#113



仕立ての良い黒スーツを着こなすナイスミドルな男性が、にこりと柔らかな笑顔で勧めて下さるのを、当たり前のように応対する能力なんてものが私にあるわけがなくて。

あわあわと言葉も出せない私を見越してか、隣から声がとどいた。

「ああ、たしかに杏さんにそのヒールは似合いそうですが……。悪いが、ヒール無しの靴を選んでくれないか?僕としては、そのような華奢なヒールを履いた杏さんの腕を支えて、一緒に歩きたいところですけれど。そんなことしたら黒羽君に殺されかねないですからね」

「あは、ははは…」


ウインク付きで、こちらに向かって話しかけてくるハニーブラウンな髪色の英国紳士には、空笑いの愛想笑いを返すことしか出来そうにない。


「では、こちらのラウンドトゥーのパンプスなど……で……」
「ああ、これは良いですね」


私を置いてけぼりに、私のことで会話が進んでいるわけだけど。

私は今、なんやら大きめなスーツケースみたいなところから、次々と品のある可愛い靴が現れるのを呆然と眺めながら。
以前にも、ものすごく座り心地の良いソファだと思った、私をふわりと支えるソファに座り、なぜか次々に試し履きを繰り返していたりする。


うん。ちょっと状況が理解できない。


いや、うん。
いや……うん。


直角方向に座りながら、次々と靴を仕替えられる私の様子を、柔らかく微笑んで眺めているのは。
白馬君で間違いなくて。

そしてここは。
以前大ドジかました時に、着替えとお風呂を貸してもらった白馬君のお屋敷の、あの──うん、色々あったお部屋で間違いない。


で。
白馬君と共にここで私に次々と靴を履かせるナイスミドルなこの人は──。


──こういう風に、家に来る、老舗デパートの人とか、なんか聞いたことある。

ええっと、確か。そうだ。

外商さん、ってやつじゃあ、ないでしょうか……?



──そうや。これ、テレビでやってたやつや。

そんなエセくさい関西弁を、思わず心の中ひとりごちた。


あまりの自分の場違い感に、ふかふかソファーに埋もれるお尻が、どうももぞもぞしてしまう。

どうして再び白馬君のお家にいて。そして外商さんとこんなことになってしまったんだろうと、数刻前の自分の行動を遡ってみる。



──まあ、原因は私のこのおドジ体質だけど。

きっかけは、やっぱり君なのかな?


ちら、と部屋の隅に鎮座しているあの子に視線を向けると、返事をするかのように、艶のある羽を片翼ばさりと羽ばたかせた。


ああかっこいい。
そしてかわいい。






***





以前哀ちゃんに教えてもらった店へ、コーヒー豆を買いに行った帰り道のことだ。


サービスで貰ったテイクアウト用のアイスコーヒーを片手に、せっかくなのでと、一緒に売ってた手作りクッキーを買って。
近くの公園でコーヒーブレイクでもしようかと、噴水前のベンチに腰掛けていた。


木々がさわさわと風に揺れているのが、熱い日差しの中でも心地良い。噴水の水しぶきがキラキラとしてみえるのは、太陽がしっかりと照っている証だ。
今日も今日とて空が青く澄んで綺麗で。

今日のドバイはどんな天気なんだろう。
あっちはこちらよりも暑そうだ、ちゃんと水分とってるかな?なんてぼんやりと思いながら、コーヒーをちびりと口に含んでいた時だ。



見上げていた空に、しゅ、茶色い影が視界に入り込んだ。

あ、鳥だ……鷲?んー、鷹かな?
かっこいーなぁ。と、思った瞬間。
その鳥が急に旋回して、どんどんと近づいてきて。

え、え……!

と、慌てている間に、なんと。



──私の膝に、一匹の鳥が舞い降りた──



意外と重い。
そしてこれは、やっぱり鷹かな?
きゅるり、とまあるい瞳がこちらを見上げてくる。

え、たしか鷹とか鷲って猛禽類だよね?かっこいいイメージが強かったけと。

え。ナニコレカッコイイノニカワイイ。

驚き固まる私に、聞き覚えのある声が届いて。


「ワトソン!勝手に飛び立っちゃダメじゃないか……っ!──って、あれ?杏さん?」

「え、白馬くん?」


ワトソンと呼んだのは、もしかしてこの鷹のこと?
え、この子、まさか、白馬くんのとこの鷹なの?

思わず膝に鎮座する鷹と白馬君を交互に見遣った。


──ワトソンって、たしかホームズの助手の名前だったような。


鷹にワトソン。
白馬くんと鷹。


……らしい。らしすぎるぞ、白馬くん。



「こら。ワトソン。杏さんが困るだろう?早くこちらにおいで」

「キィ?」

澄んだ高い鳴き声が、ワトソン君から届いた。
心なしか、小首を傾げてこちらを見上げてるような…。

え、なに?どうしたの?
僕、ここに乗っちゃダメだった?

