あべこべハロウィン
俺の「今日はハロウィンだ!」という一言で、みんなもイベント事に参加してくれることになった。この世界にハロウィンも猫耳も警察官もいないのだが、今日だけ特別に皆が俺と同じ知識を共有できるようになっているらしい。詳しいことはわからない、とりあえず“そういうこと”ってことだ。
俺は箱の中にあるさまさまな仮装グッズを取り出した。
「すげぇ、けっこういっぱいある! 誰がなんの仮装するか決めようぜ」
ヴァニラは机の上で膝立ちをすると、箱の中に小さな手を伸ばして中を覗き込んだ。
「ヴァニはこの帽子にするの。かわいいの」
「魔女か! その帽子、ヴァニラに似合うじゃん!」
椅子に座って物珍しそうに見ているメアリに俺は視線を移す。
「メアリは吸血鬼とかどう?」
「え、吸血鬼?」彼女は眉をひそめる。「わたしに似合うかしら。そういうのはラムズのほうがいいんじゃない?」
そばで立っているシャーナが緑鱗の手を合わせて顔をほころばせる。彼女は蛇モチーフのククルカンという魔物の|獣人《ジューマ》だ。
「たしかに〜! イケメンは吸血鬼って相場が決まってるよね!」
「どんな相場」
コウモリもどきの魔物、マナナンガルの|獣人《ジューマ》であるアウィナスは、冷たく彼女へツッコミを入れる。
マナナンガルであったアウィナスはほんらい、明るい建物の中などは苦手なのだが、ラムズにもらった光を通さない黒い布で目を覆うことで事なきを得ている。さっきまで「立てない! 歩けない!」と騒ぎながら、俺やシャーナの腕を掴みながら建物を移動していた。彼女も苦労するよなぁ。
俺は眉を寄せてシャーナに言った。
「いやいや。せっかくならここは、ラムズが着なさそうなのを選ぼうぜ!」
そういうラムズは俺たちには見向きもせずに、机に座って船から持ってきたらしい宝石を眺めている。めちゃくちゃ幸せそう。宝石見てるときだけは本当に“いい人”っぽいんだよな。優しそうで慈悲に溢れていそうで、なんでも叶えてくれそうな聖人、みたいな……。やれやれと頭を振る。
「ふーん、そういうもんかぁ〜」シャーナが唇を|窄《すぼ》めた。「じゃあこれは? 警察官」
「いや、それは逆にありえるやつだ」
鞭とかピストルとか持ってるラムズはまぁまぁありそう。
シャーナが持ち上げていた警察官用の服をジウが取り上げた。
「ボクこれにしよ〜! なんだか強そう!」
「ジウ、それ悪いやつを捕まえる職業の服だからな。ジウと正反対に生きるやつの服だぞ」
俺が忠告すると、ジウはぱっと顔を崩した。
「これがギャップ萌えってやつなんでしょ? ちょうどいいじゃん!」
ギャップ萌えの使い方が間違えているような気がしなくも……まぁ、いいか! 今はパロディだ。多少変な言葉を使っていても誰も気にしない!
アウィナスは天使の羽を取り出した。
「この羽けっこういい。でも自分の羽が邪魔」
アウィナスは腕ごとコウモリの羽になっている。たしかにダブル羽はおかしい。
「腕ごと切り落としてあげようか?」
警察服に着替えているジウが、早速警察官には似合わないセリフを吐いている。
アウィナスはぴしゃりと返す。
「お断り」
「天使の羽のアウィナス、見てみたかったなぁ〜」シャーナが体を揺らして言う。「あ、この羽なら船長に合うんじゃない?」
俺たちは、天使の羽と少し遠くで座るラムズを重ねるように合わせてみた。シャーナがぱっと口を手で覆う。
「あ、ダメだ……。ただの神々しい天使ができるだけだ……」
「意外と似合うの|癪《しゃく》」とアウィナス。
全員で肩を落とした。つまんねー!
