愛のお芝居

 レオンが消えて、船長室がしんと静まりかえる。彼女の心臓で早鐘が鳴り続けている。胸が痛いほど苦しい。彼女はラムズの布団のまた引きよせて、自分の顔を覆い隠した。

「いつまでそうしてんだよ」
「だ、だって……」

 ラムズの顔はさっき抱き上げられた時に一瞬確認しただけだ。声だけで死にそうになるし、同じ空間にいるだけで本当に気絶しそうになる。

「俺に何か言いたいことがあったんじゃねえの?」
「言いたいこと……。なんでしょう……」

 頭が回らない。ラムズは彼女の羽に手を伸ばし、クリスタルやサファイアの宝石部分を撫でている。

「お前はずっとここにいるのか?」
「い、いられないと思います……。分からない。また来るかも。でも地球に戻らないと、ラムズたちの話の続きが書けない」
「書かねえとまずいのか?」
「えー……うーん……。書く時がいちばん、みんなのことを近くに感じるから……。いちばん近い距離にいる感じがするの。それに、こうして残していくからこそ、本当にいるんだって信じられるようになるっていうか」
「へぇ」
「ま、まぁラムズにとってはどうでもいいよね」

 彼女は焦ったように答える。

「どこまで知ってんの?」
「えっと、ラムズたちのこと? それともこの先のこと?」
「そうだな、両方」

 彼女は未だに顔を覆ったままだったが、ラムズはただ羽を撫でているだけだったし、いくらか心拍はマシになってきていた。

「ラムズのことはめちゃくちゃたくさん……知ってる……はず。ラムズの使族ももちろん知ってるし、今ラムズがやろうとしてること──メアリとか、ゼシルのこととか、|金の腕輪《ドラウプニル》とか……。もちろん過去にやったことも……断片的にだけど、知ってる。ラムズが何を思って生きてるのかもわかる」
「なるほど。俺の感情はお前に筒抜け?」
「あー……そうとも言うかも。なに考えてるかだいたい分かるし、なんて言うのかもなんとなく分かる」
「俺の使族を知ったうえで好きって、じゃあ、ラピスフィーネみたいな?」
「そうそう、ラピスフィーネみたいな……。でもラピスフィーネは……ラムズの悪いところが好きでしょ。そういうところを期待してるでしょ。でも私は……うーん。悪いところもだけど、なんだろ……。全部ひっくるめて、いや、うーん。ラムズは本当は悪くないとか、優しくもないけど、悪くもないじゃん」
「まあ、そうかな?」
「もちろんなに言われても嬉しくないと思うけど……。なんにせよ、ラムズは気にしないよね」
「気にしねえな」
「この先のことも分かるよ! 最終的にどうなるのかとか、一応……なんとなくは……断片的に知ってる……これからもう少し探す……。未来が知りたい?」
「いや?」

 ラムズは宝石を見つめたまま、温度のない声で答えた。彼女は独りでに微笑む。

「そうだよね、そう言うと思った。『俺たちの世界にはもとからミラームという運命の神がいるし、実際俺はミラームに運命を敷かれて生きている。その存在がお前だろうがミラームであろうが、俺にとっちゃさした違いはねえ』、でしょ?」

 彼女は笑って問いかける。

「ご名答」
「まだ分かるよ。『この世界をお前が作ったのか、それとももとから存在していたのか、俺が今ここで生きている以上、正直どちらでも変わらん。お前にとってここが理想郷で、俺の存在がお前にとっての理想なのは確か──だから未来なんて聞かなくてもわかる』でしょ? でも、こんなこといちいち口に出さなくても私がわかってるってわかるから、言ってない」
「怖いくらい、よく知ってんな」

