Unexpected events[2014C/D]
空から舞い散る白い花びらが、幻想的ながらも猛威を奮う極寒の日。雪の絨毯には真新しい足形のスタンプが幾つも押されており、その痕跡を追いかけると、黒いダウンジャケットを着た男がキャビンへと辿り着いた所だった。
羽毛のような雪を乱暴に叩き落とし、真っ赤に染まった指でドアノブを捻る。無人のキャビンは酷く冷えており、男は電気のスイッチよりも先にストーブに火を点けた。役目を与えられたストーブが、炎を妖艶に踊らせる。
ゆらゆら、ゆらゆらと。
身をくねらせて踊る炎を見つめるのは、人として大切な生気が欠けた虚無な目。それはこのキャビンの持ち主の特徴ではあるが、放たれる色彩は全く別の物だった。確かに室内は暗いが、目視が困難な程ではない。
癖のある短い黒髪に、鮮やかなアイスブルーの瞳。強烈に恐ろしい色だった。美しいと思える色なのに、死臭のように隠せない狂気を匂わせている。病人のような重い隈と無精髭が確認出来た所で、男の正体は明らかになった。
ストーブの前で暖を取っていた男の名は、カスティエル。セックス教という不健全な宗教の教祖であり、数多の女性を信者にしている。
「あーー……寒い。手足が悴んで動かない」
顔の筋肉機能が麻痺したのか、教祖の表情は常に人を嘲笑う形で保たれていた。ゆったりとした言葉運びは不思議な力を持っており、液体のようにどろりと耳の奥に溶けていく。
指先の感覚が戻ったのか、カスティエルは電気のスイッチを点けて部屋を物色し始める。家主が居れば、問答無用で銃を向けられる行動だ。
「全く、いつ来てもつまらない部屋だな」
必要最低限の家具しかない部屋は、物色のしようがないのだろう。何の成果も得られなかったことに、カスティエルは肩を竦めた。
酒の匂いもしなければ、女を連れ込んで楽しんだ形跡もない。良い意味で例えるなら無駄がなく、悪く言えば生活感のない部屋。
自堕落な生活を送るカスティエルにすれば、いつ来ても面白味の欠ける場所でしかない。暇潰しを探す蒼い瞳が、テーブルの上に放置されていた書類を発見する。見慣れた字に引き寄せら、羅列された文字を適当に読む。
「これは……補給物資リストか。今回もあんまり大した物はなかったみたいだな。ん?」
やる気のない目で流し読みしていたカスティエルだったが、ある部分で細かに動いていた瞳がピタリと止まった。アルコールと薬物中毒の男が興味を引く単語など、自ずと知れている。
「へぇ……ウィスキーが手に入ったのか。それは魅力的だ。後でチャックを言いくるめて頂戴しよう」
酒は教祖にとって大切な原動力だ。
目を通し終わったことでリストから完全に興味を無くし、カスティエルはベッドに身体を沈める。ダウンジャケットが丁度いいクッションとなり、粗末なベッドを誤魔化してくれた。
ジャケットの左ポケットには、悪天候にも関わらず出掛けた『理由』が入っている。
ぼんやりと天井を見るカスティエルの瞳は、未だに熱を灯していない。この目は、アイスブルーのガラスを貼り付けただけの物だ。
「……やばい、眠くなってきた」
意識が浮き沈みを繰り返し、安定しない。
早く会いたいと、強く思った。蔑んだ表情でいい。何も言わなくてもいい。
ただ、自分という存在を認識して欲しい。
口に出せば笑われる願いを灯りに、カスティエルは意識を深層の闇へと進ませた。
* * *
どれぐらい眠っていたのか。
カスティエルが目を覚ますと、見慣れてはいるが自分の部屋ではない天井が目に入った。
首を僅かに動かせば、真剣な表情で銃の手入れをする男性の姿が映る。キャビンの主でありキャンプ地のリーダーでもある、ディーン・ウィンチェスターが帰還していた。
(あれ、珍しいこともあるな。リーダーが僕を叩き起こさずに放置するなんて)
どんな意図があるのかは知らないが、この状況はカスティエルにとって滅多にないチャンスである。ディーンの顔を堪能するのに、邪魔が入らないからだ。
ダークブロンドの短髪に、形の良い額。
横顔でも主張の激しい長い睫毛。
嘗ては愛嬌たっぷりだった翡翠の瞳も、今ではカスティエル以上に生気を宿さなくなった。
すらりとした鼻筋を辿れば、触り心地の良さそうな、ぽってりとした唇が待っている。
(触りたいなぁ……キスしたい)
稀有な美貌の持ち主。
それがディーンの特徴だった。
廃退の道を直走る世界であっても、彼の美しさを剥奪することは叶わない。
「お前ぐらいだぞ。ミーティングにも出ずに、こんな所で惰眠を貪っている馬鹿は」
