はぁはぁ、と息を切らして全力疾走しているのがヘッドセットから聞こえてくる。私はパソコンのモニターを見て、動く点を確認しながら指示を飛ばした。
「次の角を右です」
「ここだな!!」
「そうです。その後はお渡ししていたもので窓ガラスを割って物陰に隠れてください」
「了解ッ!」
その直後、ガラスが割れる轟音が聞こえる。ヘッドセットのボリューム下げておいてよかった。景光くんの息を整える音だけが聞こえる中、複数の足音が近づいてきて景光くんが息を潜めた。
「ちっ!窓から飛び降りやがった!逃がすな、追え!!」
バタバタと複数人が走り去り、数分してからやっと私は口を開いた。
「お疲れ様でした。恐らくもう追手はかかりません。念の為に右手の部屋に着替えを用意してありますので、従業員に扮してビルを出てください」
「ほんと、優秀な指揮官様だなぁ」
「無駄話は結構なので早く帰ってきてください」
「そんなに俺に会いたいのかーじゃあ急いで帰るわ!」
「あなたの持ち物が欲しいだけです。調子に乗らないでください」
「相変わらず手厳しいな・・・」
モニターの動く点がビルの外に出たのを確認して、やっと安堵の息をついた。今回の仕事は、ある会社の顧客情報を抜き取ること。システムにハッキングできればよかったのだが、顧客情報管理は完全なスタンドアローンのパソコン、つまりオフラインのもので行われており、ネット回線を介してのハッキングが不可能。
その為、景光くんにはビルに潜入してもらいウイルスを仕込んだUSBをシステムに差し込むことで顧客情報を盗んでもらった。だが、黒い仕事をしてる会社はやはりセキュリティが固く、情報入手後に見つかってしまった故の冒頭の逃走劇である。
あらゆるパターンを想定して準備していた為なんとかなったが、成功するまでは気を抜くことが出来なかった。そんな私の心中など知らず、景光くんは鼻歌交じりで車に乗りこみ既に帰路についているようだった。
「命の危険もあったのに、機嫌がいいですね」
「そりゃな。やっと指揮官様に会えるんだから」
「ガッカリしても知りませんよ」
今景光くんが向かっているのはここ、私の家。仕事用と私用と家を分けてない私の家はここ一つだけなので正体を教えることになる。死を偽装してから何度か仕事をこなしてもらったが、まだ私の正体は明かしていなかった。しかし、これからもっとこき使う予定なので、顔合わせはしておいた方がお互いの信頼関係にも関わってくる。私だけが一方的に顔を知っているのはフェアじゃない。
ただ、フルールの中身が私だと信じてくれるかが問題だ。色々プレゼン(私がフルールである事の)も用意してみたが果たして。
ピンポーン、と呼出音が部屋に響いて景光くんが到着したことがわかる。車飛ばしすぎだろ、早すぎ。
オートロックを解除して、チョーカーの電源を切る。緊張しながら景光くんが玄関までたどり着くのを待った。どうしよう、幼馴染として会うのも久々すぎて顔とか忘れられてないかな。
コンコン、コン、と控えめなノックが聞こえた。この音は景光くんだ。ごくり、と唾をひとつ飲み込んでから扉を開く。
「お疲れ様、怪我しなかった?」
「え、は・・・?」
「まぁ立ち話もなんだし入りなよ」
私の顔を見た瞬間見事に固まってしまった景光くんは、完全に私の幼馴染としての素に戻っていた。これ幸いと、隙だらけの右腕を引っ張り家の中に無理やり引き込む。背後で扉が閉まる音がして、その音でやっと我に返ったのか、物凄い顔で私の両肩を掴んできた。
「名前だよな!?フルールはどこだ!あいつになんか脅されてるのか!?」
「いや、ちが、あの」
「まさか、男と2人で暮らしてるなんてことないよな?そうだよな?付き合ってないんだよな?ハッ!結婚してるのか!?」
「とり、とりあえず離して!!」
肩をガクガクと揺らされては答えられるものも答えられない。私は両肩に乗っている腕を振り払って、息を整えた。
シェイクされた脳内を落ち着けるようにこめかみに手を当てていると、少しだけ申し訳なさそうな顔をして大人しく待っている景光くんがおかしくて笑ってしまう。
「ふふ、情けない顔」
「色々考えが追いつかなくて・・・悪い・・・。大丈夫か?」
「大丈夫。とりあえず、中入って」
未だ玄関で立ち往生しているのもなんだし、私は景光くんを室内へと案内した。大人しく付いてくる景光くんを横目に見ながらリビングの二人がけソファに腰掛けると、景光くんも隣に手のひら程の距離を空けて腰掛けた。
グダグダと世間話をするのもなんだし、単刀直入に本題を切り出す。
「実は、私がフルールなんだよね」
「は?名前が?でも、声が違うだろ」
「これ使ったの」
そう言ってチョーカーを差し出す。それを手に取って、物珍しそうに眺めている景光くんを横目に話を続けた。
ハッカーの技術を磨いて情報屋になったこと。私の幼馴染達が潜入していた組織を潰したいこと。フルールの手助けをしてもらうのは組織が潰れるまでということ。降谷くんには生きていることを告げないで欲しいということ。
そこまで話し終えると、景光くんは大きなため息をついてから、乾いた笑い声をあげた。
「名前はさぁ、昔は何考えてるかわかんなかったけど今になってわかった。全く、不器用な奴らだよ」
「?どういう、」
「ハッカーになる為に勉強したのも、情報屋なんて危ないことしてんのも、組織を潰したいのも全部ゼロの為だろ。まぁ、俺のこと助けてくれたのはもちろん俺のためだろうけど」
ヒュッと空気が喉を通った。図星すぎて何も言えない私を見てどこか嬉しそうに笑いながら話す彼は、右手を私の頬に伸ばしてきた。
私は動けないまま、迫ってくる手を見つめるしかできなかった。
「昔っから何にも興味ないし、関係ないみたいな顔しかしてなかったから心配してたんだけど、よかったよ。ただ、なんでこんな危ないこと・・・」
頬に触れるか触れないかの所で手が止まる。ただ、震えているのだけは伝わってきた。どうしてこんなに泣きそうなのだろう。誰を思っての感情なのか。少なくとも、私ではないだろう。だって、私は、
「俺たちは、名前が・・・いや、なんでもない。とにかく、無事でよかった」
私は、存在しないはずの人間だから、こんなに心を砕いてくれる人がいるわけない。心配なんてしてもらってるわけがない。自惚れるな。ただ、知っている人が危ない仕事をしていたから居心地が悪いだけだ。
降谷くんさえ幸せになってくれればそれでいい。だから景光くんは降谷くんの幸せの為に助けたんだよ、勘違いしないでよね。私は自分のことしか考えてない最低な人間だから捨て置いてくれればいいんだよ。
まるでツンデレみたいな事を考えながらも、何一つ言葉にすることはできなかった。