 彼女はしずしずと体を動かして、背中を壁に預ける。少しだけ布団から顔を出してラムズをちらりと見やった。

「かっこよすぎて死んじゃう……」
「俺が?」

 ラムズは静かに笑った。

「俺には何もねえのに、俺が好きなのか?」
「そうだね……そうだけど。だってラムズは宝石だけしか好きじゃないじゃん。食欲も性欲も睡眠欲も何もなくて、そのためだけに生きててさ。そのためならなんでもするし、それさえあれば裏切らないし、私からしたらめちゃくちゃ美しいよ。普通の人間みたいによくわからなくないもん。すごくわかりやすいもん」
「ジュフェライの|獣人《ジューマ》になって、そのおかげでこうして話せてるとしても、お前はいいのか?」
「うん。私がジュフェライの|獣人《ジューマ》である限り、ラムズは優しくしてくれるもん」
「優しくしてほしいのに、愛のない優しさがほしいんだ?」
「だって……人間の愛はいつも裏切るもん。どこまで愛してくれるかわからないし、どこで突然愛がなくなるのかもわからない。めちゃくちゃ不確定じゃん。どこまで信じたらいいのかわからないよ。それにさ、愛してるって言ってるのに私がしてほしいことしてくれないこともあるし、してほしくないことをされることもあるし、そんなの愛してるって言わないじゃん」
「むしろ、愛してるからそうなるんだと思うがな」
「……たしかに、そうかもね。愛してるから自分本位になるんだろうね。そう考えると私は愛してほしいんじゃなくて、ただ幸せに浸かりたいだけなのかも」
「だから俺?」
「ラムズは……相手がなんて言ったら喜ぶかとか、どうしたら幸せに思うかとか、全部わかるし、そうする価値のある人にはそうしてあげるじゃん。そこに心は伴っていないかもしれないけど、普通の人間よりずっと愛のある行動をするじゃん。だから……」
「だからジュフェライの|獣人《ジューマ》になって、俺に愛されたいの?」

 改まって聞かれるとまた恥ずかしくなって、彼女は体を縮こめた。

「ま、まぁ……そんなところなのでしょうか……」
「そう言うなら、いい加減布団剥いで、全部見せて」
「怖いです……」

 ラムズは彼女に近づくと、腕を掴んで布団を剥がした。あばら骨の辺りに浮きでている宝石を見たあと、鉱石の足に目を移し、そのあと彼女の宝石眼を捉えた。でもすぐに彼女は俯いて目を逸らす。

「そうやって下向かれると、見えねえ」
「だって直視できないんだもん……」
「慣れて」
「無理ですー!」
「見せて」
「まじでやだ! 目合わせるなんて無理!」
「見せてくれねえと、お前がその姿で来た意味がねえだろうが」
「そーだけど……失敗した……。こんなに無理な感じになるとは……思わなくて……」
「魔法か何かで無理やり向かせていい?」
「お、お願いだからそんな拷問みたいなことしないで……」

 ラムズが笑う。

「俺の顔見るのが拷問って、そりゃまた新しいな」
「すみません……直視できなくて……ほんとに……」
「じゃあ、何がしたくてここに来たの?」
「分かんない。お喋りしたい」
「それだけ?」
「……い、いやぁ……その……」
「喋るだけなら、ジュフェリィの|獣人《ジューマ》にならなくてもできんだろ?」

 ラムズもベッドの奥で背を壁に預けて座ると、小柄な彼女の体を掴んで、自分の膝の上に横向きにのせた。

「お、お願いですからやめてください……。心肺停止しそうです。本当に」

 ラムズは軽く笑ったあと、彼女の腹部にある宝石をなぞった。

「体を小さくしたのも、こうしてもらえるから?」

 こうして──つまり、膝の上にのせてもらえるから、という意味だ。

「は? いやいや……いやいや……。小さくしたのって……いや……」
「ジュフェリィの|獣人《ジューマ》なんて見たことねえし、これはお前仕様だろ?」
「そ、そういうことになるんですかね……」

 彼女は未だに顔を覆ったままだ。

「じゃあ、他にも聞かせて。なんで俺が理想なの? 嫌いなところはねえの?」
「ないです……。私が嫌だって思うこと、ラムズは絶対しないもん……。好きなところは……さっき言ったところもそうだけど、あとは頭がいいところとか。全然死なないところとか」
「死なねえと何がいいんだ?」
「いつも余裕じゃん! なにされても余裕っていうか。あと、強いけどいちばん強いわけじゃないところも好き。いちばん強くないけど、結果的に自分のいいようにしてるのが好き。長寿なところも好きかなぁー。自分より年上の人の方が好きなんだと思う……いつまでも自分より年上でいてほしいから、長寿なのがいいのかな?」
「お前が何歳になっても、俺の方が上だもんな」
「うん」

