やさしくないひと

色とりどりの紫陽花が咲き誇る生垣の横を、担当アイドルの握野英雄さんと一緒に歩いていく
梅雨独特のしめった空気が紫陽花を艶やかみ見せているようでとても綺麗だ
そんな紫陽花を背景に歩く担当アイドルの輝きに、花に全く負けてないななんて内心でプロデューサー馬鹿を発揮しながら握野さんに声をかけた

「すいません、握野さん。買い出し手伝ってもらっちゃって……」
「いいって!まだレッスンまで時間もあったし。それにこの量はプロデューサー1人じゃ大変だろ?」
「ありがとうございます」

握野さんが両手にさげている大きなビニール袋がガサリと音を立てる
質量のあるその音に、確かに1人で来ていたら今頃は後悔していたかもしれない
改めて優しい担当アイドルに感謝してしまう

「それにしても、事務所の備品っていつも賢やプロデューサーがこうやって買い足してるのか?重たいし通販とか使った方がいいんじゃないか?」
「あー、いえいえ。いつもはおっしゃる通り通販で買い足してるんですけど……まあ、その」

ハッキリ伝えてしまうのも何だかなと語尾を濁して苦笑すれば
事務所でよくある例の光景を見慣れている握野さんは、こうして買出しに出る原因に心当たったのかひとつ頷いた

「賢か」
「あー、あはは」

うちのドジっ子事務員くんが通販の注文をし忘れてしまったらしいのだ
急ぎの品以外は備品の在庫が薄くなっている程度だったので次回にしても構わなかったのだけど、いざ商店街にきてみれば通販サイトよりも安いものや気になっていたものなどあれこれ手に取ってしまい気がつくと相当な量の品物をレジに通してしまっていた
これを1人でもって帰ることになっていたのかと思うとゾッとする
本当に握野さんが来てくれてよかった

「ま、こうしてプロデューサーとゆっくり買い物なんてめったに出来ないし。俺としては賢に感謝だな!」
「握野さん……」

感謝するのはこちらだというのに、優しい握野さんの言葉に感動しながら隣を歩く握野さんの爽やかな笑顔を見上げる
リラックスしている時の握野さんは本当に自然な笑顔を浮かべていて、とても魅力的な表情だ
これがいつも自然にできたら、握野さんを怖い人だなんて誤解されるこもなんてないのに
どうしたらそうできるだろうか考えながら、彼に言葉を返す

「ありがとうございます、握野さんは本当に優しいですよね」
「……あー、違うぞプロデューサー」
「もう、そんな謙遜なんて」
「謙遜とかじゃなくてだな」

隣を歩いていた握野さんの足が止まり、踏み留めずに1歩先に進んでしまった私も立ち止まって握野さんを振り返った
不思議に思い名前を呼びかける
どうしてか、いつものとても優しい目は変わらないのに、何だかいつもより空気がぐっと濃くなるようで思わず息を呑んだ
私のそんな様子に気がついたのか、握野さんが少し困ったように笑ってくれる

「親切にするのは、やさしさだけじゃないって知っといてくれ」
「え?」
「……だから、あれだよ」

握野さんが言い難そうに口をもごつかせていると、ふとポタリと肌に落ちる水滴の感触に気がついた
彼も同じだったようで言葉を飲み込んで、2人で空を見上げて空模様を確認する

「……気が付かなかった。今にも本格的に降り出しそうだ」
「本当ですね。ちょっと急いで帰りましょうか」

2人で慌ててその場から動き出したけれど、事務所に滑り込む前に、雨はいよいよ本降りになってきてしまう
雨に降られながらも事務所を目指して急いだけれど、荷物もあり走って帰ることもままならない
そんな私を気遣った握野さんが、シャッターの降りた店の軒先を見つけてくれたので少しだけ場所をかりて雨宿りをする事にした

