ラプラス失敗した話

 航海士のラプラスは、昨晩自分の予測が外れ、ガーネット号に大きな損害をもたらしたことを今朝からずっと悔やんでいた。
 私があの船には多くの貿易品が詰まっているはずだと、あんなに豪語しなければラムズ船長は襲撃することを決めなかっただろう。蓋を開けてみれば、帝国へ運ばれる途中だった|V《トレイ》級の|獣人《ジューマ》が複数人に、人間のなかでも優秀な聖騎士、聖魔士までもが乗っていた。|獣人《ジューマ》といえどランクが高いせいか統率もしっかり取れており、シャーク海賊団は逃げの一手を選んだ。
 あのまま戦い続けていれば、消耗戦にもつれ込むとはいえ、一応勝つことはできたかもしれない。だが船員が何人も死ぬことになるし、やっと戦力が落ち着いてきたガーネット号にとって多大な損失になることは免れない。
 人間はともかく──ラプラス自身も|V《トレイ》級の|獣人《ジューマ》であり、海賊の中では最弱の人間の船員たちの生死にはほとんど関心がなかった──ルテミスは数名死んでしまった。重傷者の怪我は自分の治癒魔法では間に合わず、彼は腕が使いづらくなってしまった。
 自分が航海士になってから一番の失敗、唯一の失敗だ。やっと信頼してもらえるようになったと思った矢先に。
 昨晩の戦いから、まだラムズ船長とは一度もそれらしい会話をしていない。事務的なやり取りはしたが、怒られるのが怖くて、失望されているのを目の当たりにしたくなくて、意識的に避けてしまっていた。
 最近名前をもらって調子に乗っているから罰が当たったのかも……。

 そんな調子で日もすがら落ち込んだ様子のラプラスをいよいよ煩わしく思ったのか、ジウは舵を握りながら軽い調子で声を投げた。
「朝からぶつぶつぶつぶつ……。うるさいんだけど? 海賊やってるんだから、国から追われるのなんてみんなわかってるでしょ。運が悪かっただけじゃん。いい加減切り替えなよ」
 ラプラスは背中の白い孔雀羽を竦めるように動かした。
「反省するのは大事なことでしょ?」
「それ、反省じゃなくて悲観。湿っぽくてうざい」
「……開き直ってるよりマシでしょ」
 ジウは大きく溜息をつき、人差し指を下に向けて二回ほど振った。
「船長んとこ、行ってきたら? あの人の言うことなら聞くでしょ」
「今は行きたくない。何か功を上げてから──……」
「罪悪感があるから悩んでるんじゃないの? いっそのこと怒られたほうがすっきりするよ」ジウは興味なさげに前方を見据える。「ともかく、ここにいられるとキミの溜息で空気がまずくなるからどっか行って」
 ラプラスは横目で彼を睨みつけ、階段を降りていく。しばらく甲板で船員たちに指示をして回ったが、すぐにやることがなくなる。
 ちらちらと船長室の扉を見る。これで五度目。
 ジウの言っていたことも一理あるかもしれない。間違えたことをしたならきちんと謝らないといけない。それで今後はどんなふうに仕事をしていくか、目標とか改善点とか……。
 またぶつぶつと呟いていたらしい自分の口に気づき、きゅっと唇を結んだ。
 彼女は体に力を込めると、強ばった腕や足を一歩一歩動かし船長室へ近づいた。優しく扉を叩く。
「ラプラスです」
「どうぞ」
 いつものことだが、声色から感情は読み取れない。
 部屋に入ると、木彫りの肘掛椅子に座り、宝石を眺めているラムズが目に入った。そろそろと足を動かし、背部の翼が棚にぶつからないように身を縮めた。煌びやかな白無垢の羽が、今はこの場にどうしても不釣り合いな気がして居た堪れない気持ちになった。
「昨日のこと……。申し訳ありません。私があの船を狙うべきだって言ったから──。戦いや逃亡のときも上手く指揮が取れなくて……」
「ああ」
「次はもっと慎重に吟味する。アテが外れてももう少し冷静になれるように──」
「ガリウスとキャシーの怪我は治ったか」
 突然の質問に、ラプラスは目を瞬いた。「あ、うん。二人は完治した」
「アーガルドの右腕は無理か」
「……うん、もうほとんど使えないと思う」
「左を使えるようにするべきだな」
 ラムズは席を立つと、宝石の並ぶ棚のひとつから小さなガラス瓶を取りだした。
「左利きになれるよう、お前が見てやって。この薬が少しは助けになると思う」
「え? なんだか高そうな薬だけど……いいの?」
 ラムズは彼女を見ないまま、無機質なトーンで返す。「次のお前の収益から差し引く」
「わかった。そうだよね。あとは?」
「何が?」
 小瓶をラプラスに渡すと、彼はまた椅子に座った。宝石を手に取り、それを具に眺めている。
「だからその、失敗したから」
 作戦が失敗したとわかった時点では、ラプラスもラムズも、船を敵船から引き剥がすのに忙しかった。ようやく船内が落ちついたころにはラムズは船長室に戻ってしまっていたし、きっと叱るタイミングを逃したのだろう。
「怒られるかなと思って……て」
「罰はもう与えた、これ以上はない」
「そっか……」
 これはむしろ、見捨てられたと捉えるべきなんだろうか。自分に対する興味を失った、もう使えないと見切りを付けられた──。彼女は掌を強く握り、目を据える。
「これからも頑張るので! 次はもっと効率的に敵を見つけられるように、知識も付けます!」
 ラムズは顔を上げ、ゆっくりとこちらに目を合わせた。唇がわずかに弧を描き、綺麗な青眼が瞬く。
「お前は十分よくやってるよ。それにゴーサインを出したのは俺だ。お前が全部悪いわけじゃない」
 思っていた以上に柔らかな表情に、彼女はしどろもどろになった。「だけど、死傷者もいつもより多くなってしまったし」
「そういう運命だった。宝石が壊されたわけじゃねえから、別にいいよ。有能なルテミスが減ったのは惜しいが、神の決定をどうこう言っても仕方あるまい」
「私のミス……じゃないの?」
「それを庇えなかった俺のミスでもある。そして、神の采配でもある。だから気にしてない」
 彼はまた、先程のように眼を眇める。普段よりほんの少し穏やかな色が瞳を掠める。
「わかったら仕事に戻れ。これからもよろしく」
 そう言って彼はすぐに宝石へ戻ってしまった。
 ラプラスは彼を邪魔しないよう、静かに部屋を出る。風か魔法か、ゆっくりと閉まる扉の音に身が引き締まる気持ちがした。