砂糖漬けの盲目

「お話が、あるの」

 自分の心拍が高鳴るのを抑えきれない。それはそうだろう。だって本来ならば、こんなこと一国の王女が言うべきことではないのだから。
 だが、どうせ誰かと致さなければならないのなら、やっぱり好きな人としたい。ラピスフィーネは王女であっても、その前に「女の子」でありたかったし「お姫様」でありたかった。

 人間ではないラムズが自分のことを好きじゃないことは分かっていたし、これから好きになることもない。仮に自分の申し出を受けてくれたとしても、そこに愛はない。だって彼はそういう使族だから。何をしても人を愛せないから。

「ああ。なんだよ?」

 ラムズは|気怠《けだる》そうに冷えた声を返した。
 何千年も生きて、自在に魔法を操り、幾多の者と関わり、交わり、あらゆるものを目に映してきた。それなのに、ラムズは宝石にしか興味がない。宝石のために生きて、いつかは宝石のために死ぬのだろう。
 でもそれでも──ラピスフィーネはラムズが好きだった。もはやこれが尊敬や|畏怖《いふ》から来るものなのか、それとももはやただの|恋慕《れんぼ》に変わってしまったのか、自分でも分からなかった。

 ラピスフィーネがベッドに座り硬く拳を握っているのを、ラムズはベッドの前の椅子に座ってなんとはなしに見ている。いつもの通り、ニュクス王国の騎士の服を着て、身体中に宝石を|纏《まと》っていた。だが嫌な装飾じゃない。宝石が一番美しく見えるように、一番輝いて見えるように着飾っている。
 銀色の髪に青い瞳。冷たい肌に温度のない眼光。白い陶器を半透明にしたような皮膚、人形のように整った顔の造形。生を感じさせない声、仕草。全てを見透かしたような視線に、人智を超えた容姿。何もかも完璧だった。

 彼は自分の気持ちにもう気付いているのかもしれない。これから何を言おうとしているのかも。いや、でもさすがにそこまでは……。
 何も言い出さないラピスフィーネに、もう話をしないと思ったのか、ラムズが席を立とうとした。

「待って」
「……なに? 早くしろよ」

 今日はあまり優しくない。たぶん、会ってから一つも宝石を渡していないからだろう。いつもなら、自分の部屋に立ち寄ってもらう代わりに宝石を渡しているのだ。だがそれもそのはず、今日はこのお願いをするために宝石を渡せなかった。今ありったけの宝石を渡した方が絶対に上手くいく。
 でも、こうするしか彼を引き止める術がないのは、ラピスフィーネとしては酷く悲しかった。本当なら、宝石などなくても自分のことを見てほしいのに。

「あのね……ラムズ。お願いがあるの」
「まあ、そんな雰囲気だよな」

 ラムズは座り直して、奇妙な笑みを浮かべる。もう分かっているんだろうか? 自分がこれから酷いお願いをすることを。

「前にもお話ししたけど……|私《わたくし》、もうすぐリジェガル王子と結婚式があるのよ」
「ああ、そうだな」

 興味のなさそうな返事。実際そうなのだろう。ラピスフィーネは泣きそうになりながら、唇を動かした。

「……でも、ラムズのことが、好きなの」

 か細い声で言って、俯いた。

「お前が?」

 ラムズが嘲笑うように答える。もう既に知っているし、やっぱりどうでもいいんだ。ラピスフィーネは薄く口を開く。

「やっぱり……知っていらしたの?」
「そりゃな。だって|そ《・》|う《・》|し《・》|た《・》もん」

 彼はそう言って笑うと、彼女の髪の毛を一房すくい上げた。するすると彼の手から滑り落ちていく。髪を触れられるだけで、ラピスフィーネの背筋に鳥肌が立った。心拍がさっきよりも速い。

「ラムズは、酷いわ」
「それは、お前こそ知ってたことだろ?」

 何も言い返せない。彼の言う通りだ。

「どうして今日は冷たいの?」
「お前が宝石くれねえから」
「……子供みたいなこと、言うのね」

 ラムズは喉の奥で笑った。

「子供でもなんでもいいぜ、くれるなら」

 彼女は溜息をつく。いつもこうだ。会う度に宝石を渡していたら、王国中の宝石がなくなる。これでも必死に集めているし、色んな場所から取り寄せているというのに。
 今回が終わったら、しばらくラムズを呼ぶのはやめた方がいいのかもしれない。彼の方に用事があるときなら、宝石を要求してくることもないだろう。

 ラピスフィーネは自分のベッドの下から、宝石の装飾のついた大きな宝箱を取り出した。床を引きずって出すのを見て、ラムズが目の色を変えて手伝った。彼女のベッドに宝箱が置かれ、少しベッドが軋む。

