いつも彼と会うときに使っている馴染みの喫茶店の、あまり人目につかない奥の席の窓側
それが私の指定席だった
注文するのは決まって私はアイスコーヒー、彼はアイスティー
時々ひとくち交換しては、やっぱり自分の注文したもののほうが美味しいなんて笑いあったりしていたのに
私の注文したアイスコーヒーは目の前に座った彼との沈黙の時間を表すようにじっとりと汗をかいている
大きかった氷も随分小さくなってしまった
じっと黙ったまま、机を見つめている彼との無言の時間がつらくなってきて手持ちぶたさにアイスコーヒーをストローで掻き混ぜる
氷がカラカラと音をたてるのを合図にしたように、みのりが机から私へ視線をあげた
「…つまり、なまえは俺と会えないのが嫌だから別れたいって事?」
「………うん」
ようやく決意して告げた別れ話を、いつもの穏やかな顔とは違う真剣な顔で確認される
それに小さく同意しながら、目を合わせていられなくてみのりから視線をそらしてしまう
アイドルに憧れていたみのりを知っていて、アイドルになると聞いて応援すると約束して
だけど彼がアイドルとして活躍の場を広げるたびに私との距離も開いていくようで、一人置いていかれるようで寂しくなって
傍にいて、彼をずっと応援するという約束を破ろうとしている
「俺を嫌いになったり、呆れたりしたわけじゃない?」
「違うよ!そんなんじゃない!……ただ、こんなに会えないのに、付き合ってるって言えるのかなって、思って…」
弱気なみのりの言葉に思わず顔を上げて強く否定するけれど、不安な気持ちから声は尻すぼみに小さくなってしまう
ただのワガママで、寂しい気持ちからきた自分勝手な別れ方をしようとしている自覚はあった
みのりがきちんと私を好きでいてくれて、寂しい思いをさせていることに申し訳なさを感じているのも知っているのに
それでも、みのりを好きな分だけ、もう会えない時間が長すぎることに疲れてしまっていた
「……ごめん」
「………うん、わかった」
自分から言い出したはずなのに、みのりの「わかった」という言葉に胸が締め付けられるように苦しくなった
自分から別れを切り出しておいて、少しくらい引き止めて欲しかったなんて自分の浅ましさに強く手を握り締めて俯いていると
私の手にみのりの骨ばった綺麗な手がそっと重ねられる
その手の意味が解らずに、彼の顔を見上げるとみのりはいつものように優しく微笑んで、さっきまでの悲壮感を吹き飛ばす明るい声で言い放った
「じゃ、こうしようか」
渡辺みのりと同棲はじめました
「なまえ、手持ちの荷物これだけ?」
「うん、あとは運ばれてくるからー」
先に運び込んだ荷物を整理している私へ、玄関先に大きなボストンバックを置いたみのりが声をかけてくるのに返事をする
ある程度荷物整理を終えたクローゼットの扉を閉めて、満足げに息を吐く
シンプルなデニムのエプロンをつけている私は、私の部屋に纏めておいた荷物を運んできてくれた彼を迎えるために
一緒に買ったおそろいのスリッパをパタパタと鳴らしながら玄関へ移動する
「ありがと。おつかれさま」
「うん。ねえなまえ」
結構な重さのボストンバックを受け取って中身なんだったかしらなんて考えている私のエプロンを、みのりが小さく2度ひっぱる
玄関に立ったまま、まだ靴もぬがずに。みのりは少しだけ照れた様子であざとく首を傾げた
「……おかえりって言ってくれないかな?」
「…あ、うん……えっと…おかえりなさい、みのりくん…」
みのりのおねだりに、いざ口に出してそれを伝えてみれば思いのほか照れくさくて上手く言葉に出来なかった
それなのに私の言葉にみのりくんはとても嬉しそうに笑ってくれるものだから、何だかこっちまで嬉しくなって笑ってしまう
「よっし、俺も荷物整理手伝うよ!何したらいい?」
「うーん、今持ってきてもらったもの追加で整理するのと…あとは大きいのがこれからくるから」
はりきったみのりが私の手からボストンバックをすくいとって、バックを手に玄関からリビングルームへ歩いていく
彼の後ろからついて行きながら、これから運び込まれてくる荷物をどう整理して詰め込んでいこうか考える
今みのりが暮らしている部屋に新たに私が一緒に住む形で同棲することになったのであまりスペースに余裕はない訳だし
どうしようかなと唸っている私を、みのりがにこにこと上機嫌に見つめてくる
「なあに?」
「うん……ふふ、これから家に帰ったらなまえがいるんだと思うと嬉しくて」
本当に嬉しそうに微笑みながらそんな事をいうものだから、何だか私までむずむずとこみ上げてくる嬉しさに我慢出来なくなってしまう
目の前に立っていたみのりくんに、我慢できずに思い切り抱きついてこみ上げる気持ちをスキンシップで伝える
そんな私の行動にみのりも明るく笑ってぎゅっと抱きしめ返してくれた
洗濯洗剤の香りと嗅ぎなれた彼の匂いに、慣れているはずなのに何だか新鮮で。これから私も同じ匂いを身にまとうことになるんだ何て考えて余計にドキドキしてしまう
本当にあの時、私の短慮で彼と別れる選択をしなくて良かった
アイドルの彼との同棲は、これから大変な事も沢山あるだろうし、やっぱり会えない時間も多くて寂しくなったりもするだろうけど
こうして一緒にいることをみのりくんが選択してくれたのが嬉しいから、きちんと彼と向き合っていけるように頑張ろう
みのりに抱きしめられて彼の腕に包まれたまま、彼が私を見下ろして嬉しそうに笑う
「これからよろしくね、なまえ」
「こちらこそよろしく、みのりくん」
それなりの広さの部屋で、ぴったりと密着したままこれからの生活を思いながら笑い合った
2人でいられるならきっと大丈夫だと思える
宅配のお兄さんがインターホンを鳴らすまで、もうしばらくは2人で密着したままでいようかな
大好きな彼との同棲一日目なのだから、それくらいのことは許されるはずだろう
2秒後にインターホンが鳴り響いて、しぶしぶイチャイチャタイムは終わらせた。生活していくって大変らしい