参謀

 昨日、ラムズがよく来ているという噂の『がらん堂』の店主に、彼と会いたいという旨は伝えた。わざと大声で話したから、その場にいた客にもちゃんと聞こえていただろう。あの中にラムズの知り合いがいれば、今日の夜に店に来てくれているはずだ。取り合ってもらえない可能性もあるが──それこそ、パメラに慕情がないなによりの証拠だ。
 ライネルは一緒に行きたいというリリーを連れて、再び『がらん堂』までやってきた。

 店内を見回す。薄暗い酒場、店主はいつものとおりカウンターの前でカクテルを作っている。店の奥のテーブル席に座っている客がいるが、どうもラムズには見えなかった。
 リリーと顔を合わせ、ひとまず入口に近いテーブル席に腰を下ろす。しばらく待って来なければ、また店主に同じ話をしよう。
 注文をしたすぐあと、後ろからただならぬ寒気を感じた。さっと振り返る。
「俺を探してると聞いたが」
 ラムズ・シャークが立っていた。無機質な眼差しでこちらを見下ろしている。冷淡な表情から寒気がするのか、パメラに聞いた彼の肌の冷たさのせいで寒気がするのか、わからなかった。
「……ど、どこにいたの?」
 彼は真っ直ぐに店の奥を指さした。さっきそこは見たのに。
 黒いシャツにゴールドとガーネットのブレスレット、ネックレスを付けている。店で見たとおり、本当にいつも宝石で身を飾っている。そして目の前で見ると、どうしてもその端正な顔に惹き付けられた。現実離れした異常に美しい顔立ち。彼の醸すオーラや、仄かに香るミステリアスな香水、ちらちらと瞬く銀髪、五感のすべてが掻き立てられた。
 長いチェーンのようなピアスを揺らし、ラムズは二人の前に座った。椅子を机の横向きに置き、足を組んで座る。こちらに首を回すと、ゆっくりと顔を傾げた。
「なんの用?」
 持ってきていたらしい自分のグラスを掴み、そっと口つけた。薄い唇に黄みがかったウォッカが流し込まれる。細い指先は丁寧にグラスを机へのせた。何気ない一挙一動が怖いくらいに優雅で、目が離せなかった。
 先に動けるようになったのはリリーだ。
「近くで見ると、やっぱものすごいオーラだ、ね?」
 同意を求めるようにライネルへ話しかける。彼女は深く息を吐いた。
「そうだね」軽く返事をし、しゃんと背筋を伸ばす。
 緊張に、口の中で酸っぱい味が広がった。貴族相手に直談判なんてしたことない。さらにこの男は、普通の貴族よりもよっぽどやりにくそうだ。いくらパメラが楽しそうに彼の話をしているとはいえ、ライネルは彼がパメラの頭に氷をぶちまけたのを忘れられなかった。
 でも、自分がやらなければ友達が壊れてしまう。人目もある居酒屋で、しかもパメラと繋がりのある自分たちに、惨い仕打ちはしないだろう。
「はっきり言わせてもらいます。もうパメラに会うのはやめてください」
「なんで?」
 冷たい息がそっと降りた。ただ尋ねられただけで、そこにはなんの色も感情も込められていなかった。
 パメラに追い抜かれたとはいえ、ライネルだってそこそこ優秀な娼婦だ。客の感情の機微には敏感な自信がある。だが、この男からはなにも掴むことができそうにない。
「パメラがいちばん人気になったのは知ってますか」
 つい三日前の出来事だ。オーナーが、彼女の売上がトップになったと全員に知らせた。そして昨日、クラウスが彼女に身請けの提案をしたのだった。
「ああ、そうみたいだね」
 まだ客には誰にも伝えていないはずだ。どこから聞いたんだと問い詰めたい気持ちを押し殺し、素早く微笑む。
「あの子、あなたのせいで仕事を頑張りすぎなんです。自傷行為のことも知ってるでしょう?」
