#112
キッドさんと過ごした夜から、時は過ぎて。
心配とか、不安とか。
寂しいとか、恋しいとか。
沢山の感情が入り混じりながらも、普通に学校に行って、馨ちゃんとお昼食べて、授業受けて、家の家事をして。
そんな風に、私の感情だけが置いてけぼりになったままみたいに。
当たり前に日々は移ろいでいっていた。
お父さんや哀ちゃんに話を聞いた翌日からは、何もせずに家にいることがどうしても出来なくて。
馨ちゃんが誘ってくれた学校の特別補講を残り全部受けていた。
ガリガリと机に向かってノートを取る私に、馨ちゃんは「……根詰めすぎ」と、休み時間にトッポを一本私の口に放り込んできた。
ポリ、と軽い音を立てて、甘いチョコの風味が口に広がる。
自身もポリポリとトッポを食べながら、私の前の椅子に座り込んで、馨ちゃんは頬杖をついた。
「──マジック修行、だっけ?あんたの男も唐突に突飛な行動するわね」
どうやら快斗君は、馨ちゃんのお父さんにはアメリカにマジック修行に行くと伝えていたみたいで。
まだ杏に伝えてないので、馨さんにも黙っていてもらえますか、とご丁寧に連休のその日まで馨ちゃんにも伝えずにいてくれたようだ。
私がお父さんに話を聞いた日。
気付けば馨ちゃんから着信とLINEが入っていて。気付いたのは翌日だったので、慌ててかけ直すと、ワンコールもしないうちに電話が繋がった。
──あんたがぺしゃんこに潰れちゃってんじゃないかと思って。
そう、いつもの馨節な言い方だったけど。
心配してくれていたのは、充分にわかるその声色に、心がじんとあったまった。
とりあえず、補講出て、終わったら旨い物食べるよ。
と、連休中は毎日馨ちゃんが一緒に居てくれた。
私からは、何も馨ちゃんに言ってないのに。
何も言わずに、何も聞かずに。
そうして連れ回してくれて。
私の親友は、どうしてこう、もんのすっごく良い女なんだろう。
「──私が男だったら、馨ちゃんが振り向いてくれるまでアタックし続けるのに」
思わずそうぼやいた私に、馨ちゃんは「私が欲しいなら、まずは物理的にアタックしてこい」と笑っていた。
相変わらず『強さ=カッコいい』な方程式の脳筋馨ちゃんに、思わず笑った。
そうこうして過ごしていると、いつのまにか五月も半ばになっていて。
ぼんやりと教室の窓から、空を眺めていた。
最近はすっかり、こうして空を見上げるのが癖になっている気がする。
しゃらり、とセーラー服の中に隠し付けているクローバーのネックレスが、静かに音を奏でた。
──快斗君は、今、何してるかな。
あの日。
全ての計画のデータが無くなっているから、正確なことはわからなくて申し訳ないけど。と、お父さんが、快斗君がどういうことを成し遂げにいったのかを、簡単に説明してくれた。
──ドバイで行われる、地下オークション。
そこで、私の身体からパンドラを取り出すのに必要な、宝石が出品される。
そこに、その宝石を盗み出しにいったのだ、と。
地下オークション、かぁ。
表と裏が世の中にあるとすると、確実に裏側で行われてるものだろう。
そういう、危険なオークション的なものが、フィクションじゃなく、現実でも行われてたりするのか。
そんな、悪い人達が沢山居そうなアングラオークションで。
怪盗キッドとして、宝石を盗み出すの?
聞いただけで、なんとなくだけど、とにかく危険な気がした。
「──まあ、彼は天下の怪盗キッドだ。信じて待っていてあげて欲しい」
そう、お父さんは安心させるように私に微笑んでくれたけど。
──私だって、怪盗キッドがどれだけ凄くてかっこいいかくらい、ちゃんとわかってるつもりだ。
伊達にファンしてない。
キッドさんのニュースは全部録画済みだ。
大胆不敵で、華麗なキッドさんは。
逆光で隠れて、表情なんて、もちろん見えないけれど。
わずかに見えるその口元は、いつだって不敵に微笑んでいて。
どんな危険なところでも、ピンチでも。
彼はきっと不敵に微笑んで、そして華麗に盗み出すんだ。
でも。
ドバイって。どこかも知らない国で、危険なことするって聞いて。
何の心配もしないでいられるほど、私の心臓は毛むくじゃらにはなれそうになくて。
まずはドバイがどこなの、と地理の教科書を開いて。
苦手な世界地図とにらめっこして。
ドバイが中東にあることを知った。
定規で思わず直線距離を測って縮尺計算してみたら、東都から大体8000キロあって。
……8000キロ、か。
まったくどれくらいの距離か、想像もつかない。
うちから江古田東までが一キロだから、8000回高校に行けばいいのかな。一年が365日だから……3年通っても、8000キロなんて、全然届かないよ。
──って、バカな比較はやめよう。
でも。
「すごく、遠いなぁ……」
快斗君──キッドさんに例えば、危険が訪れた時に。
そりゃ、馨ちゃんみたいに物理的に強くもない、私じゃなにも出来ないけれど。
何かあったら駆けつけたいのが女心というもので。
でも、8000キロなんて。
あなたの元へ駆けつけることすら、簡単には出来ない距離だ。
快斗君の意向で。こちら側との連絡手段が断たれてしまったみたいだし。
無事かどうか。
今どういう状況なのかも、さっぱりわからない。
──快斗君。ねぇ。
今、どこで何してるの?
ちゃんとごはん食べて、休んでる?
快斗君がすごいのは知ってるよ。
だけど、やっぱり。心配なのは心配なんだよ。
お願いだから無理しないで。あんまり、無茶もしないで。
なんて。
先の見えない8000キロ先に念を送りつつ。
どくどくと、心臓が早鐘を打ち続けたまま。
落ち着かない心持ちは、いまだ収まりそうにない。
私のために、とんでもない事をやり遂げようと無茶しちゃう、私の大好きな人。
帰ってきたら、ぎゅうぎゅうに抱きついて、しがみついて。
心配した分、べったりひっついて離れてやんないんだぞ!
と、空に向かって心の中でひとりごちた。
そんな風に、日々を過ごす中。
快斗君が、大変な時に、こっちの心配までさせちゃいけないと。
ちゃんと勉強も疎かにしないよう頑張って、黒羽大先生の教えを反芻しながら、赤点とってがっかりさせないよう。むしろ、頑張ったな!って言ってもらえるくらいを目標に。
そしてなにより。
私のこの体質で、やらかしてしまいがちだから。
大っきい怪我とか、ドジハプニングとか起こしちゃわないよう。
そう。大人しく、気をつけて過ごそうと思っていたんだけど。
「──お嬢さんの今の服装には、こちらのオープントゥーのヒールの方がお似合いかと」
──あれ。どうしてこうなった……?