暗転
「は、ツッ……」
右手を上げ、彼の体に触れた。ラムズはそれに指を回し、手首の傷に尖った爪を突き立てた。
「んッ?! んぁ、ッ……」
痛いのと気持ちいいのが体を支配する。どっちがどちらから与えられているのかわからない。ただ彼になされるがまま、脳がぐちゅぐちゅと溺れていった。
そっと唇が離れ、瞳を細めて彼が嗤う。もう一度顔を近づけると、口の端から垂れた熱い液をぺろりと舐めとった。
「らむ、ず?」
青い瞳が僅かに滾っている。私の頬につう、と指を滑らせた。
「お前、本当にいいんだな」
「え?」
「俺のためになんでもするんだな。俺がどんなんでもいいんだな」
「……ん、うん」
彼の視線がこちらを捕らえて離さない。心臓ごと射すくめられたようになる。でも、今はちゃんと言わないとダメな気がした。
「本当、ほんとだよ。いいよ。どんなんでもいい、なんでもする。だいすき。ほんとに好き」
彼はすっと目を細め、微かにその奥が嗤った。
「忠告したからな。俺に抱かれるより、その前にクラウスのところに行ったほうがいいって。後悔すんなよ」
「しないよ。クラウスのところには最初から行く気なかったもん」
ラムズは手首の傷に指を滑らせ、優しく摩っていく。
「ライネルの言うとおり、俺は悪いやつだよ。酷いことも、お前が嫌なこともするよ。それでもいいの」
「……うん、うん。酷いところも好きだから、大丈夫。だっていっぱい頑張れたでしょ。だからこれからも、辛くても頑張るよ。だからどこにも行かない。ラムズのことが好き」
「……へえ」
彼は妖しく笑い、頬にそっと口付けをした。体を持ち上げると、ラムズの膝の上に乗せられた。背中に腕が回る。彼に応えるようにぎゅうと抱きつくと、耳に冷たい吐息が落ちた。
「お前ほんと……かわいいな。──もう知らねえ」
体を離し、青眼を爛々と光らせた。
「こんなに教えてあげたのに。俺はこれでも、大分我慢したんだけどな」
「……なに、を?」
「お前を惑わせないようにさ。ちゃんと冷たくしてやったんだぜ」
ラムズは後頭部に腕を伸ばすと、ぐいと首を落とし下から押し付けるように唇を重ねた。すぐに甘い快感が戻ってきて、彼のキスに夢中になる。舌が絡み合い、ぴちゃぴちゃと水音が鳴る。甘噛みされた舌がじんじんと熱を帯びて、少し硬い舌先が口内を擽りなぞる。
「っは……やッ……」
ちゅうと啄むキスを落とすと、嘘のように唇を外した。首を傾げる。
「それでも好きなの」首筋を撫でていく。「なあ、パメラ。そんな辛い目に遭っても好きなの」
ひとり私だけは息が上がっていて、こくこくと頷き目線で訴える。「ん、だ。だい、すき」
「俺が言わせたんじゃねえよな」
「ちが、よ、私の意思だよ」
「そっか。ほんとにいい子だね」
彼はすうと目を細め、私の頭を優しく撫でた。ラムズの眼が今まで見たどんな色よりも歪に光っている。それでも、恐怖心はあっても嫌悪感はなかった。別に怖くてもいい。怖くても好きだから。
髪を撫でながら、いやに優しい声が尋ねた。
「俺のもんになる?」
「……うん、うん! なる!」
「あー……」彼の青眼が不自然に回った。「かわい、殺しちゃいそう」
ぞく、と心臓が脈打った。彼の背中に手を伸ばし硬く抱きしめる。「ん、うん。いいよ。ラムズのだから、好きにしていいよ。だいすき」
「へえー……そう」笑みの滲んだ声が首筋を濡らした。「俺もだいすき」
首を掴み倒され、その付け根にざくりと牙が入った。鋭い疼痛が全身に走る。彼を掴む手が強まった。血を吸われれば吸われるほど、体がびりびりと震えた。熱に浮かされたように火照り、甘い疼きが皮膚の裏側で滾っている。
「っは、あ……、らむ、ず。ぁ……」
