心の所在

 ラムズは落ちていた誘童笛を取りあげると、碧眼を剣のように鋭く尖らせた。
「何が起こった?」視線は辺りを一瞥するが、答えを導くようなものは何も残っていない。獣のような唸り声で言う。「あの食人鬼ども、全員根絶やしにしてやる」
 ぼうっと開けた空間を眺めていたヴァニラのそばをすり抜け、ラムズは颯爽と歩いていく。彼女ははっとして振りむいた。思わず地の元素の魔法をラムズに放つ。即座にラムズが同じツタの魔法でそれを弾いた。二人のあいだでゆらりとツタが首をもたげた。
「ラムズ、やめるの。あのラミアたちは関係ないの」
 血走ったような眼が彼女を穿つ。「んなこともわからなくなったと?」低い声で唸る。「言いようのないこの怒りを誰にぶつければいい? アヴィルはいねえ。皆殺しにでもしないと気がすまない」
 ヴァニラは視線を左右に走らせ、必死に言葉を送った。「わかってるの! 痛いほどわかる。わかるからこそ言ってるの」
 ラムズは黙って彼女の続きを待っている。ヴァニラは大きく肩を落とした。
「殺したらお終いなの。すでに神に追われてる身だってことも忘れてないでしょう⁉ これ以上怒らせてどうするの? 今回だって闇の神デスメイラがわざわざ誘童笛を落としたのに、そこでラムズが絶滅に追いやったりしたら、ますます当たりが強くなるの」ラムズはヴァニラのほうに体を向けた。苛立ちを抑えるようにヒールの爪先を何度も地面に落としている。「アヴィルのことは殺せばいいの。見つけて殺せばいい。でも今は、その居場所がわからないの。ラミアを殺すより、アヴィルの居場所を聞くほうが先なの」声色が変わる。「違うか?」彼女の瞳は真っ直ぐと彼を見た。
 ラムズは手元の誘童笛に視線を移し、そのあとメアリの消えた森へ目をやった。
「ああ!」
 ラムズは自分の心臓に剣を突き刺した。狂気に満ちた笑みが傾く。「死ねたらいいのに。こんなときこそあいつが必要なのに」自嘲気味に放った。「地獄だ」
 ヴァニラは俯き、徒にツインドリルの髪を弄んだ。「メアリに出会った以上……」
「そうだな」剣を抜きとる。流れていた血が止まり、傷もすぐに見えなくなった。ラムズは力なく地面に座りこむ。「いいよな。あいつらは心が痛けりゃ、物理的な痛みで誤魔化しゃあいいんだから。まあ、あいつらの心の痛みなんてたかが知れてるか」乾いた笑いがこぼれた。
 ヴァニラは近づき、ラムズの隣に座った。「きっとアヴィルは見つかるの。ラミアに聞きにいくの」
「……あいつらが話すかよ」吐き捨てるように言う。
「ちらっと聞いたけどの」ヴァニラは酒瓶に口をつけた。「あの街でできる子供、普通の子供より美味しくないらしいの。異常なスピードで育ってるからかの? だから、何人か子供をさらってきて、ラミアに渡せばいいの。全員は無理でも、一人くらい飢えたラミアが教えてくれるの」
 回らない頭をなんとかふり起こして、ラムズはわずかに頷く。「……どこからさらう? 連れてくるのも楽じゃねえ」
「ケンタウロスは許さないだろうからの……。人間とかにお金でも握らせて、貨物車を使うしかないかの……」ヴァニラは考えこむ。「さらう場所は……ぬー……。普通の家庭から連れてくるとうるさいからの、やっぱりスラムで生きる子供くらいしかないかの?」
「だが貧民街で生きているやつなんて、栄養失調のガリガリばかりだろ。あんなもん美味いわけがねえ」
「それなら普通の家からさらうかの。少し騒ぎになるかもしれないけど、ラミアを皆殺しにするよりはマシなの。てきとうな噂でも流して、どこかの犯罪者のせいにでもするの。人間は多いし、こういうときこそ使わないとの!」ヴァニラは乾杯するように酒を宙に突きだす。 
 ラムズは力なく笑った。「つまんねえ世の中だ。こんなこと、頼めば喜んでやってくれるやつがごまんといたのに」
「……ヴァニはそれは知らないけどの。戻るつもりはないんでしょ」
