まだ馴染まない路線の満員電車に揺られて、一日労働にいそしんだ疲れた体を引きずるように彼と一緒に暮らし始めた家に帰る
履きなれたヒールでアスファルトを蹴り、彼は仕事で留守にしているだろうけれど、みのりと同じ家に帰れるというそれだけで胸が浮足立って心なしか疲れきった足も軽い
鼻歌交じりにマンションのエントランスを抜けて、彼とお揃いで買ったキーホルダーをぶら下げた家の鍵を鞄から取り出す
花の形の小さな鈴がチリリと音をたてて自己主張する様子は、その音が鳴るたびに彼と生活しているんだと認識できて、とにかく嬉しい
みのりと同棲をはじめてからあまり日がたっていない事もあり、どうにも浮かれた気持ちがおさまらないのは自覚済みで
落ち着かなければという気持ちと、これ本当にいつか落ち着くのかしら?というノロケじみた自問とでやっぱり気持ちはふわふわと浮つきっぱなしでいる
差し込んだ鍵を音がするまで回し、上機嫌のままに無人の部屋へ挨拶を投げかけた
「ただいまあ」
「おかえりなさい、お疲れ様」
「あれ!?帰ってたんだ!」
いるはずがないと思っていた部屋の主が、リビングルームからひょっこりと顔をのぞかせた
彼の顔を見ただけで、ずっしりとのしかかるような疲れが吹き飛んだような気がする
押し込んでいたパンプスから足を引き抜き、笑顔で待っているみのりの元へ小走りで寄っていく
「今日は仕事は?もうないの?」
「うん、今日は本当ならこれからラジオの収録だったんだけどね。スタッフさんの予定がうまくいかなかったらしくて別日になったから」
「そうなんだ!じゃあ一緒にご飯食べられるね」
一緒に暮らしはじめたとは言え、みのりは職業柄拘束時間も長く、毎日顔を合わせて食事をとることは出来ていない
特に夕飯時ともなると、アイドルのゴールデンタイムといえる時間帯
当然のようにみのりは留守がちで、私は仕事のあと一人さみしく二人分の夕飯を作り、片方をラップで包み冷蔵庫へ
彼が何時に帰るかもわからず、自分の明日の仕事のことも考えるとみのりが帰るまで夕飯を待っている訳にもいかずに一人で食事をとることが多い
そんな日々に光明が差した!
嬉しくてうれしくて、出迎えてくれたみのりの腰に腕を回してぎゅっと抱き着いてしまう
「もちろん、一緒に食べよう。俺もなまえと夕飯食べられるの嬉しいよ」
「みのりくん」
言葉通りうれしそうに微笑んだみのりが、優しく私の頭を撫でてくれる
そんな彼と彼の仕草にキュンと胸を高鳴らせながら、これは私の美味しい手料理を振舞って、彼のハートをさらにしっかりとゲットしなければと内なる獣が囁く
内なる獣の気配を悟らせないように、表面上は可愛く微笑みながら彼に問いかけた
「じゃあみのりくんの好きなもの作るよ。何が食べたい?」
彼の腰にぎゅっと抱き着いてぴったりと密着したままに、上目使いで首を傾げる
さらにこの健気&女子力満載の台詞で追い打ちだ!!と内なる獣が騒ぎ立てているけれど
そんな私の思惑など気づいていない彼は、にこにこと微笑みながら仕事の邪魔にならないように纏めていた私の髪をほどいて緩く指ですいていく
「ありがとう。でも、ごめん。今日はもう俺が用意しちゃったんだ」
「え?作ってくれたの?」
ゆるゆると髪をすく彼の指が心地よく、うっとりと身を任せている間に、私の作戦を根底から覆す報告を受けた
彼の腰に腕を回したまま、みのりの背中を覗き込むようにしてキッチンの様子を見ると
確かに、仕舞ってあったはずの小鍋がコンロに乗っていたり、今しがた洗い終わった様子のまな板が水切り用の籠へ立てかけられている
そして、換気扇が回っているとはいえ室内にほんのりと香る美味しそうな匂い
家に帰って、大好きな人がいて、ご飯も作ってくれてあるって
最高かな?
