ようこそ地獄へ

 その日は、今まで生きてきなかでいちばん最悪な目覚めだった。そしてこれから先の人生を合わせて考えても、絶対にいちばん最低の日だろう。
 ──だって、人魚じゃなくなってたんだから。
 なんのせいかはすぐに思い当たった。ここ最近ずっとそのことしか考えてなかったから。
 そう。彼に恋をしたせいだ。
 わたしは目の前で項垂れるように流れる髪の毛を、ぐいと掴んで下に引っ張った。ひたすらむしゃくしゃする。海水を奪われた髪は、すでに水気を餓えるように乾いてパサパサになっていた。
「どう、……しよう」
 海で聞くより声が汚い。さすがに声までは変わらないはずなのに、ずいぶん煤けた声が出た気がした。
 皮肉のようにぎらぎら照りつける太陽と、視界に広がる美しい海を見て、懐かしさと悔しさが口の中いっぱいに広がった。苦い唾を飲みこむ。今から海に勢いよく飛びこめば、失った尾ひれは戻ってくるだろうか? 忌々しいこの足をもう見ずにすむだろうか? 泣き喚いて神様に懇願したら、許してもらえるだろうか。何粒の涙を流せば許されるだろうか。
 この前までは彼に恋をしたことを考えるだけで嫌気が差し何度も泣いていたのに、こういうときに限って涙はちっとも流れなかった。きっと海にいないせいだ。わたしの命の源はすべて海にあるんだから。
 海が恋しい。あの白銀に輝く海に入りたい。冷たい水に体を浸したい。
 渾身の力をふり絞って、岩にもたれかかっていた体を起こそうとした。足は使い方がわからない。手だけで体を動かすしかない。
 わたしは一度うつ伏せに倒れると、腕と上半身だけで体を引きずって砂浜を移動した。こんな足、邪魔だ。いっそのこと切り落としてしまったほうがいい。
 幸いにも、少し進めば海に辿りついた。腹や足には岩に張りつくバナルボのようにびっしりと白砂がつき、上半身の鱗にも砂が入りこんでしまっている。
 全身を海水に浸す。
 ──あぁ。
 ──本当に、人魚じゃないんだ。

 今度は涙が出た。泣いて縋っても神様は許してくれない。そんなのわかっていた。方法はひとつしかない。だから一刻も早く彼の居場所を突き止めないといけない。
 それでも、泣くのをやめられなかった。
 わたしの涙は頬を流れ首筋を通り、胸の鱗を光らせてから、泡沫に変わって海へ帰っていった。わたしもこの涙のように泡になって消えてしまいたい。でも人魚ではないこの体じゃあ、死んでも泡にはなれないだろう。人間とも人魚ともいえない中途半端な屍は、美しい海のそばで干からびて、一生海には帰れない。

 人気のない海の砂浜で、延々と泣きつづけた。そうしてわたしの涙が泡沫を生まなくなったのは、五回目の朝日が顔を出すころだった。

「馬鹿みたいに泣いてる場合じゃない。まずは歩いてみなきゃ」
 震える声で自分を鼓舞する。足は嫌いだけど、彼を探すために足は必要だ。足がなければ彼には会えないし、殺すこともできないだろう。足を切り落としたいのに、目的のためには足を使うしかない。なんて皮肉な仕組みなんだろう。
 浜辺にいるままじゃ掴まるものがないので、最初に打ち上げられていた岩の側まで這って戻る。そしてそれからしばらく、岩に手をつきながら立てるようになるまで練習しつづけた。