「ああ」
「あなた……パメラを身請けする気はありますか?」
「ねえな」
 即答だった。ライネルの背筋を冷や汗が流れる。指先が冷えていく。
「気に入ってるんじゃないんですか」
「身請けできるほど、金がない」
「……そう、ですか」
 彼の服を見た。あんなに高価な宝石を大量に纏っているのだ。しかも店で見かけるたびに違う宝飾品を付けている。金がないわけがない。
 ともかく、パメラを買うお金はないということなんだろう。
「ここだけの話にしてほしいんですが……。パメラに、侯爵から身請けの話が来ているんです。だから、もう邪魔しないでほしいんです。彼女に幸せになってほしいから」
「へえ、なんて名前?」
 今度も彼は、眉ひとつ動かさず平然と言葉を返したが、ライネルは話すたびに息が詰まっていくように感じた。ここが店だったらもう少し上手くやれるのに。両膝をきつく近づけ、じっと体を固めた。
「答えなきゃいけない理由、ありますか」
 ラムズは薄く笑い、ライネルと初めて目を合わせた。氷のように寒々しい双眸と、嫌味のように煌めく碧眼。鼓動が速まっていく代わりに、瞬きも息も忘れた。
「ずいぶん嫌われてんのな」
 彼は視線を外し、黙って酒を口に含んだ。ライネルは戻ってきた息を大きく吸い、震える指で同じように自分のグラスを掴んだ。あまりに痙攣していたせいか、思わずグラスを机の上で落としてしまった。
「っあ、あ。す、すみませ……」
 打ちどころが悪かったのか、グラスはそのまま砕け散った。ライネルの手に残った破片がから、と落ちていく。
 桃色のカクテルが垂れていき、床に雫が落ちようというところで透明の水がさっと視界を覆った。潮が引くように消えていく。
 席を立っていたラムズがライネルの腕を取り、残った破片を机に置く。
「なんでそんな緊張してんだ」彼はくつくつと笑い、彼女の掌を眺めた。「別に取って食いやしねえよ」
 怪我をしていないか確かめただけらしい。冷たい指はすぐに離れた。
 さっきよりも動悸の激しくなった胸を、ライネルは必死に抑え込んだ。「すみません、汚しましたか」
「いや?」
 ラムズは背もたれに体を預け、優しく問いかけた。「普通に話したら? そのほうが楽になるなら。パメラもそうしてるし」
「えっと……そう、ですか」
 たしかに店の中では、娼婦は貴族に軽い口振りで話しかけることが多い。敬語では親しくなれないし、敬語を話せない子も中にはいるからだ。
 ライネルは咳払いをして、もう一度彼を見た。
「クラウスって言ってた」
「プルシオ帝国の侯爵で──」少し視線を回したあと、軽く落とす。「ああ、あいつね」
「知ってるの?」
「話には。悪いやつではねえと思うよ、運がいいな」
 存外親切にしてくれることに違和感を抱きながら、今度こそと身を硬くした。
「……そう、運がいいの。だから関わんないでほしい。あなたが来たら、パメラ、侯爵について行くのを断りそうなんだよ。けっこう……惚れ込んでるみたいだから」
 彼は何も言わない。ライネルは続けた。
「身請けする気がないなら……。遊ぶだけなら、別にあの子じゃなくてもいいと思う。だから、約束なのは知ってるけど、もう彼女には会いに来ないで。私たちが慰めておく」
 ラムズはちらりとこちらを見たあと、グラスをおもむろに揺らした。「いくら友達とはいえ、お前らが勝手に決めていいもんなの」
「……でも、彼女は今おかしくなっちゃってるの。あんなに自傷行為をしてるのは見たことない。だからちゃんとした判断ができないと思う。あなたも、パメラの幸せを思えば侯爵について行くのがいちばんだってわかるはず」
