
姉と妹
私は姉が嫌いだった。どうして嫌いかなんて、理由はとても昔に忘れてしまった。ただ姉が嫌いだという感情だけ残して。でも、姉が仲間を裏切ったと聞いて、私はどうしてか嬉しいとか憎いとかの感情じゃなく、哀しいと思ってしまった。寂しいと、思ってしまった。もしかしたら、私は姉が嫌いではなかったのかもしれない。元々、理由さえ忘れた曖昧な感情だった。だから、ひとつ崩れれば、跡形もなく消えてしまうのはわかっていた。
「……大丈夫ですか?」
やさしげな声に顔を上げると、見覚えのある男の顔が目に入った。ふと周りに目をやると、ここが自分の部屋だということに気がつく。どうしてここにいるのか、どうして目の前の男がいるのか、何もわからない。
私の記憶は、デリクデリカさんたちに姉が捕まったと聞かされたところからすっぽり抜け落ちていた。不自由な自分の身体を見下ろすと、封印帯が巻きついている。
「君は裏切り者の血縁者として、捕縛されたんですよ。……でもそれを黙って見ていられなかったカントくんに頼まれた私が、君に厳しくしないよう進言してここまで連れてきたんです」
私の疑問をすべて打ち消してくれる男。この声に出さずとも言いたいことをすべて察される、気持ちの悪い感覚には少しだけ覚えがある。
「……ああ、あんたマニゴルドね?」
「ええ、そうですよ。相変わらずひとの名前を覚えられないようですね」
「何よ、ちゃんと覚えてたじゃない」
「いや……まあ、いいですけど」
納得いかなそうな顔のまま黙るマニゴルドに違和感を覚えて、視線をずらすと、寝台に座るマニゴルドの両手首がロープらしきもので寝台に括りつけられていた。
「……ねえ、」
「なんでもないので、お気になさらず」
「いや、気になるわよ。なんなの? それ」
「…………カントくんが、自分は部下たちの様子が気になるから戻りたいけど、私を君とふたりっきりにするのは危ないと言って……それでこうなりました」
その光景が驚くほど簡単に想像できて、思わず吹き出してしまう。笑い出す私を不愉快そうに見ていたマニゴルドも、私の笑いが落ち着くころには、困ったように笑っていた。
「……安心しました」
「何がよ?」
「君がまだ笑えるようで」
一瞬、心臓が止まってしまうんじゃないかというほどに大きく脈を打った。
それは触れられたくない場所にやんわりと触れられたからなのか、それとも、このどこまでも見透かされているような目でほほえむ彼のせいなのか。
「……自分でも驚いたわ。こんなときに笑える自分に」
「別に、笑うことが悪いことだとは言ってませんよ? むしろ、こんなときだからこそ笑うべきだと思ってます、私は」
「そんなの、あんただけよ」
「ふふ、そうですね」
楽しそうに笑うマニゴルド。
確か、デリクデリカさんから聞いた話だと、マニゴルドと同じくディルク様の側近を勤めるひとが姉に刺されたはず。私の記憶が正しければ、永逝さんとマニゴルドとそのひとは仲がよかったはずなんだけど、どうしてこんなときに笑えるのだろう。私は、姉を思い出すだけでこんなにも苦しくなるのに。
「哀しいですか?」
「え、」
「それとも寂しいですか?」
鮮やかな青をした双眸が、私の知らない私自身の感情を暴こうとしているように思えて、目をそらしてしまう。私は今、私自身と向き合える自信がなかった。
「……何もおかしなことはありませんよ。姉が裏切ったんですから、哀しんでも寂しがっても……止められなかったことに悔しがっても、それはいけないことではありません」
「いけないわよ! 私は、姉のことが嫌いだったはずなのに……!」
嫌いだと言って、目を背けて、今まで姉を見てこなかった私が、いなくなった途端に家族ぶって哀しいだの寂しいだのと、言えるわけがない。言えるわけがないのに。
「嫌いなひとに哀しんだり寂しがったりしてはいけない道理はありませんよ。そんなの、ただ自分に言い聞かせるだけの屁理屈です。……だから、君は泣いていいんですよ」
泣きたくなかった。泣けば、私が長年抱いてきた姉へのこの気持ちが自分に吐いてきた嘘だと肯定してしまうようで。でも、あまりにもやさしく笑うから、涙が溢れて止まらなかった。