快感がとぎれない魔法をかけて

 ラムズが帰ってから、案の定他の女の子たちから質問攻めにされた。営業中は逃げ続けたけれど、ついに仕事が終わり服を着替えていると捕まってしまった。
「話すようなことはないってぇ」
 あっちに行ってと手を振る。でもちょっとやそっとで引き下がる子たちではない。中でも親しくしていたライネルは特にしつこい。
「彼が帰ってからずうっとぼーっとしてたじゃない! 色っぽい溜息なんてついちゃってさ。何されたの? やっぱり他の男より好かった?」
「次はいつ来るって?」
 彼女らに指摘され、思わず頬を包んだ。そんなに顔に出てた? あのキスを思い出して、また胸がきゅうんと鳴る。
「ほらぁ! 教えなさいよ! まずはよかったかどうか!」
「うるさいうるさい〜! いちいち話すことじゃないでしょ?」
 ライネルは手を腰に当て仁王立ちになる。
「あんだけ話題になった男の話、聞かずに帰らせるわけないでしょ? みんなの前で靴をのせて氷ぶっかけたのよ?」
「はぁ……」
 遠い昔のように感じる。一部の女の子たちは怒っているみたいだったけど、私はもう気にしていなかった。
「大丈夫大丈夫〜。それについては謝ってもらったからぁ」
 これは嘘だ。でも彼は『可哀想だから謝らない』と言っていた。捻くれ者のラムズのことだ、むしろ悪いと思ってるから謝罪の言葉は送らなかったんだろう。
「謝って済む話ー? それにあんたが溜息をついてる理由は聞いてないよ?!」
「つ、ついてたかなあ?」へらりと笑い、目を細めた。
 頬を抓られぐいぐい引っ張られた。「してたから。男を食うどころか食われたんでしょ」
「違うしぃ」ライネルの手を取って、頬を膨らませた。「もう帰りますー」
「いい? 全部吐かないと帰さないよ? ほら、みんな聞きたがってる」
 彼女が振り返れば、たしかにまだ残っている遊女たちは興味津々でこちらを見ていた。特にラムズや伯爵のそばで仕事をしていた子は悔しそうな顔で睨んでいる。
 私はとうとう堪忍して、肩をそっと落とした。
「し、してないの……」
 小声で答えたつもりが、周りを囲んでいた子たち全員の耳にしっかり届いてしまったようだ。ライネルは私の腕を掴み、すごい勢いでまくしたてる。
「は? してない? できなかったの!? 時間が足りなかったってこと?!」
「ち、違う……」視線を左右に揺らす。
 彼との話をするのは少し勿体ないような気がした。でも、あんな素敵なキスを自慢しないのも惜しい。だってここにいる女の子の誰よりもいい思いをできた気がするもん。
 三ヶ月後に来るって話はどうしよう。どう思われるだろうか。彼の言うとおりセックスをしたことにして繕ってもよかったけど、同じ遊女のみんなに上手く嘘をつける自信がなかった。
 私はひとつずつ言葉を確かめるように繋いだ。
「気分じゃないって言われて。だから……」
「気分じゃないって、フェラもしなかったの? キスは?」
「したよぉ! したのぉ! 精一杯頑張ったんだけど、全然変わらないんだもん」
「ショゴスミじゃん」一人が吐き捨てるように言う。
 私はぶんぶんと首を振る。「違う違う。それも違う。立たせてって言ったらなにも刺激を与えてないのに立った」
「はぁ〜? それで? 入れなかったの?」
「……うん、そう」
 胸の前で手を揉みほぐす。「媚薬も飲んでくれたんだけど……」
「けど?」
 効き目がなかったなんて言ったら、あの高級品の薬を無駄にしたことになるだろうか。
「そう。媚薬でようやく少しやる気になってくれて、キスしてくれた」
「へぇー……キス……」ライネルは眉を寄せ、不審そうに声を低めた。「なに、童貞なんじゃない?」
「童貞?」彼との時間を振り返る。「いや、それは絶対ない。男娼の真似事してたって言ってたくらい」
「じゃあパメラはどうして一日魂が抜けたような顔をしてたのよ。喋っただけで虜になっちゃったわけ?」
 私は言い訳をするように彼女の体に縋りついた。「だってあんな格好いいんだよ?! しかも、き、きすが…………」
 その場で蹲り、熱くなってきた頬や首筋を手で覆う。
「なにそれ。あんた他の店でも働いてたんじゃないの? あんたこそ処女?」
「あのキスはぁ! してもらわないとわかんないから! ほんっっっとうに気持ちかったんだからぁ。幸せというかぁ……腰が砕ける……。恍惚感? 腰が砕けるようなキスってよく言うけど、本当に存在したんだって思ったわぁ」
 ライネルは胡乱な目で見下ろしている。ぶつくさ声を漏らした。とそこで、何かを閃いたようにぽんと手を叩き、ひとりの遊女を引っ張ってくる。