 ラムズは彼女の腕を掴んだ。冷たい温度が体を巡る。

「冷たいのは? お前だって寒いだろ?」
「冷たいと……心が冷たいみたいじゃん。みんなに誤解されちゃってるし、それも含めてなんか……いいなって。それに、優しいこと言うし優しいことしてくれるのに、芯まで凍えるくらい体が冷たかったら、優しくされてるのか冷たいのか分かんなくて、いいかなって」
「人間だったら、俺にしばらく抱かれてたら死ぬ思うが」
「いいんだよ、私は人間としては来てないし、ラムズに抱かれて死ぬなら本望」
「そうとう狂ってんな」
「『でも好都合』?」
「おっしゃる通り」

 ラムズは顔を覆っていた彼女の腕を引き下ろし、瞳を覗きこむ。

「最高に綺麗だ。一生見てられる」
「私は見てられないです」

 彼女は視線を逸らして、ラムズの肩のあたりに顔を埋めた。

「頼むから、目の前でお預けとかねえよな?」
「お預けです」
「痛くするよ?」
「……できないと思います。だって私は宝石だもん!」

 ラムズはくすりと笑みを浮かべたあと、彼女の髪に指を通した。

「本物の金か。どこまでも“俺仕様”だな」
「たまたま……です……」
「できると思うぜ」

 一つ前のセリフにラムズが返事をする。彼女は彼の服を掴んで、どきまぎしながら答える。

「いや……なんでそう思うの?」
「俺はお前の理想なんだろ。つまり、俺がしたいと思う行動はすなわち、そのままお前にとっての理想ってことだろ?」
「はい? いや、その……」
「で、しかも、お前は俺にかわいがってもらうためにわざわざ姿を変えてきたんだろ?」
「そうだけど……」
「さっきお前が涙を流して、それが宝石に変わったのを見て思ったんだが──」

 バレてる。当たり前にバレてる。バレることも想定したうえでそれがラムズだとは思ってるけど、それにしてもバレてる。収まっていたはずの心拍がまた打ち立てて、彼女は何度も髪を耳にかけた。

「お前の今の姿は、俺がいちばん理想だと思う姿だろ」
「み、見た目は……そうですけど……」
「泣いたら宝石になるんだろ、なんのためにそうしたんだよ」
「そ、そういう|獣人《ジューマ》だからです!」
「もうわかってんだろ、俺が何が言いたいか」
「わ、わかってません」

 ラムズは体をねじり、腰元からカトラスを取りだした。きいんと鋭い音が鳴る。

「いやいやいやいや! 痛いんで?! 痛覚あるからね?! やめてね?!」
「まさか。やめろなんて思ってないくせに」

 嗤笑の滲んだ声が降りてくる。

「思ってる思ってる! 全然思ってる! 痛いもん!」
「俺が理想で、お前の言葉に嘘がないなら、俺がこうすることもわかってたし、そうされてもいいと思ってる。まあ、思ってなくてもやるが」
「宝石だよ?! 傷つけていいの?!」

 ラムズはこれでもかというほど優しく微笑んだ。

「ご丁寧に宝石じゃない部分があるじゃねえか」

 実際彼女は口先だけで、ろくな抵抗はしていない。ラムズは彼女の腕を取りあげ、二の腕につうと剣の切っ先を滑らせた。赤い線がすっと現れ、玉のように血が滲んでいく。

「い、いたい……、超痛い。じんじんする……」

 だがややもすれば傷は消えていった。つまり、いくら傷つけてもすぐに怪我は治るのだ。

「だと思った」
「思ったって! 確認するために傷つけないで!」
「いくらでもお前を泣かせられるようにそうしたんだろ?」
「ち、違いますー! そういう|獣人《ジューマ》なんですー!」
「どっちでもいいよ。俺の理想ならなんでも」
「でもほら。あんまりいたぶったら、心閉ざしちゃうし、そしたら瞳のきらきらなくなっちゃうよ!」
「そうだな。だが、お前は俺が好きなんだし、嫌いなところはないって言ったばかりだろ」
「いや、そうだけど……」
「ちと痛い思いをさせたって、あとで優しくしてあげれば心を病んだりしない」
「私が作者なのになんで心読めるんですかー?」

