ヴィールスの結晶

 数十分は同じことを続け、舌も顎も疲れてきた。もう無理だ。よかった、あの薬をもらう約束になっていて。
「ねえ……ちょっと疲れちゃったわ」
「だろうな」
「どうして全然立たないの?」
「お前が下手くそだから」
 絶対違う。こんな見た目して、きっと女の子とヤリまくってるんだ。だからちょっとやそっとの刺激じゃ反応しないってことでしょう?
 私は小さな笑窪を作って、媚びた声を出した。
「ねぇ、いつもしてるみたいにしてみてよ」
「いつもしてるって?」
「だからぁ、自分でしてるときみたいに?」
「しねえ」
「またまたぁ。恥ずかしいの? お願い、見せて?」
「しねえって」
 どうしよう。こんなに面倒くさい男だと思ってなかった。それとも、本当に女を抱くことしかしないんだろうか? それなら、そうとう激しいセックスをするに違いない。せっかく格好いいのに……。仮に抱いてもらうとしても、きっとすごく痛いだろうな。
「いったい何人の女の子と遊んでるの? もう〜」
 無視された。
 こうなったら、とりあえずはお喋りでもして仲良くなるしかない。こっちのほうが難儀な気がするけど……方向性を変えるのは大事だ。私が「立っていい?」と聞くと、彼は名残惜しそうに宝石から手を離した。
 彼は小声で詠唱し、ペニスの近くに水を出した。さっと水泡が腰周りを包むと、霧散するように青が消えていく。
「え、なにそれ。魔法?」隣に座り、彼のほうに体を倒す。
「ああ」
「洗ったの?」
「ああ」
「お前のもやっとくか」
 彼は同じように魔法を出して、手だけでなく私の体ぜんぶを水で浸した。視界が青く揺らぎ、すぐに晴れる。服や体が濡れた気配はない。
 あちこち体や服を見たあと、「ありがとう」と言う。「でもすぐに洗っちゃうなんて。酷いなぁ、そんなに嫌だった?」
 彼は私の胸元に手を伸ばした。思わぬ緊張に肩が強ばる。
「なんでそんなに俺に構うの。伯爵に連れられただけだよ、もう来ねえ」
 触りたかったのはネックレスだったらしい。乳房には微塵も興味を示さない。そのちょうどすぐ横にあるっていうのに。
「だって……せっかくなら楽しさを知ってほしいもん」
「それでしか客を楽しませられないの?」
「え……あ」不意に言葉を止めてしまった。彼は視線を上げ、すっと青眼を逸らす。
「悪りい、今のは言い方が悪かった。だから──、どうせなら違うことで楽しませてよ」
「違うことって? もっと着飾ってくるとか?」
「それもいいな」彼は私に優しく笑った。心臓がひとつ跳ね、あまりの甘い微笑みに見惚れそうになる。「やってくれる?」
「え……ん、うん」
 彼がネックレスから手を離す。
 この人はなんなんだろう。冷たいのか優しいのか、素っ気ないのか媚びているのか、どっちかにしてほしい。なんだかペースを崩されているような気がする。あの顔であんな優しい笑顔を見せられると、もう素直に頷くしかないじゃん。
 よろよろとカーテンを開けた。あまりに早く部屋から出てきたからだろう、他の遊女が不審そうにこちらを見やる。
「なに、失敗したの?!」
「え、違う、まだ。えっと……宝石が見たいって。もっと違う装飾品を付けてきてって言われた」
 彼女は両眉を上げて咳払いをした。
「どういうこと? それを付けてやりたいって?」
 説明してもわからないだろう。私はこくんと頷いた。「たくさんついてるとそそるって」
「へー、変な趣味。たしかに宝石いっぱい付けてたもんね」
 彼女は例の媚薬を入れた酒を運んでいた給仕を止めると、「あるだけ持っていって」と頼む。ピアス、ネックレス、髪飾り、指輪にブレスレットと、宝石がいくつもワゴンに乗せられていく。
 へぇ、こんなにあったんだ……。高級娼館だもんね。私なんてそっちのけでこのアクセサリーを漁るラムズ・シャークが目に浮かんだ。
