#110




「…そっか」


私の身体に、なぜパンドラがあるのか。
その理由を、お父さんは静かに語ってくれた。


快斗君のお父さんと、うちのお父さんは昔馴染みで。
快斗君のお父さん──黒羽盗一さんが、元々怪盗キッドだったということ。

悪い奴が狙っている宝石を、黒羽盗一さんが盗み出し、お父さんに融解方法がないかと協力を求めてきて。
普通の宝石とは硬度も融解点も段違いなその宝石を二人でどうにか壊そうと画策する中。なかなか事が上手く進まなくて。

悪い奴に気付かれる前に、どう隠そうか悩んでいたところに、お母さんがやってきて。そして──丸呑みしたと。

そして、それが。
お腹の中に居た私の身体に不思議なことに、吸収されたしまったのだ、と。


そっか。


──そうだったんだ。




「──杏。本当に…すま」

「ふはっ…だめだ」



言葉を遮って、堪えきれず思わず笑ってしまった私に、お父さんが目を瞬かせている。


「──杏…?」

「さ、さすがお母さん…っ。普通、宝石丸呑みする?」


いくら職業柄そういうことが出来るからって、普通しないよ。
お父さんが困ってる!なんとかしなきゃ!
とかそんな感じで、後先考えずに身体が動いちゃったんだろう。

うちのお父さんがインテリ系だとすると、お母さんはどちらかというと、脳筋系だよなぁ。

なんで私の身体にそんなものがあるんだろう、と思ったけど。

そうかぁ。丸呑みか。





そう笑う私に、お父さんはどこか面食らったようで。

「──杏は、僕のことを、恨んでもいいんだよ?僕達は、何の罪も責もない子供達にとんでもない重しを、荷を、負わせてしまった……ただ。桃乃は、桃乃は悪くないんだ」

全て僕が──と言い募る父親の言葉を、今度は意識して遮る。

「なんで?お父さんを、もちろんお母さんも。恨むわけないよ。お母さんのその発想と行動力には、驚いたけど、さ」


だって丸呑み…再び笑いそうになるのを堪えて、お父さんに向き直った。
眼鏡の奥の瞳が揺れる。ああ、きっとさっきまでの私の瞳も、不安げに揺れてたんだろう。

お父さんも、ずっと、辛かったよね。
聞かない方が、って逃げててごめんね。

ずっと、守っててくれて、ありがとう。



「──正直ね。哀ちゃんから、私の身体にそんなものが埋め込まれてるっていう話を聞いた時、ね」

「…うん」

「私、お父さんとお母さんの子供じゃないんじゃないか、って。そう不安になって。だって宝石だよ?しかも、怪盗キッドが狙ってるビッグジュエル!そんなの、うちにあるわけないじゃない?だから、どっかの大金持ちがなんかこう、隠したくて愛人の子供に…的なこと、想像しちゃってさ」


今考えるととんだ昼ドラ的思考だ。ちょっと恥ずかしい。


「だから。私はちゃんと、お父さんとお母さんの子供なんだって、今、正直ほっとしたんだ」


そう。
哀ちゃんに話を聞いてから。
ずっと、一番怖かったのは、そこだった。

だから、良かった。
私は、ちゃんと、大好きな二人の子供なんだ。


思わず口元が緩んだ私を見て、お父さんの形相が大変なことになっていた。

…もう、良い大人の男が、そんな顔しないでよね。


「──っ、杏…っ」

「もう。やだなぁ。泣かないでよ。…何のための眼鏡なの?だったっけ」


お母さんが、涙腺が弱めのお父さんに、よく言っていた言葉だ。
ちゃんとガラス越しのバリア使いなさいよ、とお父さんが涙腺が緩む度に、そう言って笑っていた。

ね。お母さん、お父さんまだバリア使えてないよ。困ったもんだよね?

私の言葉に気付いたお父さんも、眉を下げて笑った。









そうして、少しばかり落ち着いて。

私のことは、わかった。
身体の事は、正直。まだやっぱり実感はわかない。

化け物じみた回復力も、ものすごいドジも、物心ついたときからこうだったし。
それで周りの子達に疎んじられたこともあったから、なんで私はこんななんだろう、と思ったことも、たしかにあった。

