ネバーランドの君主

 ある日のこと。シャーク海賊団の船員であるジウとロミューは、船長ラムズの命令を受けてとある店に金貨と交換に宝石を手に入れようとしていた。

 ジウとロミューは今や人間ではなく、ルテミスという新たな種族ならぬものに変わってしまっている。飛躍的な身体能力と、戦いや血を好む性格を神に与えられた人間たち──彼らは『ルテミス』と名付けられた。
 店の店主はそんなルテミスを差別し、宝石の交換に応じようとしない。初めは礼儀正しく「交換してくれ」と頼んでいたロミューであったが、「野蛮人のルテミスにやる宝石はない」と酷い罵声と野次を何度も受ける。ついに唾を吐きかけられ、乱闘騒ぎになった。
 ロミューは20人ほどいた屈強な人間の男たちを一方的に嬲り殺しにする。暴れ足りないジウは時間をかけて店主を拷問し、最終的に殺した。
 純粋な筋力のみで殺された人間たちの死体は、四肢がもげたり異常な威力の拳を受けて体の一部が凹んだりしている。あちこちで血飛沫が、殺風景な店内をセンスの悪いアートのように彩っている。
 ロミューとジウは店の中から宝石を見つけだし、久しぶりに大暴れができたと気分よく店を出る。こうして、殺人と引き換えに宝石を手に入れたのであった。

 二人が死体の山を残した店から数メトル歩いたところで、黒髪の青年が小走りで駆けてきた。
「ジウさん、ロミューさん、見たぞ……? あの店どうしたんだ……⁉ せ、船長に何を言われても知らないぞ⁉」
 最近シャーク海賊団に入ったばかりの彼は、前に並ぶ二人の後ろ姿と店と、ついさっき見てきた惨状を思い出すがごとく交互に眺めて膝を震わせている。おそらくかつては商船の船員などとして働いていた人間なのだろう、ああも悲惨に殺された者を見る機会があまりなかったのかもしれない。
 ロミューとジウは顔を見合せた。
「そういえば、船長に渡されたお金は使わなかったね」
「おう。これも含めて返さないとな」
 青年が慌てて口を開く。
「いやだからそんな悠長なこと言ってないで、船長が」
「俺がどうかしたか?」
 彼の後ろから声をかけたのは、ガーネット号の船長、ラムズ・シャークだ。
 宝石をセンスよく施した墨色のコートを着て、大粒のサファイアのネックレス、ダイヤモンドのベルト等、数々の宝石を身にまとっている。髭はなく端正な顔立ち、すらっと引き締まった肢体は海賊というより王子様と言っていい。プラチナを思わす銀髪に、冷めきった碧眼がちらちらと 耀 ( かがよ っている。
 ラムズはジウたちとは別行動で陸の他店へ出かけていたはずだが、もう用事が済んだようだ。
 青年は急いでロミューたちと距離を取り、ラムズに向かってまくし立てた。「あ、あの店が! シャーク海賊団は無駄な戦をしない主義なんすよね⁉ ひ、酷い惨状で。見に行ってくれよ!」
「は?」
 ラムズは目を眇めて青年を見たあと、ロミューたちが何か言い付け足す前に店へ踏み入れた。仕方なくジウ、ロミューも後を追う。
「違うんだよ船長〜。お金は払うって言ったのに、ボクたちがルテミスだからって全然請け負ってくれなくて」ジウは唇を尖らせながら、ドア枠にもたれかかって呟く。「それに今回はボクじゃないからね! ロミューがやったんだよ!」
 いつもの如く、自身の愛らしい童顔っぷりをわかっているようなあざとい表情だ。ルテミスの証である赤髪赤目さえなければ、小柄な体つきも相まって、少し我儘なだけの純真無垢な少年にも見えたかもしれない。
 ロミューはそんなジウをちらりと見る。まさかラムズが怒るとは思っていないが、たしかに先程のラムズは焦燥感に駆られたような顔をしていた。潰してはいけない大事な店だったのだろうか……。