俺は狼人間の仮装グッズを見つけた。
「俺はこれにしようかな! 狼人間ってやっぱかっこいいよな。グレンとかさ」
「グレンはかっこいいわよね。あの性格がなんとかなれば」
メアリもまぁまぁ毒舌だ。
メアリと俺は奥の部屋に入って(もちろん部屋は別だ)吸血鬼と狼人間の仮装に着替えてくる。帰ってきたところで、シャーナがこそこそとラムズのほうに近づいているのが見えた。
「ねぇ船長〜! 猫耳つけてよ?」
ラムズの背後から体を傾けて、彼の方へ視線を合わせようとしている。
「ラムズに猫耳! 絶対似合わないわ!」
メアリが長い睫毛をぱちぱちと瞬いている。口元から作り物の牙が見え隠れした。吸血鬼メアリ、けっこういける。かわいい。
「でしょう〜? 絶対いいと思ったんだ。ねぇ、船長ってば!」
シャーナがラムズの船長服に触れようとしたところで、顔を上げシャーナの持っていた猫耳カチューシャを掴んだ。何も言わず、即座に頭に付ける。
「え、付けた」
「付けてくれた〜!」
「付けたの」
「付けてくれるのね、ラムズ」
女性陣が揃って声を上げ、ジウが呆れた声で言った。
「あれ絶対、断ったほうが面倒だから付けたってだけだよ」
「ヴァニもそう思うの」
「でもせっかくだから猫耳ラムズ、見てみなきゃ」
メアリもラムズのほうへ歩いていくと、正面に座って彼の顔を覗くように首をひねった。
視線を合わせたラムズが目を細め、こくりと首を傾げ上品に微笑む。
「なに?」
メアリはぎょっとしたように目を見開いて、そのあとわざとらしく視線を逸らした。
「な、ん。んー……絶妙に似合うわね……」
そうか、猫耳付けてもラムズの魅力は顕在か。
いつの間にかメアリの後ろでラムズの顔を見ていたシャーナは、呆れたように首を振っている。
「うわ、普段を知らなきゃ落ちてた。はーずるい。もっとなにか……!」
調子に乗ったのか、彼女は明るい声で言った。
「わかった! 船長、リーチェみたいに『にゃあ』って言ってよ!」
ジウが両眉を上げる。
「船長にそれ頼むの? うへぇ……シャーナの趣味、ボクわかんない」
「ラムズが言うわけないだろ……」と俺。
無視したままのラムズに、シャーナはメアリも味方につけた。
「ねぇメアリちゃん。にゃあって言ってほしいよね」
「え? うーん、ラムズが言っても似合わないと思うわよ」
「似合わなくてもやるのがいいんでしょ!? レオン!」
「俺に振るなよな!? ラムズに怒られるぞ!?」
「え〜。怒るかなぁ……。メアリちゃんが頼めば言ってくれるかもよ?」
シャーナはにまにま笑っている。
「わたし? 関係ないと思うけど」
メアリは後ろのシャーナから顔を背けると、ラムズのほうへ向き直る。
「だって。ラムズ、言ってみてよ」
「おねがーい」とシャーナ。
ラムズは宝石を見たまま、一切の装飾なく零す。
「にゃあ」
「わぁ〜! 言った! ほら、怒ってないじゃん!」
なぜかシャーナが胸を張っている。
「ラムズ、言うのね……」
メアリは気まずそうに視線を揺らしている。
でもあれって言ったうちに入るか? 超棒読みだったぞ? ジウもアウィナスもそんな気持ちなのか、呆れた顔でシャーナを見ている。
「みんな厳しいなぁ〜。仕方ない、船長こっち向いて言ってー!」
ラムズは肘をついて、立っているシャーナを見上げた。
「にゃあ。これでいいかにゃあ」
シャーナはメアリの体をくるっと反対に向けさせた。
「だめだ。純粋なメアリちゃんにこれは早い。船長は猫でもアウトだった」
メアリはメアリで、さらに挙動不審に視線を動かしている。
「なんというか……微妙に|様《さま》になってるのがもはやよくわからないわ」
「本当だよね。船長はずるいね。かわいいのもいけるんだね」
「ジウみたいなこと、するのね……」
そうとう破壊力のある『にゃあ』だったらしい。しかも語尾にまで付けてた。ラムズって絶対そういうのしないと思ったのに……恥ずかしくないのか?