「はぁっ、はぁ」
 なんとか立てるようになったのはもう日が暮れるころだった。酷いよ、最初から歩けるようにしておいてくれてもいいのに。
 打ち上げられていた海が人気のない場所であったことがなによりの救いだ。今は人魚ではないけど、胸や腕にはちゃんと鱗がある。人間に見つかれば鱗を剥がされるかもしれない。人間の着ている『フク』なんてものは持っていないし近くにあるわけでもないので、鱗を隠す術もなかった。
 そんなに人気はなかったけど、人間以外の存在の気配はあった。獣人だ。
 わたしが泣いているあいだ、練習してるあいだ、何人かの獣人が海から顔を出し、そのまま砂浜まで歩いてきた。たぶん、海の中で依授されたあと海にいられなくなり、浜辺まで歩いてきたんだろう。
 海の中にいる魔物で足を持っている者なんていないはずなのに、みんな普通に歩けている。ずるい。魔物は人間のような見た目と知性が依授されるんだっけ。知性の定義に、人間のように歩けることも含まれているのかもしれない。そうだとしても、ずるい。
 遠目でそんな獣人を見ながら、何百回目かにもなる横転を被ったところだった。
「大丈夫かい? 他の獣人はちゃんと歩けるのに、君は依授に失敗しちゃったのかな」
 砂浜に転がったわたしへ、上から覗きこむようにして話しかけられた。すごく話し方がゆっくりだ。なんだか綺麗な顔。澄んだ高い声。女の人みたい。
「まぁ、そんなところよ」
 獣人なら人魚とバレても大丈夫だろうし、いい加減気を紛らわしたかった。彼≠フことからも、この足のことからも。
「僕も最近獣人になったばっかりでね。名乗る名前がないんだ。僕の魔物はシースラギィって呼ばれていたみたいだね」
 そこの知識ももらえるんだ。彼女はわたしに手を伸ばして、砂浜からわたしを起こそうとしてくれた。でも力の入れ方を間違えたのか、引く前に繋いだ手が外れた。
「あれま? ごめんね。もう一回」
 今度はわたしに気を使ってくれたのか、脇の下に手を入れて立たせてくれた。立つのも一苦労だったからすごく有難い。
「わたしはメアリ。実は獣人じゃないの」
「そうだったんだね。人間……ではないから、海に住む使族かい?」
「……まぁ、そんなとこ」
 彼女はそれ以上聞いてこなかったし、わたしも答えるのをやめた。こんな姿で『人魚』だなんて称するのは、人魚が汚れてしまうような気がしたのだ。
 彼女の声質は女の人のようだけど、髪型や顔つきを見ると、どうも男の人のようにも思えた。わたしより年下に見える幼びた顔つきでいて、身長はわたしより高い。頭に長い珊瑚のような角が四本あり、腰には透きとおった大きなヒレがついていた。人魚のものとはまったく違うけど、下向きに生えた海の翼のようなそれはとても美しい。足や腕は人間の肌に似ているけど、首から下の胴体の部分は骨とも鱗とも似つかない何かが透けて見え、そこだけ浮き彫りになっているようだ。
 角もヒレもわたしと同じように青い色だからか、少し親近感がわいた。
「シースラギィっていう魔物、初めて聞いたわ」
「小さい魔物だからかもしれないね」
「あなたのように角やヒレがついているの?」
 彼女は優しく首を振った。「シースラギィはいろんな種類の見た目があるんだ。だから角がついていないものも、こういうヒレがついていないものもいるのさ」
「へえ……。あなたは女の人? 男の人?」
 首を傾げて少し悩む素振りをしたあと、彼女は手のひらを横に広げた。
「ンーわかんないな。どうやったらわかるんだろう」
「どうやってって……。魔物のときは性別はなかったの?」
「ないよ。無性だったから」
「それなら、今もないのかもね」
 彼女は肩を竦めて「そうかもね」と笑った。

