#122





快斗君からの8000キロ先の電話から、季節は過ぎて。
気付けば。6月も終わりを迎えようとしていた。
 
6月の半ば頃。緑水さんが、教えてくれた。
今頃は本来なら、既に帰国しているはずだったって。

「まあ、あっちのパツ金巨乳美女にでも、ふらふらーっとなっちゃってるんじゃない?帰ってきたら浮気者!って平手打ちでもしてあげなよ」

軽口を言っているけども。本当は緑水さんだって、快斗君を心配してることぐらい。そして私を心配してることぐらい、わかっている。
夜食を持って来いだとか、あの検査がまだだから大学に来いだとか。博士と一緒に家に邪魔するから。今日は唐揚げを作っておいて。とか。理由をつけては私をひとりにしないようにしてくれていて。
なんやかんや、緑水はそういうとこ、あるんだよな。

そんな緑水さんと今、買い物に来ている。
 
「どっかの夢見がちな坊主と違って、頼れる大人な緑水さんは車持ちだからねぇ。杏ちゃん何買ってくれても大丈夫だよ」
「買い物代は?」
「博士持ちだねぇ」
「さすがっ。頼れる大人は違いますねー」
「こういう時に下手に『俺が出すぜ』って、どっかのカッコつけボーイみたいな事しないのが良い男なんだよねぇ」

……ちょいちょい。ちょいちょい入ってくるこのディスりは、快斗君のことを言っているのだろう。
 
お父さんも。哀ちゃんも。
緑水さんから、本来なら帰国してる筈だったと聞いた頃から、快斗君の事を話題に極力上げないようにしているのを感じている。
ああ。気を、使われているなぁと、申し訳なく感じる時があって。
その点緑水さんは、これっぽっちも気遣わずに、なんならディスりながらこうして会話に入れ込んでくる始末。

──逆にこれくらい言われた方が、快斗君が、本当にただ、金髪美女にふらっと行っちゃってて、帰ってくるのが遅くなってるだけだと思えて。
──気を遣われていないのも、正直、少し助かっていて。

最近はこうして、ついつい緑水さんと過ごしてしまうことが増えた。緑水さんだって忙しいだろうに、そんな私を見越してか、何かと時間を作ってくれているんだろう。
「女子高生と触れ合えるチャンスを逃さない手はないからねぇ」
なんて。忙しいんじゃないかと確認した時には、相も変わらずなことを言われたのだけど。

「なら遠慮せず、お米5キロと、ビールもケースで買おーっと」
「いい調子だねぇ。なら黒星マークのビールにしよーっと」

私の言い方を真似ながら、ビールコーナーへと進んでいく。

「うちのお父さんの好みは首の長い動物のマークの方だけど」
「大丈夫大丈夫。グラスに注げば皆一緒だからねぇ」

そう言って、ご機嫌に黒星マークの方をカートに乗せて。
我が家の買い物の付き合いとして、大きな総合スーパーに車を出してくれてる中。
つまりは、これはお父さん用にと選んだビールなんだけど。自分の好きな銘柄入れてる緑水さんに、相変わらずだなぁと思わずふはっと息を吐いた。
そんな私の様子を、ビールをカートに乗せ終えた緑水さんが、くるっと振り返って覗き込んだ。

「久しぶりに杏ちゃんの普通の笑い、みた気がする」
「……別に、普段も無理して笑ったりしてないけど。そして今のは呆れただけで笑ってないし」
「そうだねぇ。普段のは無理してないよー私は平気だよーって。普段通り笑ってるように見える、無理してる笑い方だねぇ」

うんうん、と同意に見えて全然同意してない事をはっきりと言う。そして、突っ込まれたくないことを、がんがん切り込んでくるのが、緑水さんだと言うことを。こういうとき身に染みて思う。

「──緑水さんは本当、ずばずば言うよね」
「だって杏ちゃんあんまりにも普通にするから。別に普通の遠距離恋愛してたって、ちょっと連絡取れないだけで落ち込んだり悩んだりするもんじゃない?そんな中、明らかにどうなってるかわかんない状況でさぁ。そんな普通っぽい態度取られると、虐めたくもなるもんなんだよねぇ」