古びたビニール製の軒先テントを雨粒がうつ音が強く響く
少し荒くなった息を整えながら、避難出来るまでに相当濡れてしまったのではと隣に立つ担当アイドルを確認すれば
しとどに濡れた前髪を片手で雑に書き上げて空模様を確認する横顔があった
骨張った手がしっとりと濡れた髪をすいて、普段は隠された前髪の奥を露わにする
肌にはりついた水滴が、握野さんの頬をつたい顎にたまる
光を弾くその水滴が彼の喉仏をゆっくと通過していく様子は本当に絵になっていて
彼の横顔から目が離せずに、息を飲んで眺めていた

「……プロデューサー?」
「あ!す、すいません!こんなにびしょ濡れになるなんて……握野さんが風邪をひいたりしたらどうしよう」

握野さんの呼びかけに我に返った
思わず見惚れてしまうなんて流石担当アイドルだなんて考えながら、いつもよりも脈打つ鼓動が気恥しい
それでも彼は私の担当アイドルなのだから、と意識を切り替えて
風邪をひかせたりする訳にはいかないと、ハンカチでもないかとポケットを叩いてみても出てきたのは飴玉くらいなものだった
情けないプロデューサーであまりに申し訳ない

「……すいません、バックを置いてきてしまったからハンカチもなくて」
「いいって、それにびしょ濡れなのはプロデューサーも一緒だろ?結構濡れたからな……寒くないか?」
「そうですね、」

言われて、肌に張り付いたワイシャツの感触にようやく気がついた
前髪からポタリと水滴が落ちてきて思わず目をつぶってしまいながらも、大丈夫ですと答えようとした口先が、堪えきれずにこみ上げる衝動に破裂する

「っはくしゅ!」
「……」
「……はい、大丈夫です」
「うん、大丈夫じゃなさそうだな」

思わず出てしまったくしゃみに、なんでもない風を装うも握野さんには一蹴されてしまった
元警察官の握野さんと比べるのも烏滸がましいけれど、貧弱な自分に少し凹んでくる

「……プロデューサー」
「はい?」

ふと握野さんの声がいつもより近くで聞こえてきて、1歩あけて立っていたはずの彼に振り向けば
彼と私の間にあったはずの1歩がそこにはなく、隙間なく握野さんと私の腕がピタリと触れ合っていた
濡れたシャツのままでもわかる握野さんの体温に、感じたことの無いような距離感に落ち着いたはずの鼓動がまた走り出す

「あ、あの握野さん?」
「こうすれば少しくらいは温かいだろ?」
「そう、ですね」

こちらを振り返らず視線は空に向けたままそう告げる握野さんに、何だ他意はなさそうだなんて考えてから
他意ってなんだ!!と自分の思考に恥ずかしくなってしまい慌てて握野さんから顔を背けてる
何だかさっきから私の思考が少しおかしいなと焦りから早くなっているはずの鼓動を感じながら冷静につとめようとする
これはきっと焦っているからであって、そういう、そういう意味のものじゃない

「プロデューサー」

隣の握野さんから再び呼びかけられた
その声が、何だかいつもより少しだけ優しくて、早い鼓動が今度は胸を締め付ける
動揺を表に出さないよう、出ないよう
努めていつもと同じように呼びかけに答える

「はい」
「さっき、言いかけてたことなんだけどさ」
「はい」

さっき、という言葉に雨で中断されていた会話のことだとあたりをつけてひとつ頷いてそのまま彼の言葉を待つ
そんな私に握野さんは苦笑して、触れ合ったままの腕に少しだけ体重をかけ
更にぐっと顔を寄せてきた
未だかつて無い距離に驚いて固まっている私の耳朶に、握野さんの小さな声が落ちてきた

「優しくするのは下心があるからだ」
「え」

ぽかんとしている私をおいて、握野さんは今詰めた距離を元に戻しいつもの爽やかな顔でニコリと笑う

「雨がやむまで、ちゃんと考えてくれよ?俺のこと」

触れ合ったままの腕がとてもあついはずなのに、それ以上に頬が熱をもってしまってどうしようもない
大体にして、彼のことを考えないことなんてここ最近ないのにこれ以上私の思考を奪っていくなんて

彼は本当は優しくなんてないのかもしれない