「お前血流しすぎなんだよ。飲むぶんがなくなんだろ」
「……め、ごめ、ん……」
どく、どく、と私の鼓動が体の奥で重く響き、彼が喉を鳴らす音は鼓膜をくすぐった。ときおり冷たい吐息が首筋に触れ、皮膚が粟立つ。快感が全身を侵し、頭がくらくらしてくる。
冷たい舌が傷周りをひと舐めして、体が離れた。
「教えてやろっか」
彼は真っ赤に染まった舌で唇を舐めた。歯を染める鮮血に釘付けになる。
「なに、を?」
頬を撫で、柔らかな瞳とは裏腹に、冷淡な声が頭を冷やしていった。
「嫌に決まってんだろ。俺が捕まえたのに、他のやつんとこなんて行くんじゃねえよ」
「そぉ、なの? そう思ってたの?」
わずかに眉を寄せ、眼を尖らせる。「決まってんだろ。阿呆。友達なんかに惑わされてんじゃねえよ」
「ごめ、ん。だって、みんながそっちのほうが幸せって……」
薄い唇が傾く。「でも、パメラは幸せじゃなくてもいいよな。俺といれれば」
「うん、いいよ。ラムズがいればいいよ」
「そーだよな」彼はとんとんと頭を叩く。「あとはなに、約束破ったことだっけ」彼は軽く笑い、淡々と零した。「約束なんてどうでもいいよ。むしろそうやって縋ってくるんなら、やっぱり破ったほうがよかった」
彼はにこりと微笑み、短くキスをする。私はラムズの腕を掴み、片眉を上げる。
「縋ってほしかったの?」
「かわいいじゃん」
「……辛かったのに。ラムズのせいで」
「最高」
彼の髪を掴み、額をくっつけた。「ばか。意地悪」
ラムズは笑い、また首筋に顔を埋めた。牙が同じ傷を抉る。頭がくらくらするほど血を飲まれていく。指先が冷え、体の力が入らなくなる。
「ず、ら、ぁ……む。す、しゅ、き……」
くつくつと喉を鳴らし、ようやく体を離してくれた。ぼうっとした頭で彼を眺める。ラムズは私の手を取り、腕に残った傷に指を優しく滑らせた。
「俺のためにこんな必死になってさあ」彼は嗤い、私の髪にも指を通していく。「ほんとかわいいな」
「ラム、ず……?」
「甘いのも悪くねえから──」彼の青の眼が首筋を舐め、鎖骨を通る。括れに手を添えられた。「このままめちゃくちゃにしてやりたい」
ぎらついた視線とじりじりと脳を焦がすような声色に、心臓が警鐘を鳴らしている。
「あ、ね……。どし、たの」
体を引き寄せられ、ぎゅうと硬く抱きしめられる。「だいすきだよ。大丈夫、大事にするから」
急に甘くなった台詞に心がついていけない。視線を揺らし、彼の服を掴んだ。「わた、私も。好き。だいすき」
「ああ。もう離さねえから」
掠れた低音がぞくりと心臓を貫いた。磔にされ、永遠に彼の十字架にしばられてしまったような感覚に陥った。
「……ん。うん」それでも私は嬉しくて、さらに強く腕を回した。
「ねぇ……どうするの?」胸の中でもごもごと呟く。「私がラムズのこと探さないで、クラウスのところに行っちゃってたら」
「行かねえと思ったよ。まあ……本当にそうなったとしたら、そんなやついらねえからな」彼は悪びれなく答え、いつもよりゆっくりと言葉を繋いだ。「それくらいで諦めんなら、いらねえ」
冷え冷えとした声に心が粟立つ。
「そっか、うん。じゃあ私のことは、ちゃんと大事にしてね。いっぱい頑張ったもん」
「そうだな、次切るときは全部ちょうだい」
「ばか」
彼はまたキスをした。柔らかな舌がくちゅくちゅと口腔を弄り、深いところで舌を絡め合い息を奪う。彼からもらう空気と唾液と、それだけで息をした。彼の歯に舌を伸ばすと、飢えた魔物のようにぎちりと噛まれる。びくと肩が震えたのを彼は声を出さずに笑い、嘘みたいに優しく唇を舐める。
「あ……んッ……」
