あの思い出の場所に独り(きぬみこ)

※出会い捏造注意






 家を右側に出て徒歩3分。そこそこ大きな道の側、バス停に程近い場所に、その公園はあった。住宅街の中にあるにしては少し広めで、遊具が少ない、子供たちの憩いの場。遊ぶ子供たちのお供は大抵ボールで、放課後はいつも誰かの笑い声が聞こえてくる、そんな公園がーー確かに、あったのだ。



あの思い出の場所に独り



 絹川優吾が八百万命に出会ったのは、ちょうど、小学生生活を折り返した時期であったと思う。その日も、塾のテストを恙無く終え、親に送り出されて公園へ訪れていた。
 ただ、当時は、遊びに行ってはいたものの、公園があまり好きではなかった。
 なぜかと言えば、輪にいまいち交ざり辛いからだ。塾を終えてから遊びに行こうと思っても、どうしても遅くなって途中参加になってしまうし、冬はそもそもすぐ日が暮れてしまって遊べない。
 それに、たまにだけれど、皆がゲーム機を持って遊んでいて交ざれないこともある。絹川はゲーム機を持っていないし詳しくもないから、分からないまま見せて貰う事しか出来なかった。
 そうなると、もうどうしようもない。親にゲーム機を買って欲しいとも言えず、その日もフェンスにもたれ掛かって、小さい画面を見つめる友達の横合いから覗き込んで、何も分からない話を聞いていた。

「私は、サッカーがしたい」

 そんな声が聞こえてきたのは、ゲーム画面を覗き込んで、少しした時だった。絹川はまだ遊んだことがなかった白い髪の少女が、各々で遊んでいた子供たちを、そう言って強引に集め始めたのだ。
 鶴の一声、というか。きっと皆、なんとなくそれぞれで遊んでいただけで、拘りは無かったんだろう。瞬く間に公園の子供たちはひとつに集まって、少女が持っていたボールを追いかけた。勿論、絹川も。
 自分が言えなかった一言が、皆を集めて。言って良かったんだ、とか、もしかして自分を見て言ってくれたのかな、とか。色々考えながらも、その日は兎に角嬉しいが勝った。
 夕暮れが近づいて、段々と人が減っていっても、絹川は帰る気がしなかった。いつもなら帰っている時間だったが、家は公園からすぐ近くだ。まだ怒られないからと自分に言い訳して、絹川は自分から最後まで残った。
 気が付くと、公園に居るのは絹川と彼女だけになっていた。彼女は持ってきたサッカーボールを拾い上げ、絹川を振り返る。肩辺りで揃えられた白い髪が、夕暮れの光に照らされて橙に光っていた。

「お前は帰らないのか」

 彼女はそう言って真顔で首をかしげた。

「いや、もう帰らなきゃ。……君はいいの?」
「私はサッカーがしたかったから」
「……そっか。俺もだよ」

 答えのような、答えではないような、微妙な返答をお互いに返したのが、なんだかおかしくて、絹川は笑った。門限になっても帰ろうとしなかったのは、その日が初めてだった。
 でも、もうそろそろ本当に帰らないと怒られてしまう。ズボンに付いた土を払い、時計を見ると、もう夕飯の時間まで10分もなかった。絹川は、最後にもう一度時計を振り返って、彼女に相対した。

「名前を、教えて欲しい」
「知らないのか?」
「回覧板では見たことがあるけど、読み方が分からなかったんだ」

 眉を寄せて見せると、彼女は得心したように頷いて、口を開いた。

「八百万命だ」
「俺は、絹川優吾。……その、これからも遊んでくれる?」

 怖々と口に出すと、何を言っているのか分からない、という顔をされる。
 今にして思えば、彼女はやりたいことがあったから公園に来ただけで、絹川のことは偶然居たから誘っただけに違いない。それでも、絹川は彼女に救われたのだ。

