コイントスの表裏

「ようようよう、ウェルリッチのお出ましだ!」
 もう四ヶ月が経とうとするころ、ラムズは強烈なお客様を五人も連れてやってきた。私は喜ぶも間なく、あまりの忙しさに目を回した。
 まずはウェルリッチ氏。この街どころじゃない、国中で有名な男だ。世界の大富豪といえばこの人、すべての商会や貴族と深い繋がりがあるって聞いた。
 店はてんやわんや、大勢の遊女がずらりと並び、ウェルリッチ氏を出迎えた。彼は金歯を悠々と見せつけると、後ろに並ぶラムズたちのほうへ手を伸ばした。
「我が友たちだ。同じように手厚くもてなしてほしい」
「仰せのままに!」
 ウェルリッチ氏は30代くらいの図体の大きな男で、黒い髭を上品に蓄えている。ラムズと同じかそれ以上に宝石や装飾品を纏い、高級そうなスーツを着ている。
 だが彼が友と呼んだ者たちの姿に、私たちは首を傾げるしかなかった。
 ラムズはいい。多少顔がよすぎることと、この六人のあいだでさえ目立つくらいに神秘的な雰囲気を醸していることを除けば、それほどおかしくはない。だがウォーカーと紹介された男は、この高級娼館では滅多に見ないみすぼらしい身なりの男だった。既にどこかで飲んだくれてきたのか、頬を赤く染め、隣の男にべたべたとくっついている。
 ハーミズという少年は年齢を確認された。
「君、16歳か? 15か? ここは20以上でないと──」
 支配人が背を屈めてハーミズに声をかける。彼はにっと口を開くと、前にいるウェルリッチ氏の服を引っ張った。ありえない、あんな富豪の服を引っ張るなんて!
「保証してよ。僕は酒が飲める歳だって」
「おー、そうであった。ハーミズは十分20は超えておる。このウェルリッチが保証しよう!」
 支配人はちらちらとハーミズを見た。明るい緑の髪にそばかすのついた肌。手に持ったトランプをぱらぱらと弄んだあと、後ろにいた丸々太った男に投げた。
「頼むって。これ、ないと困るでしょ?」
 支配人がハーミズを見ると、いつの間にか彼の手に酒や食べ物の注文書が渡っていた。支配人は目を見開き、慌てて言葉を送る。
「失礼しました。よければそちらは……」
「もちろん! やったー!」
 本当に子供らしい反応をして支配人に注文書を返し、彼も店の中へ入ってきた。
 次は小太りで背が低く、つぶらな瞳と撫で付けた黒髪を持つ、人の良さそうな男だ。トミーというらしい。彼は一見では普通に見えたが、遊女たちがもてなしはじめてしばらく、六人の座るソファ周りは賭場に早変わり。わざわざ持ってきていたトランプやルーレット、サイコロを使って大盛り上がりだ。
 とはいえさすがウェルリッチ氏、悪評を買いたくないのか、他の客の迷惑にならない程度に皆を嗜める。
 あ、そう。セルードという男もいた。彼自身は目立たない容姿なんだけど、相当な女好きらしくて。地味な容姿のわりに女の尻や胸を触ってきゃあきゃあ言わせている。
「初めてなんだ、こういうところ……。ちょ、ちょっと……お姉さんたちに手ほどきしてもらうの、楽しみにしてたんだよ」
 ボソボソと話す彼がかわいいと──というかセルード以外、遊女を遊女らしく遊ぶ者がいないせいもある──、一部の女の子たちはセルードをかわいがった。セルードは胸を顔に押し付けて深い溜息を吐いている。