私が彼の胸を押すと、唇を離してくれた。私を見上げる目が笑っている。
「……いたい、よう」
「あっそ」
彼の頬に手を添え、ぎゅうと抓った。「痛くするの、好きなんでしょ」
「お前が好きになるようにやってる」
「なにそれ」
彼は笑ったまま、それ以上話そうとしない。
「前に……私がレイプ、されたとき」彼は黙ったまま聞いている。「あのとき何も言わなかったのは……」
「お前がほしい言葉、かけてやんなかったこと?」
「うん。わかってたの?」
「そりゃな」軽く笑う。「全部わかってるよ」
「じゃああれも、わざと冷たくしたんだ」
「ああ」
「これからもずっと冷たい?」
「さあ、俺の気分しだい」
彼は目を細め、あどけなく笑う。狡い、そうやって笑えばなんでも許してもらえると思ってるんだ。
「嫌?」ラムズは首を傾げ、上目遣いにこちらを見た。
「嫌なわけ……」
「なわけ?」
仕返しとばかりに、今度は私がキスをした。すぐに離すつもりだったのに、後ろに手を回されがっちりホールドされる。すぐに体から力が抜け、脳がとろとろの蜜に浸される。
しばらくして口を離し、私は唇から漏れた唾液を拭った。
「は、ぁ……は。ずるい、ひどい」
「悦んでるくせに」
「ちが」私は目を逸らした。「ん……」
「お前が言わねえからだろ」
「続き?」
「そう」彼の眼がすっと細まり、下から見られてるのに見下されたような気分になった。「全部言って、ほら」
色香を含んだ妖しげな視線は、私を掴んで離さない。心臓に楔を打ちこんで、鎖でぎちぎちに縛っている。視線すら逸らせなくなって、知らないうちに頷いていた。
「ん、うん」わたしは彼の肩にそろそろと手を伸ばす。「嫌、なわけ、ない。ラムズにされるなら……」耳がかっと熱を持つ。「なんでもいい。冷たくてもいい……それでも好きでいる。だいすき」
「じゃあ、今日もう終わりでい?」
彼はそうさらりと言った。
「え。え……?」瞳に涙が溜まる。「え……」
もう部屋から出ていっちゃうってこと? こんなにいっぱいキスしてくれたのに? 俯いて、彼の服を引っ張った。
「ん、やだ、けど……」鼻を啜った。「うん、いいよ。うん。ちゃんと今度、してくれるよね」
「嘘だよ。安心して」声色がどんどん低くなり、最後は悪意を込めたようなぞっとする声だった。「ちゃんと離れらんなくしてやるから」
「らむ、ず。ね……ぇ」
ついと肩を押され、ベッドに横たえられる。異質な碧眼は光を透し、青に銀に光っていく。彼は私の上に馬乗りになると、喋ろうとする私の口を塞いだ。
さっきの声が夢だったみたいに、急に甘い快楽に堕とされた。必死で彼の舌を追いかけ、粘ついた唾液をぴちゃぴちゃと交わせる。いろんな人とキスをしてきたはずなのに、いつも先導できるはずなのに、彼とは何度やっても一方的に私が蹂躙された。
服の下に手を差し入れ、冷たいそれが皮膚を這いなぞっていく。柔らかな双丘をひとつ包み、細い指が撫で滑っていく。緩やかに指を沈ませ、焦らすように周りだけをゆっくりと掬い摘んだ。
「ぁ、……や、っはァ」
もう一方の手がネグリジェをたくし上げ、肌を露わにする。既に彼の手で鳥肌が立っていたのに、急に外気に晒されて体がすうすうする。
ラムズはキスをやめると、背中に腕を通し服を脱がせた。腰に座ったまま、私を冷たい眼で見下ろす。
「ちっさ」
「……え? 胸?」
そんなに小さくないでしょ。小さいなんて言われたことないもん。
「体」くくと笑った。「ほんとに壊しちゃいそう」
「やっぱりガツガツするタイプじゃん」
私がそう軽口を叩くと、嗤って返された。
「そのほうが好きだろ」
視線をずらし、近くのシーツを掴む。「別に、いつも責めるのもしてるもん」