起床に気付いていたディーンが、凍てついた一瞥を挨拶として寄越してきた。ベッドの温もりに後ろ髪を引かれながらも起き上がり、椅子を動かしてディーンの隣に陣取る。辛辣な台詞に物怖じすることなく、カスティエルは陽気にウインクを投げた。
「起き抜けに素敵な暴言をありがとう。お陰でしっかり目が覚めたよ。まぁ、随分と酷い言われようなのが気になるけど」
目覚めて最初に聞くのがディーンの声なら、罵詈であっても構わない。頭の大事なネジが外れた男には、寧ろご褒美だった。銃の手入れで身動きが制限されているのを利用し、肉の落ちたディーンの頬に手を滑らせる。
直ぐに「止めろ」と視線で威喝されたが、その程度で怯む軟弱さは持っていない。カスティエルが装備しているのは、乾燥した頬を笑顔で撫で続ける図々しさだった。
「間違ったことは言っていない。文句を言われるのが嫌なら、明日のミーティングには必ず参加しろ。いいな?」
「僕が参加した所で何か変わるのかい? 自分で言うのも何だけど、僕は皆に嫌われてる。顰蹙を買うのは目に見えてるだろ」
ディーンが銃を組み立てるのを見届け、叩き落とされる前に手を引っ込める。触れていた指先を内側に折り込み、淡雪よりも脆い感触を保護した。もう既に触れていた感覚はない。
それでも、充分だった。
指先にあった感触を思い起こすだけで、死者のように濁った瞳に正気が戻る。
「お前が周りの目を気にする繊細な奴なら、俺は何度も同じことを言わずに済んでる筈だ。いいから、黙って参加しろ」
「はいはい、了解しました。リーダーのご所望とあれば従うしかないな。OK、約束する。次の会議には、君より先に来て待ってるよ」
「お前の言葉には信用性が感じられないな。それで、何の用だ? ミーティングをサボってまでして待ってたんだ。余程重要な用件なんだろうな?」
珍しく会話を継続させたディーンからパスされたのは、サボテンのように無数のトゲに覆われた言葉だった。防具もなしにキャッチしてしまえば、トゲで傷だらけになってしまう。
無傷で済むことが可能なのは、カスティエルのように図太い神経の持ち主だけだ。ディーンが追い返そうとしないのに気を良くし、頼まれてもいない笑顔を撒き散らしている。
「勿論。僕にとっては、ミーティングよりも重要な用件だよ。コレを君に渡そうと思ってね」
カスティエルが自慢気に取り出したのは、今では目にする機会の減った食品。嘗てディーンが好んで食べていた物で、チョコバーと呼ばれる菓子だった。腹持ちや栄養面に関しては期待出来ないが、缶詰一つで乱闘が起きる今の世界では、とても貴重な食料である。
「あげる。確か、好きだったよね?」
翡翠の瞳を釘付けにしていた物を手に握らせると、ディーンは思い出したように不機嫌そうな顔を作った。チョコバーの登場は、流石の彼も予想外だったのだろう。
「…………何故お前がこんな物を持ってる? 補給物資リストには載ってなかったぞ。また報告を怠ったのか?」
「これ一つしかなかったから、敢えて報告しなかったのさ。どう考えても、キャンプ地全員で別け合うのは無理だ。なら、第一発見者の僕が貰っても構わないだろ?」
冷徹の仮面を剥がされたのが悔しいのか、カスティエルを睨む瞳は鋭利に光っている。泡沫よろしく霧散してしまったが、ディーンの驚いた顔は網膜にしっかりと記憶した。
刹那の変化でしかなかったが、軽く見開かれた瞳が柔らかな色に滲んだこと。小さくて軽い菓子は、ディーンに郷愁を思い出させる優しい風を運んでくれたのだ。
その顔を引き出せただけで、薬やセックスなど比ではない満足感が迸る。
「まぁ、無理に食べなくてもいいーー」
カスティエルの見ている前で大きな口を開けたディーンは、菓子諸共に用意していた台詞に噛み付いた。普段の警戒心は、一体どこに忘れてきたのか。食感を楽しむ咀嚼音と共に、予定していた言葉も細かく砕かれる。
モグモグと小刻みに動く口の愛らしさは、ウサギやリスの食事シーンを彷彿とさせた。癒しオーラ全開の微笑ましい光景は、腐った世界で初めてカスティエルに舞い込んだ僥幸である。
「…………美味しい?」
長閑で程好い微糖な空気に絆され、ディーンに声をかけたのは、チョコバーの身長が随分と縮んでからだった。翳りが消えた瞳はとても可憐で、真っ直ぐ見つめられるだけで胸の奥が落ち着かなくなる。
「味が気になるなら、確かめたらどうだ?」
「……え?」
自らの唇を官能的に舐めたディーンは、半分ほどになったチョコバーをカスティエルの口元に向けた。食べろということなのだろうが、実行に移せば間接キスになる。
ご褒美とも言うべき美味しい展開が控えているが、それはカスティエルにとってだ。それを承知の上で発言したのか、ディーンの真意を探るのは難しい。
「食わないのか?」