「気か向いたらな」

 彼女……八百万は、そう言って去っていった。絹川の家とはちょうど反対の方向へと道を曲がり、いずれ見えなくなるまで、絹川はじっとそれを見ていた。
 その何にも縛られない自由な姿が、とても羨ましくてーー、絶対に会える近所の少女を相手に、また会えたら良いなとすら思ったのだ。
 願いの通り、彼女との親交はその先もずっと続いた。彼女が望む事と、絹川がやりたいと感じたことが似通っていたのか、それとも、絹川には分からない彼女の気まぐれか。出会ったあの日から暫くと経たないうちに、公園で遊ぶだけの関係を超えて、学校でも一緒に居るようになった。そうして、恋愛だとか、そんな言葉とは無縁のまま、絹川は高校生へと成長して、
 
 そして、その時が来た。


「命ちゃん!」
 息を切らして走る彼女を思い切り引き寄せるのと、彼女を後ろから追う白い化け物が、彼女に向かって腕を振り下ろすのは同時だった。絹川と彼女はそのまま地面に倒れ転がるが、そのままでは居られない。震える足をなんとか持ち上げて、立ち上がった二人はひたすら走らなければいけなかった。
 そもそも、どこへ走ればよいのかも分からないのに、足を止めればあの白い化け物に殺されるーーいや、捕らわれる。とにかく化け物の居ない方へと足を進めても、何体も何体も居るその巨体は、所構わず二人を見つけ、追いかけてくる。
 そいつらがいったい何なのかは、絹川には分からない。当然八百万にも分からないだろう。分かることといえば、化け物というにはどこか近未来的な形で、恐らく知能がある事くらい。

(でもどちらかといえば、知能のあるロボットのようなーー)

 暫く走り続け、二人はやっと、化け物の居ない路地へとたどり着いた。まだ地元の範囲にある道で、左右の家は潰れていても見覚えのある場所だ。ひとまず息を整えると、近くの自販機ーー奇跡的にまだ動いていたーーから水を出した八百万が、絹川にそれを投げる。一息付くと、無我夢中に走っていたからか、足の痛みを感じた。
 お互い土埃にまみれ、所々擦り傷もある。何が怪我かも分からないまま、しかし兎に角、束の間の休息を最大限使わなければ、次こそ死んでしまいそうだ。
 5分ほど経ち息が落ち着くと、思案顔だった八百万が声を上げる。

「私と合流する前、一人でいた時に、あれに優先的に追われたか?」
「……そう言われてみれば、他の人よりも優先されてたかもしれない」
「そうか、私もだ」

 八百万は水を口に含むのに、そこで一息いれた。彼女が言った内容は、考えていなかったが絹川にも覚えのあるものだ。例えば、自分と他人の二人で化け物に見付かったとき、奴らはほとんどの場合絹川を目標に鎌を振り上げた。それでも何とか逃げ続け、八百万と合流できて以降はーー絹川は口を引き結ぶ。二人でいるときは、二人同時に狙われた。つまり、自分たち二人は、奴らによって何かのために優先されている。それがなにかは、分からないが……

「……殺されている人たちと、捕まえられている人がいることに、関係すると思う?」

 何かは分からなくても、優先された結果どうなるかは、察す事ができる。逃げながらも、幾つもの亡骸や、まさに捕らわれようとしている人を目にした。

「私たちは、捕らわれる側だろうな。……それで」

 八百万は、言葉を切って絹川を見た。
 まっすぐな瞳が、じっと絹川を見つめる。彼女が何を伝えたいかは、絹川にも分かった。
 絹川も、最初は外に出るのは良くないと思って、隠れていた。だが奴らは何かを嗅ぎ付けて、何度隠れても、暫くしたら絹川を見つけ捕らえようとしてくる。だから外に飛び出して、追われながらも逃げ道を確保し続けた。
 突如現れた化け物から必死で逃げる中、彼女と再会できたことは奇跡だ。一緒にいれば、直接守ることが出来る。だから二人で逃げることにした。だが、二人とも狙われるなら。自分が狙われやすいなら、二人でいることは出来ない。それは、八百万のためにもなる。