 そして大事なラムズだけど。ガラスティ伯爵と来たときは大違いで、トミーと談笑しながらトランプやチェスに耽っている。遊女たちが勝利するとトミーはすかさずウェルリッチ氏に声をかけ、彼がボトルを注文する。
「まぁ! 悪い店ではないな!」
 ウェルリッチ氏はそう叫び、ラムズと肩を組んだ。彼は若干嫌そうな顔で受け答えする。
「そりゃよかった」
「トミー、お前も楽しんでおるか?」
「そうなんだ、けっこう強い女の子がいてね。僕はゲームで手を抜くやつが大嫌いでね。みんな一生懸命プレイしてくれるから最高さ!」
 ウェルリッチ氏と遊女たちをのぞき、彼らは一口も酒を飲まなかった。飲んでいるのは全部ウォーカーという薄汚い男だ。店に来る前から出来上がっているような様子だったのに、一向に倒れる気配がない。
「ラムズ、それとって」
「ああ」
 全員自分の酒を彼に渡してしまうのだ。

 ラムズがウェルリッチ氏を連れてきたんだろう、そのお陰で店は大繁盛だったし、遊女たちも大張り切りでお相手をしていた。でも私は……。
 ラムズと話したかったのに、彼は連れてきた友達と話すばかりで、遊女とはもちろん、私とお話してくれるような素振りは一切ない。
 ウェルリッチ氏のような有名人と話すのはどうしても緊張してしまうが、そんなこと言ってられない。今まで成功してきたんだから大丈夫。私はソファの椅子に肘と頭をのせ、淑やかに微笑みかけた。
「ウェルリッチ氏、本日はどうしてこちらに?」
「ラムズに言われてきたのだ。なんでもこの店に用があるとかで……。残りの四人もみんなそうだ。少々騒がしすぎたかな? お嬢さん」
「いえ、そんなことはないわぁ」柔らかに目を細める。「個性的な方々だけれど、みんな楽しくお相手してるもの」
「だが……君はトミーたちとゲームをしていないようだが?」
 彼はあくまで優しく、でも嫌にゆっくりと尋ねた。上品な渋い顔の裏で見え隠れする、重々しい気迫に喉が苦しくなる。声からどす黒い影が滲みだしている。ぐっと体に力が入る。
 脅しているのはわかった。ウェルリッチ氏はトミーの相手をしていない私が気に食わないようだ。彼のつけているモノクルが光に当たって白く反射する。
「私は……」声が裏返った。「実はそのラムズ様が──」
 すべてを言い終える前に、トミーと話していたラムズがこちらを見た。ウェルリッチ氏の袖を少し引く。
「こいつだよ」
 低く冷たい声。私を庇うために声をかけたというより、どこか嘲笑や軽蔑を込めた声色に思えた。
「ははぁ! この子がパメラちゃんか! セルード、ハーミズ!」
 女の子といちゃいちゃしていたセルードが、ちらりとこちらを見た。ハーミズはセルードと一緒に遊女たちをからかい、布を剥がしたり装飾品を盗んだりしていたようだった。ハーミズは愛らしい笑窪を寄せながら近づき、私の前でしゃがんだ。
「かわいいじゃん」
 彼はぐいと顔を傾ける。血色の瞳は快活な印象の彼とはチグハグで、でも爛々と輝くそれに吸い込まれそうになる。少し怖い。
 セルードは遊女の膝に座りながら声を投げる。
「その子のせいで……今日ぼくはお預けを食らってるってわけ……」