「この子、店ん中でいちばんキスが上手いのよ。女にされてるってわかってもなかなか蕩けちゃうから、ちょっと彼とのキスと比べてみてよ」
 リリーか。こんなつぶらな瞳、ちっちゃい体のくせに。彼女はにこにこ目を細めながら楽しそうにしている。乗り気らしい。
 女の子の相手をしたこともある。別にリリーとキスをすることに抵抗はない。私は頷いて立ち上がった。
 リリーは自分の髪を優しくさらったあと、一歩こちらに近づいた。上目遣いでこちらを見る。
「いい?」
 柔らかい声が耳をくすぐる。腕を引っ張られ手で頬を覆われる。ラムズとは違ってまるみのある指先、ほんのり暖かい。私は目を瞑った。
 そっと湿った唇が押し当てられる。啄むように舌を食まれ、くにくにと弄ぶ。涎が水音を立て口内を蹂躙する。顎や下の裏をやわやわと撫でられる。
 たしかに上手だ。私は彼女の肩を掴み、角度を変えて深く舌を差し込んだ。
「ん、んッ……。ぁはァッ」
 彼女の吐息が漏れる。頬を覆っていた手が耳を塞ぎ、脳内で唾を重ねる音がぴちゃぴちゃと響く。
「は、ッ、ぁあ、んん……」
「っと、いつまでやってんのよ」
 ライネルに体を引っ張られる。二人して口から零れた涎を舌で舐めとった。
「ねぇ、パメラもけっこううまいよ」
「ほんとぉ? でしょぉ?」
 ライネルははっと鼻を鳴らし、こちらに詰め寄る。
「問題はそこじゃないでしょ? どうだった? ラムズ・シャークは?」
「これの三倍は気持ちいい」
 周りの遊女が黙った。
 一拍おいて、ライネルが溜息をつきながら口を開く。「絶対顔のせいでそう思っただけでしょ」
「違うってばぁ。絶対違う。ライネルも言ったじゃん、私だっていろんな男とキスしてきたわ。でも本当にやばかったんだって」
「リリーより?」
 リリーが同意を求めるように首を傾げる。
「リリーより。それにリリー曰く私も上手いらしいじゃん。なのにラムズ、キスが終わっても平気な顔して座ってたよ」
「なによ平気な顔って」
 私は身振り手振りで示す。「ほらぁ、わかんでしょ。キスしたあとにベローンってなっちゃう客の顔よ。ああいうのがなかったの」
 ライネルは口を噤んだ。ようやく認める気になったらしい。
「よっぽどやり手の男なんだね」渋々頷きながら彼女は言う。「しかも男娼って……。で、どうなったの? そのあと。もう来てくれないって?」
「さ……」私は視線をずらして答える。「三ヶ月後に来るってさぁ」
「三ヶ月後ー? 遅くない? せめて一ヶ月くらいのスパンで来てくれなきゃ客って呼べないよ」
「私も頑張ったのぉ、でもこれが精一杯だったのよぉ。これでもけっこう仲良くなったんだからね」
「ふぅん?」
「いっぱいお話したし」
「三ヶ月後じゃあね。指名はしてくれるって?」
「私がもっと稼げるようになったら、だって」
 彼女は額を手で抑えた。「なにそれ、なに威張ってんのよ。さすが氷ぶっかけた男」ライネルは私と目を合わせた。「それで、頑張るつもりなの?」
「まー」背中の後ろで手を組み、髪を揺らす。「もともともっと頑張らないといけないとは思ってたからね。彼がいようがいまいが、そこは変わらないじゃん」
「それはそうね」
「だからほどほどに、頑張ろうかな」
 彼女は目を細めた。「身請けしてくれるならともかく、そうじゃないならあんまり入れ込むのはやめなよ」
「ライネルだって、最初にラムズが来たとききゃあきゃあ言ってたじゃない」
「それはそれ」彼女は手を払う。「まぁでもそうねぇ……」唇をじゅるりと鳴らし、眼を爛々と輝かせた。「そんなに上手いキスなら私も頑張っちゃおうかな」
 隣で話を聞いていたリリーも唇に指を当て、こてんと首を下ろした。「え〜。あたしも。キスしてほしい〜。頼んだらしてくれないかなぁ?」
 ライネルは大人っぽくセクシーな容姿だ。スタイルもよく、身長が高い。一方リリーはかなり童顔で作り物の天然。触り心地のよさそうなふくよかな胸に、小さな笑窪がかわいい。
 私とタイプの違う二人だけど、ラムズはどんな子が好きなんだろう? 好きなタイプとか、あるのかな。
「私ってどんなタイプ?」
 ライネルに尋ねると、彼女は上から下まで舐めるように見たあと、軽く放った。
「あざとい。あと闇を抱えてそう」
「なにそれぇ〜」
 リリーが付け足した。「目が黒いからかなぁ。髪は明るいのに、とろんとした目が真っ黒でちょっと底知れないものあるよねぇ」
 私は横髪をくるくると弄ぶ。髪は淡い水色だ。瞳は彼女らの言うとおり黒い。あんまり好きな目の色じゃなかったけど、そういうふうにも捉えられるんだ。
