楽長と姉の謎(ロッ殺)


 ──その写真立てが面を見せたとき、長の世界はひっくり返ってしまった。


 教授から教えられたことを反芻し、長は誰にも聞こえないよう小さくため息を付いた。逆位相にリトス・イコス。長にはほんの触りしか理解することができなかった。
 持ち主の意思に呼応して周りの音と逆位相にある音を響かせる──だっただろうか。価値が高く、教授の地位でもそうそうは手に入らないと言っていた。事実、そうなのだろう。ネットで調べてもそれらしいものは殆ど出てこないし、彼が意気揚々と掲げた石は本当に小さいものだった。
 そう、小さいものだったのだ。長が付けるペンダントと、同じくらいに。
 何故高橋はそんな貴重なものを持っていたのだろう。何故、それを姉に渡したのだろう。この石は何に使われる予定だった?高橋が石を再び手に入れようとした理由はなんだ。
 繰り返し思考を巡らせても、その内容ははっきり纏まることは無く、固まる前に霧散してしまう。理系だった姉と違って生来自分は文系の性質で、理系のことにはとんと疎い。高校で物理を齧っていたらしい一二三も苦い顔をしていたから、あのリトス・イコスとかいう石のことを根元から理解するのは諦めた方がいいのかも知れなかった。

 姉が、生きていたら。
 高橋は死んでいなかったのだろうか。ただ尊敬していた彼が実は姉と良い仲だったなんて、今時恋愛小説でも流行りはしない。そもそも、そんな相手が居たなんて、つい先程まで欠片も気付いていなかったのに。
 信じられない。信じたくない。尊敬していた彼は、いったい何をしていたのだろう。何故彼自身の真実を長に話そうと思ってしまったんだろう。──いったい、何の被害にあっていたのだろう。

(あまりに、勝手だ)

 ふと、高橋邸でのことが思い出される。表に返されたあの写真立てが目に写ったとき、長は思わず声を上げた。幸いにして、自分が高橋のファンであることは皆知っているから怪しまれることはなかったが。まあ実際のところ、若い頃の高橋だと思ったのなんてほんの数秒で、長の目はその横の”彼女”に吸い込まれて離せなくなってしまっていたのだ。写真の中で、一回り上の姉が、幸せそうに笑っていた。
 この人が日記の彼女、かな。この帽子、この人はロックが好きだったんだね。大切なバンドの仲間の声が、どこか遠くに聞こえた。
「彼女さん、だったのかな」
 衝動的にそう取り繕って、すぐにしまったと思った。隠す必要は無かった。写真に写ったのが自分の姉だから何だって言うんだ。改めてその人は姉だ、と決定的な事実を口に出そうとして、…長の喉は詰まってしまった。
 高橋が自分に伝えたかった真実とは、十中八九これのことだろう。彼が取り戻せなかった石だって、自分は持っている。タカハシの言葉が、手紙が、長の脳内でぐるぐると回って、言うべき言葉を塞き止めてしまう。0801。始まりの日。それは確かにウィンドフォールズ結成の日だが、長にとってはもうひとつ意味を持つ数字だ。…何が始まり、だったんだろう。長は写真立てから抜き取った写真を戻して目を伏せた。
 まだ、言えないと思った。この件で分かる姉のことが、全て分かってしまうまで、言えないと。そうしなければ、タカハシの想いを、踏みにじってしまうような、そんな気がした。
 ”彼女”の正体がわからないだけで、何がどうなるとも思わない。そうやって口を閉ざし、自分の弁が立つのを利用して嘘まで付いて。……そうして長は、ペンダントのもう一つの謎を目の当たりにした。

 姉は1年前に死んだ。高橋も、死んだ。数日間のうちに長の常識は根底から覆されてしまったけれど、それだけは変わらない。二人とも、長に謎だけを残してこの世を去ったてしまった。──だが、それでも。
 長が知らなかった姉のことを知れるなら、それも良いと思うのだ。
 姉の生き様を。何を考えて、誰と過ごしていたのかを知ることができるならば、それ以上大切なものは無い。未練がましいが、それはきっと長にとっても必要なことだろうと思う。
 服の下に掛けられた音響石のペンダントを、長はそっと握りしめる。
 この先で何が待ち受けているのか、長に知る余地は無い。姉のことが分かるのかすら、鮮明ではない。だが、それで良いのだ。
 教授の研究室から、気心知れたバンドの仲間たちが背を向けて歩き出す。長は、彼らと共に、これから高橋の──姉の、生の謎を、解き明かしていくのだ。その先に、何が待っていようとも、二人のためになるのなら。

(俺は、命だって掛けられる)