 つまらなそうに口をすぼめる。ラムズは視線だけを彼に向ける。
「その様子じゃ、十分楽しんでんじゃねえか」
「まぁね。あとで手解きしてくれるって」
「頑張って」
 セルードは近づいていた遊女に手を伸ばす。股のあいだに顔を突っ込んでいる。ひゃ、と高い声で喘ぐ女の声が聞こえる。
 ハーミズは私の顔に人差し指を向け、ラムズに尋ねた。「大丈夫? 勝てる?」見開いた眼が笑っていない。歪に口角だけが曲がっているように見えた。
「大丈夫だって。黙ってろお前」ラムズが軽くいなしても、ハーミズは相変わらず赫の瞳をくるくると回して笑っている。
「私、ずいぶん有名人なのねぇ?」
 彼らの気迫を堪え、私はあくまで笑顔を繕った。今日も化粧や髪型は完璧だ。だからいつもどおりやれば上手くいく。
 泣きぼくろや涙袋がかわいいと言われることが多いから、それを強調したメイクを施している。黒い睫毛は長く伸ばしカールを施して、艶やかなオレンジのリップを伸ばしている。髪はサイドを編み上げてうなじを見せ、左右一房ずつ後れ毛を残す。ちゃんと髪の毛にもアクセサリーを付けて、ピアスやネックレス、ブレスレットも抜かりない。
 それでも、久しぶりに見たラムズの顔は私の記憶にあったものよりもずっとずっと素敵だった。きっと化粧はしていないのに、睫毛や眉毛、唇の形はあつらえたように整っている。
「隣にくるかね? パメラのお嬢さん」
「ほんとぉ? ラムズって冷たくて、今日も一度も声をかけてくれなかったの」
 友達なのはわかってる。でもこれくらい軽口ならきっと大丈夫。
 予想どおり、ウェルリッチ氏は気分を害した様子もなく、ラムズと自分のあいだを少し開けてくれた。私がソファに腰かけると、にこやかに笑い黒い髭を摩る。
「冷たい男なのだよ。そのほうが性に合ってるとな」
「ねぇパメラちゃん」床に座ったままのハーミズが声をかける。赤い瞳の奥で黒い瞳孔が渦巻いている。
「ラムズとウェルリッチ、どっちの宝石のほうがきれい?」
「──おまえ」
 底冷えする声が周りを震わせた。騒いでいた遊女が一斉に口を噤む。すぐ隣で聞いていた私はあまりの恐ろしさに心臓が震え、喉から酒がせり上がってくる。ラムズが怖い。怖い。怖い。
 そんな遊女たちの様子と打って変わって、脅された張本人のハーミズはまったくさっきと変わらぬ様子で笑っている。
「いいじゃん、ちょっと聞いただけじゃん? これくらいは許してよ」
 ラムズが黙り、向こうでゲームをしていたトミーがぱんと手を叩く。
「そんな怯えなさんな。ほらほら、手が止まっるぞ? 次に打つのは誰だ?」
 トミーの声で周りの遊女は肩の荷がおりたように破顔する。さっきと同じように周りが騒がしくなる。
 でも、霜が張ったように右隣が冷えていて、私の心も一向に固まったまま溶けそうになかった。
「パメラちゃーん? 聞いてる?」
「パメラよ」
 ウェルリッチ氏に腕を揺すぶられ、我に返って表情を崩す。「ご、ごめん。あんまりびっくりして」
「ラムズ怖いよね〜」ハーミズがうんうんと頷く。「ちょっと聞いただけなのに。で、答えは?」
 答えなきゃいけないの? 右にこんなに怒ってる人がいて、左には大富豪で有名のウェルリッチ氏がいるのに? この二人のどっちの宝石が綺麗か?