「ねえよ」ラムズは顔を上げて、遠くを見るような目つきで宙を捉えた。「死にたくねえから」
 ヴァニラはくすりと笑う。「言ってることがめちゃくちゃなの」
「ああ、どうかしてる」虚脱感のある声が落ちる。
「ラムズがそういうつもりなら、みんな協力してくれるの。特にリビーやソフィヤ、ストゥードゥは力になるはずなの。エゼキエルは……ちょっとわからないけどの。ラムズはヴァニよりずっとあいつらと仲が良いの」
「だがトミーの一件があんだろ」
「あれはラムズのせいじゃないの。ゼシルでしょ?」
「まあ、だろうな」
「みんなわかってる。早く行こう。ソフィヤならラミアの話ももっと知ってるかもしれない」ヴァニラは立ち上がって、ラムズのほうへ手を伸ばした。
 ラムズの視線が彼女に交わる。「……ああ」
「貸しひとつ、なの」ヴァニラはこてって首を傾げ、かわいらしく笑う。ラムズは彼女の手を取って立ち上がる。「ヴァニにとっては、生まれてからずっと継承者はラムズなの。実際、それでいいと思ってる。少なくともあいつよりはマシかな」ヴァニラは歪んだ笑みを落とす。
「そんなに優しく俺を励ましてくれるなんて、あとで何本酒を奢ればいい?」
「んー、十本かの!」
 ラムズはふっと笑い、全身の疲労感を堪えながら足を踏みだした。後ろからヴァニラがひょこひょこと付いてくる。二人の足音は虚の空に消えていった。

 *

 クリュートからベルンに戻り、まずラムズは自分の城に置いてあった数千もの本を一日足らずですべて目を通した。だがとりわけ今回の出来事に使えるような情報はない。
 彼は部屋を移動して、魔法の道具──チョークや蝋燭、魔物の死骸、奇妙な色の液体や砂の入った瓶などがひしめき合う地下室に入った。机に座り、中心に置かれていた水晶を引き寄せる。干からびた死者の左手の中に大きな水晶がはめこまれている。手の周りに魔法円を描き、小瓶から青い砂を落とした。魔法円を縁取るように砂を並べたあと、緑の蝋を垂らす。蝋は生き物のように砂の上を這いすすんでいく。青い砂がすべて蝋に浸されたあと、彼は小声で長い詠唱をした。
 水晶の中で影が渦巻き、ややもすればぼんやりと男の顔が浮かびあがる。男の目の周りはくぼみ、灰色の皮膚は長く伸びきって萎びている。縮れたグレーの長い髪が頬の横に垂れている。充血した目玉がぎょろぎょろと回った。
「……ラムズか。久しい」かさかさの唇から声が漏れる。容姿に似合わないはっきりした声色だ。
「助けてくれ。ラミアについての情報がほしい」
 男はひゃっひゃっと薄気味悪い笑い声を出した。「お宅がそうはっきり『助けてくれ』と言うなど、例の人魚の娘に何かあったかいね?」
「引きこもってるくせに、よく知ってるわ」
 男はけたけたと笑う。「なめてもらっちゃ困る」
「で、情報はあるのか、ないのか」
「慌てなさんな。もちろん協力してやる。だが」男は真剣な顔つきをする「頼むよ。あいつだけには負けるな。世界がどうなるかわかったもんじゃない」
「ああ。俺だって寄越したくねえよ。だが決めるのは俺じゃねえだろう」
「それはわかってる……」男は髪を激しく掻いた。白い塵のようなものがぱらぱらと落ちていく。「ひとまず、何が起こったか教えてくれ」
 ラムズはかい摘んでアヴィルとメアリの話を伝えた。男の飛び出た眼は一度も瞬きすることなく、呼吸すらしないような雰囲気で聞き入った。
 話が終わり、男は何度か頷いて言う。「メアリがそのアヴィルとやらを怒らせたんじゃなけりゃ、塔に連れていかれたんだろう」
「塔?」
「ラミアたちがそれぞれ持っている家だ。恋人を閉じこめるのに使う。まだ書いてないんだ、悪い。情報のほうが多くてな」男はくくっと笑う。「お宅に嫌がらせをするような理由もないんだろう? だったら間違いない。恋人だと思って閉じこめたんだ」
 ラムズは怪訝な顔で尋ねる。「なぜそんなことになった?」
