親しき仲にも礼儀あり
俺の守護天使様が怖い。
いつも通りの無表情なのに、怒っているのだけは伝わってくる。こんなに怒ったキャスを見るのは、独断でミカエルの器になろうとした時以来だ。
あの日はボッコボコに殴られて身の危険を感じたが、今はそれ以上の恐怖に苛まれている。
キャスを怒らせた原因については、見当がついていた。慌てる姿が面白くてつい悪乗りしちまったけど、童貞だってからかわれて怒らない男はいない。
「……キャス?」
天使の馬鹿力で有無を言わさずベッドに引き摺り込まれ、最悪な事にマウントポジションまで取られた。武器も道具もない俺に、どう足掻いても逃げ場はない。
とりあえずこれ以上キャスを怒らせる訳にはいかないと、必死に交渉を試みる。
「な、なぁキャス。怒ってる、よな?」
深い海を映した瞳に恐る恐る問いかければ、キャスは何故かネクタイに指を掛けて外してしまった。いや、ちょっと待て。自分でネクタイも結べなかったのに、いつの間にそんな技を習得したんだ。
気怠い雰囲気に鋭い流し目。
普段なら草臥れたサラリーマンにしか見えないのに、今日のキャスからはいい男だけが出せる色気が漂ってる。どうせなら、俺にじゃなくて女の子相手に披露しろよ。
折角の色気も無駄使いだぞ。
「その、悪かった。お前が怒るのも当然だよな。つい悪乗りしちまって……」
余計な事を言わないように言葉を選び、キャスに反省していると訴えてみる。
「……ごめん」
手加減されてるが、掴まれたままの左手首は少し痛い。押さえ付けられてない右手は自由に動かせるが、俺は取るべき行動が解らずに拳を握るしかなかった。
(何でもいいから、喋ってくれよ……)
態度にも言葉にも出さない怒りは、こんなに底知れない不安を煽るのか。今の俺には沈黙が何よりも辛いが、度重なる無言の応酬に声を出す気力が削がれていた。
それにキャスは本当に怒ってるのか?
普通だったら、怒鳴ったり胸ぐら掴んだりとかもっと行動的になるだろ。押し倒されてはいるが、これは取っ組み合いの喧嘩には当て嵌まらない。
執拗に続く無言と、逸らされない視線。俺はもうギブアップ寸前だった。
そんな俺の気持ちにやっと気付いてくれたのか、キャスの口がゆっくりと動く。
この居心地の悪さから解放されるかもしれないと、後悔するとも知らずに。
「怒ってなどいない。寧ろ感謝しているぐらいだ。ディーンが自分の体を顧みず、私の童貞を卒業させてくれるのだから」
「はぁっ!?」
やっと喋ったと思ったら、何て恐ろしい事を口にするんだコイツは。予想出来る筈がない奇抜な発言に、俺はただ目を剥いて固まるしかなかった。
無意味に瞬きの回数を増やし、キャスを呆然と見上げながら言葉を反芻する。キャスは鉄壁の無表情だが、冗談で言ってた訳じゃないのは一目瞭然だった。
怖いくらいに一途な眼差し。
揺らぎも淀みもない瞳は、深淵を覗いていると錯覚する程に迷いがない。
――つまり。
(キャスは本気で俺を抱く気だ……っ!!)
答えは瞬間的に弾き出された。
明白になったキャスの行動理由に、俺は放棄していた抵抗を必死に連れ戻す。
「ち、違っ…! 俺は女の子を紹介してやるって意味で言ったんだ! 俺で童貞を卒業しろなんて意味じゃねぇ!」
押さえられた手を動かそうとするが、キャスの馬鹿力に対抗出来る訳もなく。だからといって諦めたら、俺は確実に男として大事なモノを失うだろう。
キャスを怒らせたのも、全面的に悪いのも俺だ。それは認める。でも嫌がらせの報復で処女消失なんて、俺の被害がデカすぎるだろ。
「往生際が悪いぞ、ディーン」
出し惜しみせずに全力で抵抗を続けていると、キャスが面倒そうに小さく息を吐いた。自分の貞操が狙われてるのに、大人しくなんて出来るか。
だったら、お前が諦めろ。
そう怒鳴るよりも先に行動に移したキャスによって、俺の両手は頭上で一纏めに固定されてしまった。片手で簡単に動きを封じられ、絶望的な状況に背筋が凍る。
「ちょっと待……っ!?」
「手荒な真似はしたくなかったが、抵抗するならば致し方ない」
矢継ぎ早に紡がれた言葉に割り込む余地はなく、俺の意見を聞く気がないのは明らかだった。元から暴走しやすい奴なのは知ってたが、高圧的な態度を取る時はかなりヤバイ。
「俺が悪かった! もう二度とお前の嫌がる事はしない! だから離せ!」
「口約束を信用するには、君は前科がありすぎる。今まで耐えてきた私の痛みを、身を以て知るべきだ」
俺を見下ろす青色の瞳に、不埒な色が混ざった気がした。今まで見た事ない表情に、思わずごくりと唾を飲み込む。淡々とした口調と仏頂面に変化はない。
でも俺には解る。
(コイツ……楽しんでやがる!!)
