きみは宗教、ぼくの信仰

 それから一時間経ったころだろうか、夜半を回り、一時か二時か。
 湯浴みの気力すらなくなってしまったラピスフィーネは、体に残った無数の傷がじんじんと疼くのを我慢しながら、布団に入って眠りかけていた。

 扉が開く音がした。
 小さな音だったはずだが、誰かが部屋に入れば嫌でも気付くようになってしまっている。息を凝らした。
 ラムズだろうか? でもこんな遅くに、しかもあんなことがあったあと──。
 だが、ラムズでなければ衛兵を呼ばなければいけない。自分はこんな体だというのに。

 天蓋ベッドのカーテンがさっと開けられた。
 魔石の青白い光のもと、翼も角もなくなったラムズが立っていた。

「ラピスフィーネ。起きてんだろ」

 浮いた魔石をそのままに、彼が一歩ベッドへ近づく。

「そのまま寝たのか」

 なんで来たんだろう、なにしに来たんだろう。
 いくら翼が消えたとはいえ、今日彼にされたことが忘れられるわけではない。最後は彼を求めてしまったとはいえ、恐ろしかったのは事実だ。
 膣の奥がきゅんと疼くのと同時に、恐ろしかった記憶が掘り起こされて歯ががたがたと鳴った。
 ラムズは布団をひき剥がし、彼女の背中に手を入れて体を起こしてやった。

「な、なん、です、か……。だ。誰にも、い、言わない、から……。おねが、い……」

 か細い声が絶え絶えに零れる。
 ラムズは黙って彼女の体に向かって魔法をかけた。浄化魔法だ。
 こびり付いてた頬の涙の跡だとか、乾いた血や愛液が綺麗に洗い流されていく。汗と涙でべとべとだった髪が綺麗になった。
 そのあと彼はぼろぼろのスカートをめくって、棘で傷のついた太腿をなぞった。

「ここはすぐ治るだろうが……。こっちは」

 彼の冷たい指が秘部軽くなぞった。

「っい、痛!」
「痛いか」
 おそるおそる答える。「い、痛い、です……」
「女王には体調が悪いって、伝えておくから」

 これらの行為になんの意味もないことに気づき、寂しさか安堵かわからない息が漏れた。
 ラムズはただ、ラピスフィーネを犯したことをなんとしてでも隠したいのだろう。きっと自分の知るエルフでも連れてきて、すべての証拠を消してしまうつもりなのだ。
 だが、もうどうでもよかった。痛いのを治してくれるのは有難いし、女王や侍女に今日のことを説明するのもはばかられた。これでいい。ラムズのしたいようにさせればいい。
 ひとりでに涙がこぼれる。
 泣くつもりなんてなかったのに、悲しいつもりもなかったのに。

 ラムズがベッドに腰を下ろし、ぎしりと木の軋む音がした。

「悪かった、本当に」

 彼女の体を優しく引き寄せ、胸元に顔を押し当てる。

「お前が俺に抱いてほしいって言ったことがフィーユア派のシスターに漏れたって。だから俺が操ったことにして、お前に酷く当たった。あそこまで酷くされているのを見れば、誰もお前が悪魔を好きだなんて思わない。あのシスターはお前に同情するだろう」
「え、え……」
「もう少し手加減してやるんだったな」

 ラピスフィーネは顔を上げ、彼の体を手で抑えた。

「ど、どういう、こと。嘘よ、だって……。だってあんなに。あれがそんなことのためとか、そんなの……」

 酷く冷たい顔で蔑まれたのも、何度も額を床につけろと嘲笑われたのも、演技とは思えなかった。あれが彼の本性なのだと、今でもそう思える。

「悪い、なんて……思って、ない。あれが、ラムズ……でしょ」

 嗚咽の出る声が細かく言葉を紡いでいく。ラムズはどこか寂しそうに笑った。

「そうだね、あんまり思ってねえよ。やるべきことをやっただけだし、お前のためにもなってるし、結果的にお前はよがってたし」
「そ、そういうことじゃ……」

 彼女はぱっと火が灯ったように顔が熱くなった。

「悪いと思ってなくても、こういうのは謝ったほうがいいもんだろ」
「な、なん、で……」
「さあ?」

 ラピスフィーネはもう一度尋ねた。

「あれ、が……ラムズ、なのよね」
「あー……しいていうなら」ラムズが彼女を見交わす。「あのまま食えるっていうなら、望んでやってることかな」
「ど、どういうこと……」

 ラムズは嗤って答える。

「俺のことが好きで、それなのに恐怖に身がすくんで、俺の言いなりになって、でも自分で跪くくらい俺とするのが気持ちよくて俺を求めて……めちゃくちゃの精神状態でいて、強い感情を抱いているんだから──」

 彼女の髪をそっと指がすり抜けていく。

「食ったら美味かっただろうなあ」

 どくん、どくんと心臓が鳴っている。ラピスフィーネは自分の心拍が彼に聞こえるような気がして、無意識に布団をぎゅうと握った。

「や、あ、謝りにきたんじゃ、ない、の……」
 彼はあどけなく笑う。「そうだった。まだ怖い?」

 ラピスフィーネは改めて彼を見た。翼のせいだとか角のせいだとかではなく、そもそも彼の纏う空気がさっきと全然違う。しばらくあの記憶に苦しめられる気はしたが、今のラムズが怖いとは思えなかった。