「俺はあいつじゃねえから、知らない」
 虚空を掴むような会話だ。
「嫌だって言いたいの?」
「──いや。まあ、いいよ。わかった」
 ライネルは顔を上げた。こんなにすんなり頷くと思っていなかった。
「あ。いいの? もう来ない?」
「ああ」
「……そう」やっぱり、もともとパメラに興味なんてなかったんだろう。ただの遊びだった。「あの子がいなくなったあとなら、いつでも店に来ていいから」
 ライネルがそう言って作り笑顔を見せると、ラムズは冷たい声で笑い返した。
「なんのために」
「……えっ。それはさ、他にも女の子はいるから、遊びたいなら来てよって」
「あいつ以外はぞっとしねえから、もう行かないよ。悪いな、客になれなくて」
 話を切り上げようか迷った。だが、どうしても興味が勝り、咎めるように尋ねた。
「パメラ以外に興味ないって言うなら、どうしてそう簡単に手放すの?」
「ジョークか? それ」横目でこらちを捕まえ、冷ややかな視線がライネルを穿った。だがすぐに色を失ったように表情が消え、視線が外れる。「お前が、パメラの幸せを考えるなら俺は引いたほうがいいって言うから、そうしただけ」
「私が? 私が言っただけで?」
「友達だろ」
 ライネルが躊躇いがちに頷くと、言葉が足りないと気づいたのか、彼は付け足した。
「俺はパメラと二回しか会ってない。だがお前らはもっと付き合いが長いだろ。だからお前に従う」
「……彼女が好きなら、そう簡単に諦めたりしない」
「諦めさせたいのか、諦めさせたくねえのか、どっちだよ」ラムズは小さく笑い、淡々とした声色で言った。「好きだとして、無理やり俺の思う幸せを押し付けるのが愛なのか?」
 難しいことを言う人だ。ライネルは、口内でまとわりつく唾液を飲み込み、咳払いをした。
「でも人はそう簡単に格好よく……格好つけられない、えっと。頭で考えられない、と思う」言葉が見つからない。こういうときなんて言うんだっけ。「感情……じゃないもので行動する、みたいな」
「理性的?」
 ラムズの言葉に、そっと頷く。顔がカッと熱くなる。性格上頼られることが多いけど、あんまり頭は回るほうじゃない。
「最後には『間違えたことだった』って、そんな風に思うこともあるかもしれないけど。……誰かを愛してる人が理性的な行動ばっかりしてたら、私は変だって思う。愛は頭で考えるものじゃないじゃん」
「俺が人間じゃないって、パメラに聞かなかった?」
 ライネルは視線を揺らした。「それは、聞いた」
「それが答え。じゃあ、もういい?」
 彼が席を立とうとして、隣で黙っていたリリーが声を上げる。
「待ってください、ラムズさん!」
「なに?」
 細い視線がリリーを捉える。
「パメラに聞いたの。キスがめちゃくちゃ上手いんだよね。あたしも上手いほうだから、よかったら試してぇって!」
 この空気でよくそんなことが聞けるなと、ライネルは溜息を吐いた。でもリリーはそういうところがかわいいらしい。天然で人気を取っているだけある。
「やだよ」だが、そんな彼女もラムズは一笑に付した。
「おねがぁい。パメラがいるからお店では頼みづらいの。今日の酒代、奢るよ!」
 リリーは笑窪を作って自分のグラスをとんとんと叩いた。
「面倒くさい」
「パメラには最初の日にしたんでしょお? ねぇ〜!」
 ライネルはリリーに耳打ちをする。「もうやめなよ。明らかに嫌がってんじゃん」
「え〜。あたし、キスしてもらわないと来た意味がないじゃん」
「そんなにしたいわけ?」
「かっこいいうえにキスも上手いなら、しておいて損はないでしょお?」リリーは既に目がハートだ。