 彼女が棒読みで尋ね、ラムズは笑って答えた。

「全部俺の都合のいいように解釈すればいいだけだろ。阿呆だな」

 ラムズは彼女の顔をつかみ、瞳に視線を合わせた。

「あとは?」
「も、もうないんで……」
「俺としては、この眼を外すと今度は違う色の宝石ができるとか、最高の仕様だと思うんだが」
「そんなの痛くて無理です! それにほら、生きてる宝石が死んじゃうよ?!」

 ラムズはそこで少し曖昧に視線を揺らしたが、首を傾げて答えた。

「だが、えぐればえぐるほど新しい宝石が生まれるなら、やらない手はねえな。どうせまた生きた宝石は戻ってくるし、ひととおり色が揃うまでは抉り続ける」

 彼は彼女の手のひらを掴み、しげしげと眺める。

「爪もそうだろ? 外したら違う色の宝石に変わる」
「痛い……やだ……やめて……。優しくして……」

 ラムズは彼女の頭を自分の肩に落とした。金の髪に指を滑らせていく。

「いいよ、してあげる」
「ほんと? なんで?」
「わかってるくせに」

 彼女は小さく笑う。

「お前が俺たちの話を書いててよかった」
「……なんで?」
「言ってほしいの?」
「まぁ、はい。そうです」

 喉の奥でくくと笑ったあと、声を落とす。

「絶対俺にとって悪い未来はねえから」
「私がラムズのこと好きじゃなくなるって思わないの? いつかそうなるかも、って。私は一応人間だしさ」
「あー。まあたしかにその可能性はあるかもしれねえが──。じゃあ俺以外で誰が勝利すんだよ」
「いやぁー……ゼシルとか……。メアリにとってのハッピーエンドとか……」
「そのあたりには負ける気がしねえな」

 彼は声のトーンを落として囁いた。

「大丈夫、信じてるから」

 彼女は視線をくるくる動かしながら、ぽつりと呟く。

「……あとは?」
「お前は頑張ってるよ。それに、いつでも会いにきていいし、いつでも話し相手になってあげる。お前がいちばんかけてほしい言葉を、俺がかけてあげる」

 どれも心にもない台詞だ。それは分かってる。あとで自分が宝石である彼女を好きなように弄べるように、彼女が少しでも笑顔になって美しい宝石眼を見せるように言っているだけ。それを彼女は分かってたし、分かってることをラムズも分かっていた。

「こんな茶番みたいなことして、それでも嬉しいか?」

 ラムズは半ば呆れたような声で言う。

「……うん。実際、ラムズの言葉は嘘じゃないもん。本当にそうしてくれるでしょ」
「ああ。お前がジュフェライの|獣人《ジューマ》である以上、幸せに生きれられるようにしてあげるよ」
「その方が、宝石が綺麗だもんね」
「お前はなんで俺たちの世界が理想なの? 自分の世界は?」
「うーん……。今はこうしてラムズたちのことを書いたり、ラムズたちと関わったりしてるから楽しいけど、根底は──あんまり生きていたくないし、あそこにいたいって思わない。ラムズたちの世界で生まれてたら同じことを思ってたのかもしれないけど、こっちの世界の方が美しいし、生きていて楽しいような気がしてる」
「だから俺に抱かれて死ぬなら本望、とか言ってるわけ?」
「そーですねー……」

 ラムズは背中に手を回し、胸元に彼女の体を引きよせる。彼女はくぐもった声で小さく言葉を落とす。

「……ぎゅーしてくれるの?」
「してほしいんだろ」

 胸が痛い。ラムズの体が冷たくてよかった。ぼうっとした頭が少しは冷やされる。彼女は口を噤んで、ラムズの心臓の音に耳を傾けた。

「死にたくなったら、その姿でこっちに来て。一生死にたいなんて思えなくなるくらい、かわいがってあげるから」
「……宝石が早く死んじゃったら困るもんね」
「そういうこと」

 だから安心する。心はこもってなくても、実際にそのとおりにするとわかるから。彼の言葉に嘘偽りはないから。今も来年もそのずっと先でも、彼はこのとおりにするし、実際そのとおりにできる力も持っているから。

「飴はこんなとこでいい? 次は俺の番ね」

 ラムズはベッドに置かれていたカトラスを手に取って首を傾げる。銀の髪がさらりと揺れ、瞳が一閃をまとった。