未来予知

 彼に拐われてから、私は正確に日付を数えていた。あと二週間足らずで解放されるはずだ。寝台で仰向けになり、何度も見た天井の魔石灯に目を凝らす。ラムズは別の部屋でまた宝石を見ていた。あの日のことはなかったことにされ、付かず離れずの関係を保っていた。
 トレーニングでもしようかな。体が元に戻ってからは毎日欠かさずやっている。戦いのときには魔法だけでなく体力、剣術も必要なのだ。ラムズとも剣を交えたことがある。聖騎士と並ぶくらいには技術があった。でも正当な流派で振っているわけではない。完全に自己流だ。特に、怪我をしても痛みがないことを利用して、予測できない動きをされる。そのせいで負けたけれど、純粋な技術だけでいえば私のほうが強い。
 勢いをつけて体を起こしたときだった。視界がちかちかと揺れて、時を刻む秒針の音が聞こえる。
 ──嫌だ。見たくない。やめて。嫌だ。
 否応なく暗転し、脳裏に掠れた映像が流れはじめた。

 某年五月三十日。
『異端者だ! 聖女は異端者だ!』
『殺せ! 殺せ!』
『火炙りだぞ! 早く火をつけろ!』
『こいつらのせいで俺たちは苦しめられたんだ!』
『地獄へ行け!』
『この悪魔め! 許さない!』
 民衆が一斉に声を上げ、ひとりの女の周りを取り囲んで石を投げた。女はいくら罵詈雑言を投げられても真っ直ぐに前を見据え、決して屈しなかった。
 甲冑を剥ぎとられ、着ているのは下着同然の服だけだ。体を太い柱に括り付けられ、魔法を封じる強力な枷が手に嵌められている。口はざらざらとした麻布でキツく結ばれ、後ろ手に回っている手には太い釘が刺さってだらだらと血が流れ続けていた。
 ──死なないはずだ。死なないはずだ。死ぬわけがない。
 ついに火が付けられた。足元から紅蓮がちろちろと燻りはじめる。油が足に掛けられ、一気に炎が燃え上がった。すぐさま服が燃えて灰になり、宙へ舞っていく。白無垢の肌に炎が移り、だらだらと肌が溶けていく。
 それでも彼女は一度も苦しい顔を見せなかった。凛と前を見据えたまま、ただ黙って涙を零して耐えていた。最後炎がすべて消えたあと、彼女の体はすべて灰に変わり温かい風に運ばれていった。

 ──そうして聖女ジュアナ・ラピュセルは、火炙りの刑に処されて死んだ。

 幕が降りたように視界が戻ってくる。
 声が出ない。何を言えばいいのかわからない。
 叫べばいいのか、泣けばいいのか、わからない。
 私が死ぬ。もう来月のことだ。
 死ぬ……? どうして?