此れ見よがしに掲げられたキャスの手に危機を感じたが、俺は不安で心臓の鼓動を早める事しか出来なかった。
長い指が、パチンと小気味いい音で鳴らされた瞬間。
「……ッ!! キャス、お前っ……!?」
「身体の動きを制限させて貰った。暴れられると面倒だからな」
「だからって、ここまでする事か!?」
キャスに押さえ付けられている体勢で全身が硬直し、俺はイケメンのマネキンになってしまった。辛うじて動かせるのは、顔の筋肉と指先だけ。
残り少ないって言ってた恩恵を、こんな事で使うとか馬鹿だろお前。
「ちょ、待っ、嘘だろ……っ!?」
キャスの目には俺が着せ替え人形にでも見えてるのか、簡単に下着ごとズボンを剥ぎ取られてしまった。
顕になった下半身に刺さるのは、純粋な好奇の視線。止めろ。頼むから、そんなにマジマジと見ないでくれ。
「成る程……。通常時の男性器はこれぐらいのサイズなのか。興味深いな」
スラスラと現状を説明された俺は、羞恥心で死にたくなった。喉で渋滞を起こした暴言は声にならず、顔を背けて逃げる事も出来ない。怒りと混乱で震えていると、キャスの手が俺の右足を持ち上げた。
「お、おいっ! 何してんだ!」
「今後の為にも、詳しく知っておくべきだと思ってな。君は何も心配せずに、私に身を任せていればいい」
「ふざけんな!! っ、キャス!!」
身体の自由が戻ったら、絶対に世界の果てまでぶっ飛ばしてやる。胸に深く復讐を決めた俺は、無駄だと理解した上で最後まで足掻くと決めた。
瞬きは出来る。声も自由に出せる。なのに首を横に振る簡単な動作も、指一本を持ち上げる事も出来ない。
「うおっ!? ば、馬鹿……ひっ!」
キャスがあまりにも躊躇いなく俺の性器を掴むから、握り潰されるんじゃないかと恐怖が過った。大袈裟に身体が跳ねたが、キャスは気にする様子もない。
持ち上げた足を肩に抱え直し、距離を詰めて俺の顔を覗き込んでくる。普段は能面の癖に、こんな時にだけ、楽しそうにしやがって。
「…っ、うぁ……っ」
ゆっくりと動き出したキャスの手は、女の子の優しくて快感を引き出す手付きとは違い、単調で面白味のない動きだった。
そんなんで感じたりしねぇ。
――しない筈なのに。
「嘘、だろ……っ!! は、ぁっ……」
俺の身体はどうしちまったんだ!?
自分でするよりも早く、女の子にされるよりも強く、キャスの下手な動きに性器が急成長していく。身体の奥からジワジワと快感が這い上がり、どうしても声が我慢出来ない。
「っ、ん…ッ、ぁ……ぅっ」
「意見を強制的に押し付ける行為は、暴力と同じだ。その痛みが少しは解ったか?」
「わかっ、た……だから、止めっ…!」
身体を屈めて俺の首に顔を埋めたキャスが、ねっとりと喉仏を舐め上げる。吹き掛けられる吐息は意地悪で、怯える俺を笑っているようだった。
「あ、嫌…だっ、キャスッ、んっ」
「私も女性関係の話はしたくないと、何度も君に言った。しかし、聞き入れてくれなかっただろう。なのに、君の願いだけを受け入れろと言うのか?」
棘のある言葉にイラっとしたが、正論すぎて何も言い返せない。生温い舌がぬるぬると滑り、辿り着いた鎖骨にガリッと歯を立てられる。
「いっ!? ぁっ…ふ、う、ぅ……っ」
カニバ的な意味で喰われるんじゃないかと恐怖が募るが、宥めるように動く手に思考が塗り直されてしまう。
どう考えても、絶対に変だ。
この程度の愛撫で異常に感じてる俺も。平然と俺のモノを扱くキャスも。これって友達とか、嫌がらせの範囲を越えてるんじゃないのか?
「今回は君を信じて許す。だが、二度目はないぞ。いいな?」
何処までも澄んだキャスの瞳に覗き込まれ、視界がグラリと傾いた。生意気な言葉を吐き出す荒れた唇が、女の子のグロスを塗った唇より魅力的に見えるなんて。
「キャス、頼むか…ら、っん…」
「もう少し楽しみたい気もするが、それは別の機会にするとしよう」
「――っ!?」
俺の悲鳴は空気に乗るより先に、キャスの口の中へと吸い込まれた。深く重なった唇が合図だったのか、緩やかだった手の動きも一変する。全身をガクガクと震えわせながら、俺は呆気なくキャスの手で絶頂を迎えてしまった。
今回の件で学んだのは、何があっても天使の逆鱗に触れちゃダメだって事だ。
END
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