 彼女、もしくは彼は特にやることもなく暇だったみたいで、わたしが歩けるようになるまで手伝ってくれた。名前がないと会話がしづらいということで、お礼に二人で彼女の名前を考えた。
『ディーリオ』
 少し男の子っぽい響きになってしまったけど、彼女は気に入ってるみたいだった。男も女も、ディーリオにとっては特に意味のないものなのかもしれない。
 ディーリオの魔物、シースラギィはおとなしい魔物で、ほとんど戦いの術を知らずに生活しているらしい。でももちろんある程度の水元素の魔法は使え、他に光元素の魔法が得意なようだった。
「光の元素ってことは、治癒魔法とかが使えるってことよね?」
「そうなるかな。魔物だったときも自分の体は自己再生していたし、その名残りなのかもしれないね」
「わたしの人魚の力は海でしか使えないしあんまり強くないから、人間の世界でやっていけるのか不安だわ」
 浜辺で話すうちに、わたしは自分の身の上を話してしまっていた。そもそも獣人なら心配する必要はないし、これからもディーリオと助け合う予定なら、使族くらいは知っておいてもらったほうが楽そうだ。
「それなら海で過ごせばいいじゃないか」
「海で? どうやって?」
「ンー……人間たちは、船というものを使って海に出るだろう? それに乗るんじゃダメかな?」
「船……」
 わたしはディーリオの誘いに積極的な反応を返すことができなかった。彼≠ェ生活しているのは海ではなく、おそらく陸だ。彼を探さなければいけない以上、海にいたら見つかるものも見つかりづらくなってしまうかもしれない。
 ディーリオが言った。「陸でもいいけど、どうやって生活すればいいのか考えないといけないね」

 ディーリオはわたしの代わりに、海から出て人間が住んでいるところまで偵察しに行ってくれた。わたしは海の魔物の獣人のフリをすれば案外大丈夫かもと言ったんだけど、ディーリオ曰く、人魚の鱗は海の獣人とは比べ物にならないくらい目立つらしい。
 このまま『フク』を着ずに『マチ』という人間がたくさんいる場所に出れば、人魚だとバレそうだと言われた。彼はわたしと違って布を体に巻きつけていた。『フク』とは違うものだけど……これも依授されたときから一緒に着ているんだろうか。
 わたしが人魚だとバレればディーリオにも迷惑がかかるし、しぶしぶ彼を頼ることにした。初めから人間に捕まったらお先真っ暗だ。まぁ今だって、一縷の光すらこっちに届いてないけど。
 でも、ディーリオは少し抜けたところがあるから心配だ。しょっちゅう何もないところで転びそうになっているし、物忘れやドジを踏むことが多い。たまに何を考えているかわからない。言動もすごくゆっくり。彼こそ、人間の世界に溶けこめるだろうか?

 数週間経って、ディーリオは数着の服を『オカネ』というものを使って買ってきてくれた。人間の世界では『オカネ』が必要で、その『オカネ』を集めるために『シゴト』をしないといけないらしい。
 服は、ちゃんとわたしの鱗がすべて覆えるくらい大きいやつだ。腕も胸元も隠れている。
 でも、肌の上に何か違うものを着るというのはどうにも慣れなかった。
「変な感じがするよね。僕もすごくかゆくて、かいてたら服が破けちゃったんだ」
 ディーリオはおどけたように幼気な目つきを細めると、破れた服をわたしに見せた。
「気をつけるわ。あまりに強い力で引っ張らなければ、そこまで破れることはない気がするけど」
 彼は服を仕舞うと、「あとね」と言葉を付け足す。「服って洗わないといけないんだって」
「『アラウ』って?」
「綺麗にするっていう意味。僕も君も、海にいるあいだは汚れなかったけど、人間の住む陸にいると、どうやら汚くなるみたいなんだ」
 たしかにディーリオの顔は、最初に見たときより頬が煤けて黒っぽくなっている。腰についたヒレもどこか汚くなっているように見えた。
「どうやって洗えばいいの?」
「とりあえず水でゆすげばいいって言われたよ」
「水に入ればいいのね?」
 ディーリオは頷くと、二人で服を着たまま水の中に入った。これで綺麗になるかしら?
 でも、水に入ると服がすごく重くなって動きづらくなる。手や足が思うように動かせない。
 ディーリオも同じことを思ったのか、水の中で服を脱ぐことにしたらしい。仕方ない、わたしもそうしよう。
 二人でひとしきり水を浴びて綺麗にすると、ディーリオの勧めで服を乾かすことにした。水がついているままだと重いからだ。それにはわたしも賛成。
「服を着る意味ってあるのかしらね。洗わないといけないにしても、服を着ていなければ体を洗うだけですむわ」
「僕もそう思うよ。人間はよくわからない」
 風に服が煽られるのを見ながら、わたしたちはそう人間の悪口を言い続けていた。