「お願いがあるの」
「ああ、なんだよ。早く言えよ」

 宝石を渡す気がないなら帰りたい。目に見えてそう言っている。隠す気もないらしい。自分の前じゃほとんどそうだ。
 宝石をあげれば少し機嫌が良くなって|饒舌《じょうぜつ》になるし、普段より優しくしてくれる。でも宝石を渡さない限りは、だいたい冷たいし、興味がある時、気分がいい時でなければ相手にしてくれない。

「前に……好きじゃない人としたくないって、言ったでしょう?」

 ラピスフィーネは第一王女だ。当たり前に政略結婚を強いられ、会ったこともない人と結婚させられる運命だった。

「あー、言ってたな」

 ラムズは視線を巡らせたあと、拍子抜けするほど簡単に言った。

「俺とやりたいのか? 抱いてほしいって?」

 こちらは顔から火が出るほど恥ずかしいのに、ラムズは|飄々《ひょうひょう》と口にした。彼にとってはそれくらいなんてことのないことなんだろう。ますます虚しくなってくる。
 でもそれでも、ラピスフィーネは彼が好きなのだ。いつもどんなに冷たくされても、宝石しか興味がなくても、それが“彼”という個人だから。

 自分とは違う、人間とは違う、人間より酷くて、恐ろしくて、怖くて、──だが美しい。

 きっと彼の手の内に踊らせていただけなのかもしれないが、それでもよかった。少なくともほとんど会話のしたことのないリジェガル王子と致すよりは、ずっといいはずだ。

「……えっと……その……」
「やんのか。まあいいが、めんどくせえんだよな」

 ラムズはベッドの宝石になんとなく目をやったあと、視線を泳がせている。

「……大変でして?」
「そりゃな。あんなの興味ないし、楽しくねえだろ。やる意味も理由も感じない」

 ラムズは性欲がない。それどころか食欲も睡眠欲もない。宝石以外に関する感情が欠落しているのだ。だから彼にとっては、この行為に本当に意味なんてないのだろう。やりたいと思ったことも一度もないのだろう。
 楽しいか楽しくないかと言われれば、たしかに楽しくはないのかもしれない。でも、愛する人と結ばれる行為だ。未経験のラピスフィーネでも、愛されたいとは思うし、愛ゆえの行為であればきっと幸せなものなのではないかと思う。
 ただ、それをこの男に捧げていいのかどうかは、彼女自身も分からないのだが。

「でも……愛している方とすれば、幸せを感じると言うわ」
「俺は愛してないけど、いいんだ?」

 彼はいつも答えられないことを聞いてくる。いいって答えしかないのに。わざとそう聞くのだ。笑って聞いてくるんだから、楽しんでいるんだろう。

「いいわけではないけれど……だって……」
「愛している人とするよりは、愛されてる人とした方がいいと俺は思うぜ」
「そうなの?」
「そうじゃねえか? 人間にとっちゃ、ありゃ自分を捧げる行為だろ。特に女はそうだって聞くが」
「そうね、そうかもしれなくてよ……」
「愛してるフリも優しくするフリもいくらでもできるが、お前はそれでいいのか?」

 ラムズがまともなことを言っている。
 これは本心だろうか? それとも、したくないからわざとしないように仕向けているのだろうか。だが宝石が貰えるなら喜んでやるだろうし、本心なのかもしれない。

「でも、リジェガル王子としたって、私は愛してもらえませんわ」

 ラムズは笑って言った。

「俺よりマシだと思うがな」
「……そんなに? そんなに私のことは興味がないの?」
「正直に言ってほしい?」
「ええ……まぁ」

 ラムズは彼女の顎に手を当てると、自分の方に視線を合わせた。にこりと笑う。

「まったく、ないね」

 酷い、酷い酷い。酷い。分かっていたけど、分かっていたことだけど、それでも笑って言うなんて。引っぱたいて追い出してやりたい。衛兵に言いつけて、もう二度と城に入るなと言ってやりたい。

 ──でも、言えない。

 だって彼は人間じゃないんだもの。酷いと咎めて追い出しても、何も解決はしない。

 それに、誰のことも好きにならない、宝石しか愛していないような存在だからこそ、こんなに魅力的なんだろう。
 もしかしたら何かに刷り込まれてそう思い込んでしまっているのかもしれない。もはやこの気持ちは愛でもなんでもないのかも。でもそれでも、ラピスフィーネはラムズに執着していたし、ラムズからの愛がほしかった。たとえそれが偽物だとしても。

「……ラムズは酷いわ」
「ごめんな」
「思ってないくせに」
「思ってねえよ」

 ラムズはまた笑った。
 どうしようか。頼もうか。でも、ラムズの言う通り、まだリジェガル王子とした方が幸せになれるのだろうか。少なくともリジェガル王子は同じ人間だ。

