宝石

 ようやく、音がやんだ。
 剣のかち合う金属音、男たちの野太い叫び声。そして心を襲う、彼らの醜く歪んだ心の声。何度も腕や脚を捕まれ、胸を切りつけられ、そのたびにおぞましい感情をぶつけられた。彼らの心を知るたびに止まらなくなった。
 やってしまった。自分のために剣を振るってしまった。神力を使ってしまった。憎悪と復讐心に突き動かされ、私の意思で、この手で、人を、殺してしまった。
 血まみれの床の上でひとり、糸が切れたようにへたりこんだ。頬を熱い涙が濡らし、血とともに濁ってこぼれていく。記憶の隅へ仕舞っていた感情が溢れだし、みるみる涙を生んだ。
 初めて神力をもらって、怪我をしない体は奇異の目で見られた。それを助けてくれた母でさえ、心の奥で気持ち悪いと思っているのが見えた。私を触れる父親が、私を性の対象として見ていたことに気づいた。
 すべてなかったことした。
 一年経って神に話しかけられたあとは、その一年であったことをすべて記憶の奥へ仕舞いこんだ。あの苦痛は神からの使命に生きるため、ヴァロレンス王国を救うために必要なことだったのだと、そう言い聞かせて蓋をした。
 ―だから嫌だったのに。
 男のように甲冑を纏い、醜い視線からなるべく逃れようとした。でも女をやめたいわけではない。私が私のまま戦場に立つのを認めてほしかった。ただその一心で剣を振るい、旗を掲げ戦ってきたんだ。
 がちゃりと音がする。地下室の扉が開いたらしい。硬い床を叩くヒールの音が大きくなっていく。私のいる牢屋の前で黒いブーツが止まった。
「殺したのか」
 平然と落ちるその声に、静まっていた心がみるみる燃えはじめた。
「ここに来て、初めに言うことがそれ!? 襲われたのよ! お前のせいで! 私は!」
「その様子じゃ、してねえんだろ」
 私を見下ろす眼は、いつもどおり冷え冷えとしていた。ぎちりと歯を噛み締める。一言一句、そのすべてが癪に触る。
「おかげさまで。自分でやったのよ。誰も助けてくれないから」
 彼は首を傾げる。「俺に助けを求めているとは思わなんだ」
 私は剣を杖のように床に立てると、よろよろと立ち上がった。体はすべて回復しているのに、全身の倦怠感が抜けなかった。心が疲弊して、そのまま倒れてしまいそうだ。
「困ったな」
 独り言のように声を漏らす。
 ラムズは血まみれの牢屋内すべてに浄化魔法を使った。削れた壁の破片や血がさっぱりなくなる。
 彼は中へ踏み入れると、死んだ男たちの体をまさぐって金貨や宝飾品を取り外した。こんなところで狡いことをしている彼にも反吐が出る。
「そんなみすぼらしいことをしてまで宝石がほしいの」
「ほしいね」
 持てるだけ持つと、ソファのある部屋まで宝石を運んだ。最後に宝石のついた鞘を取り、覚束無い足取りで歩く私の横を通った。
「ぼろぼろになって私が歩いていても無視? 罪悪感の欠片もないのね」
「肩を貸してほしいか?」
「殴るわよ」
 彼は笑い、先に部屋へ入った。
 この男と同じ部屋になどいたくなかった。だが床で寝るよりソファのほうがマシで、私が遠慮するのではなく、彼に出ていってほしかった。
「ここにいる必要ないでしょ。もう出ていって」
「ああ。だがその前に伝えなきゃいけないことがある」
 彼は机に乗せた三枚の契約書を見ていた。落ちていた視線がこちらを向く。
「このままじゃ魔法が完了しない」
 持っていた剣を苛苛と床へ叩きつける。「なに? 何をしろって言うの!? 貴方の契約でしょう!? 勝手に私を使っただけで!」
「シュパール王国との契約だな。聖女の処女を貰う代わりに、シュパール王国は永続的にヴァロレンス王国へ侵攻しない。だが今日じゅうにこの契約が完了しなければ、王国へ通知が行くだろう。王も死んだ。お前の国がシュパールとイルドゥラント両方に攻められるのは時間の問題だな」
 目の前が真っ暗になった。
 嘘だ。
 私が……彼らを殺したから、ヴァロレンス王国は滅びるの? 私のせいで? 私が彼らを受け入れなかったから?