 ロミューは掌を開いたり閉じたりしてみる。ジウやラムズより一回り大きい掌、一般的な人間の二倍はありそうな図太い指。筋肉隆々、大柄な体つきはたいそうルテミスらしい。いつもはあまり戦いに積極的でないロミューだが、さっきは大人気なく喧嘩を買ってしまった。ふつうの人間だったときには考えられない自身の行動に、今更ながらまた驚かされた。これもルテミスに変わってしまった 所以 ( ゆえん だろう。
 ラムズは店内を見渡し魔法で死体をいくつかどかしたあと、ジウたちに目を向けた。
「宝石は?」
「それはちゃんとあるよ! ここに!」
 ジウが宝石の入った包みを掲げたところで、ラムズはひったくるようにして掴んだ。床に下ろし、青白い手を差し入れて中の宝石の様子を慎重にたしかめている。
 例の青年がまた声を上げる。
「ラムズ船長。宝石じゃなくて、店のことだ! こんな人数が死んでたら俺たち……。それよりジウやロミューには罰は与えないのか⁉ 命令を破ってるんだぞ!」
 ジウが決まりの悪そうな表情でラムズを見下ろす。数回咳払いをして、首の後ろをこすった。「命令……たしかに、船長命令は破っちゃったかも」
 ラムズは宝石をいじるのをやめ、腰を上げて二人を視界に入れる。
「金は使わなかったんだな?」
 ジウとロミューが頷いた。ロミューが金貨の入った小袋を渡し、ラムズは懐に仕舞った。
 ジウが言う。「船長は怒らないでしょ? これくらい殺したって」
 青年が呆気に取られて口を開ける。首をぶんぶんと振ると荒い息で叫んだ。
「これくらいって、見ろよ! 20人は死んでるぞ! これだからルテミスは──」
 まだまだ文句を言いそうな青年の言葉を、ラムズが手で遮ってやめさせる。
「たしかに俺は金と交換しろと言った。が、お前たちは殺した。なぜ?」
「だって殺さなきゃ手に入らなかったよ?」
「んー……、向こうが手を出したのか?」
「まぁ……」ロミューが答える。「何もせず帰っていれば、手は出されなかったかもしれない」
「すると緊急を要したわけでもなく、ただ挑発にのって命令を無視した」
 青年は鼻を大きく膨らませて威張るように肩を張った。自分のほうが正しかった、そう言いたいのだろう。ジウは面白くなさそうな顔で鼻を鳴らす。
「でもボクたちはルテミスだよ? 船長だって知ってて使いに出したんじゃん」ジウは地面を蹴った。「……ボク、イライラしてきた。船長は宝石さえ手に入ればいいんでしょ。実際いちばんに気にしたのはそれ。ボクたちが殺したおかげで船長は手を汚さずにすんだんだ。面倒な思いをしなくてよかったじゃん?」
 ラムズはわずかに首を傾げると、薄く微笑んだ。血飛沫で真っ赤に染まる店内で、冷ややかに嘲る声が異質な響きを ( たた える。
「ジウ。それはお前たちを理性のない魔物と同等に扱ってほしいってことか? そういうことなら不問にしてやるぜ?」
「はぁ⁉ なにそれ、なにその言い方」ジウは今にも飛びかかりそうな勢いだ。「ボクたちが能無しの怪物だって言いたいの? そんなのさっきの店主と言ってること変わんないじゃん!」
 くりくりとした瞳が吊り上がり、全身から火花を飛ばすように怒鳴る。仁王立ちになって今にもラムズに掴みかかりそうだ。
 打って変わって、ラムズの顔には依然氷のように冷淡な笑いが飾られているだけだった。
「お前が求めたんだろ? ルテミスだから挑発されたら我慢ができない、命令無視は見逃してくれと」彼の唇が裂けるように曲がった。「なあ、どっちになりたいんだ? 人か化け物か──どう扱ってほしい?」
 黙って聞いていたロミューは、強ばっていた筋肉を解すように大きく肩を落とした。張り詰めた声で唸る。
「ジウ、俺たちの負けだ。少なくとも俺は、船長に化け物として扱われたいわけじゃない。我慢できると高を括るんじゃなく、そうそうに諦めて船長んとこに戻るべきだった」
「でもあいつら唾吐いてきたんだよ⁉ 船長だって宝石に唾かけられたら殺すでしょ⁉」
 ラムズは一瞬眉間に皺を寄せた。「殺すな」