 ライネルは彼女を掴み、椅子から降ろそうとした。
「待ってよ、ライネル」
 リリーはラムズに聞こえないよう、こそこそと囁いた。「これでもしキスしてくれたら、パメラに言お。あいつは簡単にキスするような男だって言お」
 ライネルは胡乱な目で彼女を眺めた。狡いけど、一理ある。しそうにないところが難点だが、もし本当にしたら、そういうことにできるかもしれない。
「どうしたらしてくれる?」ライネルはラムズに尋ねた。
「あ〜。宝石くれたら」
 答えることさえ煩わしいのか、彼はそう投げやりに放った。
 だが、あいにく二人とも今日は宝石を持っていなかった。家に帰れば貴族にもらったものが少しあるが、彼のお眼鏡に適うかもわからない。
 リリーは唇をむっと尖らせ、ふっくらした体で腕を組んだ。「ん〜。それはつまり、お金でもいいっていう? お酒奢るのはだめ?」
「酒代で宝石が買えるかよ」
 ということは、少なくとも宝石を買えるくらいの金を寄越せということだろうか。ライネルは頭を抱え、もうやめようとリリーを宥めようとした。
「金貨一枚、そこまでなら出せる!」
「五枚」
「五!? 五枚なんて、男娼のお店に行っても一日遊べるよ!?」
 リリーはあわあわと頬を叩き、わざとらしく体を揺すっている。
「せめて三枚にしてよ〜。おねがい〜」
「嫌だ」
「ライネルもなんとか言って〜」リリーは彼女の体に縋りつき、猫なで声で「おねがい〜」と繰り返している。
「もうやめようって。そんな金払うの、馬鹿みたいだよ」
「でも〜。お店でもこんなイケメンなかなか出会わないもん〜。キスしてみたい〜。パメラばっかりずるい」
 そういえばこの子は見目麗しい男に目がないんだっけ。ライネルは呆れながら彼女を引き剥がす。だがついとそこで思いついた。
「ねぇラムズさん。今日私たちが来たことなんだけど……もしもパメラに会ったら言う?」
「まあ、嘘は付かねえよ」
「じゃあ嘘ついて。最初からパメラのことが興味なくて、どうでもいいってフリ、してくんない?」
「なんで俺が」
「ラムズさんがしないと、パメラ信じないもん」ライネルはリリーを揺すった。「リリー、金貨四枚なら出す?」
「四枚〜? うーん……ん〜。まぁ、うーん……」彼女は小さな掌で、何回か指折り数えた。「わかった。四枚なら出す」
「私が残り一枚出す」彼女はラムズに向き直った。「だから、もし会うことがあったら私たちに話を合わせて。いい?」
 彼は煩わしそうに頷いた。「わかったよ、何も言わなきゃいいんだな」
「うん。だからこの金貨五枚は、口止め料と、リリーへのキス代」
 リリーは懐から金貨を取りだし、ぽんと机に置いた。その隣に、ライネルが一枚付け足す。彼は細い指でそれを一枚ずつ掴み、ポケットに忍ばせた。
「はい、たしかに」視線を上げ、リリーを捉えた。「ここですんの」
「まさかそれはないよね! だって、ちゃんとフレンチキスまでしてくれるでしょお?」
 ラムズは軽く笑い、店主に話しかけに行った。しばらくして二人の机まで戻ってくる。
「奥の部屋、貸してくれるらしいから」
「やるぅ〜」
 リリーは小さな体を揺らし、ラムズのあとについて行く。振り返ってライネルのほうを見た。「ライネルは? 来ないの?」
「はぁ? 私も行くの?」
「人のキスくらい、どうせいつも見てんでしょ。行くよ」
 彼女はライネルの手を握る。
 たしかにリリーの行動力には、見習うべきところがあるかもしれない。私はいつも慎重すぎるのかも。パメラも意外と大胆なところがあるし……。ライネルはそんなことをひとり考えながら、二人と部屋へ入った。