 男は吐き捨てるように言う。「それを僕が知るわけがない! むしろ教えてくれ!」苛々した顔で何度も何度も舌を打っている。
「悪い。軽率だった」
「いいさ」男はぎょろぎょろと忙しなく目玉を動かしている。「知らない僕が悪い! 僕の無知が悪い! いいさ! 知らないことを知れたんだから! これぞ無知の知!」充血した眼を見開き、不自然なほど大きな声で言った。
「わかったら言うから」
「頼むぞ、絶対にだ」大きく息を吐く。「話を戻そう。塔の見つけ方だが……かなりやっかいだぞ」
 ラムズは胸元のサファイアを弄んだ。「どうすればいい?」
「塔はかなり高いから綱がないと登れない。そもそも塔自体、その家の持ち主にしか見つけられないそうだ。神造域だから魔法でどうこうすることもできない」
「はあ? じゃあどうすんだ?」
 声のトーンがひとつ下がる。「ラプンツェルの綱を作るんだ」
「ラプンツェル?」
 男は頷く。「十歳以下の人間の金髪の子供を集めろ。30人は必要だろう。そいつらの髪と、ラプンツェルという名の魔植を編みこむんだ。この魔植については説明しないぞ」意味ありげに目線を飛ばす。「あと、編むときに魔法は使っちゃいけない。全部手で編め」
 ラムズは目を眇めたあと、喉の奥で笑った。「お前の知識には本当、恐れ入るよ。それでいて、その知識を使うことは考えねえんだから」
「お前に言われたくないね」男は裂けるように唇を傾けた。
「塔自体はどうやって見つけたらいい?」
「クリュートの北側に大きな森があるだろう。タラタ海に面しているところ」
「ああ」
「あのどこかにあるはずだ。それ以上の特定はできない。塔の場所を見つけたあと、ラプンツェルを宙に向けて投げれば塔が現れる」
「……メアリが、魔石につけた魔法を発動させてくれればいいんだが」
「ふむ、それなら場所の特定に繋がるかもしれんな」
「残りはこっちでやってみる。もう情報はねえな?」
「ああ」男の目玉がひくひくと動く。「次のときも頼むぞ、ラムズ」
「もちろん。聞いたことは伝えるよ。それじゃあ」
 ラムズは魔法円の端を指で擦った。水晶に浮かんでいた男の顔が消える。初めと同じように靄が水晶の中でいっぱいに広がったあと、無色透明に戻った。
「ラプンツェル……。昨日読んだな。こっちはあいつに頼むか」
 席を立つと、今度は床に魔法円を描く。数分もすれば描きおわる。
 短い詠唱のあと、白い光が息をするように魔法円の周りでちらちらと瞬いた。光の粒が中心に集まっていく。光は少女の形をかたどり徐々に色を帯びはじめ、灰色のフードを被った少女に変わった。
「お呼びですか〜! せんちょーさま!」ぴしっと敬礼し、緑鱗を持つ少女が声を放つ。
「どこにいた?」
「ベルンです! 寝てました!」彼女はにかっと笑って、魔法円から足を踏みだした。「どうしたのー?」
「ラプンツェルっていう魔植を探しにいってくれ。フィーザとは連絡を取ったよな? あいつにも協力を仰げ。森から探すより、どこかの商館か貴族からか盗んできたほうが早いかもしれん」
 ラムズは部屋にあった小さな本棚に近づくと、古びた本を一冊手に取った。「これ」あるページを開いて彼女に本を手渡す。「もう文字は読めるよな?」
「もちろん! ちゃんと練習したもん」彼女はさっと目を通したあと、こくこくと頷いた。「ばっちり頭に入れましたぁー! なるべく早く手に入れて参ります!」
「頼りにしてる」
 少女は、ラムズが降りたところとは別の階段を上がろうとした。城の内部ではなく、外と直接繋がっている階段だ。だがラムズはすっと腕を掴んで彼女を引き止める。「その前に」
「へ? なに?」彼女は視線を泳がせたあと、引き気味の顔で視線を逸らした。「えっとぉ……」
「俺、今死にそうだから」
「や、いやいや……。痛いんだけどぉ」
「おねがい」
 彼女はやれやれと溜息を吐き、彼に向きなおった。「もー……、わかったよー」
 ラムズは小さく微笑み、彼女の髪に指を滑らせた。
「ありがとう、シャーナ」