#108





「──なんだか、いきなりこんな、すいません…」

「いえいえ。ついでですから」


なぜか今日初めて会った人の車の、助手席に座っている。いやだって、タクシーじゃないんだし、一人で後ろ乗るのも違うかなって!
しかもこの人が流れるようかに助手席の扉開けてくれたし。

なんというか、快斗君も紳士だし、白馬君もそうだけど。
この人はさらに大人だからか、すごく、様になる紳士っぷりだった。


とにもかくにも、そんなわけで。
非常にいたたまれない。小さい車だから、空間もなんだか近いし。

妙に気まずくて、思わず車内に視線を巡らせてしまう。


細い、おもちゃみたいなハンドルだな。
革張りの座席も、縦縞のステッチや、丸みを帯びた椅子がレトロで可愛い。


そんな風にキョロキョロしていると、隣から声がかかった。







「暑くはない?」

「はい、大丈夫です」

「なら良かった。まあ、暑くても空調効かないから、窓開けてもらうくらいしか出来ないんですけど」


はは、と前を向いたまま笑いながら、沖矢さんは言葉を続けた。


「君は、彼女と親しいんですか?」

「はい。仲良くさせて頂いてます」


…っと。もしかして、女子高生と小学生が仲良しって、怪しく思われてる?
となりの子供が変な高校生とつるんでる、とか思われたらダメだよね。


「ええっと。元々、私の父と、阿笠さんが知人で…それで、哀ちゃんと知り合ったんです。そこから何度か遊んでもらって。哀ちゃんは小さいのに、すごくしっかりしてて…何度哀ちゃんの優しさに助けられたか」


今回も。
正直、哀ちゃんから聞けて良かったと思う。静かに、淡々と話してくれたから、助かった。

自分のことだけど。自分のことだから、ああして告げてもらえなかったら、つい、悲劇のヒロインモードに入っていたかもしれない。

私が思うより、私の身体はものすごいリスキーだった。

不老不死、かあ。今ですら人間超えてる回復力なのに、どうなっちゃうんだろうなぁ。どこから老いが止まるんだろう。

実感が湧かない中でも、思わず、首元のクローバーのネックレスに縋るように、ぎゅ、と握りしめた。
話の最中も。何度か、こうして触れて、快斗くんに縋ってしまった。

大丈夫だ、と安心させてくれる、太陽みたいな笑顔を見たい。ぎゅ、っと抱きしめて欲しい。


…って、もう。全然、ダメダメだな。
しっかりしないと。

まあ、どうしてもそりゃあ、平常通りにはいかないんだけど。


でも多分。
お父さんから聞いていたら、すごく辛そうに告げられたんじゃないかな。

ごめんね、と言われたりしたら。なんて言っていいかわかんなくなって、ぐっちゃぐちゃの感情をぶつけてしまっていたかもしれない。


今から詳しく話を聞きには行くけど。
哀ちゃんから私の状況を聞いたおかげで、もう、「自分のことはわかってるから大丈夫」って、お父さんに伝えることも出来るし。



哀ちゃんは、多分。
今日。私のために、子供達との予定を蹴って、家で待っていてくれた。


──ちゃんと、私に伝えるために。




「…私にはもったいないくらいの、友人です」








助けてもらってばかりだ。

なんだか慌ただしく出て来てしまったけれど、またちゃんと、改めてお礼を伝えよう。
またオススメのチョコレート…違うな。──ショコラを持って。

せーの、で食べて。
また、美味しいって笑い合って、くれるかな?





