗転──ラムズの船長室にいた。リトの言うとおり、目の前はラムズの座っている机だ。彼はいつものごとく宝石を眺めていたようだが、俺たちをみて目を瞬かせた。

「は? なぜ急に現れたんだ? |魔法円《ペンタクル》は?」

 ラムズは俺の足元を見たあと、怪訝そうに視線を揺らす。

「いや……俺の後ろで隠れてる女の子が……。魔法的なものを使ってなんかしたっぽいっす」
「お前の後ろ? 誰だ?」
「ほら、顔出せよ!」

 彼女は全体重をのせて俺の腕にすがりつき、下に引っ張っている。重くはないけど、邪魔だ。俺は掴まれていない方の手で彼女の腕を揺すった。

「早く!」
「む、無理無理無理! もう声で無理! 声でもう無理! しばらくラムズに喋らないでって言って! もう無理死ぬ。いったん森戻ろうかな?!」
「なに言ってんの?!」

 さすがにあまりのおかしな状況が気になったのか、ラムズが席を立った。彼女が後ろからまた叫ぶ。

「待ってレオン! ラムズに動くなって言って!」
「……って、言ってますけど」
「なんで俺がそいつの言うこと聞かねえといけないんだよ」
「作者権限使っていいかな……いやでもラムズを黙らせるなんてそんな恐れ多いことできない……まって……むり……」

 彼女は俺の腕をはなすと、そのまま床までするすると体を落としていった。小さくなって背中を丸めて屈んでいる。きっと床しか見えてないだろう。耳まで塞いでいる。
 でも彼女が体の向きを変えたせいか、クリスタルの翼が俺の背中越しから覗いたようだ。ラムズの瞳が見開かれて、つかつかとこちらまで迫ってくる。リト、絶対墓穴ほったよ、それ。

「こいつ|獣人《ジューマ》だよな? ジュフェライの|獣人《ジューマ》だろ?! どこから連れてきた?!」

 ラムズは彼女の腕を掴んで立たせようとしている。でもリトはリトで、懸命に抵抗してまったく顔をあげようとしない。仕方なく俺はラムズに言ってあげた。

「ラムズ、待ってあげて……心の準備がまだらしいから……。大丈夫、ラムズに会いにきたくてここまで来たらしいから……」
「さっきからまったく話が読めない」

 ラムズは俯いている彼女と俺を交互に見る。しぶしぶ俺は説明することにする。

「いや俺もよく分かんないんだけど、この子はリトって名前で、俺たちの物語を書いてるんだって。そんで……ラムズのことはなんでも知ってて、ラムズのことがだ──」
「レオン、それはだめ! 言ったらだめ!」

 ラムズに鋭い目つきで見られる。これは絶対言えっていう顔だ。正直リトよりラムズの方が怖い。

「待ってお願いします……。ちゃんと説明するので時間をください……」
「だったら早く立て」とラムズ。
「いいじゃん! 翼見えてるじゃん! ひとまず翼堪能しててよ?!」

 それもそうかと思いなおしたのか、ラムズは素直に彼女の翼をまじまじと眺め始めた。さっきまで意味不明な状況に怪訝そうな顔つきをしていたけど、今はめちゃくちゃ優しく慈愛に満ちた表情をしている。

「ジュフェライが依授されるなんて……夢みたいだ。信じられねえ。しかもここにいるなんて」

 ラムズが彼女の翼に触れて、彼女はびくりと肩を震わせた。手が冷たいからか? 大丈夫か? 
 女の子は床を見てうずくまってるし、ラムズはラムズで羽を摘んで眺めてるし、正直カオスすぎる状況だ。やっぱりせめて、リトが立ち上がればいいんだと思う。

「ど、どうしようレオン……私ラムズとなんて喋れない……」
「ラムズ目の前にしてそれ言うか?!」
「なんで俺と話せねえんだよ?」

 彼女は急いで耳を塞いだ。

「こ、声が……死ぬからです……」
「レオン、解説しろ」
「だって……リトが言うなって……」
「わ、わかった……顔あげるから……。喋るから……。ちょ、ちょっとどいてください……2メートルくらい離れてくださいお願いですから。あとあの……布団とか被りたいです。顔隠したいです。えっとその……恐れながらお伺いしたいのですが……」

 めちゃくちゃ下からいくじゃん! さっき命令するとか言ってたのどうしたんだよこいつ!

「らむ、ラムズさまの……ベッドとかお貸しいただけないでしょうか……。ジュフェライの|獣人《ジューマ》に免じて……」

 ラムズは部屋の右側にあるベッドに視線をずらした。フリンジ部分やベッドの柵などに宝石が埋めこまれているベッドだ。彼は首を傾げてから、頷いた。

「まあ、いいぜ。浄化魔法をかけて、そのレオンの服を脱いでからならのっていい」

 え、のせてあげるんだ?! やっぱり全身が宝石って強ぇな?!