 渋い顔をしながら、給仕の代わりにワゴンを部屋に運び入れる。彼はさっきと同じ格好でベッドに座り、やっぱり自分の宝石を柔らかい表情で眺めていた。
「持ってきたよ」
 ワゴンに大量にのせられた宝石を見て、彼の瞳が別人のようにきらきら輝いた。「全部貸してくれたの?」
「うん、今みんなが使ってないやつ」
 彼は軽やかにブーツヒールの音を鳴らしてこちらまで近づいてくる。私を素通りして、ワゴンにのった宝石をいくつも手に取り陶酔したような顔で溜息を落とした。
「そ、そんなに好きなんだ」
「ああ、ありがとう」
「あはは、私、いらないね」
 彼はワゴンを引くと、ベッドのそばに止めた。私を手招きする。
「いるよ、おいで」
 みんなの前で聞いた「おいで」とは大違いだ。まろやかな声に自然と足が向く。導かれるように進み、気づいたら隣に座っていた。彼は青いダイヤモンドのネックレスを手に取った。
「違うの付けよう」
「こっちのネックレスは嫌いだった?」
 私が今ついているものを持ち上げると、彼は柔らかく首を振った。
「いや、でもそれはもう十分見たから。今度は違うのにしたい」
 ネックレスを外そうと後ろに手を回すと、彼は「俺がやるよ」と軽く手を添えた。アップにした髪の下、顕になったうなじを彼の指がそっと触れる。さっきより距離が近くなって、美しい目鼻立ちが真剣な表情を作るのに嫌でも惹きつけられた。
 かちゃ、と金属の音がしたあと、ネックレスが外される。そして新しいものを同じようにして付けてもらった。
「ピアスも?」
「ああ」
 彼は同じように耳に指をそっと当て、手馴れた手つきでピアスを外す。彼の冷たい指は氷ほどとはいかなくとも、背筋に堪らない鳥肌を這わせていった。
 すべて付け替えたところで、彼は慈愛に満ちた眼差しで宝石を眺め、撫で、指の腹で愛玩した。本当だったらその指で愛してもらうのは私の体だったはずなのに……。もやもやした気持ちを奥に押しやる。
 彼はほとんど吐息を漏らさなかった。息をしているのかと疑うくらい。聞こえるのは私の鼓動と呼吸音ばかりで、たまに金属が擦れる玲瓏な音が聞こえるだけだ。
 息が詰まってきて、私は口を開く。
「喋ってもいい?」
「ああ」
 ほっと息を吐いた。静かじゃないとダメとか、そんなことはなかったらしい。
「せっかく持ってきたんだから、自分にも付けたら?」
「ほしくなるから」
「……そっか。あげるのは無理かも」
「……だよな」
 目に見えて落ち込んだ声色に、なんだか母性本能がくすぐられる。髪のせいか長い睫毛のせいか、瞳に影がかかり口角がわずかに下がっている。
「ごめんね? 私に付けてるのでも、楽しい?」
「ああ」彼は私の肌をするすると撫でていった。胸元から腕、腰、くびれ。まさか触られると思わなくて、「ひゃん」と声が漏れる。
「悪い」薄く笑みを滲ませる。「肌が綺麗だから、映えると思った」
「本当? だから選んでくれたの?」
 どこか複雑な気持ちもあるが、肌が綺麗だと褒められたのは間違いじゃない。
「あー……。あのときは、お前がいちばん宝石を付けてなかったから」
「え?」思ったより低い声が出た。
「他の子はもっと着飾ってただろ。お前が最初につけてたの、本物の宝石じゃねえし」
「え、それで選ばれたの? 私?」
「まあ」誤魔化すように次を続けた。「あとは……んー、最近この店に来たの?」
 彼は話しているあいだも宝石からは目を離さず、たまにピアスやネックレスを外して新しいものに取り替えつづけていた。
「どうしてわかったの?」
「なんとなく」
 彼の膝を揺らしてみる。「教えてよ〜」
「他の子より手馴れてたから。でも、付けている服や装飾品が地味で、遠慮してるみたいだったから」