「そうですか」

沖矢さんの返事はただそれだけなのに。
でも、口元がどこか少し綻んだ、ような気がした。


「──大事な友人が出来たなら、よかった」


独り言のように、ぼそりと呟いた言葉は。
狭い空間も相まって、そこそこ耳の良い私にはきこえてしまった。

変わらずまっすぐ前を見ている、開いてるんだから閉じてるんだかわからないような細目だけれど。
なんだかどこか、嬉しそうな横顔に見えて。


なんだろう。多分だけど。
この人、哀ちゃんのこと、すごく大事に思ってるんじゃないかな。


「ちゃんとした友人のつもりなので。哀ちゃんをつけ狙う、怪しい奴とかではないので、ご安心下さいね」


思わずそんなことを伝えると、さっきまでずっと前を向いていたこの人が、こちらを向いた。ちょうど、赤信号というのも、あるかもしれないけれど。

少し、驚いている、ような。
いや、眼鏡越しの目は、うん、細められたままだけどさ。

慌てて、言葉を付け加える。


「──あ、いや。ロリコン的な、小学生が好きな怪しい女じゃない、ですよー、的な…」

「…ああ、そういう──」


そこで、ふ、と息を軽く漏らすような、音が小さな室内に届く。
あ、笑ったのか、と思ったところで、青になり、車が動いた。


「なんとなく、あの偏屈姫が、君を気に入ってる理由が分かった気がするよ」

「え?」

「──君の側は、居心地が良さそうだ」

「へ」

「ああ。ご心配なく。──僕も女子高生が好きとかそういう、怪しい男ではありませんから」


ウインクでも付きそうな口調で。軽くこちらに視線を向けて、沖矢さんは笑った。
いや、目が細いからウインクなんて分かんないだろうけど。雰囲気で、そう、雰囲気。


というか。
この人、意外と冗談を言う人なんだ。

あと、偏屈姫って…会話の流れ的に、哀ちゃんのことか。

哀ちゃんが聞いたら怒りそう。
なんとなく。この人には容赦無さそうだ。



小学生に怒られる大人で紳士なこの人を想像したら、思わず笑ってしまった。













「ありがとうございました」

「いえいえ。僕も一人淋しく大学へ向かうより、楽しい時間が過ごせました」

「あはは、なら良かったんですけど。私はおかげで助かりました」


そう御礼をして、車から降りようと足を掛けた。
はずだったんだけど。

がくん、とバランスを崩してしまう。

あれ。車から降りるだけなのに。
気もそぞろだとここまで酷いのか…!
うわ、車から降りるところで転ぶとか、子供じゃないんだから…!

と、覚悟して目を瞑った瞬間。


思っていた衝撃がなく。ぐ、と身体を支えられていることに気付いた。
え。と振り向くと。

運転席から身を乗り出して、私の身体を支える沖矢さんの姿があった。





「…大変申し訳ございませんでした…」

「──いや、うん。あの子が、僕によろしく、と頼んだ理由が何となく理解出来ました」


──うっすら聞こえた、不幸を呼び込むというのはこういうことか…。


何かをぶつぶつ呟いて思考を巡らせている様子だったが、私は私で、そこそこ衝撃を受けているので相手の様子に気づくこともなく。


「学内の、どちらまで向かうんですか?そこまで送ります」

「いや!え、そこまでして頂く訳には!」

「ついでですよ、ついで。どうせ僕も学内に行くので」


有無を言わせません。といった感じで目が訴えてる。
いや、細目なんだけど。その細目がずーんと訴えている!


「じゃ、じゃあ…」

哀ちゃんはここまで見越して居たのだろうか…。
沖矢さん、ご迷惑かけます…。





ちゃんとしよう。ちゃんとしないと。
そう思うのに。

やっぱり動揺してるからだろうか。
いつもより、よく身体が引っ張られるように、地面に吸い込まれそうになる。

その度に、隣を歩く沖矢さんに支えられる始末。


「…いつもは、ここまでひどくないんですよ、ほんと」


思わずそんな言い訳を、沖矢さんに伝えると。
気にしませんよ、平気ですよ。と細目の笑顔を向けられた。


うーん…紳士だ。





「──杏ちゃん!」


その時、聞い慣れた声が遠くから聞こえて。


「あれ。緑水さん」


どこか焦った様子で、走ってこちらに向かってくる、くるくる頭が見えた。