「私は……ラムズと致さない方が幸せになれるの?」
「知らん」
「……さっき色々、言ってくれていたじゃない」

 ラムズは少し悩む素振りをしたあと、軽やかに言葉を発した。

「そんなに悩むなら、俺が決めてやろう。さて、その宝石、全部貰うには俺が何回ここに足を運べばいい?」

 ラピスフィーネはちらりと宝箱の蓋を開けた。掌より大きなサイズの宝石が10個は入っている。
 これを手に入れるのに、お金だけじゃなく、時間も労力もかかった。1個あたりの宝石の価値は、普段ラムズが来る度に渡している宝石の倍以上はあるだろう。

「……30回」
「30か、へえ。可哀想に」

 ラムズは椅子から下りると、おもむろにベッドの上に座った。彼女の腰を引き寄せ、甘い声で囁く。

「30回分の宝石を渡さないと、抱いてもらえないと思ったのか?」
「……嫌がると、思って」
「そうだな。たしかに面倒だ。好きなことじゃない」
「……でしょう?」

 ラムズはくくっと笑ったあと、笑みを押し殺したような声で言った。

「なあ、こんなふざけた話はあるか? こんなおかしな話はない。人間の男は、金を積んで女とやるんだろ? しかもラピスフィーネ、お前は王女だ」

 ラピスフィーネは頷く。

「お前が自分の体を差し出せば、何百と金がもらえるだろうよ。宝石だって貢がれる」

 彼は本当におかしくてたまらないと笑い、彼女の頭を痛ましげに撫でた。

「それなのに、そんなお姫サマが、俺にこんなに宝石を渡して自分を抱いてくれだって? 世界がこんなに疎ましいと、世界で一番の災厄だと言われる使族の俺に?」

 心底笑える、ラムズはそう付け足して、彼女の髪をさらりと掬った。

「──ああ、なんて可哀想なラピスフィーネ」

 ラムズは彼女の額にキスを落とした。ラピスフィーネが顔を上げると、悪魔的な笑みで見下ろした。

「あまりにお前が哀れだから、抱いてやるよ。仕方ない、その宝石であと二回はやってやろう」
「本当に?」
「ああ、優しいだろ?」
「ええ。でも……どうしてあと二回も?」
「分かんねえか?」

 ラムズは彼女を引き寄せて、唇にキスを落とした。ファーストキスだったはずなのに、簡単に奪われてしまっていた。呆気ない、あんなに恋焦がれたものだったはずなのに。
 冷たい温度がラピスフィーネの唇に回っていく。彼は体も冷たい。この冷たい体とやっても、ちっとも心は暖かくならないだろう。

 優しいキスが離されて、彼女は胸をおさえつける。
 今からでも、止めるべきなんだろうか? でももう既に心臓が疼いて、目線は彼の唇に釘付けになってしまった。優しいキス、ただ触れるだけのキスなのに、既に捕らわれてしまっている。どうして?

 平静を保とうと少し息を吸ったあと、ラピスフィーネはどきまぎしながら聞いた。

「分からないわ。宝石が沢山あったから?」
「まさか」

 ラムズはベッドに置いてあった宝箱を優しく床に下ろした。代わりに彼女の体を抱え、ベッドの中心に下ろす。柔らかい布団の中に彼女は埋もれ、その上に彼が覆いかぶさった。
 本当にやるのだろうか。本当に? 待ち望んだ瞬間なはずなのに、不安と緊張で胸が苦しい。

「女って、初めては痛いだろ?」
「そ、そうね。そう耳にしてよ」
「それは魔法でなんとかできるにしても──さすがに最初から慣らすってのは、俺にはちと難しい。普段から頻繁にやってるわけでもねえからな」
「……そう?」

 リジェガル王子とする時に、痛くないようにしてくれるということだろうか。否、彼がそんなに優しいはずはない。

「だがまあ、三回もあれば十分だ」
「なにに……十分なの?」

 彼女を見下ろすラムズの青い瞳がきらきらと瞬いた。酷く美しい。そのまま見惚れてしまうくらいに。
 右手で頬を撫でられる。冷たい指先が彼女の唇をつうとなぞった。ぞくりと心拍がわななく。

「俺に夢中になるのに」
「え、でも、私はだって……ラムズのこと、もう好きだって……」

 ラムズが唇を落として、舌で歯を割った。彼は唾液も冷たかった。味もしない。でも、湿った舌が歯茎や唇の裏を撫でる度、ぞわぞわした感覚が背筋を走った。
 答えを聞きたいと、ラピスフィーネは彼の肩を小さく押す。ラムズは顔を上げ、赤い舌が唾液を舐めとった。

「哀れなラピスフィーネ」

 ラムズはそう言って笑うと、耳元に顔を近づけた。冷たく低い吐息が、脳内まで攫った。

「身も心も落としてやるって言ってんの。お前がもっと宝石を積んで、俺に『抱いてくれ』って縋るように、な」

 彼女が何か言う前に、ラムズは唇を塞いでしまっていた。もうこんなに宝石なんて集められない。三回もいらない。そう言いたくても、痺れるような彼のキスに頭が朦朧とし始めた。
 ラピスフィーネが虚ろな目で彼を見ると、ラムズは嗤って喉を鳴らした。