「分かりました……服脱ぎます……」

 彼女は屈んだままぴょこぴょこ体を動かして、壁の方を向いて俺の服を脱いだ。近くにあったラムズの長椅子に服を放る。

「あ、浄化魔法くらいなら作者権限で使える気がする! やってみよ!」

 謎にテンション上がってる。あいつのテンションまじでおかしいな。

「【浄化せよ ── |Purgaty《プルガティ》】。できたー! 地球でも使いてぇー!」

 彼女の体が水で濡れて、より宝石が美しく輝くようになった。いつまでも宝石が自分の思うように眺められないことに我慢ならなくなったのか、ラムズは颯爽と彼女の方へ近づくと、脇と足に手を差し入れてそのまま横抱きにした。

「なにしてるんですかあああああ!!!! ねええええ!!!!! 待ってって言ったじゃん!! いった、言ったじゃ……」

 彼女は覆っていた手のひらの指の先からラムズの顔を捉え、そのあと固まったように動かなくなった。

「だ、大丈夫? 死んだ?」
「死んでねえ」ラムズが答える。
「もう、むり……」

 彼女はラムズに抱かれたまま、うるうると瞳を濡らした。涙を流している。しかも涙まで宝石だ。最初は水だけど、落ちるとそのままダイヤモンドの小さな粒に変わっている。
 ラムズは急いで彼女をベッドに下ろした。おそらく、涙のダイヤモンドが床に落ちて傷つくのが嫌だったんだろうな。

「もう……これだけでいい……。これ以上されたら死んじゃう……」

 彼女の涙は留まるところを知らない。俺もそうだけど、ラムズがいちばん困っているみたいだった。宝石だから無下にできないのか、どう声をかけたらいいものかと悩んでいるみたいだ。

「レオン、こいつはさっきからなに言ってんだ?」

 もう言っていいよな? 言おうが言わまいが、どうせいつかバレちゃうし、このリトって子の方がラムズに命令する構図なんて絶対思い浮かべられない。声聞いただけであんな慌ててるのに。

「いやぁ、どうにも、ラムズのことがめちゃくちゃ好きらしくて……。ずっと会いたかったんだって。俺みたいに異世界転移してきたらしい。で、さっきも言ったけど俺たちの話を書いてるって言ってたよ。作者?なんだって」
「さ、作者じゃないけど……訳者だけど……」
「じゃあ作者は別にいるってこと?」俺は尋ねる。
「いる……。えっと、あの……」

 彼女はラムズのベッドの布団をかぶって、目を拭った。涙声で言う。

「あるファンタジー小説に書いてあったんだけどね。作者はただこの世界を最初に見つけただけなんじゃないかって、書いてあって。私たち作者は、物語を書いてるんじゃなくて、この世界がどこかにあって、それを見つけだして、細い糸から頑張って世界のいろんなことを調べてるんじゃないかって。頭の中でやってることだけど、本当はちゃんとこの世界はあって、でもこの世界に行く方法は頭の中でこうやって旅をすることでしか、見つけることはできないんじゃないかって」

 混乱しているのか、半分くらい意味がわからない。

「お前が俺たちの世界を作ったのか?」

 ラムズが尋ね、彼女はふるふると首を振った。

「き、きっと違う。違うって思う。私は教えられてこの世界に来てる……。だけど、自分がいちばん好きだと思う世界だからこそ、無意識の領域で発見できる仕組みになってるのかな……。この世界のこともラムズのこともいちばんの、り、理想だし……。理想だからこそ見つけられた世界? だけどあくまで私は観察者だからラムズたちのことはよく知ってるっていうか……。ある意味神みたいな存在かもしれないけど……」
「つまり──こうか?」

 ラムズはベッドに腰かけた。リトがぎょっとして体を引いている。

「俺たちの世界は確かに存在しており、お前がそれを見つけて、外から俺たちの世界の様子を眺めている。また、第三者として外から眺めているからこそ、チェスの駒を動かすがごとく、ある程度はこの世界に干渉できる。そしてお前が俺たちの世界を見つけた理由は、お前にとっての理想にいちばん近い世界だから。いちばん理想に近い人物が生きている世界だから?」

 かなり分かりやすくなり、俺はラムズの話を聞いてほっと胸をなでおろした。この女の子一人に俺たちの世界が作られたなんて、そんなの正直許せない……というか、考えたくない。だって俺の運命だってこいつ次第ってことになるじゃねぇか! 同じ地球から来たのに待遇が違すぎるよ!

 彼女は布団を被ってもごもごと喋った。

「そうですー、たぶんそうだと思います……。私は小説書いてても、自分でこれは違うなとか、なんか上手くいかないなって思うことがあるから、それはその世界で本当にあったこととあまりにかけ離れたものを書いてしまってるからで……。だから私が書いてるのは本当にあったことで、ラムズたちの世界も私とは独立してる部分でちゃんと存在してるはずなのだ……」
「まあ、どっちでもいいや」

 いいの?! そうなの?! わりと今大事な話してなかった?!
 ラムズが彼女の金の髪を撫でた。彼女はあからさまにびくりとして、さらに布団を被って顔を覆った。

「ともかくお前は俺が好きで──それでこんな姿になって現れたのか?」
「そうですー……」
「自分の姿は好きに変えられるのか?」
「み、みたいです! ある程度好きなことはできるみたいです!」

 ちょっと明るい声で答える。
 若干“二人の空気”っぽいものを感じて、俺はおそるおそる声をかけた。

「つかさ……俺、船長室出た方がいいよな? 空気読むね?」
「え?! レオンいくの?! レオン行っちゃったらラムズがなにしてくるかわかんないよ?! 怖いよ! やめて行かないで!」

「大丈夫だろ」俺は苦笑いで答える。「宝石なら傷つけないはずだって、さっき自分で豪語してたじゃん」

「にゃー! そうだけどぉー!」
「まぁ、頑張れ! リト!」

 このままだとなんだかよからぬことが始まりそうな気がして、ともあれ俺は船長室を出ていった。