確定消すな  



 
相澤消太
 目の前にある大きな傷跡を爪先で引っ
掻くようになぞる。柔らかい皮膚を削る
感覚に相澤先生が「んっ……う、はぁ」
と艶っぽい掠れた吐息を漏らした。そう
いえば傷跡は性感帯になるんだっけ?
「これは、いつつけられた傷ですか?」
「はあ、これは……数年前、にっ……」
「数年前、誰につけられた傷ですか?」
「巷で騒がれ、って、いた……っあ、は
っう……通り魔、はあっ、事件で……」
「へえ……どの通り魔事件ですか?」
 相澤先生のたどたどしい説明を聞きな
がら手持ち無沙汰に爪先で傷跡を何度も
なぞる。正直な話、いつどこでこの傷が
できたかなんてどうでもいい。問題なの
は私の物に勝手に傷をつけてばかりいる
この男が少しも反省していない事だ。
「ふうん……じゃあこの傷は?」
 一通り話を聞き流し、その隣の傷をま
た爪先でなぞる。相澤先生の肩が大袈裟
に震え、口から漏れる吐息はより荒く乱
れたものに変わって行く。先生は一体い
つになったら私の胸の内に渦巻くどす黒
い感情に気づくだろうか。全身の傷跡を
爪先で削り、痛みで上書きしなければ気
づかないのだろうか。いっそ私がこの体
に一番深く大きい傷を刻んでやろうか。


煉獄杏寿郎
 貴方はまさに炎のような人でした。
 その赤く燃え滾る真っ直ぐな心で皆を
救い、励まし、道標となり、己の成すべ
き事を成し遂げました。私はそんな貴方
の背中をずっと追いかけて来ました。貴
方の隣を肩を並べて歩く事はできなかっ
たけど、それでもたまに後ろを振り返っ
て声をかけてくれる貴方の言葉が私の弱
い心を暖かく、そして強くしてください
ました。貴方はまさに炎のような人でし
た。勢い良く燃え続ける炎は、貴方の体
まで燃やし尽くしてしまいました。唯一
の救いは、貴方の最後が苦痛に満ちたも
のではなく、穏やかな笑みを浮かべて眠
るように息を引き取ったという事です。
なんと貴方らしい、全てを出し切った潔
い最後なのでしょう。貴方は最後まで炎
のように皆の心に火を灯し続けてくださ
いました。私も、いずれ貴方の元へ行き
ます。それまでにもっと精進して、貴方
に認めてもらえるような立派な鬼殺隊士
になります。だからどうか、安らかに。



佐野万次郎
 靴を脱ごうとしたけれど、床に散乱し
た食器の破片で怪我しそうだったからや
めた。土足で廊下を進み、声をかけるよ
りも先に電気を付け忘れた部屋の中央で
ぼろぼろに切り裂かれたカーテンの隙間
から差し込むネオンの光をぼうっと眺め
るている背中を抱き締めれば、痩せ細っ
た万次郎の体は生きた人間の体温などま
るで感じない程に冷え切っていた。
「万次郎」「……なんで」「ごめんね」
「おきたらいなくなってた」「万次郎」
「どこにいってた」「鯛焼きを、買いに
行ってたの……万次郎好きでしょう?」
「いらない」「万次郎」「いらない、だ
から……」「うん、わかった、どこにも
行かない、行かないから……」
 私の腕の中で身動ぎ一つせず遠くを見
つめる万次郎の体を強く抱き寄せる。無
力な私は、涙が溢れそうになるのを堪え
ることしかできなかった。


