trick or treat
今日は10月31日。
起源は古代ケルト人の秋の収穫感謝祭にあると言われ、同時に悪霊を追い出す祭りとして広く伝わるハロウィン。
最近の風潮では世代に問わず賑やかなイベントとして扱われ、パーティーを開く家も多くなっている。
とは言え、する事は一緒だ。
「キャス、trick or treat?」
ハロウィン定番の台詞を武器に、ディーンは上機嫌でおねだりを開始する。
ターゲットは、まだまだ人間界の常識に疎い天使。差し出した掌を凝視する顔は、ハロウィンというイベントすら認識していないようだ。
知っていたとしても、食事を必要としない天使がお菓子を持っている訳がない。
つまり、悪戯確定だ。
勝利を確信した瞬間の優越感は、何回体験しても気分がいい。どんな悪戯をしようかとわくわくするディーンの前で、カスティエルはコートのポケットを探り始めた。
「これでいいだろうか?」
「え?」
長い指が摘まみ出したのは、赤い包装紙に包まれたキャンディー。それはディーンも見覚えがあり、何度も食べた事がある。何処の店でも売られている、ポピュラーなお菓子だ。
どういう経緯で、カスティエルはコレを手に入れたのだろう。買い物をしている姿は見た事がない。そもそも、金は持っていたのか。まさかとは思うが、非道徳的な方法で手に入れたのでは……。
「やはり、それでは駄目か?」
反応に困ったディーンが黙り込んでいると、顰めっ面のカスティエルが小さく呟いた。声の低さも表情も普段通りだが、明らかに不安を抱えている。
入手経路には一抹の懸念があるが、カスティエルから漂う哀愁には勝てそうもない。風船ガムのように膨らむ疑問を、頭の隅へと無理矢理に蹴り込んだ。
「いや、上出来だ。サンキュな、キャス」
緩く首を振ったディーンは、カスティエルの手を握って軽く微笑む。たったそれだけの事で目を泳がせる天使の初々しさに、肩透かしを喰らったモヤモヤが消える。
悪戯は、サムで我慢しよう。
「ならば良かった。食べてくれ」
「ん? そうだな、折角だし食うか」
貰ったキャンディーを口の中に放ったディーンは、リモコンを片手にベッドへと腰を落ち着けた。時間が過ぎれば、キャンディーは跡形もなく消える。もし天使らしからぬ方法で手に入れたキャンディーだとしても、これで証拠隠滅も完璧だ。
「……ディーン」
「どうした、キャス。ってか、目の前に立たれるとテレビが見えーー」
言葉を遮るように人指し指だけで顎を持ち上げられたディーンは、カスティエルの薄い唇の動きを目の当たりにしてしまう。
「trick or treat?」
光の射さない海の底までも届きそうな、天使の低い魔性の声。首を傾げる動作も抑揚の欠片も感じさせない言葉も、ディーンがよく知るカスティエルだ。違うのは、表情だけ。
「……へ?」
酔っている時でさえ持ち上がらない口元は緩やかな弧を描き、狩人の鋭利さを備えた蒼い眸が見据えている。天使がはっきりと感情を露にするのは、ディーンにとって善からぬ事を考えているサインだ。
「ちょ、待っ。ビールじゃ駄目か? 駄目だよな。スナック菓子、は全部食っちまったし。いや、ちょっと待て!」
もしかしたら1枚ぐらい残っているかもしれないと、放置していたポテトチップスの袋を覗き込む。残っていたのは、端の方に集まった残骸だけだった。これをお菓子だと渡されたら、怒りはすれど納得する者はいないだろう。
「サ、サムに買って来て貰う! だから、ちょっと猶予をくれ。頼む、な?」
慌ててベッドの上を後退するディーンだったが、逃げた場所が悪かった。ベッドは狭く、逃げられる範囲はとても短い。直ぐにベッドボードに退路を塞がれ、乗り上げて来たカスティエルに距離を埋められる。
「その必要はない。君は既に菓子を持っているのだから」
「持ってるって、何を……あ」
空気を読んだキャンディーが口の中で転がり、歯に当たって軽い音を立てた。まさかと思い目で訴えると、カスティエルは一つ大きく頷く。
嫌な予感というのは、何故こんなにも高確率で当たってしまうのか。頬を引き吊らせたディーンは、カスティエルの両肩を押しながら事実のみを口にする。
「いやいや、流石にコレはもう食えないだろ。俺の唾液まみれだぞ。水で洗って渡せっていうのか?」
「いや、口移しで貰う」
「く、口移し!? 何言ってんだお前!」
毎度の事とはいえ、天使の返答は想像の斜め上を駆け抜けて行く。渾身の力で突っ張っていた腕から力が抜け、ディーンの顔が更に強張ったのは言うまでもない。
「うおっ!? ちょ、キャス!」
「この提案を拒否するなら、残るのは悪戯だけだ。私はそれでも構わないが」
力の抜けた一瞬を利用され、胡座を掻いたカスティエルの上に抱き上げられてしまった。腰には天使の両腕が回り、眼前に迫った顔に心拍数が上がる。
持ち掛けられた提案の影響で、カスティエルとの距離を意識してしまうのは仕方のない事だ。自分が純情とは程遠い存在なのは知っているが、高まる鼓動を鎮める術がない。
「……因みにだが、その悪戯って?」
「そうだな、ハロウィンは仮装するのが定番なのだろう? 君に似合う衣装を選んでくるから、その姿で私と一晩過ごしてもらいたい」
「難易度上がり過ぎだろっ!?」
「だが、今日だけは許される筈だ。そうだろう、ディーン?」
「こっ、この野郎っ!! どっちにしろ得するのはお前だけじゃねぇか……っ」
回り道はあるが、逃げ道はない。
ディーンの脳内ではポップコーンが弾けるように、文句がポンポンと跳び跳ねていた。馬鹿馬鹿しいと、一蹴すればカスティエルは諦めてくれるだろう。
ハロウィンだから何でも許されるという解釈は誤認だ。今後の為に、しっかりと言い聞かせ納得させておく必要がある。
「キャス、お前に言っておく事がある」
「何だ、ディーン?」
静かに長く息を吐き出したディーンは、天使の頬を両手で包んだ。女の子とは違って、張りもなければ艶もない肌。伸びた髭がチクチクと刺さり、その痛みにどうしようもなく胸が切なくなる。
「……こんな馬鹿な事するのは、今日だけだからな」
何処か言い訳のような台詞は、カスティエルに向けたのか。それとも、素直になれない自分自身にか。
ディーンはゆっくりと天使の唇を覆い、乾燥さえ愛しむように深く口付けた。
END
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