「じゃあボクたちだっていいじゃん! 船長が許されて、なんでボクたちはだめなの?」
 ラムズは何も言わず笑っている。
 ジウは悪態を付くとぐっと息をのんで一歩踏み出した。「ねぇ、ちょっと」
「ん?」
「答えてよ?」
「今さっき、答えを聞いたと思ったが」
 彼の銀髪がさらりと揺れ、ピアスのダイヤモンドが嫌味のように煌めいた。
「船長だから=A許されるんだろ?」
 ジウはわざとらしく大きなため息を吐くと、手を左右に振った。喉元までせり上がっていた激情、憤怒が嘘のように冷えていく。
「あー。ボクが子供だった。そうだね。文句言うなら自分で船を作れって、そういうことね」ちらりと目線を上げるが、ラムズは何も言わない。「もちろんそんなのお断り。他のルテミスだってまともにみんなを率いられると思えないや」
 ジウはラムズを真っ直ぐに捉えると、狂気的な笑みを繕い、鮮血より深い赤を爛々と輝かせた。
「でもさ、船長」瞳の奥がめらめらと燃える。「ボクたちルテミス全員に襲われたら手も足も出ないでしょ。枷もなしにまとめられると思ってんの? 大事にしてる宝石だって一瞬で割れる」
 いたずらに人を殴るような素振りをしてみせる。ジウはにかっと笑った。
「言ってることは正しいかもね、正しいよ。だけど力じゃ敵わない。つまり──こんな人間の言うことを聞くよりさ」
 ジウは隣に立っていた青年の足を思い切り踏みつ──その瞬間、前方に立っていたラムズの足元からみるみる氷山が生え広がり、ジウの左足を凍らせた。ぴいんと澄み返るような冷寒が店を襲う。
「一瞬で、なんだっけ?」
 ジウは忌々しそうに舌を打つ。「こんな人間を庇うの? なんの価値もないのに?」
「それはごもっとも。だが、お前は他の船員を罰する権利を持ってねえし、俺がそういう命令を出した覚えもない」
 青年はジウのほうをちらちら見、首を曲げながらラムズのそばへ寄った。ラムズが止めなければ青年の足は折れていた。首を縮め、じっと体を動かさないようにして怯えている。
「はいはい」ジウはせせら笑うように放る。「ここは船長の船だもんね。今のことだって、この店をめちゃくちゃにしたことだって、咎めたいなら咎めたらいい。そうやってご大層な倫理観で海賊をやってたらいいよ」天井を仰ぎ両手の拳を突き上げた。「はー! バカな船長! ボクたちの気持ちを蔑ろにして、それで上手くいくかな⁉ いつか寝首をかかれたって知らない〜! あんな人数のルテミス、普通の人に束ねられるわけがない。あと一ヶ月も経たないうちに殺されるのがオチ」
 ジウは挑戦的に笑い舌を見せると、親指を突き出した拳を荒っぽく首の前で横に切った。
 ラムズは嗤笑を携えたまま、淡々と答える。
「ひとつ、俺は寝ない。ふたつ、俺が船員を信用することはない。みっつ、倫理観ってなんのことだ? こいつの足が無事だったことか?」
 ラムズはジウから逃げてきた青年を横目で捉えると、ぱちんと指を弾いた。
 青年は突然自分の胸元を掴み、苦しそうに呻きはじめた。眼球が異常に出っ張りはじめ、皮膚との隙間から玉のような血がふつふつと生まれていく。手や足、首筋に膨張した青白い血管が浮き彫りになる。毒を塗りこんだように皮膚の色が紫に変わると、薄緑の胃液とともに吐血した。
「ッツ⁉ ぅあ、あ、ああ、あ──?」
 息もつけないほど咳き込み、肉をすり潰したような血潮が床に張った氷山を汚す。スローモーションのように青年が倒れていく。血溜まりになっていた床に体が打ち付けられ、粘り気のある水音が鳴った。
 ジウは右手でもう一方の肘を軽く摩った。揺れていた視線を懸命に落ち着かせ、乾いた喉に唾を押しやる。「……どこにも触れずに、殺せるの? そんなことできるの?」
「まさか」ジウはほっとしたように息を下ろした。「殺してねえよ。気絶したんだ。苦しくて」
 目尻が下がり、いたく柔らかな仮面が囁くように喋った。