愛の続きに遭いましょう

「お話が、あるの」

 今朝顔を合わせた時から、ラピスフィーネはひもすがら落ち着きがなかった。
 スキアが|畳《たた》まれ、普段ならとっくにお|暇《いとま》させていただく時分だ。寝る前の子守唄を歌ってとせがまれることもあったが、あれは数年前の話。彼女はもうそんな歳じゃない。

「ああ。なんだよ?」

 いつもなら会って早々宝石を渡してくるのに、今日はそれがなかった。その上、俺は晩餐のあいだ彼女の自室で待たされ、当のお姫様は湯浴みのあと身繕いをして戻ってきた。そう、きっと彼女の思う“最高に魅力的な姿”で。
 そういえばもうすぐラピスフィーネは婚約式だったか。そのせいでこんな“可愛らしい”服を着てベッドに座っているんだろう。

 言い出せないのか、数分間ずっとこの調子だ。俺から言うつもりはない。さしづめ宝石くらいは用意しているんだろうが、正直気乗りしない。いや、気乗りしないどころじゃないな、面倒だからやりたくない。

「待って」
「……なに? 早くしろよ」

 是が非でも今日と決心しているらしい。それなら早く言えよ。分かりきってるんだから。

「あのね……ラムズ。お願いがあるの」

 部屋を出ようと見せかけた足を止め、肘掛椅子に座り直した。

「まあ、そんな雰囲気だよな」
「前にもお話ししたけど……|私《わたくし》、もうすぐリジェガル王子と結婚式があるのよ」
「ああ、そうだな」

 彼女は拳を握りしめ、か細い声で呟いた。

「……でも、ラムズのことが、好きなの」
「お前が?」

 そういえば、自ら直接口にしたのは初めてだったか。記憶を辿ればたしかに言ってない。それじゃあ勇気とやらが必要でもやむを得まい。

「やっぱり……知っていらしたの?」
「そりゃな。だってそうしたもん」

 俺は無為に彼女の髪に触れた。時間をかけて洗ったらしい髪がするすると流れ落ちていく。緊張か悲嘆か彼女の声が震えている。

「ラムズは、酷いわ」
「それは、お前こそ知ってたことだろ?」

 ラピスフィーネは閉口する。阿呆なやつだ。まあ、こいつに限った話じゃない。

「どうして今日は冷たいの?」
「お前が宝石くれねえから」

 あと、これから頼まれることを考えると憂鬱だから。

「……子供みたいなこと、言うのね」
「子供でもなんでもいいぜ、くれるなら」

 彼女は溜息をついた。ようやく寄越す気になったらしい。俺だって毎度宝石を要求するつもりはないが、夜まで待たせるつもりならもらったって罰は当たらないだろう?

 ラピスフィーネは、ベッドの下から宝石の煌びやかな装飾を施した宝箱を取り出そうとしている。
 え、これくれんの? 本気か? まさかこれだけ大きな飾り箱で、中に入ってるのは掌大の宝石一つなんてことはないだろ。
 彼女の代わりに宝石箱を持ち上げ、ベッドの上に載せた。十分に重い。へえ、これは想定外だった。

「お願いがあるの」
「ああ、なんだよ。早く言えよ」

 面白いくらいに口角が上がりそうになるのを堪えるのは、たいそう神経を使う。だから普段より冷たくても許してくれ。

「前に……好きじゃない人としたくないって、言ったでしょう?」

 もちろん覚えている。闇の神に創られた使族とはいえ、俺に“忘却”の文字はない。どんな思い出もちゃんと胸に刻んでるよ? 忘れたフリをするだけで。

「あー、言ってたな」

 ここまで話したなら、もう自分で告げたも同然だろう。どうせなら早く宝石が見たかったし、俺の方から言ってやった。

「俺とやりたいのか? やってほしいって?」

 彼女は恥ずかしそうに俯いた。なにを今更。ずっと前からそう思ってただろ。

「……えっと……その……」
「やんのか。まあいいが、めんどくせえんだよな」

 『もちろんやってあげる』あの宝石を見ればそう答えてもよかったが、それじゃあ洒落がない。それに俺としても、彼女を快楽欲求で依存させていいものか今一度考え直していた。

「……大変でして?」
「そりゃな。あんなの興味ないし、楽しくねえだろ。やる意味も理由も感じない」

 根も葉もある真実。やりたくないのは本当。しかも男の役は女の役より煩わしい。女なら顔を歪めて喘いでいれば勝手に満足するが、男の場合は“愛して”やらないといけない。

「でも……愛している方とすれば、幸せを感じると言うわ」
「俺は愛してないけど、いいんだ?」
「いいわけではないけれど……だって……」
「愛している人とするよりは、愛されてる人とした方がいいと俺は思うぜ」
「そうなの?」
「そうじゃねえか? 人間にとっちゃ、ありゃ自分を捧げる行為だろ。特に女はそうだって聞くが」

 いかがはせん、人の欲に際限はないからな。一度体を許すとさらに執着されるだろう。ラピスフィーネに至っては、面倒になって切り捨てることもできん。

「そうね、そうかもしれなくてよ……」
「愛してるフリも優しくするフリもいくらでもできるが、お前はそれでいいのか?」
「でも、リジェガル王子としたって、私は愛してもらえませんわ」