「うん。二手に……別れよう」

 絹川は普通に声を出したつもりだったが、そうはなっていなかったのだろう。彼女は少しだけ頬を緩めて、ペットボトルのキャップを締めた。お互い、覚悟を決めなければならない。
 来た道とは逆の三つの選択肢を見つめながら、絹川は頭の中に地図を思い描き、これまで走ってきた道と化け物の事を思い出した。奴らが多かったのは右側、進んでも川に阻まれるのが正面、左側は、人が少ない地域に道が続いている。

「別れたら、命ちゃんは、左側に行ってほしい。俺は正面に行くから。命ちゃんは、川の方はあんまり行きなれて無いよね」

 努めて明るく、絹川は口を開いた。今日はずっと命の危険に晒されていたのに、今になって胸が苦しい。

「あの公園が、緊急時の避難場所になってた筈だ。落ち着いたら、そこで合流しよう」
「ああ……分かった」

 来た道の向こう側、潰された家々の隙間から、白い巨体が見え隠れする。休憩時間は終わりのようだ。暫くの休憩と水分のお陰で、二人の体力も随分と回復している。

「死ぬなよ!」

 八百万はそう言って絹川に背を向けた。彼女が道を曲がり、いずれ見えなくなるまで、絹川はじっとそれを見ていた。


 それから、どれくらいの時間がたったのか、絹川には分からない。何とか橋にたどり着き川を越えた辺りで、名も知らない、武器をもって戦う男に助けられ、ここにいれば安全だからと塀の影に隠されてから、夜が来て、そして明けた。
 斜めに刺す朝日に照らされた町並みは瓦礫に塗れ、そして昨日の喧騒が嘘だったかのように静かになっていた。
 これが、三門町か。改めて見回しても、自分のすんでいた町の面影はほとんど残っていない。道には未だ誰かの亡骸があり、崩壊した家と、倒されたのだろう化け物。辛うじて残る道の先には、生きた人間は誰一人見当たらない。
 どれだけ死んで、どれだけ生きたのか。携帯電話も持っていない絹川には、まだ何も分からない。夜にはまだ騒がしい気配が遠くにあったから、ひとまず落ち着いたのか、そもそも自分たちは何に襲われていたのか。
 警戒しながらも悶々と考えていれば、気が付けば、太陽が山間からすっかり顔を出していた。もう良いだろうか、と一晩ずっと抑え続けていた心の枷を外せば、途端に川向こうに戻りたくなる。川縁からは、化け物の姿は見ることが出来ず、その代わり、何人かの生きた人が立ち尽くしているのが見えるだけだ。迷う隙もなく、足が動く。
 橋は落とされていなかった。何人かの亡骸が河川敷に横たえられており、その横で涙を流す人が居て、もう襲われていない事を悟った。白い髪の女は居なかった。
 生きていて欲しい。
 絹川はとにかく歩き続けた。公園に居ないかもしれないと思うとどうしても恐ろしさが勝ってしまって、彼女と分かれた道やその周辺を通りつつ、あの思い出の場所に向かう。道には、生きた人も、生きていない人も居たが、彼女は居ない。捕らわれたのか、生き延びているのか、それともーー
 倒れたバス停の表示番を跨ぎ、絹川はついに公園にたどり着いた。数の少ない遊具はそのままに、隣にあったビルが崩れ、広い敷地の半分は瓦礫に埋もれていた。

 彼女はそこに居た。その、瓦礫の中に。

 もう、生きてはいまい。瓦礫に埋もれていたから、捕らえられなかったのだろうか。胸にぽっかりと穴を空けて、静かに彼女は絶命していた。近づくまでもない。誰が見たって首を振るような有り様で、横たわっている。

(……どうして)

 安全だと思う訳はない。逃げているうちにここに来てしまったのだろうか?でも、彼女が向かった方向は、公園とは別なのに。
 彼女は、どうしてここに居るのだろうか。その理由が、自分以外だと、誰が言えようか。

(僕の、せいだ)

 彼女を助け出すことも出来ないまま、絹川は膝を付いた。誰よりも自由だった彼女は、様々なものに縛られて、死んだ。