「そんなに私たちのことじっくり見てたの? あんなに興味がなさそうだったのに」
 彼はくつくつと笑った。「わかってんじゃん」
「じゃあー……さっきはどうしてあんなことしたの? 本当はやっぱり過激なことがしたいの?」
 私は少し声を落とし、伺うように彼を覗きこむ。硝子玉のような蒼がこちらを捉え、プラチナが静かに瞬く。
「余興」
「ああいうの、好きなんでしょう? してる途中に虐めるくらいなら大丈夫だよ?」
「しなくていいよ。そういえば、辛そうだったな」
 彼は今更私の腕に手を伸ばした。二の腕をやわやわと摩る。そのあと首筋をとおり、お洒落に整えてもらった髪に手を伸ばす。
「こっちも……直したのか。冷たかったね」
「えっと……謝ってくれるの?」
 まぁ、こういうお客さんは少なくない。サディストな人に限って、意外にも終わったあとに優しくしてくれる、とか。なくもない。罪悪感だろうか、それとも、店に出禁にされるのを恐れているんだろうか。
 彼も今になって優しくしてくれているし、少しは悪いと思ってくれているのかもしれない。
「謝らねえよ」
「え? そうなの?」くすりと笑う。
「謝ったら可哀想だろ」
「可哀想? どうして?」
「お前は『大丈夫だよ』って言うしかねえじゃん。許してほしいわけでもないから、謝らない」
「ずっと思ってたけど、性格、ねじ曲がってんね〜」
 そう言っても彼はあんまり気を悪くしたような素振りはなく、ただ笑っただけだった。
「でもそれなら、頑張った私にご褒美はくれないの?」
「……なにがほしいの?」
「またお店に来て?」
「来る意味ねえからな」
「宝石、見せてあげるよ?」
「わざわざここに来て? 手に入らないのに?」
 それも、そうか。私は口を噤んだ。お相手をしなくていいのはある意味楽だけれど、普通に誘っても上手くいかないぶん、むしろ面倒くさくて大変だ。
「パメラ」はっとして顔を上げる。私の名前、覚えてたんだ。
「どうしてこの店に来たの?」
「えぇ〜、前のお店でちょっとトラブっちゃって。オーナーと関係を持っちゃったの」
「へえ。向こうに誘われたの?」
「ま、まぁ?」前のお店のことだし、話しちゃっても大丈夫かな。「いちばんにしてくれるって言うから」
「いちばんになりたいの?」
「なりたいわぁ〜。体を許さなかったら、あの店でいちばんになれてたかも。最悪〜」
 笑い話にしようと、明るい声で取り繕う。彼はピアスをそっと手に取った。
「じゃあ、どうして今の仕事をしてるの?」
「うーん、私ができることがこれくらいだったから? 生きていくため? ラムズ様みたいにお金持ちじゃないもの」
 ネックレスを見ていた彼は、私に目を合わせた。
「ラムズでいいよ」
「そう?」ふと思い立って、少し身を乗り出してみる。「さっきのはなぁに? リジューって、愛称?」
「そんなもんかな」
「私も呼んでいい?」
「リジューって?」ネックレスを手に取ったまま、ゆっくりと首を傾げた。銀の髪が簾のようにさらさらと流れる。目が合った。「じゃあ、だめ」
「じゃあってなによ?」
 悪戯っぽく目を細めたあと、持っていたネックレスに視線を落とす。「仲良くなったらね」
「まだ仲良くない?」
「仲良くねえな」
「どうしたらラムズと仲良くなれる?」
「そうだなあ」彼は新しいピアスを耳に取り付けた。そのまま頬を滑り、鎖骨をなぞり、ネックレスに手をかける。「もっとお喋りしてくれたら」
 触り方がいちいち扇情的だ。どきまぎした気持ちを抑えて、軽く問いかける。「お喋りは好きなの?」
「パメラの話を聞くなら、いいかな」
「ラムズのことは話してくれない?」
「……少しなら、話そうかな」
 いくつ会話を重ねても、宙で掴む羽根みたいにするりと躱されてしまっている気がした。それも、光の角度では消えてしまったようにすら見える透きとおった羽根。