 ウェルリッチ氏は金持ちだ。話によれば、自分を持て囃さない人間は嫌いだそうだ。だからこそ今回だってあんなに堂々と登場してきた。つまり目立ちたがり屋。
 ラムズは別に目立ちたがり屋ではないだろう。でも宝石はすごく好きなはずだ。逆にウェルリッチ氏が宝飾品を付けているのは自分の富豪としての価値を高めるためであって、ラムズほど宝石自体が好きなわけではない気がする。
 もちろん私個人としてはラムズと答えたい。でもきっと……会計を持つのはほとんどウェルリッチ氏で、ラムズが誘ったとはいえ、今回のいちばんの客はウェルリッチ氏だ。彼の機嫌をもし損ねたら──。
 膝の上で指が震える。隠すように両手を交差した。手汗が酷く、周りの音が聞こえなくなる。
 これってテストなんだろうか。でもラムズは怒ってたんだから、ハミーズがこんなことを聞くと思ってはいなかったってことだ。予想外の出来事。早く答えなきゃ、あんまり悩んでるとおかしいと思われる。
 ……二人とも褒めようか、曖昧に濁そうか。いや、それじゃあ絶対納得してくれない。たぶんハーミズはそんなことが聞きたかったわけではないし、ウェルリッチ氏の機嫌は確実に損ねそうだ。ラムズは正直、どうなるのかわかったものじゃない。
 でも……ちらりとウェルリッチ氏の膝を見る。彼のほうが怖かった。それに、この場でいちばん力を持っているのはウェルリッチ氏だ。
 決めなきゃ。
「えっとぉ、私の意見でいいの?」
「いいよ〜、もちろん。宝石に詳しいわけじゃないでしょ」
 心臓がばくばくと鳴った。間違えたら殺されるかも。どっちも怖い。目の前のハーミズっていう少年だって、見た目は若いのにどうもおかしい。首筋に冷や汗をかいた。額に流れる汗を、目を擦ったように見せかけて拭った。
 こてんと顔を傾け、甘ったるい声で言った。
「ラムズかなぁ?」
 一秒、二秒、三秒。永遠に感じる時間を、私はひとつも顔を崩さずに待ち続けた。
「ちぇ、つまんな〜い。よかったね、ラムズ」
 ハーミズはけろっとした顔でそう笑い、私の前からいなくなった。震えていた腕を抑える。ハーミズはクリア、問題はウェルリッチ氏だ。
「すみません、ウェルリッチ氏。お気を悪くしましたぁ?」
 私は彼のほうへ腰を向け、下から覗き込むように見上げた。何度か瞼を瞬く。
「いや、良い。宝石ならな、仕方ない」
「でもウェルリッチ氏のほうがお金を持っていることは十分わかるわぁ」
「お、そうか?」
「だって服の艶が違うもの。手触りも……」触ってもいいかと問いかけるように、少し彼を見た。ウェルリッチ氏は悠然と頷く。
 何度かコートの袖に指を伝わせた。お世辞じゃなく、本当に滑らかで質のいい服だ。
「素晴らしいわ」
「わかるかね?」
「だってこれ、カクタスシャットの毛皮でしょう? 捕まえるのも難しく、毛並みを逆立てないように刈るのも大変だって聞いたわ。触ったことなかったから嬉しい!」
「ほぉ、なかなか目がいい。なぁ、ラムズ?」
 冷たかった温度が戻っているから、たぶん怒ってはいないはずだ。ラムズは鬱陶しそうに答えた。
「まあな」
「よかったじゃないか、宝石を褒められたんだから」
「ああ」
 今言うしかない。私はラムズの膝に手を置き、軽く揺すった。「ねぇラムズ、今日は二人で過ごしてくれないの?」
「あ?」
 冷たい眼がこちらを射すくめる。絶対今日は逸らさない。だって約束したもん、私、ちゃんと頑張ったもん。
 ラムズは私から目を離した。自分のところにあった酒を、例の酒飲みに渡す。
「俺抜けてい?」
 トミーの肩を叩いた。彼は振り返ると、目をなくすくらいに笑みを作る。「もちろん! こっちは十分楽しいから。先に帰ってるが、いいよな?」
「ああ。助かった」
 そのあとラムズはウェルリッチ氏に視線を落とした。「本当にありがとう」
 私は密かにラムズを見る。彼とウェルリッチ氏は仲が良くないように見えたのに。ウェルリッチ氏は鷹揚に足を組みなおし、何度か首を下ろす。
「いいぞ。気にするな」
 そのあと、彼は残りの客人たちにも声をかけていた。だいたい「ありがとう」とか「助かった」とか、そんな言葉だ。なにがどう助かったって言うんだろう、一人で店に来たくなかったとか……まさかそんなことはないだろうし。
 ともあれ、窮地を脱してようやくここまで漕ぎ着けた。