 私の神力は、不死身の体、枷魔法が効かず異常状態にならない体、魔法力の大幅な上昇、最高峰の治癒魔法、他人の心情を読む力。──そして最後に、未来予知があった。
 この神力は嫌いだった。だいたい酷い未来を見せられる。そして、今まで回避できたことはない。見たものは必ず実行され、どんなに離れた道を通ろうとしてもそこに導かれた。
 これは時の神ミラームにもらった神力だ。未来予知が始まる前に時が刻む音がするのがなによりの証拠である。
 私は死なないんじゃないの? どうして死んでいるの? どうして……火炙りにされたの?
 もしかして私が……聖女でなくなったから? 処女でなくなり、人の血を吸ったから? そうだ。そうに違いない。そのせいで神からの罰が──。つまり、今回のことはすべて公になってしまうということ? ラムズがバラすの? 今まで積み上げてきたものがすべて水の泡になる。あと二ヶ月後に私は死ぬ──。
 嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。
 ゆっくりと映像を思い返した。
 なにかヒントはないか。どうにか回避する方法はないか。ラムズを殺せばいい? でもどうやって? 私が死ぬならあの人も死ぬのだろうか? そもそも彼がバラしたの? あのせいで私は火炙りになったの?
 ……でも、それにしては。血のことも処女のことも叫んだ国民はいなかった。それに、どうやらヴァロレンス王国ではないように思えるのだ。処刑台の周りにいる人がまったく知らない人たちで、ヴァロレンスの国旗も見当たらなかった。じゃあいったいどこで……? どうして故郷のヴァロレンスではなく、別の国で私が処刑されているの──?
「……ュアナ」
 嫌だ。嫌だ。死にたくない。死にたくない。
 死なないはずだ。私は聖女だ。神様に愛された子で、神様にたくさん力をもらって、ヴァロレンスのために生きるんだ。永遠にこの力を国に使って──
「ジュアナ。ジュアナ」
 誰かが肩を揺すっている。はっとして顔を上げた。ラムズと目が合う。
「どうした?」
「わ、わたしが……。私が」
 声が掠れ、思うように出せない。瞳孔が異常なほど震え、無意識に髪を何度も何度も耳にかけた。喉がひくひくと上下し、肺がヒューヒューと鳴った。息ができない。苦しい。
 ラムズは隣に座ると、ゆっくりと背中を撫でた。
 それでも収まらない。動悸が激しい。全身の血が抜かれたように体が冷え、指先が固まって痙攣している。
「ぁ、あ……。あ」
 死なないと思っていたのに。何をしても死ななかった。だから怖くなかった。どんな戦に出かけるのも、どんな目に遭うのも。私は死なない。神に選ばれた子だから。聖女だから。
 体の向きを変えられ、そっと抱きしめられる。甘い匂いがする。私の好きな匂いだ。どく、どく、どく、と一定のリズムを刻む拍動に意識を凝らす。数十分同じ体勢で堪えていると次第に呼吸が深くなり、冷たかった体が戻ってきた。
「わたし……しんでた」
 彼は黙ったまま鼓動に合わせて背中を摩っている。
「ひあぶり、に、されて。しぬみたい」
 虚ろな目が彼のダイヤモンドのネックレスの瞬きを映した。
「あと、にかげ、つ」
「未来を見たのか」
「うん……。しぬんだって。ばつが、あたった、のかな」
 彼を責める元気もなかった。
 それに……責めたらもっともっと自分が醜くなるような気がした。こんなふうに思う自分も嫌だけれど……考えなしに責められたら楽だけれど。でも。いくら彼に誘導されたとしても、これは私が自分で選んだ道だったのだ。
 あぁ、でも。
「しっ、……しにたく、ない」
 目尻から涙が一滴、ゆっくりと落ちて太腿を濡らした。
「でも……だめ、だよね。死にたくない、なんて。聖女は、聖女なら」
 死にたくないことと同じくらい、その感情を持っている自分が嫌だった。また私は聖女でなくなってしまう。聖女なら死なない。聖女なら死にくないなんて思わない。死を恐れる聖女なんて、聖女じゃない!
「大丈夫。お前は死なない」
 顔を上げる。目を細めて笑いかけた。「どうして? 未来は変えられないんだよ。私が見たものは、必ず起こるの」
「全部見たわけじゃねえだろ。火を付けたあと、どこかに逃げたのかもしれない」
「そんなの……灰になってたよ。肌が溶けてたよ」
「たぶん、大丈夫だから」
 たぶんって、なによ。
「とりあえず、少し寝たほうがいい」
「眠れないよ」
「んー……」彼は困ったように言う。「魔法が効けばいいんだが」
 彼の胸に顔を当てる。いい匂いだ。どうして私の好きな匂いを知っているんだろう。
「このままでいていい」
「ん」
 彼は私を膝のあいだに置いて、そっと体を傾けさせた。このまま眠って、今日のこれが夢だったって、未来予知じゃなく夢だったと、そうなったらいいのに────。