「メアリは今吸血鬼だ」俺が言う。「ラムズは猫なんだから、メアリがラムズを襲う場面も見てみたい!」
「レオン、いろいろと欲望ただ漏れ」
ジウがけらけら笑った。
「襲うって、殺そうとすればいいの?」
天然発言をしているメアリに、シャーナが真面目な顔で言う。
「メアリ、吸血鬼だよ? 血を吸うんだよ」
「でもわたしは実際には吸血鬼じゃないから吸えないもの」
「吸う真似でいいんだって!」
そう言った俺に、ジウが玩具のピストルをくるくる回しながら|窘《たしな》める。
「やめたほうがいいよ〜。返り討ちにされるよ〜」
「メアリが襲われるの〜」とヴァニラ。
ここまで話題にのぼっているのに、ラムズはあれからまったくのガン無視だ。ある意味すげぇ。気にならないのかな、会話に入ろうって思わないんだろうか。
「船長の『にゃあ』も聞けたことだし、私も仮装しよう〜」シャーナが箱を漁りながら悩んでいる。「うわぁ、悪魔っぽい仮装もある」
アウィナスが嫌悪で目を細め、シャーナの持っている服を捉えた。
「捨てときな」
こっちにも不審そうな視線を寄越す。
「レオンの世界、悪魔に寛容なんだね」
「うーん、俺からすると天使だろうが悪魔だろうが、実際にはいないからあんまり差がないっていうか……」
シャーナはいくつか取り出して机に置いた。
「どれもしっくりこない〜。ゾンビとか死神とかミイラとか、全然かわいくないしどれも悪魔っぽくて嫌だな〜」
「そういう行事だからね!? かわいい服を着るイベントじゃないからね!?」と俺。
「怖い服を着る行事ってこと?」
俺はアウィナスに向かって頷く。
「まぁそう、そんなやつ。恐ろしい格好をするんだよ。本物のお化けとか悪霊が歩く日だから、自分たちが人間だってバレないように仮装する」
「もともと人間じゃないんだけど〜」
シャーナはぷうっと頬を膨らませ、手を挙げて言った。
アウィナスが返す。
「そういうことなら、私たちって最初から仮装してるようなもんじゃん」
「まぁなー? 実際海賊の仮装があるくらいだしなー」
「なんだかよくわからなくなってきたね!」ジウが優しげに微笑んだ。「もう気にしないでいんじゃない?よさそうなの適当に選びなよ」
「せっかくここにいるんだから、ラムズももう少し興味を持ってくれていいのに」とメアリ。
「ラムズ、そんなんだったらみんなに嫌われるの〜」
いつの間にか机を渡ってラムズの元まで来ていたヴァニラが、机に座ったまま裸足の足でラムズの肩をとんと押した。
「にゃあって言ったのに」
ラムズは鬱陶しそうに顔を上げる。見ていた宝石を小箱の中に戻すと、こちらまで歩いてきた。
「シャーナの仮装だったか? 天使でいいだろ」
ラムズは早々に机にあった白い羽と服を取って、彼女のほうへ軽く投げた。シャーナは慌てて受け取る。
「でもシャーナ」ジウは悪びれなく言った。「腕とか緑だし絶対似合わないよ」
「ひど〜」
たしかに白くてふわふわした服と緑の鱗ってのはあんまり相性がいいとは思えない。だからシャーナも避けてたんだろう。
ラムズは横目で彼女を見たあと、軽い調子で放った。
「中身が似合ってるからいいよ」シャーナの背中をとんと押す。「早く着替えて、天使ちゃん」
シャーナは「船長が優しいこと言うときはだいたいなにか企んでるとき……」などとぶつぶつ文句を言いながらいなくなる。うんうん、今さりげなく中身が天使って褒めたもんな。どうしたラムズ。俺まで怖い。
今度は、ラムズはまだ着替えていないアウィナスに顔を向けた。
「お前は医者とか、いいんじゃねえ。けっこう頭回るから」
そこはせめてナース服に! と俺は言いたかったが、なんとか|堪《こら》えた。アウィナスは渡された白衣をしげしげと見たあと、シャーナと同じく着替える部屋へ入っていく。
メアリがラムズに尋ねる。
「ラムズは猫でいいの?」
「なんでもいいよ」
「恥ずかしいとかねぇのか? 俺なら猫耳はけっこう恥ずかしいのに。しかも『にゃあ』……。クールイケメンが……」
ラムズが返す。
「容姿がどうとか雰囲気がどうとか、関係ねえだろ」
「そうかぁ〜? ラムズの価値基準、よくわからねぇ〜」
「宝石しか興味ないものね」
メアリが納得したように頷いている。
まだ納得できていない俺に、ラムズが淡々と言う。
「『にゃあ』って言っても俺に損はねえだろ。それで話がまとまるならいいよ」
「じゃあ俺が『これからしばらく語尾ににゃあ付けて』って言ったら?」
ラムズは唇を歪めて笑った。
「そんなに俺の『にゃあ』が聞きたいのか? いちいち付けんのはちと煩わしいから、金くれるならいいよ」
「金……」
メアリが微妙な顔をしている。気持ち、わかる。
俺は視線を揺らしながら躊躇いがちに口を開いた。
「こういうの|僻《ひが》みっぽいけどさ……でも、欠点がないってやっぱ羨ましいな」
「欠点……」
ラムズは呟くように言葉を落とした。
「かっこいいとなに着ても似合うし、なに言っても許されるというか……。そうじゃなくてもラムズって、なんでもできるし、欠点ないじゃん」
「たしかに、それらしいものはないのかしら」
彼の碧眼が、真っ直ぐにこちらを|穿《うが》った。
「宝石の|如何《いかん》で一喜一憂するのは、お前が思ってるよりしんどいよ」
「しんどい? 盗まれたり触られたりして嫌な思いするのがってことか? でも、それはラムズが我慢すればいい話じゃないの?」
彼はふっと視線を外して、机の上で酒を呷っているヴァニラをそれとなく視界に映した。
「我慢できてたら怒らねえだろ」
「うーん……、まぁ、それはそうだけどさ〜?」
ラムズはなにか言おうと口を開きかけて、すっと視線を落とした。やめたんだろうか。温度のない蒼が再びこちらを見据える。
「容姿が整っているという話なら──……。こういうとき、なんと言えばいいかわからない」
「え?」
「いつも楽なわけじゃないと否定しても嫌味にしかならねえし、かといって肯定だけしても話は進まない。完璧じゃない容姿にも価値はあるとか──そうやって慰めても、この顔で言われちゃあ意味ねえだろ」
「あ〜うん。そうだな」
「だからこれが答え。誰もが同調できて共感して、談笑するような話に入れない。何を言っても水を差す。完璧な正答を返せない」
「別に完璧な正答とか……」求めて言ったわけじゃないんだ。「いや、俺が僻みっぽいこと言うのが悪かったよな」
「そうか?」
ラムズは薄く笑った。なんだか変だ。調子が狂う。絶対いつもと違うよな、どっちがラムズだ?
