SUPERNATURAL


dangerous trap


 
 意味深な沈黙が支配者となった空間。
 何処と無く緊張した面持ちでベッドに座っているディーンは、取り調べを受ける犯罪者のように縮こまっていた。
 視線の交わった者を虜にする魔性の瞳も、今は落ち着きなく動き、打開策を探している。
 その動作が愛らしい小動物(主にリス)を彷彿とさせるが、部屋は依然として沈黙が鎮座していた。

 雰囲気に呑まれたのか、異様に喉が渇く。
 右手で喉元を擦りながら、ディーンは備え付けの冷蔵庫へと視線を定める。簡易的な冷蔵庫の中には、弾ける炭酸が魅力的なビールが待っているだろう。

 今すぐにでも喉を潤したいディーンだが、重苦しい空気の黒幕が其れを良しとしない。
 目に見る事は出来ないが、部屋には暗雲が立ち込めている。いつ落雷が発生してもおかしくない雰囲気だけに、ディーンも普段のような軽口が叩けないでいた。
 繊細な人間なら、胃痛を覚える程に重圧感のある沈黙。その空間で15分も耐えたディーンは、中々の猛者と言えるだろう。

「キャス……怒ってるか?」

 張りのある凛とした低音が、静寂の海に弾ける。ディーンの右肩に包帯を巻いていたカスティエルは、消極的な問い掛けに僅かに反応を示した。ただ、視線は交わらない。
 複雑な色を宿した天使の眸は、怪我をした右肩に釘付けになっている。

「怒る? それは、君に対してか?」

 ぎこちない手付きで包帯を巻きながら、カスティエルは淡々と言葉を紡いだ。抑揚の少ない声は、突き放すような冷たさがある。
 表情も気難しいままで膠着していれば、初対面の相手には確実に悪い印象を持たれるだろう。対人関係を気にするのであれば改善した方がいいが、カスティエルにその気がないのはディーンもよく知っていた。
 だから、冷たい口調など気にしない。

「ああ。急に呼び出して、半ば強制的に狩りに付き合わせちまっただろ。下手したら、お前まで怪我したかもしれなかったし……」

 カスティエルの立場を自分と置き換えて考えてみれば、随分と自分勝手な振舞いしていた事に気付く。
 もしディーンが同じ事をされたなら、文句の一つでも言った後に、見返りとしてハンバーガーを要求していた筈。しかしカスティエルは文句も言わず、見返りも求めず、傷の手当てまでしてくれている。

「……巻き込んで悪かった。お前にだって、予定とかあったよな。もし用があるなら、今からでも行っていいぞ。礼は今度ハンバーガー奢るから、それで勘弁な」

「君は何か勘違いをしている。私がディーンからの呼び出しを不快に思う筈がない。怒りがあると言うならば、それは君を傷付けた吸血鬼にだ」

 大事な娘を傷物にされ、憤慨する父親のような言い分に、ディーンは肩を竦めて苦笑した。少し大袈裟な気もするが、カスティエルがそれだけ心配してくれている証拠だろう。
 むず痒くて照れ臭いが、悪い気はしない。

「だが、一番怒りを覚えるのは私自身に対してだ。私が側に居ながら、君に怪我を負わせてしまうなど……。自分の無力さが腹立たしい」

 予想外の言葉に、ディーンは驚いた表情でカスティエルを見上げる。軽く見開かれた瞳の先に居た天使は、苦虫を潰したような表情で傷口を睨めつけていた。

「何でだよ。お前は吸血鬼に襲われてた俺を助けてくれただろ。キャスが助けてくれたからこそ、この程度の傷で済んだんだ」

 吸血鬼に対する怒りよりも、強い自責の念に駆られた蒼い双眸。消沈したカスティエルの腕を取ったディーンは、体をずらして隣に一人分のスペースを確保する。そのまま腕を引っ張れば、天使は素直に腰を下ろした。

 二人分の重みでベッドがバウンドし、端に投げ捨てていたジャケットが滑り落ちる。それは密かにディーンのお気に入りだったが、吸血鬼の獰猛な爪で引き裂かれ、夥しい血液で汚れてしまっていた。

「俺は感謝してる。キャスが居なかったら、もっと酷い怪我を負ってた。だから、そんな辛気臭い顔すんなって。な?」

 狩りは、常に危険と隣り合わせにある。
 喉元に喰らい付こうとした、吸血鬼のおぞましい顔。甚も簡単に肉を抉る鋭い爪。
 カスティエルの助けが少しでも遅れていれば、今頃ディーンは吸血鬼の仲間入りを果たしていただろう。言わば、命の恩人だ。
 謝礼がハンバーガーでは、安すぎる。

「しかし私達天使に比べると、君達人間の回復速度は非常に遅い。今の私でも、多少無理をすれば治せると思うが……」

「止めとけ。そんな事してお前が倒れたら意味ねえだろ。縫わないといけない程深い傷じゃないし、大丈夫だ」

 これ以上迷惑はかけられない。
 笑って言いくるめようとしたが、堅物のカスティエルには通用しなかった。無言で肩を睨み付け、ディーンを威圧してくる。
 天使が無謀な事をする前に、釘を刺しておく必要がありそうだ。

