#117






見たこともない長い番号の羅列が、携帯の画面に映った。

もしかして、なんて。

期待して、違った時のショックが大きいのに、どうしても期待してしまう。

ドキドキと煩い心臓は、まるで早く取れと急かしてるみたいだ。



「──はい」

『……あー、俺だけど』





スマホから、その声が聞こえた瞬間、心臓が止まるかと思った。





「……っ……」

『あれ?もしもーし。俺、ってオレオレのアレじゃなくて──」

「かっ、い、と、くん……っ」



快斗くんだ。
大丈夫?無理してない?無茶してない?
いって帰ってこれるの?無事?
怪我は?暑くて熱中症になったりしてない?

もう、なんでもいいから帰ってきて。
会いたい。
会いたいよ。


言いたいことが湯水のように、頭の中では溢れているのに。
やっと言葉に出来たのは、愛しいひとの名前くらいで。


『……おう』


どこか、照れたような、相槌の声が聞こえた時には。
いなくなってからずっと我慢出来ていたはずの涙腺が、簡単に決壊した。


『あーっと。とりあえず、俺は元気です。この通りピンピンしてる──って、見えねぇか。杏は?風邪とか引いてねぇ?』


聞こえて来る彼の、まるで普段と変わらないいつもの声に、言葉が出なくて。
こくこくと頷いてる私の姿なんて、見えるはずないのに、『なら良かった』とまるで見えてるみたいに快斗くんが言う。


『──ああもう、杏、泣くなって』


ちぃっと遠すぎて、抱きしめに飛んでくことも出来やしねぇから。
そんなどこか、悔しげな声が聞こえて。

必死で嗚咽を堪えていたのに。
なんでわかってしまうんだろう。


『魔法使い失格な』

苦笑する声に、ぶんぶんと首を振った。

『な。杏、声、聞かせて?』

「……っ、ひっ、かい、と、くん……っ、げ、んき……?」


ついさっき、元気ですと聞いたのに。
なんてアホなことを。思いながらも、必死で涙を止めようと、ぐしぐしと拳で瞼をぬぐった。
こんなんじゃ、まともに電話も出来やしない。


『ん。元気元気。──な、杏、クリスマスん時のネックレス、ちゃんと付けてっか?』

「つ、けてる、よ」


あれから、本当に肌身離さずつけている。
快斗くんが側に居なくても、なんだか側で守ってくれてるような、そんな気になるから。


『そのネックレスには、ある秘密があってな』

「……?」


──秘密?おもわず首を傾げてしまう。クリスマスに貰った時にもう、このネックレスの魔法みたいな仕掛けは教えて貰っている。キラキラと輝く石は、模造品だから気にすんな、と笑っていたけど、やっぱこんなに綺麗だもん。ものすごく高い石なんだろうか。


『実はな。かの有名な大怪盗が、とあるものを盗まれたんだ』


妙な語り口で始まった話に「へ?」とすっとんきょうな声を上げてしまう。
思わず涙も引っ込んだ。
かの有名な大怪盗って、怪盗キッドのことだよね。


『しかもその相手は、料理が美味くて、何気に鉄壁ガードで、乳が気持ちいい、ちょいとおドジな可愛い女の子』

「う、うん」

いや、それ、あれか。私のことか。
乳が気持ちいいは入れるかなぁ、そこに。入れるよね、快斗君だもんね。

とりあえず、何が言いたいのかわからず、おざなりで返事をすると、『おめー、信じてねぇだろ』と、快斗君からすぐさま突っ込まれた。
いや、だって。突拍子もない話過ぎて。

私、キッドさんから何か盗んだ覚えなんて──あ、パンドラ の、こと?いや、これは不可抗力というか……どちらかというと私じゃなくてお母さんじゃないかな?