「ん? ん〜……じゃあ、一口だけ?」
首を傾げて様子を窺うディーンは、心底不思議そうにカスティエルを眺めていた。気紛れな気質を持っているのは知っていたが、今日の彼は特に扱いに悩む。
「ほら、さっさと口開けろ」
催促されるままに菓子に噛み付いたカスティエルの表情を、一瞬にして険しさを孕んだ物へと変化した。ダイレクトに伝わったのは、初体験の強烈な甘さ。舌が激しく困惑している。
正直な感想を述べるなら、甘さが強すぎて味の良し悪しが判断出来ない。折角の間接キスを楽しむ余裕もなかった。
「……お前、思ったより顔に出るんだな」
「僕もそう思う。凄く甘いんだね、コレ」
「意外だな、甘い物は苦手か?」
「どうだろう? まぁ、自分から進んで食べようとは思わないかな。残りはリーダーにお任せするよ」
「当たり前だ。俺が貰ったんだからな」
口に小さな笑みらしき物を浮かべたディーンは、カスティエルの口端を親指で拭った。引いた指は茶色に汚れており、チョコが付いていたのだと知る。何か拭く物を探そうと思ったが、それより先にディーンが躊躇いなく赤い舌で舐め取ってしまった。
甘い物は疲れや脳に良いだけでなく、人を優しくする力を備えているのかもしれない。
「一口とはいえお前も食った以上、俺達は共犯だ。今日のことは、絶対に公言するな。俺とお前だけの秘密だ」
「二人だけの秘密だなんて、リーダーも可愛い言い方するんだね。そんなお願い方されたら、従うしかないじゃないか」
チョコバーを完食したディーンは、カスティエルの言葉を見極めようと目を光らせる。見事な狩人の眼光ではあるが、辛辣な言葉を吐く口元には夢の時間の名残があった。
「二人の秘密なら、どんなに小さな証拠でも隠滅しないといけないね」
「……隠滅? 何のことだ?」
ディーンの方法を真似て彼の口元を拭い、指に付いたチョコをペロリと舐める。少量でもそれなりに甘かったが、カスティエルの顔が歪むことはなかった。それ所か、今はあの甘さが後を引く。短時間で変わった味覚に我慢出来ず、カスティエルはディーンの唇に吸い付いた。
甘いチョコの匂いに、甘い唇。
一生分の運を使い果たしたとしても、夢のような幸福を得られたのだから後悔はない。
「……んっ、おい……調子に乗るな」
「この甘さなら、大歓迎なんだけどね」
軽く肩を押されて注意されたが、ディーンが本気で嫌がっていないのは明白だった。
紛い物だったカスティエルの青い瞳は、生命の息吹きを取り戻している。
女性を虜にする『教祖』の燃料が酒や薬ならば、『カスティエル』の原動力や燃料は、何時だって目の前にいるディーンだけだ。
* * *
幸福な気分でカスティエルがキャビンに戻ると、見覚えのない紙袋がテーブルの上に置いてあった。中身はガーゼや包帯等の衛生品と、缶詰が二つ。そして、補給物資リストに載っていた、ウイスキーの瓶が入っていた。
物資の保管はチャックに任されているが、決定権を持つのはリーダーのディーンだ。
その彼が、カスティエルに酒を与えることを許可するのは、本当に珍しい。恐らく、とんでもなく機嫌が良かったのだろう。
「あれ? まだ何か入ってるな」
中身を全て取り出したつもりだったが、紙袋にはまだ重みがある。覗き込んだ紙袋の奥底で待っていたのは、カスティエルを驚愕の渦に巻き込む衝撃の物だった。物資調達リストに、記されていなかった存在。
ブラックのタブレットチョコを前に、カスティエルは口元を隠して考える。動揺を外に出さないように、それでも頬は勝手に持ち上がってしまう。
「これ、どういう意味なんだ? あのリーダーが、僕に?」
有り得ない。けれども、そうでないと説明がつかないのも事実だ。
今日は、2月14日。
こんな世界でなければ、胸焼けする必至の甘いイベントになるバレンタインデーである。
カスティエルがあのチョコバーを見つけたのは本当に偶然だったが、ディーンに渡したのは計画の上での行動だった。
「全く、敵わないなぁリーダーには」
酒や薬を飲んだ時のように身体が燃え、自惚れた心臓の音がとても煩い。後頭部を乱暴に掻いたカスティエルは、チョコレートの重さに声を上げて笑った。
几帳面で規律に厳しいディーンが、チョコレートの記入を忘れたとは思えない。意図的に省いたと解釈するのが無難だろう。ならば、カスティエルの取るべき行動は決まっている。
脱いだばかりのジャケットを羽織り、ポケットにチョコレートを入れてキャビンを飛び出した。
何処までも天の邪鬼で、とても可愛い男がいるキャビンに向けて。
END
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