折原臨也
 私は折原臨也という人間を愛していま
す。人間という存在を愛し、けれど人間
に愛されず、人間の全てを受け入れ、慈
しみ、嘲笑う姿が私にはとても愛しく思
えるのです。折原臨也の抱く思想と矜持
に心惹かれ、万人には到底理解できない
であろう奇想天外な言動に魅了され、だ
からこそ私は多少の危険はあれど常に折
原臨也の傍らで全てを見届けたいと思っ
てここまでついてきたのです。けれど、
私の愛した折原臨也はすっかり変わって
しまった。最初は些細なものだったし、
この変化が最終的に良い方へ向かうもの
だと信じて来た。でもその願いは、折原
臨也本人によって虚しく打ち砕かれてし
まった。折原臨也が私に向けたその感情
は、まさしく「恋愛感情」だった。でも
それは、本来あらゆる人間全てに平等に
向けられなければならないもののはず。
それなのに、折原臨也は私だけを特別な
存在として扱うようになった。私を見る
目はいつからか甘く熱を孕んだものとな
り、私に触れる手は悪寒が走る程に優し
いものとなった。なんという事だ。これ
じゃあそこら辺にいる性欲を満たす事に
しか興味の無いただの男と変わらないで
はないか。私が心から愛した折原臨也と
いう人間は、こんなつまらない「愛」を
異性に囁く人間じゃなかった筈だ。どこ
で間違ってしまったんだ、どこで歪んで
しまったんだ。私が愛した折原臨也は、
折原臨也はーー


葛葉
「葛葉って本当に吸血鬼なの?」
「はあ?……なんだよいきなり」
 床に脱ぎ捨てられていたジャージを探
している葛葉の背中を見ながら問いかけ
れば、不服そうな声が返って来る。
「だって吸血鬼は怪我してもすぐに傷が
治ったりするんでしょう?それなのに」
 腕を伸ばして葛葉の背中につけた真新
しい傷を指先で強めになぞる。切り傷特
有のひりつく痛みを感じたのか、薄く色
白な体が僅かに強張ったのがわかった。
「どうしてこの傷は治らないの?」
 私が行為の間に縋りつき、無我夢中で
つけた傷は朝になれば治っていると思っ
ていたのに……恥ずかしさよりも興味深
さの方が上回り、私は葛葉の背中をじっ
と見つめた。けれど葛葉はなにも答えな
いまま、いつもと同じようにジャージを
着込んで首元までチャックを閉めた。
「別に……あー、……だろ」「え?」
「〜〜だから!その……すぐに治ったら
……もったいない、だろ」



宗左左文字
 私は普通の女でありたかっただけなの
です。社会に出て働き、好きな男と結ば
れ、大切に子を育て、どこにでもあるつ
まらない女の幸せを噛みしめながら死ね
たなら……それだけで良かったのです。
 なのに政府から突如として審神者の適
正があると判断され、なにも分からぬま
ま本丸に閉じ込められ、両親に手紙を書
く事すら許されず、刀剣を顕現させては
戦場に送り、戦闘で傷ついた刀剣を回復
させてはまた戦闘に送る。歴史修正主義
者との戦いは未だに終わりが見えないこ
の状況で、私はずっと、死ぬまでここに
居なければならないのですか?こんな理
不尽があって良いのですか?私の人生は
なんの為にあるのですか?ここは私にと
って監獄も同然なのです。抗う術もなく
こうして泣く事しかできない非力な自分
がとても憎らしい。嗚呼ーー
「ーー嗚呼、貴女も、同じなのですね」