「ラムズ・シャークはパメラみたいな子が好きなの?」
「し、知らない……。素敵な子だねって言ってくれたよ」
 ライネルは不審そうな目でこちらを見やる。「あんな酷いことしてきた男なのに?」
「可哀想だったよねぇ。部屋に行ってからはそういうの、なかったの?」
 指を折られそうになったとか、首を締められかけたとかは伏せておこう。ちょっとした気分でやっただけだろうから。
「なかったー。人が変わったように優しかったよ」
 ──宝石を触っているあいだは。心の中で薄く溜息を吐く。
「まぁ問題は、本当にまた来るのかってことだね。そのときにいくらか使うか、も。ケチな男でも、店に来ないよりはマシだけど」
「そうねぇ〜。まぁ、本番をしなくていいのは楽なんじゃない?」
 私はリリーに言う。「でもさ、むしろ彼とならしたいと思わない?」
「思う」
「思う」
 声の揃った二人を見て思わず吹き出す。
「ほどほどに頑張るわぁー。いちばん目指すぞー!」
「あんたみたいなチンチクリンがいちばんになれるわけないでしょ」
 ライネルにぴしゃりと言い返され、私は舌を見せて笑った。


 それから二ヶ月経った。ラムズの忠告どおり──別にそんなつもりはなかったけど──、私は体を許すまでに時間をかけることにした。もちろんだいたいのお客様はそれを期待している。でも先にフェラで飛ばしてしまえばこっちのものだ。フェラが上手ければ満足もしてくれる。そんなに長い時間を過ごせる方も少なく、結局やらずに終わったことは多い。次は最後までしようねって約束して、また新しいお客様に繋ぐ。
 ラムズにされたキスを思い出しながら、リリーとキスの練習をしまくったし、次こそは彼のペニスを立たせようといろんなテクを女の子たちから学んだ。ラムズほど性的倒錯がおかしいお客様はいないわけで、彼を目標に据えれば自然と私の技術は上がった。
『そういうことでしか客を喜ばせられないの』
 彼は謝ってくれたけど、わりと真をついた一言だ。体以外も満足させてこそ、人気の遊女と言っていい。
 人気の女の子を密かに観察して、彼女らが影で努力していることを知った。私はそれほど裕福な家で育ってない。だから文字は読めなかったし、計算もできなかった。勉強なんてしたことない。
 男は馬鹿な女が好きなんだと思っていたけど、案外そうでもないらしい。話の通じる子とお喋りするのが、貴族のお客様は楽しそうだった。たしかに、にこにこ笑ってるだけじゃ誰にでもできるもんね。
 前の店でも人気だったからとタカを括っていたけれど、私に足りないのはそういうところだったらしい。顔にはそこそこ自信があったし、ライネルにも言われたとおり、私はけっこう強かであざとい(ラムズには上手くできなかったけど)。でもそれに胡座をかいちゃだめだった。

 あれから三ヶ月たったころから、嫌でも胸がソワソワと忙しなかった。だって来るって言ってくれてたもん。期待しないほうがおかしい。
 ライネルたちも同意してくれたように、彼が私を指名してお金を使ってくれて、抱いてくれたらこんなに嬉しいことはない。
 仲良くなった貴族のお客様にも「ラムズ・シャーク」という男爵を知っているかと尋ねたが、ほとんど情報は得られなかった。名前を知っているという程度だ。彼はあまり貴族社会で有名ではないらしい。人気になったおかげもあって、いろんな話を聞けるようになったのに……。ラムズに会えなかったら、この三ヶ月努力しつづけた意味がない。
 いやいや、別に彼のためだけに頑張ったわけじゃない。三ヶ月前にライネルたちに説明したとおり、もともと人気になるのは目標だったもん。たまたまきっかけを与えられただけ。
 でもまた来るって約束してくれてたのに……。それに、せっかく「前の二倍以上人気になる」って約束は果たしたんだから、ちゃんと報告したかった。
 そう、私は報告がしたかった。
 最近はもう、店が始まる前は決まって彼が座っていたソファに腰掛け、黙ってモヒートを飲んでいる。今日こそ来ますようにって、願掛け。喉も心も乾いている。女を磨いた私を早く見てほしい。それに……少し恋しい。キスもそうだけど……ほとんど目を合わせてくれなくても、二人でただつまらない会話をし続けたあの時間が懐かしい。彼の落ち着いたハスキーな声が聞きたい。
 最初はそんなに彼にこだわるつもりはなかったのに、目標に据えているせいか頭から離れなくなってしまった。
 ライネルにも何度か「浮き足立ってんねえ」なんて言われたし、お客様の前でちょっとしくじったこともある。早く来てよ。ちゃんと人気になって待ってんのに。ばーか。