 剣が落ち、からんからんと音がする。体が傾いていく。意識が落ちかけたところで、冷たい腕が体を支えた。
「今日じゅうって言ったろ。お前が今気を失ったら、本当にそうなるぜ」
 虚ろに目を開き、彼の碧眼を見た。本当にそうなる=Bじゃあ回避する方法があるの?
 私は彼の服を掴み揺すった。「どうすればいいの? 何をすれば魔法が完了するの? もう三人は生き返らないわ。時間が経ちすぎている。何をしたらいいの? お願い教えて」
「なるべく見栄えのいい、マシな男を連れてくるから」
「……は?」
「そいつに抱いてもらえ」
「………………は?」
 彼は言い直した。
「あの魔法は、処女のときのお前の血と、処女でなくなったお前の血を両方使うことで初めて成立するんだ。初めに血を付けてしまった以上、完了させるにはそれしか方法はない。相手を選びたいなら一緒にお前も―」
 私は彼を床に押し倒した。彼の腰に馬乗りになり、首に手を回す。
「ねぇ」無機質な青がただ光っている。「なんで殺したかわかるでしょう。犯されるのが嫌だから殺したのよ。それなのにもう一度抱かれろっていうの? 貴方に人の心はないの? ねぇ。ねぇ、ねえ! ねえ! 答えてよ!」
「首を絞められてたら声は出ねえだろ」
 唇を一切動かず、彼はそう喋った。
「気持ち悪いことしなくていいから。どうにかして。他の方法があるでしょう? ねぇ、魔法が得意なんでしょう。どうにかしてよ。あんな男たちを|嗾《けしかけ》けたんだから、少しは私のために……私のため、に……私を、」
 彼はずっと冷たい目で私を見るままで、そのあと何も言わなかった。
 それがすべてを物語っていた。
 魔法とはそういうものだ。ましてや契約魔法―そうそう使われるものじゃない。あまりに重すぎる魔法だからだ。血や魔力など、替えのきかないもので硬く魔法を結ぶ。綻びはない。抜け道もない。
 私が聖女をやめない限り、国は救われない。
 彼はゆっくりと体を起こし、私を膝に乗せたまま喋った。
「……なぜそんなに嫌なんだ」
「は、」
「誰かと致せばお前は国を救えるんだ。自己犠牲は得意じゃねえのか」
「じこ、ぎせい」
「散々いろんなものを我慢して、聖女になったんだろ。今更どうして、貞操ごとき躊躇う。シュパール王らに陵辱されるのが嫌という気持ちまでは理解できるが、別の者を用意するって言ったろ。少なくともあんなふうに辱めを受けることはない」
 ふと彼の胸元に手を伸ばした。ラムズはびくりとして、私の腕を掴み、そのあとネックレスを外して宙へ浮かせる。
「信用ないわね」
「お前もねえだろ」
 胸に手を当てる。心拍の音がするだけで、何も伝わってこなかった。
「どうして貴方からは感情が伝わってこないの」
「俺が何も思ってねえから」
「何もなんて……そんな人いない」
「宝石のことしか考えてない」
「冗談言ってる?」
「本気だよ」
 沈黙が地下室を包む。
 ゆっくりと尋ねた。
「私をこんな目に遭わせたのも、すべて宝石のせい?」
「そう」
「…………そう。そうなの」
 彼は私の体を掴んで床に座らせた。立ち上がり空中のネックレスを取ったあと、契約書や、王たちから取り上げた宝石を木箱に入れた。
「好みはあるか」
「……別に」
 ラムズは出ていった。

 私がこんな目に遭ったのは―そう。すべて、宝石のためなの。
 徐々に口角が上がり、笑いが込みあげる。
「そう…………。宝石の、ためなのね」
 声を上げて笑った。高い笑い声が地下室を木霊する。私はぼろぼろと涙を零しながら笑いつづけた。やまない笑い声が、さっきの男たちの醜い感情を少しでも消してくれる気がした。