「……っ!」
「キュィァ!」
「……ご、ごめ」
三者三様の音が、室内を響かせた。
声無き声をあげて、鼻頭を押さえているのは、白馬君で。
その頭の上に、鳥キックをかますかのようにワトソン君が飛び乗ってきたのと、私が肩を捻って白馬君の鼻頭に頭突きをかましたのは、ほぼ同時だった。
──まあ今回は、条件反射というか、こなくそ!と気合いを入れた結果というか……。
言葉や態度じゃなく、こうして手が出てしまうのは、馨ちゃんだけを脳筋だ脳筋だと言ってらんないかもしれない。
まあ、出たのは手じゃなく頭だけど。
「ほんとごめん、白馬君。つい」
「いや──今回は、本当に──そう、危なか──っ、まあ、はい。あのままだと黒羽君に殺されるところでしたので、鼻の痛みで済んでむしろ良かったです」
鼻が痛いせいか、どこか歯切れ悪く言葉を紡ぎながら、白馬くんが苦笑している。そんなに痛かったかな……まあ、毎度毎度、冗談が過ぎる白馬君も白馬君なので、鼻の痛みは甘んじて受け入れてもらおう。
「まぁ、ワトソンにまで邪魔されるとは思いませんでしたが」
どこか私から視線を逸らすように、ワトソン君に顔をむけ、白馬くんがそう零すと。
知るか、とでも言うように、ワトソン君が私の膝へと舞い降りた。
「……おいおい。お前の親は僕でしょう?」
チキチキと鳴きながら、膝に大人しく鎮座するワトソン君。
──うちの子にならないかなぁ。こんなに可愛くて番鳥にまでなるなんて、さすがとしか。
「ありがと、ワトソン君。──ね、白馬君」
未だに鼻をさすっている白馬君に声を掛けると、こちらに視線が戻る。どこか目元が赤くなっているのは、そんなに痛かったのか。なんか本当ごめん。としか言いようがないのだけど。
今はそこじゃなくて。
ぎゅ、っと。もはや癖のように、ネックレスを握りしめて。
大きく息を吸った。
「確かに、寂しいし。やっぱり、私の知らない場所に快斗君が行ってるってことは、それだけで私はそりゃあ心配だよ?」
ワトソン君のふかふかのお腹を撫でながら、言葉を紡ぐ。
「でもさ。私が快斗君のことで知ってることなんて、マジックが上手なことと、ちょっとスケベなとこと──わたしのこと、大事にしてくれてる、ってことぐらい!」
──そうだ。
快斗君が、何のために、こちらとの繋がりを全て絶ったと思うんだ。
……私たちに、万が一にも被害が及ばないようにでしょう?
なのに、私は、一瞬。
白馬君に言ったら、快斗君の状況がわかって、協力してくれるかもしれないだなんて。
そんな自分勝手な、快斗君の思いを踏みにじるようなことが脳裏をよぎってしまった。
……あー、もう情けないったら!
そんな自分に、喝を入れるのも相まっての、頭突きになってしまったわけだけど。
白馬君だって、そんな探り方するから、お互い様ということで。
「あ、あと、快斗君の苦手なものも知ってるけど……それは、快斗君の名誉の為に、彼女としては黙っておくね?──ごめんね。本当に鼻、大丈夫?」
にっこりと。
この話はこれでおしまいだと、白馬君に笑いかけると。
とうとう白馬君が呆れたように笑った。
……未だ鼻はさすってるから、やっぱり結構痛かったんだろう。お互い様だけど、やっぱりちょっと申し訳ない。
でも。その瞳に、探ろうとしていた意思も、もう見えない。
たぶん私のこの態度で、もう何も言わないであろうことがわかっているんだろう。
「──本当に君たちは。……そうして笑うところ、そっくりですよ」
***
そんな白馬君とワトソン君たちとのハプニングもなんとかやり過ごして。
気づけば、もうすぐ6月だ。
快斗くんのいない日々は、思った以上にゆっくりと過ぎていって。
快斗君がどれだけ、私の心の中を占めていたかがわかる。
馨ちゃんも、哀ちゃんも、私の様子を気にしてか、よく誘いをかけてくれる。お誘いが被ると3人でお茶とかもしてりして。
すっかり3人で仲良しで、私はすごく嬉しかったりする。
緑水さんも、「今日は杏ちゃんの作ったご飯食べないと、もうこの後の残業やる気でないねぇ」とかいって、お家でご飯を食べにきたがる。まあ、それはさすがに快斗君が怒りそうなので、お父さんも一緒の時だけにしているけど。
お父さんも、以前よりずいぶんと早く帰って来てくれる日が増えた。そうしてうちで3人で夜ご飯を食べたりする日が、前よりずっと増えた。
そんなふうに、私がひとりにならないように、皆が過ごしてくれてるのがわかってる。
なのに。
こんなにも、日々をゆっくりと。永く感じるのは。
こう、空っぽになったような、時間が止まったように感じるような。
そんな時間があるからだろう。
私のことを想ってそばにいてくれる皆に申し訳ないので、出来るだけ、笑って過ごしているけれど。
そんな瞬間だけは、どうしても時が止まってしまうのだ。
そういう時は、ぎゅ、と縋るようにネックレスを握りしめて。ふぅ、と息を吐いて。
そうして、落ち着いてから、ライン状になった4連ハートを指で摘む。
かちり、と嵌めるとハートの4連ラインから、クローバーになる。キラキラとしたクローバーへと変貌するその瞬間が、好きだ。
──マジックみたいだろ?
そう笑った彼を思い出して、頬を弛めた。
そんなふうに、月日はゆっくりと。だけど刻々と進んでいく。
お父さんが、だいたい5月末から6月頭にオークションが開催されるといっていた。
正確な日取りはつかめてないうちに、全てのデータが盗まれちゃったから……。そう苦笑するお父さんたちにはもう、日取りも何も分からないので。そろそろだろう、ということしかわからない。
もちろん、オークション開催日に快斗君が作戦を決行するのかも、わからない。
わからないことだらけだから、そわそわと心臓がせわしなく動くのを、とにかくやり過ごして。
ぎゅっと、ネックレスを握りしめつつ、ただただ快斗君の無事を祈るだけだ。
──お願い、無事で。早く、帰ってきて。
もはや毎度になる、そんな願いを、空に捧げて。
そうして見上げる空は、今日も澄み渡るような初夏の青い空だ。
部屋の窓越しに見る空に、そういえば、と思い出した。
快斗君と出会った頃。私って、空の青さにすら、快斗君のことを連想してたよな。
なんともふわふわした脳みそで、快斗君の瞳の色みたいだーって、さ。
いやまあ、快斗君の蒼い瞳は、どっちかというと、海の蒼だと思ってるんだけど。
なんというか、本気で脳内お花畑だったから、全てが快斗君との共通点みつけてきゃっきゃしてたような。
なかなか頭の中お花が舞いちらかってましたよ。
……まあ、でも、それは今もか。
こうして空を見上げて、結局快斗君を想ってる。
快斗君と出逢ってから。
会えない日も、LINEか電話はしていたから。
こんなに、声が聞けない日が続いたこと、なかった。
連絡手段まで絶っちゃうんだもん。
私たちの為だというのは分かってる。
分かってるんだけど、だよ。
「……声。忘れちゃっても知らないから」
そんな、恨み節をひとりごちて。
今日は、勉強は少しにして、気分転換に部屋の掃除でもしようかな、とうだうだとしていた気持ちを振り払うように、腰を上げた、その時だ。
携帯の電子音が、着信を告げた。
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