「人間のそういった感情は、ごく当たり前のものだろ。しかも、その僻みで俺を殺そうとするとか、憎しみを抱いて復讐心で雁字搦めになるとか、そんな行き過ぎた感情を持っているわけでもない」
「まぁね? そりゃね?」
「じゃあいいだろ。少し不満を零すくらい、なんの問題もねえよ」
「いや、うーん」
そんな面と向かって慰められる(慰められてんのか? これ)とどう反応していいかわからなくなる。
俺は首を振った。
「でも極論すぎるよ。いい感情じゃないのは確かだろ。ちょっと僻んだくらいで誰も相手を殺したりなんてしないから、そこを褒めてもらってもな」
「そうかな? 俺は、俺より宝石を持ってるやつがいたら殺したくなるよ」
ラムズはこれ以上ないってほど優しく微笑んだ。ぞっとするような笑みに背筋が凍りつく。
「だから、ずっといいよ。どちらかと比べれば、これは俺の欠点なんじゃねえの」
欠点、欠点……。ラムズは自分ではそう思ってないんだろうか。
「や、あ、うーん……。まぁ、直したほうがいいとは思う」
俺が苦々しい口調でそう零すと、ラムズはふっと笑った。
「その」上目でラムズを見る。「俺が変なこと言ったから励まそうとしてる?」
「さあ」
「別にいいのに。さっきも正答とか言ってたけどさ、そんな、いつも誰かにいい思いをさせようって考えてんのか?」
彼は少しだけ唇を歪ませた。
「んー……。口を動かすのに、どちらの言葉を使おうがその労力は変わらねえだろ」
「労力? いやぁ、相手の気持ちを測って思ってることと違うことを言って……。そうやって生きるのって、それこそしんどいだろ」
「思ってることなんてねえよ」
表情の読めない顔がわずかに傾く。
「快も不快もない。俺にとって生きやすいほうを選ぶだけ」
「ふーん……」
ラムズがいつもより話してくれてるはずなのに、ますます彼のことが分からなくなってきた気がした。
着替え終わったらしいアウィナスとシャーナのそばで、ジウやメアリたちが談笑している。俺たちの話が終わったのに気づいたのか、シャーナが「あ!」と言ってこちらに近づいてきた。
「じゃーん、着ました! でもやっぱ合わないよね〜」
ふりふりの白いレーススカートを指で摘んでみせる。たしかに真っ白のスカートだからなぁ。鱗が仰々しく見えるというか、なんというか……。
ラムズはシャーナの腕を取って、小声で魔法の詠唱をした。純白だったワンピースと天使の羽が、淡い緑を入れた白に変わる。
「これくらいなら合うんじゃねえ」
「えー、ちょっと船長が優しい! どうしたの!?」
「俺はいつも優しい」
「はいは〜い。そういうことにしておく〜」
たしかにラムズが少し色を変えたおかげでだいぶんかわいくなった。
そのあとも彼は俺たち全員の服の色をそれとなく変えてくれて、みんな大満足で酒屋を後にした。声はかけたが、やっぱりラムズは仮装姿で外に出る気はないらしい。宝石のほうが見ていたいんだと。まぁ、ここまで協力してくれただけいいのかな。
◆
船員たちがいなくなって、机の上に座って酒を飲んでいたヴァニラが、空になった酒瓶をとんと落とした。
「珍しいの」
宝石を眺めていたラムズがそっと言葉を落とす。
「取り繕うの、面倒だから」
「まあの。優しいと思われるの」
「たまにはいいよ。少しくらい」
「……大変そうなの。ラムズももっと……ヴァニみたいなら、よかったのにの」
「俺がそう思ってねえのはわかんだろ」
「うん」
「それなりに自由に振舞ってるよ」
「そうかの……」
ヴァニラは新しい酒瓶を手に取った。それきり、酒屋の中に会話はなかった。