「メアリ君も吟遊者になるといいよ。その服を着て獣人だって言えばたぶん大丈夫。水を操る様子を、人間より上手くやればきっと誰も疑わないさ」
 彼は優しげな声でそう教えてくれた。人魚とは違って、ディーリオはどこかおっとりしていて一緒にいてすごく心が安らぐ。人魚同士の会話でこんなふうに穏やかな気持ちになることはあまりない。まぁ、彼の話すスピードが遅すぎるせいもあるかもしれないけど。
 ディーリオは街に出ていろいろなことを勉強してきてくれた。わたしよりも人間に詳しいディーリオのことを、今は頼りにするべきだろう。二人で吟遊者ギルドの人間を騙す嘘を考えながら、着々と街に行く準備を進めていった。

 わたしがディーリオにもらった服を着て最初の砂浜を出たのは、人魚の尾を失ってから季節ひとつぶん、変わったころだった。

「ね、ねえ。わたしの歩き方、おかしくないわよね?」
 ディーリオの腕を掴んで、コソコソと周りの人間に聞かれないように尋ねる。『ミチ』という砂浜とは違う場所を歩くのは、歩きやすい気がする反面、今までと違っているせいか慣れない。
 でもいちばん慣れないのは、こんな近い距離に人間がたくさんいることだ。わたしからしたら、人間なんて魔物と同じだ。正直、眠っている恐ろしい魔物のそばを泳ぐよりも怖い。
 ──人魚ってバレたらどうしよう。
「おかしくないさ。でも、そんなにキョロキョロしてたら変だと思われるかも? 僕も同じことをすれば、二人して獣人のなりたてだと思ってもらえるかな」
 ディーリオは大真面目な顔でそう言うと、肩を強ばらせて怯えたように周りを見回しはじめた。その様子は想像していたより馬鹿みたいだったので、わたしは辺りを見回すのをやめた。きっと堂々と歩いてたほうがいい。
「あれま、メアリ君はやめちゃったの?」
「だってそれ、アホっぽいもの」
「ンー、そうかな?」
 ディーリオはまだなにか言いたそうにしていたけど、わたしと同じようにしっかり歩きはじめた。
 ここがどんな街なのかは知らないけど、すれ違う人は当たり前のようにみんな服を着ていて、なかには白く美しい翼を持った者や、ふさふさの耳をつけた者がいた。きっとあれは、人間じゃない使族なんだろう。
 人魚は人間とは馴れ合わないけど、人魚以外の使族は案外人間と仲良くやってるのかもしれない。
 人間の街には、たくさんの大きな箱が地面に並んでいた。箱の上はだいたい三角形になっていて、その中へ人が出たり入ったりしている。
「あの大きな箱はなんなの?」
「家っていうらしい。人間はみんなあそこで寝たり食べたりするんだって」
「……へえ。あの箱の中じゃないとだめなの?」
「雨がいやなのかな? きっとね」
 わたしなんて年中濡れてるっていうのに。人間はどうやら水に弱いらしい。いい気味だ。
「あの人はなにしてるの? 歩いてないわ」
「あれは踊るっていうんだって。この足を使って、歩くのとは違う動きをするらしいよ」
「そんなことをする意味ってあるの?」
「僕もないと思ったよ」
 ディーリオとわたしの人間の文化に対する意見は、概ね一致した。人間は生きるのに余計なものが多い。踊るのも家も、ただ生きるだけなら必要ないように思える。何がしたいんだろう。
「でも、僕も歌うのは好きだし」
 ディーリオの声は、高くて玉を転がすように美しい声だ。砂浜にいるときに聞いた彼の歌は、たしかにとても綺麗だった。