相澤消太
 上手く呼吸ができない。壁についた両
手に力を込め、感情を抑える事に専念し
ようとした。酸素を求めるように口を開
き、ぐるぐると回り続ける視界と思考を
止める為に目を伏せた。このまま、もし
このまま自分の感情に任せて行動してし
まったら、衝動が抑えきれなかったら、
目の前の一人の少女はどうなってしまう
のか。俺が守らなければいけない彼女を
……ヒーローとして?教師として?大人
として?それとも男としてか?わからな
い。だが、傷つけたくない、嫌われたく
ない、拒まれたくない。それでも俺はこ
の欲望を抱かずにはいられなかった。
「ねえ、先生?」            
 不意に呼ばれ、目を開ける。俺が閉じ
込めた腕の中で今までずっと黙っていた
彼女が、俺を見ていつもと変わらない可
愛らしくもどこか影のある笑みを浮かべ
ていた。思わず奥歯を噛み締め、うるさ
い心音に邪魔されて彼女の言葉を聞き逃
さぬよう耳をすませる。  
「私、先生が好き。そうやって頭の中で
私を使ってやらしい事をたくさん考えて
る所も、罪悪感と正義感に押し潰されそ
うになっている所も、そんな自分を知ら
れてしまったら私に軽蔑されるんじゃな
いかって怯えてる所も、全部が好き」
 うっすらと冷や汗が背中を伝う不快な
感覚がする。俺は今どんな顔をしている
のだろう。彼女は今何を考えているのだ
ろう。愛の告白を聞いている筈なのに、
何故か嬉しさよりも言い知れない恐怖を
感じてしまう。    
「でもね、そんな事をいくら考えてても
私に触れない弱虫な先生が、一番好き」
 そう良い放った直後、彼女の細くて白
い手が俺の髪を掴んで下へと引っ張られ
る。痛みと驚きに抵抗すらできなかった
俺の唇に、甘く柔らかいものが乱暴に押
し当てられた。


不破湊
「好き」「ありがとう」「本当に……ほ
んまに、好きなんよ」「ありがとう」
 不破くんに「好き」と伝えられる度に
私は笑顔で「ありがとう」と口にする。
不破くんの「好き」というたった二文字
の言葉にどれだけの気持ちが込められて
いるのか、もう分かりきっているはずな
のに、それでも私は不破くんの気持ちに
応えられないでいる。だって不破くんは
ホストで、周りには私よりも可愛くて綺
麗な女の人がたくさんいるから。だって
不破くんはホストで、女の人が求めてい
る言葉をたくさん知っているから。
「好き、なあ、ほんまに、好きなんよ」
「ありがとう」「……ほんまに、」
 私を見つめる不破くんの表情が少しず
つ変わっていくのを見つめ返しながら、
私に飽きて他の女の人の所に行ってくれ
ないかと願う自分に吐き気がした。



五条悟
「なんで僕じゃダメなの?」
 いつの間にか目隠しを外した五条さん
が私の顔を珍しく真剣な様子で覗き込ん
で来る。こういう時に限って自分の顔の
良さを自覚しているからこそ武器として
躊躇なく使って来る所がずるいと思う。
まっすぐに向けられる視線とこの場の雰
囲気に耐えきれなくなった私が「さあ?
なんででしょうね」とわざとらしく明る
い声を出しながら手に持つ資料で顔を隠
そうとすれば大きな手がそれを阻むよう
に伸びて来て「はぐらかすなよ」と少し
怒った声が私を静かに責め立てる。もし
五条さんが本気で私を好きだとしても、
呪霊が見えるだけで目の前で誰かが死に
かけていてもなにもできない補助監督の
私と、特級すらあっという間に祓ってし
まう最強の呪術師である五条さんとでは
なにもかもが違い過ぎるだろう。到底釣
り合う筈がない。私は五条さんと一緒に
いる限り、自分の弱さをまざまざと見せ
つけられ続ける。だから「きっと……五
条さんには一生分からないと思います」
これ以上自分を嫌いになってしまう前に
離れなきゃ。


鶴丸国永
「主の笑顔を見ているといつも胸が締め
付けられるように痛むんだ。主に褒めら
れるといつも胸がじんわりと暖かくなる
んだ。主に触れられるといつも胸が早鐘
を打ったように煩くなるんだ。主の隣に
居るといつも胸が甘く疼くんだ。なあ、
教えてくれ、主、この胸の痛みはなんな
んだ。仲間の前でも他の審神者の前でも
起きる事はない、主の前だけで起きるこ
の体の異変は一体、何なんだ……?」
 自身の胸に手を押し当て、悲痛な面持
ちでそう矢継ぎ早に語る鶴丸に、私はな
にも言えなかった。



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