とでも言っているかのようなあざと可愛さ。
なにこの子可愛い。


きっと白馬君もそう思ってるに違いない。しょうがないなぁこいつぅって感じに、端正な顔が緩んだもの。
ぜったい親バカならぬ、鷹バカだこの人。


「──まったく、ワトソンは……うちの子がすいません、杏さん。いつもはこんな風に勝手に他人の膝に乗ったりしないんですが」

「全然大丈夫!大人しいよね、この子!鷹って猛禽類って言うしさ、こうやって大人しく膝に乗ってくれるイメージ無くてびっくり」

「鷹は頭が良いので。ワトソンは、僕と小さな時から一緒に訓練を積んできましたしね。獲物以外に牙は向きませんよ。先程まで狩りをしていて、ワトソンの機嫌も悪くないですし、なんだか杏さんの膝の上は気持ちよさそうにしていますし……お腹、撫でてみます?」

「え。いいの?」

「ええ。もちろん。やさしく触れてあげてくださいね」


キュ、と。いいよと言うように鋭い嘴から声がした。うう、かわいい。
飛んで逃げちゃわない?触っていい?と、おそるおそる白いお腹に触れると。

うあ!ふかふかのもふもふ!

私が感動してお腹から手が離せなくなっていると、白馬君がそうだろうワトソンのお腹の触り心地は最高でしょう、とでも言ってるような顔をしていた。
ドヤ顔だ。イケメンのタカドヤ顔頂きました。




「──ところで。杏さん、もしかして怪我してますか?」

「へ?」

そういや、コーヒー屋さん着く前に一回転んだとき、血が出たっけ。

あれくらいは日常茶飯事だから、怪我に入れていいのかわからないけど、そのことかな。

私の表情に合点がいったかのように、白馬くんはうなずいた。


「ワトソンは、血を好むんですんよ。普段勝手な行動しないこの子が急に飛び立って驚きましたが、降り立ったのがまさか貴女の膝の上なんて──怪我、酷いんじゃないですか?」

「うーん……かすり傷だよ?転んだの結構前のことだし」

「そうですか。酷くないなら良かった」

どこかほっとした様子の白馬くんに、そういや、白馬くんも私のドジっぷりをよおっく知ってるもんな、と心の中で納得する。いやもう、心配かけて申し訳ない。


「白馬君にもドジで何度も迷惑かけてるもんね……。今日は本当、大きな怪我もしてないから!心配ありがとう」

「いえいえ、迷惑なんて全くかけられたことありませんよ。そのハプニングのおかげで、杏さんとお近づきになれたきっかけには出来ましたけどね?」


さすがフェミニスト。さらりと返しますな。
はは、とタラシな台詞は笑って流して、お膝のワトソン君の艶々の背中を調子に乗ってひと撫でしてみる。
うーん。ふわふわのお腹も捨てがたいが、この艶のある背中も捨てがたい…。


「にしても、ほんとに可愛いねぇこの子。ワトソン君って言うんだよね?」

「ええ、僕の相棒です。たまに、こういう緑の多い広場で鷹狩りをさせて貰っているんです。なかなか都会だと、ワトソンも羽を伸ばす場所が少ないのですがね──あ、許可は得てますよ?」

「へー。鷹狩り……犬の散歩みたいなもの?」

「ふふ、まあ、そんな感じですかね。鷹の散歩もオツなものですよ?──さあ、ワトソン。杏さんの膝が居心地良いのはわかったから、そろそろこちらにおいで」


そう、ピィ、と口笛をひとつ吹いて。
それに応じて、ワトソン君がその優雅な羽を拡げた時に、はたと気付いたのだ。


血を好むって言ってたし、まさしく探偵の相棒ぴったりだよね。

──血、血か。…そういや私、今日生理だ。

え。ん??
血って、もしかしてそれ!?


そこまで思考が行き着くと、無性に恥ずかしくなり。ワトソン君が私の膝から飛び立つと同時に、思わず立ち上がってしまいまして。


──慌てて立ち上がるとろくなことがないのが、浅黄杏という女なのだと、私はいい加減学習した方が良い。

ええ。咄嗟にやらかしてしまいました。

立ち上がったのと、ワトソン君の羽にコーヒーの入った紙コップがぶつかるのが、ほぼ同時で。


ええ。そこから先はもう、ご想像通り。
ええはい。上から足先までばしゃり、ですよね。




***



私のせいだから気にしないで!と首をブンブン振って断ったのだけど。
女性をこんな姿にさせて、そのまま何もしないでお別れなんて。そんなことしたら、僕は僕を一生許せない。とまで言い始めた白馬君に根負けした私は、あっという間に以前来た白馬邸を再び訪れることになったわけで。


今回は表面だけだったので、お風呂は丁重にお断りさせて頂きました。
なんてったって生理中だしね……。



洋服はサイズが目視でわかりますからと、お屋敷についた途端、白馬君が以前会いまみえた《ばあや》と呼んでいたおばあさんがやたら肌触りの良いワンピースをご用意して下さっていて。

靴は履き心地などありますので、一緒にみましょうか。

と、にっこりと紳士スマイルで微笑まれ。
見る?と首を傾げた私の前に現れたのが、今ここにいるナイスミドルな外商さんというわけだ。やじるしイマココ的な。


どれもこれもすごく素敵なんだけど。
値札が付いていない靴を、試し履きするたびに。
これ、いくらすんだろ…。とそっちに頭がいってしまう庶民です。


ワトソンたすけて。

思わず部屋の隅に置かれた枝木に視線をむけると、きゅるり、と目を回したワトソン君は、また可愛らしく小首を傾げていた。


うう。かわいいなぁもう!







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