「ここだ。吟遊者の登録ができる家だよ」
「ふうん。じゃあ入ってみるわ」
 わたしはそこで少し、家に入るのに手間取った。どうやって入ればいいのかわからない。家に入るには『トビラ』というものを通るらしいんだけど──、この丸い突起物を外せばいいのかしら?
 引っ張ってみても、ビクともしない。
「違うよ、こうするんだったと思う」
 ディーリオは丸い突起物を押した。何も変わらない。「あれま? どうやるんだっけ」
「ちょっと。家には入ったことあるんでしょ?」
「あるんだけど……慣れないから忘れちゃうよね」
 わたしたちはその突起物を、しばらく横に押したり何度か叩いてみたり、いっそのこと突起物は関係ないのかもしれないと思い、扉自体を押したり叩いたりしようとした。
「ダメよ。開かない」
「カギがかかってるのかな?」
「カギってなに?」
「この扉が開かないようにするためのものらしい。魔法でもできるんだって」
「開かないようにしてどうするの?」
「……まぁ、入れないようにするんだろうね」
 は? わたしはそこで一呼吸おいて、もう一度扉を見た。「人間は家の中で寝たり食べたりするんでしょう? 開けられないようにして、使えなくした箱に意味はあるの?」
「そうだよね。もしかしたら僕が間違えたことを言っちゃったのかもしれない。ごめんね」
 わたしは「いいのよ」と軽く答えた。ディーリオが落ちこむ必要はない。よくわからないものをたくさん使う人間が悪いのだ。
 わたしたちが吟遊者の家の前でそう立ち話をしていたら、誰かが扉の奥から出てきた。
「開いたわ!」
「ほんとうだ! カギが閉まる前に早く入ろう!」
 わたしたちは急いで家の中に入った。扉は勝手に閉まるかと思ったのに、開いたままだ。周りの人間に不審そうな目で見られたので、仕方なく扉を押して閉めた。よし、閉めるのは上手くいった。

 そのあと、吟遊者ギルドというもので働く人間たちにいろいろな質問をされて、ディーリオと考えていた嘘の答えを並べた。
 水の魔法を使えと言われいちばん得意な氷柱魔法を使ったら、それだけで獣人と認めてもらえた。人間には出せない魔法の威力だったらしい。人間ってしょぼいのね。

「実は僕はね、メアリ君とは違う『シゴト』をしないといけないんだ」
「え? そうなの?」
「君、スペイド部門に配属されたでしょう?」
「ええそうね。そんな名前だったわ。戦いの能力を買いますって」
「僕は普通の魔法はあんまり得意じゃなかったから、治癒魔法が買われたんだ」
「そうすると、違うの?」
「ハーツ部門になるんだって。ハーツ部門は、怪我した人を治す『シゴト』らしい」
 怪我した人を治すことも、『シゴト』になるんだ。戦うのが仕事になるのもよくわからないけど、怪我を治すのがどうして仕事になるんだろう。家族や友達は手当てしてくれないのかしら。
「僕はこの街でハーツ部門の仕事をしばらくやっていく予定だけど、メアリ君は治癒魔法は使えないから、僕と一緒には働けない。ここで少し『お金』を集めたら、僕は船での仕事を探そうと思ってるよ」
「それだと、ここでお別れかしら」
「ンー、そうなるね。もちろんここにいるかぎり、会うことはあるだろうけど」
 ディーリオとは二ヶ月近く一緒にいたからか、別れるのは少し惜しかった。でも、初めからひとりで人間の街に投げだされるよりずっと心強かった。
 わたしにはわたしの目的があるし、ディーリオと旅をすることがわたしのやりたいことじゃない。
「そういえば、僕が最初にこの街に来たときに助けてくれた獣人がいるんだ。よかったら紹介するよ」
「あら、そうなの?」
「海に住む魔物の獣人じゃないけど、いいかい?」
 仮に問題があっても、人魚だということは隠せばいい。わたしは快く頷いた。
「よかったよ。三日後の日が落ちる前くらいに、この家にまた来るって言ってたよ」
「わかったわ。なにからなにまでありがとう。それじゃあ、またね」わたしは手を振って彼に挨拶した。
「うん。メアリ君も頑張って。名前、一緒に考えてくれてありがとうね」
 ディーリオはあどけない顔をくしゃりと緩ませると、吟遊者の家の中から出ていった。もう新しい仕事をしに行くらしい。

 わたしは──まずは仕事を探しながら、『サフィア』探しをしよう。今はまだ人間に声をかけるのは怖い気がするけど、この吟遊者ギルドで獣人と接していくうちに、少しは慣れていくはずだ。はぁ、先が思いやられる。