「嬉しい!みのりくんも疲れてるのに、ありがとう」
「俺こそ、いつも夕飯作っておいてくれてありがとう。偶にはこうやってお返しさせて欲しいな」
感激してもう一度抱き着いた私を、余裕の笑みで抱き留める彼
今日もお疲れ様、なんて微笑んで労われてしまえば、もう彼なしで生きていける気がしない程にときめいてしまう
「良い時間だし、食事にしようか。俺が用意しておくから葉月は手洗いして着替えておいで」
「でも、盛り付けくらい手伝うよ」
「大丈夫。今日は俺にもてなさせて」
控えめにした主張も、頭を撫でられ優しく言い含められてしまう
さあ行っておいでと背中を押されてしまえば、私に逆らえるはずもなく
やだー私の恋人最高の王子様!彼が!世界で一番最高!!なんて盛り上がりながら手洗いと部屋着への着替えを済ませてリビングに顔を出せば、二人で選んだ小さなダイニングテーブルに美味しそうな夕飯が並べられていた
私の趣味で選んだ透かし模様の入ったランチョンマットの上に、ラタトゥイユのサラダとメインのお肉料理とライス、湯気が立ち上るコンソメスープはまるでどこぞのカフェのように鎮座ましましている
「うわー、美味しそう!」
「なまえお腹すいてる?食べられそう?」
「お腹ぺこぺこだから大丈夫」
「なら良かった。それじゃ、食べようか」
お揃いのフォークを手に、二人で声をそろえて「いただきます」をしてから彼の手作り料理に舌鼓を打つ
サラダもメインもスープも、どれもとにかく美味しくて食べるたびに嬉しい美味しいとはしゃぐ私をみのりは正面で同じものを食べながらにこにこと見ている
あまりの美味しさと出来の良さに、彼に料理の腕で負けている事実に凹むやら素敵な彼で嬉しいやらと私が内心忙しくしているというのに
美味しい食事を用意して貰った私が喜ぶならまだしも、彼もあまりに嬉しそうに見ているものだから、思わず首を傾げてしまう
「何か特別いいことでもあった?」
「え?どうして?」
「だって、すごーく嬉しそうにしてるから」
彼が喜んでいると私もうれしくて、思わずつられて微笑みながらそう聞いてみると
いつもの何倍増しで笑っていた事に気が付いていなかったようで、ゆるんでいる口元を手で覆い隠しながらも、気が付かなかったと楽しげに照れ笑いする様子が可愛い
何か新しいお仕事でも貰えたのかなと、あたりを付けながら何があったの?と再び聞いてみるものの
彼の返事はそっけないもので、曰く何もないとの事
「何もないの?」
「特別なことはね、何もないよ?」
「そうなんだ……」
「ただ、俺の作ったご飯でなまえが喜んでて、一緒に食べられるのが嬉しいからかな」
そうして、美味しい?なんて聞かれてしまえば勿論おいしいと頷くしか出来ない
「あはは、なまえ。真っ赤になってる」
まだ食事中だというのに頬杖をついて、こちらを鑑賞体勢に入っている彼を無視して
私は自分と同じ顔色をしたトマトを口に放り込む
彼という人は、優しくて、私よりも料理が上手で、私のやろうとした作戦はことごとく作戦かぶりでやられてしまうし、もしかして私より女子力が上かもしれないけど
意地悪で、もしかしたら私より寂しがりな、仕方のない人だ
「っもう、次は勝つ!」
「ふふ、楽しみにしてるよ」
示される愛情の大きさに、思わず照れてしまうけれど、愛情の大きさならこちらが負けるはずはないのだから
次こそは作戦を実行に移して彼を、今よりももっと笑顔にさせてみせる
まずは、料理修行からかなと、ラタトゥイユのおかわりを強請りながら作戦を立て始めた