 どこからその自信が出てくるんだ? よっぽど俺より愛してくれるだろう。そんなことも分からなくなってしまうくらい、脳が溶けてしまったのか、俺がそうさせてしまったのか。

「俺よりマシだと思うがな」
「……そんなに? そんなに私のことは興味がないの?」
「正直に言ってほしい?」
「ええ……まぁ」

 俺は彼女の顎に手を添えると、満面の笑みを作った。

「全く、ないね」

 彼女は泣きそうになりながら視線を下ろした。だが涙は流さない。えらいえらい、ちゃんと女王をやれそうじゃないか。
 
「……ラムズは酷いわ」
「ごめんな」
「思ってないくせに」
「思ってねえよ」

 ラピスフィーネはくるくると視線を彷徨わせながら問いかけた。
 
「私は……ラムズと致さない方が幸せになれるの?」
「知らん」
「……さっき色々、言ってくれていたじゃない」

 そりゃそうだ。だって俺は優しいから。他と致すが幸せになると、俺は酷いと教えてやった。だがこれだけ言っても折れないのだから、あとはもうお前の責任だ。
 まあどうせこれは俺が選ぶことじゃない。運命が勝手に答えてくれる。

「そんなに悩むなら、俺が決めてやろう。さて、その宝石、全部貰うには俺が何回ここに足を運べばいい?」

 彼女はちらりと箱の蓋を上げた。独りでに俺の目が吸い込まれる。

「……30回」

 最高の数だ。運命は決まった。

「30か、へえ。可哀想に」

 俺はベッドに座り直すと、彼女の腰を引き寄せた。

「30回分の宝石を渡さないと、抱いてもらえないと思ったのか?」
「……嫌がると、思って」
「そうだな。たしかに面倒だ。好きなことじゃない」
「……でしょう?」

 俺が彼女の髪を触っても、一向に拒絶の姿勢は見せない。

「なあ、こんなふざけた話はあるか? こんなおかしな話はない。人間の男は、金を積んで女とやるんだろ? しかもラピスフィーネ、お前は王女だ」

 彼女は頷いた。

「お前が自分の体を差し出せば、何百と金がもらえるだろうよ。宝石だって貢がれる」

 ラピスフィーネはきょとんとした顔でこちらを見ている。全く、おかしくて堪らん。舌が回るのはさっき見た宝石のせいか? 気分がいい。

「それなのに、そんなお姫サマが、俺にこんなに宝石を渡して自分を抱いてくれだって? 世界がこんなに疎ましいと、世界で一番の災厄だと言われる使族の俺に?」

 だが、こんな風に堕ちてしまう人間がいるから俺たちは嫌われてしまうんだろう。俺が宝石にしか生きていないことは自明の理。だったらお前たちがもっと気を強く持てばいい話なのに。

「──ああ、なんて可哀想なラピスフィーネ」

 俺は彼女の額にキスを落とした。

「あまりにお前が哀れだから、抱いてやるよ。仕方ない、その宝石であと二回はやってやろう」
「本当に?」
「ああ、優しいだろ?」
「ええ。でも……どうしてあと二回も?」

 時の神ミラームよ、貴殿の賭けにのってやろう。彼女の恋慕に|箍《たが》を|嵌《は》め、破滅に|王手《チェック》はかけまいよ。その上で彼女に、堕落の際まで貢がせてやる。

「分かんねえか?」

 彼女の唇に自分のものを重ねた。目を瞬いて俺の服を掴む。すぐに離してやったが、既に我を失ったような顔つきでこちらを見ている。

「分からないわ。宝石が沢山あったから?」
「まさか」

 俺は至極丁寧に宝箱を床に下ろし、そのあと彼女をベッドに寝かせた。ラピスフィーネは挙動不審にぱちぱちと瞼を動かし、やんわりと俺の胸に手を当てている。

「女って、初めては痛いだろ?」
「そ、そうね。そう耳にしてよ」
「それは魔法でなんとかできるにしても──さすがに最初から慣らすってのは、俺にはちと難しい。普段から頻繁にやってるわけでもねえからな」
「……そう?」

 まだ分からないらしい。察しが悪いな。

「だがまあ、三回もあれば十分だ」
「なにに……十分なの?」

 彼女の頬に手を載せた。
 こんなに冷たい腕で抱かれて、彼女は幸せになれるだろうか? リジェガル王子と初夜を共にした方がはるかにいいだろうに。彼女は、俺に宝石を見せる前にもっとよく考え直すべきだったな。

「俺に夢中になるのに」

 今まで何度同じ光景を見ただろう。白いシーツの上で、期待と恍惚、羨望、ひと握りの不安──それを混交させたような表情で女がこちらを見上げている。

「え、でも、私はだって……ラムズのこと、もう好きだって……」

 彼女に口付けを落とした。舌で少し遊んでやると、慌てたように肩を押される。

「哀れなラピスフィーネ」

 彼女の脳に刻み込むように、体の芯にまで届くように、俺は囁き声を送った。

「身も心も落としてやるって言ってんの。お前がもっと宝石を積んで、俺に『抱いてくれ』って縋るように、な」

 何か言おうとする目をキスで黙らせた。寸刻快感に惑わせたあとには、彼女の瞳から意思が消えていた。