「肩以外の傷なんて、舐めれば治るような軽いもんだ。そんなに心配するな」

「ディーン、人間の唾液に治癒成分は含まれていない。だが、私を慰めようとしてくれたのだろう? 君は本当に優しいな」

 カスティエルらしいズレた返答に、ディーンは安堵の息を吐いて胸を撫で下ろす。吸血鬼の首を飛ばした冷酷な姿よりも、独特の感性を持った此方の方がいい。
 漸く本来のカスティエルに戻った事が、ディーンにも笑みを与える。監獄のような空間が一変して、ピクニック日和の快晴さに似た空気が広がった。

「しかし……興味深い話ではある。実践してみる価値がありそうだ」

「は?」

 包帯の巻かれたディーンの肩に、カスティエルの手が重なる。含みのある言葉に、不穏な気配を垣間見た。
 明確な意図を持った指の動き。
 突然と躍動を宿し、鋭く光る双眸。
 修羅場を生き抜いてきた賢い脳が、目の前に居る天使を危険人物だと見なす。
 先に動いた方が、勝ちだ。

「ディーン、動くな。治療を続行する」

「おい、何考えてる? 目が怖いぞ」

 咄嗟にベッドから立ち上がろうとしたディーンだが、それを見越していたカスティエルに先手を打たれる。右手首をがっちりと掴まれ、力任せに天使の方へと引き寄せられた。

「ちょっ、痛ぇって、キャス…っ! 折れる、マジで折れる!!」

「暴れないでくれないか。君の苦痛に歪む顔を見ていると、何だか妙な気持ちになる。不思議と気分が高揚してくるんだ」

「変態じゃねぇかっ!!」

 ディーンが上げた非難の声など聞こえていないように、カスティエルは頭を降下させ、腕に出来た傷口に舌を這わせる。

「おい…っ!」

 ぬるりとした感触に、背筋が震えた。
 声が上擦ったのは、仕方がない事だろう。
 傷口にはまだ薄く血が滲んでいたが、カスティエルは何処吹く風と舌を滑らせる。
 肩以外の傷は、水で流す程度しか処置をしていない。天使には関係ないかもしれないが、衛生面を考えれば非常に宜しくない。
 そしてディーンの身体にも、宜しくない現象が起きていた。

「お、落ち着けキャス! 吸血鬼にでもなっちまったのか!? 落ちこぼれだが、お前は天使だろ! 正気に戻れ!」

「私をあんな輩と一緒にしないで欲しい。それに血を飲んでいるのではない。これも治療の一環だ」

 吸血鬼と比べた事が功を奏したのか、カスティエルの動きを停止する事に成功する。
 右腕を取り戻そうと躍起になるが、どれだけ力を込めてもビクともしない。

「な、にが、治療だ…! 血を舐める治療方なんて、っあ…聞いた事ないぞ…っ!」

「私も聞いた事が無かった。だから信憑性を確かめる為にも、行動に移したのだ」

 ディーンの奮闘も空しく、カスティエルの治療が再開されてしまった。舌が肌を滑る度に奏でられる水音が、耳障りでならない。
 下腹部の疼きが強まるのを感じ、ディーンは目の前にある天使の肩を弱々しく掴む。指先が痺れて力が入らず、トレンチコートの表面を引っ掻くだけで終わった。

「ま、待て…っ。待ってくれ、キャス…お前…っ、俺の身体に何をした?」

「ディーンの身体に害を為すような事はしていない。ただ、少し力を使っただけだ。君の身体を蝕む苦痛を、快楽へと変えた」

 カスティエルの舌が生き物のように動き、怪我をしていない箇所も丹念に舐め上げる。さっきまでは寒いとさえ感じていたディーンの身体は、うっすらと汗ばんでいた。

「は、ぁ…っ、あっ…」

「ディーン、痛くはないか? もし痛みがあるのなら、もう少し効果を強めるが」

 とてつもない熱の奔流に翻弄され、カスティエルの言葉が頭に入ってこない。最初は微弱だった疼きが脳まで到達し、些細な刺激を快楽へと摩り替えてしまう。
 座ったままの体勢さえ維持出来なくなったディーンは、引き寄せられるようにベッドに倒れ込んだ。

 困惑で潤む、ヘイゼルグリーンの瞳。
 儚く震える、艶やかな唇。
 欲情に濡れた、悩ましい吐息。
 何度かディーンを抱いた事のあるカスティエルは、噎せ返る程の色香に目を細めた。

「キャ…ス、頼…む、待ってくれ…っ」

 覆い被さってきたカスティエルが、掌に出来た擦り傷を舌で湿らせる。たったそれだけなのに、ディーンは下半身を直接愛撫されているような快感に襲われていた。

「ひぅ、うん…っ。こ、れ…絶対におかしいだろっ…。こ、こんな…ぁ…っ」

「どうやら、君の身体には別の治療が必要なようだ。ディーンが望むなら、私が治療してもいいが……。どうだろう?」

「ふ、はぁ…っ、キャス…あ、とで覚えてろよ…っ」

 吐息が触れる距離で囁かれた言葉に、ディーンはカスティエルを睨みながら、その背中に腕を回す。迷いなく重なった唇を甘受しながら、朝霧のかかった頭で時計を確認する。
 タイムリミットは、約30分。
 覚束ない手付きでカスティエルのネクタイを外し、ディーンは快楽に身を委ねた。



END

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