「だ、だけど……」
「ごめんね、ほんとうに。痛かったね」

 ラムズはまた彼女を抱きしめた。

「酷いことして、ごめんね。もうしないって約束はできねえけど、明日は一日かわいがってあげるから」

 甘い声が優しく耳を震わせる。

「傷つけてごめんね。痛くして、辛い思いをさせて……ごめんね。悪かったよ」
「や、ん……いや……」
「意地悪しすぎたな。あれでもなるべく傷つけないようにしたんだが……。悪かった、フィーネ。痛いの、治るまで一緒にいるから」

 違う意味でどきどきしてきた心臓に、ラピスフィーネはまた自分が嫌になった。

「怖くて嫌だって……思ったのに。気持ちいいとか、……今だって……。私、馬鹿みたいだわ」

 くくと笑う声が聞こえる。

「それはお前が馬鹿なんじゃなくて、俺がそうしただけ。何人とやったことあると思ってんの」
「そ、それは……でも……」
「気持ちよくないぶん、どこをどうすれば相手がよがるのか手に取るようにわかる。今は、そうだな……」ラムズの手が彼女の背中を優しく撫でた。「あんだけ酷いことしたやつが、こんなに甘く優しい声で謝ってきたら、許しちゃうのも無理はない」
「そ、そんなこと……」
「もともとお前は俺が好きだったろ。実際俺は格好いいし、声もよくて、体も満足させてあげたんだから」
「じ、自分で言うなんて、馬鹿なんじゃない……」

 背中越しに彼が笑う。

「だって、事実だから。少なくともお前にとっては、正解だろ」
「れは……。でも……。や、嫌よ。許したくもないし、もう関わりたくも、ない、もの」
「そうだよな、あんだけ虐めたらそう思われてもおかしくない」

 ラムズは体を離し、ラピスフィーネの頭を労わるような手つきで撫でた。

「ごめんね。そんなこと言わせて」
「や、やめて。謝らなくて、いいから。嫌よ」
「んー……」

 ラムズは彼女の頬をすうと撫でていく。

「じゃあ、かわいかった」
「っは、は?」
「お前がどうしようもなくなって俺に“お願い”してるとき、思わず食い殺したくなるくらいには、よかったね」
「な、なんでそんな。そんなこと言ったってなにも……」
「そうか?」

 彼が首を傾げて、銀髪と髪からのぞくピアスが揺れた。

「俺は宝石にしか心が動かないのに、お前を見て心が動いたって聞いたら、少しは嬉しいだろ」

 ラピスフィーネは複雑な気持ちで顔を背けた。
 そう説明されれば、たしかに嬉しくないわけではない。ラムズは優しくしてくれてはいても、自分のことを“見て”くれたことは一度もないのだから。

「もっと虐めてやってもよかったが、時間も時間だし、お前の精神状態が心配だし、あれでも早く切り上げたんだぜ」
「じゃ、じゃあ……どうして途中でやめたの」
「お前がよがってると、意地悪したくなるから」
「どうして……」
「だって俺は宝石を見れるわけでも、お前を食えるわけでもないのに、疲れるピストン運動を続けないといけないんだぜ? それこそ、こんな阿呆な時間はねえよ」
「ん、それ、は……」
「俺がお前と同じくらい気持ちいいと思えるなら、抱き潰すまで犯してやるけどさ」
「ごめん、なさい……?」

 ラムズは彼女の体を少し持ち上げて、座っていた彼女をベッドに横たわらせた。

「お喋りはこれくらいで、そろそろお休みの時間ですよ。お姫様」
「……明日も、いるの?」
「いるよ」
「……今夜は? なにしてるの?」
「お前の部屋にいる」

 彼女は布団から手を出して、ベッドについているラムズの手に触れた。

「えと……あの……」
「一緒に寝てほしい?」
「や、いや……」

 彼女は口元まで布団を被った。

「本当に俺に甘いお姫様だな」
「い、いい。嘘よ。来ないで」
「遠慮しなくても、お前が寝るまで抱きしめてあげるつもりだったよ」

 ラムズは布団をめくり、彼女のベッドに入りこんだ。体を引き寄せ、優しく腕に抱く。

「大丈夫、もう痛いことはしばらくしねえから」
「ん、ん……」
「次する時は優しくしてあげる、これは約束するよ」
「し、しなくて、い……」

 最後まで言い切る前に、ラピスフィーネは言葉を濁した。
 もう一度リジェガルとするような機会があれば、ラムズとのことを思い出してしまうだろう。そうなればきっと──……。

「だから言っただろ。三回すれば夢中になるって」
「これ以上、……嫌よ」
「それは無理なお願いだなあ。でも、十分よくしてあげてるだろ」
「今日のでぜんぶ消えたもの」
「はいはい、悪かったって」
「思ってないくせに」
「痛そうだなあとは思ってたよ。辛そうだなあ、とか」
「……それで、笑ってたくせに」
「面白いから仕方ない」

 彼女の髪を何度か指がすいていく。体を離して、優しく唇に口付けを落とした。

「寝ないと治らないよ」
「もう、いっかい」

 ラムズは薄く笑い、彼女の頭の後ろに手を回した。冷たい唇を押し当て、柔らかい舌で口内を舐める。何度も角度を変えて熱いキスを送った。

「っは、ハァ……」

 少し息を整えてから、彼女は言った。

「ぜんぜん、きすも、してくれなかった」
「ご褒美になるから」目を細める。「今してあげてるだろ」
「……ん」
「もっと?」

 彼女は黙ったままこくりと首を下げた。ラムズは優しく微笑み、さきほどと同じように優しいキスを送って、穏やかな夢へ誘った。