でも。
お父さんと、快斗君のお父さんが、悪い奴らの悪用を防ぎたくて、どうにかしようと画策した宝石。
その二人を、助けようとしたお母さん。

そんな思いの詰まった結果のこんな身体なら、そう、悪いものではない。
楽観的かもしれないけれど、凹んでなんかいられないよね。

だって。
私を守ろうと、お父さんが、色んな人達の助けを借りて、必死に動いてる。
緑水さんや哀ちゃんの、先程の優しさがさらに身にしみた。

私のために、あの二人も沢山動いてくれていたんだ。

阿笠さんや、千影さんだって。

──きっと、私の知らない人も、協力していることだろう。




──そしてもちろん。

…快斗君も。



そう。快斗君がキッドをしている理由。

キッドさんが求めていた宝石が、私の中の宝石だったと、哀ちゃんが言っていた。

けれどそれは、お父さんの話では、もう既に、盗一さんがキッドとして、盗み出していたということで。


あなたが、なにを想い、なにを考えて。
今、どこにいるのか。


快斗君の、キッドさんの想い。
目的。
なにを、成し遂げに行ったのかも。


──ごめんね。
快斗君が、私のために、言わなかったんだろうって、思うよ。


でも。
やっぱり、ちゃんと、知っておきたい。






「快斗君は、盗一さんのことを知って、キッドを…?」

「怪盗キッドが復活したのは最近のこと…あいつのことだ。きっと、息子が17になったときに、自身がキッドであった事を伝えるマジックでも、遺していたんだろう。彼なりに、黒羽盗一が、なぜ、キッドをしていたのか調べるつもりで自分も怪盗キッドに扮し──そうして、真実に近づいていった」


真実…とは、私の身体のことだろう。

──天文学的確率で、まるで運命みたいだと浮かれていた、快斗君との出会い。

…あれも、もしかしたら。
偶然ではなかったの、かな。

快斗くんは、パンドラを探すために、私に近づいてきた、のかな。

初めての日の、身体張ったナンパみたいなお茶も。


──っ、今は、そんなことを考えてる場合じゃないっ。

慌てて軽く首を振って。
ぎゅ、っともはや癖のように、クローバーのネックレスを握りしめた。


「…多分、快斗君は。キッドとして行動していくうちに、盗一さんがキッドをしていた理由でもある、パンドラを探すようになったんだよね?キッドさんは、途中から基本的にビッグジュエルばかりを狙っていたもの」

「うん。そうだね」

「──でも。快斗君は、お父さんに初めて会った後くらいに、パンドラが私の中にあるって聞いた、って事だよね…あれ?じゃあ快斗君は、なんで…」


──ビッグジュエルを、盗み続けていたんだろう。


そう言えば。二度目に怪盗キッドとしての快斗君に会った時、あの、ベランダで…

──馬鹿みたいな行為だと思いますか?盗んでは元に返し、を繰り返す、ただの愉快犯だと。


そう、キッドさんはどこか自嘲気味に言っていた。
あの時は、何も知らなかったけれど。


たしかに、目的の宝石が私の身体の中にあるなら、なんで…。


そんな私の疑問に、お父さんが優しく微笑んで。


「俺がビッグジュエルを盗み続けることが、杏から少しでも注意を逸らすことに繋がるなら。杏のことが万が一にも奴らに気が付かれないように。なんでも良いから、俺自身、少しでも動いていたいんです──だったかな」


どこか快斗君の口調を真似て言った言葉に、胸が詰まった。


「…っ、」

「杏の父である僕が、娘の彼氏に言う言葉かわかんないけど。かっこいい男に育ってるなぁって、思っちゃったよ。さすが、あいつの息子だなって」


どこか懐かしそうに目を細めながら、お父さんが言葉を続ける。

私は、ぎゅ、とネックレスを握りしめながら。
胸いっぱいに込み上げてきそうになるものを、とにかく必至に抑えて耳を傾けた。


「黒羽盗一って男はさ。惚れた女が背負う荷物を、全て自分が背負ってやりたいからって、たったそれだけの理由で怪盗キッドを始めちゃうような男なんだよね」


──本当、父親としては、娘の彼氏をこんな風に言うのは複雑だけど。


そう、苦笑しながら。


「──快斗君はさ。そんなあいつに、そっくりだ。好きな女の子の為に、無茶ばっかやるところも、ね」



喉元が熱い。せり上がってくる熱いなにかが、まぶたから溢れ出してしまいそうだ。


「…っ、快斗君の、かっこつけめっ…」


込み上げてくるものを誤魔化すように、必死に紡いだ言葉は。
どうにも文句じみて、情けないものだったけど。

本当、かっこつけだよ。
人には、危ないから走るな動くな無茶すんな!って口うるさく言う癖に。
自分はそんな無茶ばっかするんだもん。


どうしようもないくらい、胸がぎゅーっと詰まって。
溢れてきそうな熱いなにかをこらえるために、窓の外を眺めた。


──初夏の空が、透き通るように青くて。

この空の先、いったいどこで貴方は無茶をしてるんだろうと、堪らなくなった。


私も、キッドさんみたいな翼があったら。
今すぐあなたのそばまで飛んでいって、しがみついて、甘えて、勝手なことばかり!と文句のひとつも言って。


そして。
ありがとうって。馬鹿みたいじゃないよって。
ずっと、守ってくれて、ありがとうって。


ぎゅって、思いっきり抱きつくのに。




──ね、快斗君。
どうしようもないくらい、いま、貴方に会いたいよ。




──大丈夫だって。おめぇは絶対俺が守っから。


青空の先。私の大好きな、勝気な笑顔が見えた気がした。