「えっ……ぱ」
『そんなちゃちなもんじゃねぇよ』


私が思っていたことがわかったのか、快斗君がすぐさま否定の言葉を述べる。
パンドラがちゃちって。一体私は何をやらかしたんだ。


『月を背負う天下無敵の大怪盗は、可愛い可愛い女の子の、キラッキラの笑顔に、さ』


『──ハートを、盗まれちまったわけだ』



とんだ言葉に思わず声がつまった。
たまに快斗君は、恥ずかしげもなくそんなことを言うから反応に困る。


『その、ネックレス。その証拠にハートの形してっだろ?しかも四つ並んで、かちりとはめるとクローバー柄──怪盗キッドの、モチーフだ』


……まったくもって快斗くんは。所々、ロマンチストだ。思わず口元が綻んでしまう。

ぎゅ、と携帯を握る反対の手で、ネックレスを握りしめて。


「──それは、とても大事なものを盗んじゃったみたい」

『そゆことな。──今は、遠く離れておりますが……私の心は、常に、貴女のもとに』


快斗君は本当に、色々ずるい。

キッドさんの口調になって。真剣にそんなことを言うのだから。


『──俺のハート、大事に、預かっといてな。ちゃんと、“そこ“に戻るから』

「──っ、うん……っ」


見えるはずもないのに、こくこくこくと、赤べこもびっくりするくらいに頷いた。






『……本当はさ。ちゃんと全部おわった後に、杏に電話なりしようと思ってたんだけどな。どーしても、声聞きたくなって。我慢出来なくなった』

そこまで言って。苦笑する音が、電話越しに響く。

『わりぃ、良い報告の電話じゃなくて』


快斗君は、わかってない。
私は、良い報告を期待して、貴方の連絡を待ってたんじゃないんだ。


「ぜん、ぜんっ!むしろ、ずっと、わたしの方が!もっともっと!ずっと!声、聞きたかった」


声だけじゃなくて。
会いたかったし、寂しかったし、触れたいし。

なにより、不安で。
声を聞いて、こうして、無事を確認したかった。

快斗君が、いつもどれだけ、私のそばにいてくれたのか。
家の中の、快斗君用のお箸や、茶碗を見るたびに、泣きたくなるほど寂しくて。

こんなに、私の中に快斗くんが占めていたんだと、痛感してたんだよ。


「なんでもいいの。こうして、電話くれただけで、十分だよ」

『──そ、っか。なら良かった』


ほっとしたような声が、耳元に届く。
こうして電話していると、快斗くんがすぐ近くにいるみたいに感じる。ずっと、こうして繋がっていれたらいいのに。


『んでも、多分俺の方が聞きたかったね。もー重症。なんでもかんでも杏のこと連想しちまうし』

「……そんなの、私だってそうだよ。空の色ですら、快斗くんになっちゃうんだから」

『──ははっ。んなら、一緒だな』


どこか、嬉しそうな声色で。一緒だと笑う快斗君に、堪らない気持ちになる。


ああもう。
好きだ。好き。
あなたが好き。

何度だって何回だって、快斗君は、私を恋に落とすのだ。





──その時。ピピッ、という無機質な音が、電話から聞こえた。


『っ、げっ、もう?短っ!……な、杏』

「うん?」

『……がんばって、って、言ってくんね?……そんだけで、俺、何だって出来る気がすっから』


なんとなく気付いた。
多分、快斗くんが、危険な盗みに出かけるのは、今日明日くらいに決行されるんじゃないか、と。


行かないで。このままでいいよ。
も、帰ってきて。
会いたい。快斗くんに危ないことして欲しくない。
何かあったら……っ!

こうして電話で繋がったことで、弱虫で寂しんぼで、自分勝手な自分の気持ちが、蓋を開けて溢れ出てきそうで。


ぎゅ、とネックレスを強く握りしめる。


でも。私だってわかってるつもりだ。
快斗くんが、今聞きたい言葉は、そんなんじゃない。


私の為に、人の気も知らないで無茶ばっかする、私の愛しいこの人に、今。

私が、伝えたい言葉は。



「快斗君……天下無敵の怪盗キッドの、今世紀最大のショータイム!ばっちり、決めてきてね」


『っ……ははっ。おう!ま───』



ツー  ツー  ツー  



「……切れちゃった」


途中で途切れた電話。
よくわかんない番号は、多分公衆電話で。

あまり使い慣れないものだけど、確かああいうのって時間制で、カードの残量がなくなって、強制的に通話が切れてしまったんだろう。


しん、と鎮まった部屋。
名残惜しくて、携帯の画面を切る事が出来なくて。


ま、で終わってしまったけれど。
きっと、「まかせとけって!」と力強くて、自信たっぷりな言葉を言ってくれていたんじゃないかって思う。



「……うん。大丈夫!私の魔法使いは、すっごいんだから!」



だって。
たった数分の電話で、こんなに私に元気をくれるんだ。


無茶しないでって言っても聞かないであろう、私の大好きな人。


わたしの言葉は、思いは。


8000キロ先の彼に、ちゃんと届いただろうか。









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