純粋に芽吹く花
流石に、これ以上の放置は見過ごせない。
仰向けになってベッドに沈んでいたディーンは、宙に掲げた両手を眺めては、眉間に深い溝を刻んだ。指先の輪郭をなぞれば、乾燥した皮膚の攻撃性が上がっている。ハンドクリームを使った方がいいのかもしれないが、それは本当の最終手段として取っておく。
毎年のことだが、ディーンが最終手段を使ったことはない。正直に言うと、面倒なのだ。今は水で落ちにくいタイプのクリームもあるが、一日に何回も塗らないといけないのが面倒で仕方ない。塗った後の、異常なまでのサラサラツルツル感も嫌いだった。
そんなディーンに出来るのは、暖かい春の訪れを待つことだけ。毎年そうやって泣く泣く乗り越えてきたが、今年は違う。勢いをつけて上半身を跳ね起こしたディーンは、足元に座っていたトレンチコートの男・天使カスティエルに不満をぶつける。
「見ろよキャス。俺の芸術的なまでに綺麗な指が、冬の魔の手にかかって泣いてる。可哀想なぐらいにガッサガサだ」
「指が泣くのか?」
「それは言葉の綾。いいから、見ろって」
不貞腐れた顔で両手をカスティエルの前に突き出せば、天使は首を傾げてディーンの手を握った。荒れ具合を確かめるように、冷たい指が慎重に輪郭をなぞる。
もしかしたら、触れてくるかもしれないと期待はしていた。それでなくても、ディーンから触れるだけの理由にはなると。あっさりと達成してしまった目的ではあるが、ティーンの女の子並みに繊細で複雑になってしまった心臓は、些細な接触に歓喜している。
何を隠そう、ディーンはカスティエルに恋心を抱いてしまっていた。それも残念で可哀想なことに、無意識に恋をしている。
「指先が荒れてると、女の子に触る時に不利だよな。なぁ、これ治せるか?」
「治せる……が、治したくない」
「はぁ? 何でだよ?」
「……言えば君は怒る」
「怒らないから言ってみろよ。な?」
ドクドクと喧しい心臓を無視して、カスティエルの顔を覗き込む。指先に集中していたアイスブルーの眸が、ディーンへと真っ直ぐに突き刺さった。全てを見透かすような深い色を宿した双眸は、時に恐怖さえ覚える存在感を放つ。それなのに、慈愛に満ちた色も持っているのだから卑怯だ。
「俺はエスパーじゃないから、言葉にしてくれないと解んねぇよ。怒らないって約束するから、さっさと白状しろって」
カスティエルは、頑なに口を開かない。
自慢じゃないが、我慢は大の苦手だ。身体にも悪い。此処で怒った素振りを見せたら、天使は逃げてしまうだろう。握られた指の温もりは心地よく、出来ればまだ失いたくなかった。
パーソナルスペースと注意するべき距離も、今はとても居心地がいい。
(どうすっかな……。話しやすい空気を作ってやるべきか? いや、別に話題を変えてやってもいいんだが……うーん、困った)
真面目に考えた末に、ディーンは怒らないアピールで懐柔する方法を選んだ。叱られて落ち込んでいる子供をあやすように、微笑みながらカスティエルの顔を観察する。
ぱちぱちと、天使が驚いた風に瞬きをした。
落ち着きなく視線を彷徨わせたが、最終的にはディーンの瞳へと帰宅する。天使の発言は常に斜め前をいくので、本当に怒るつもりは毛頭ない。笑い飛ばす可能性は高いが。
カスティエルは最後まで躊躇っていたが、ディーンが一度だけ頷くと、それを合図に覚悟を決めたようだった。色気があると密かに高評価していた声が、静かに、それでいて鼓膜を破るほどの破壊力を備えて、ディーンの耳に吹き込まれる。
「治さなければ、君が女性に触れるのを阻止出来る。君には誰にも触れて欲しくないし、触れさせたくない」
握っていた指には力が込められ、躊躇っていたとは思えない衝撃的な台詞だった。どれだけ人の心を掻き乱す気だと、ディーンは無意識ながらに感情を震わせる。
途端に脳から足の爪先まで痺れが走り、信じられないくらいに身体が熱くなった。風呂上がりのように、ホカホカと湯気が出ているんじゃないかと心配するほどに。
過去に、この症状は何度か経験がある。
その時と類似しているから、間違いない。
(風邪だな。昨夜は頭乾かさなかったから、それが原因だ。サムにメールして、風邪薬も追加で買って来てもらうか)
華麗なスルースキルを発動させたディーンだったが、頭の中は酷い混乱状態だった。そして混乱に生じて、胸の一番奥に置いてあった、恋心を育てる鉢にも変化が見られる。
その鉢は、まだ種を蒔いたばかりだった。
なのに『プライド』というコンクリート並みの硬度を誇る土から、ぴょこんと清らかな芽が姿を現したのだ。鼓動は高まり速まる。
「すまない、忘れてくれ」
労るように指先を撫でたカスティエルを前に、我に返ったディーンは慌てて手を引き抜いた。それは決して、触るなという意味ではない。天使が力を使って、荒れた指を治すのではないかと勘違いしたからだ。
「治さなくていい。このままでいい、から」
「……ディーン?」
自由になった手が温もりを恋しんで、勝手に天使へと伸びないように強く握り締める。傷付いた表情を見せる天使に、ディーンの表情も曇った。そんなつもりじゃないと言いたいのに、喉に膜が張られたように言葉が出ない。
ガリガリと乱暴に頭を掻いたディーンは、雰囲気から落ち込んでしまったカスティエルに手を伸ばす。無意識ではなく、意識して。
カスティエルの腕を軽く掴むと、それだけで天使の表情が和らいだ気がした。
「か、確認だぞ? その……誰にも触れるなって言うけどさ、それはキャス自身も含んでんのか? 俺に触られるのは嫌か?」
言い終わった後に、ディーンはカスティエル以上に目を見開くこととなる。自分の発言が信じられない。慰めるつもりで考えた台詞が、一瞬で書き換えられてしまった。
「君が私に触れるのは嬉しい。それに、君に触れるのも好きだ」
「そ、そうか。……いや、そうじゃない! 忘れろ! 今言ったこと全部!」
「ディーンは?」
「は?」
「こうして、私が触れるのは嫌いか?」
掴んでいない方のカスティエルの手が、小動物に触れるような慎重さで、ディーンの頬に触れる。掌で頬を包まれ、親指が目尻付近を撫でた。その衝撃は凄まじく、息の吐き方さえ忘れてしまいそうになる。
「……野郎に触られるのは御免だ。けど、お前だけは特別に許可してやる」
「特別、か。とてもいい響きだ」
蒼い眸に映るディーンが少しだけ歪んだのは、カスティエルの表情が変わったからだろう。笑顔と言うには変化が乏しく、無表情にしては穏やかすぎる。ディーンには、カスティエルが笑っているとしか思えなかった。
清らかな新芽は、蕾になる。
このまま健やかに育つのか、咲くことなく生を終えてしまうのか。それは、カスティエルとディーン次第だろう。胸の奥で確かに息づく柔らかな気持ちに、ディーンは戸惑いながらも天使の手に自分の手を重ねた。
END
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