橘と彼岸で同居人概念

橘と彼岸

 あの日は確か雨だった。借りていたマンションの不備の問題で、橘は数日前から彼岸の自宅に間借りさせて貰っていたのだ。当然、職場からの道は同じであるから帰路も同じ。偶然2人ともに残業もなく帰ることができたため、仲良くとまではいかないが2人で道路を歩いていた。人通りはそこそこで雨足もそう強くはなく、危険は無いように思われていた。だからだろうか。橘はその身に迫りつつあった危険に、すぐには気付くことが出来なかったのだ。
 橘が大切に思ったものは、全て手のひらから抜け落ちていく。心を許したものから死んでいく。橘は彼岸と同居する中で、職場だけの姿では無い素の姿に触れ、人間としての彼岸について、やっと知ることができたばかりだった。彼との日々は、どこかかつての南涼子との関わりを思い出す優しいものだと、そう思い始めていたのに 。
「───先輩!」
 横合いから強い衝撃を食らって、橘は耐えられずに道路に叩き付けられた。思わず目蓋を閉ざして衝撃に耐えていると、ドン、という鈍い音と、車のスリップ音が橘の鼓膜を叩く。事故だと思った。誰かが轢かれたのだと。
 その予感は正しかった。目を開けた橘の視界に最初に映ったのは、体のあちこちから血を流し地面にひれ伏す彼岸橙瑚の姿だった。
 もう生きてはいないことはすぐに理解できた。即死だ。轢かれた時に痛みがあったにせよ、彼は苦しまずに死んだだろう。よりによって、実の妹の仇だった橘を庇って。冷静な思考を奪い取るように、何故、という疑問が橘を満たして行く。
 橘が突き飛ばされてから撥ねられるまでは少しのタイムラグがあった。確かでは無いが、身軽な橘なら避けられた可能性はあるだろう。少なくとも、あのとき橘を突き飛ばすのではなく、警告して自分も回避するという行動をとっていれば、無事には終わらないにしろ彼岸が死ぬことはなかった。橘とて大怪我ですんでいたかもしれない。両人とも生き延びられた可能性は、いくらでもあるように思われた。
「……何故、」
 一言、橘の口から言葉がこぼれ落ちる。唇はわなわなと震え、力の抜けた体はいつの間にか道路に膝をついていた。いつも高らかに返事を返してきた後輩から答えは帰ってこない。結局橘は、どうして彼岸が自分を恨まないのか理解をする前に、その機会を失ってしまった。