にぃ、とチシャ猫みたいに緑水さんが笑う。
そんな姿に、はぁ、と思わずため息を吐いた。
……落ち込んだり、悩んだりなんて。出来るわけがないじゃないか。

「──ほんっと、いじめっ子だよね、緑水さんって」
「気になる子は苛めたくなるもんなんだよねぇ。男ってやつは。で。どう?少しは泣きたくなった?」
「どうでしょーねー」
「うわーぁ。杏ちゃんが可愛くない」
「可愛いと思われなくても結構ですー」
「可愛いと思ってもらいたいのは黒っちだけってヤツ?はあーあ。健気でお兄ちゃん泣けてくるねぇ」

しくしくと、わざとらしく目元に指をやる緑水さんのことは気にせずに、トイレットペーパーも買いたいと催促して。

「あ、トイレットペーパーはダブルね」
「知ってますー」
「柔らかいのじゃなきゃ俺のお尻が泣いちゃうからねぇ」
「ったくもー、高いんだよ?これ!」

最近は、ちょくちょく緑水さんも我が家に来るので。仕方なく緑水さんの好みのトイレットペーパーを選んで、ふんわりダブルな奴を買っていると、隣のおばさんが「仲良いわねぇ。ご兄妹?」なんて聞いてきて。

「いえいえー、実は新婚なんです」
「へ」
「あらあらまあまあ。お邪魔してごめんなさいね」
「とんでもない。さ、行こうか杏ちゃん」
「な……!!?」

流れるように肩を取られ、呆気に取られる私を横目に、緑水さんがニィ、と笑った。

「アッシー兼荷物持ちにも、これくらいの役得がないとねぇ。幼妻と新婚ほやほやお買い物とか燃えるデショ?」
「緑水さんじゃなかったら、足の小指踏み潰してるよ……」
「いくらなんでも、黒っちが居たらこんなこと言わないけどねぇ、俺もさ。あの嫉妬深いロマンチストボーイ、絶対烈火の如く怒りそうでしょ」
「あはは。本当、そうだろうね」

ぴたり、と緑水さんの足が止まる。どうしたのかと、緑水さんを見ると、チシャ猫笑いが鳴りを潜めていて。

「ほら出た。無理してないですよーな、普通の笑い方」

本当に緑水さんは、人の琴線を握りつぶしてくる。

「──じゃあ、どうしろっていうの」

思わず低くなる声に、場所も場所だし、とりあえずレジ行こうか、と促され。
 
「──で。どこ連れてくの」
「イイとこー」

買い出し品を人質にされ、このままちょっと付き合って、と車を走らせていた。窓の外で次々と移り変わる景色を、決して運転席側を見ないように、じっと見つめていると、横から笑いを含んだ声。

「すっかり怒ってるねぇ、杏ちゃん」
「どんな態度とっても揚げ足とられるからね」
「まあ、最近の100点満点顔よりずっといいよ」
「──皆にも、バレバレなんだよね、きっと」
「んー、そうだねぇ。多分、ぱっと見は気付かないだろうけど。皆、杏ちゃんの性格知ってるからねぇ」

ハンドル片手に、もう片方の手を、ぽん、と私の頭に置いて。緑水はそんなことを言う。
その手をされるがままに、思わず俯いて黙り込んだ。

無理してないよーって、無理してるってさ。そりゃ、無理するしかないじゃないか。無理するでしょ。ずっと悲壮な顔でもしてろって?

──だめだ。余裕がなくなってるのが、自分でもわかる。……そんな状態の私に、そりゃ皆、快斗君のこと、話題にも出せなくなるよね。
 
──信じてる。信じてるよ。
天下無敵の怪盗キッドは、どんなことでもやってのけるって。


でもさ。

祈りにも似た気持ちで、お誕生日おめでとうと送ったLINEは、当たり前だけど、既読が付かない。
誕生日、一緒に過ごしたかったよ。チョコレートアイスでケーキ作って、快斗君の好きなご馳走並べて、沢山お祝いしたかった。

ねぇ快斗君、知ってる?ニュースで、怪盗キッドが最近現れないこと、『彼に何が?』って特集組まれてたよ?
怪盗キッドは、大人気だから。

ねぇ快斗君、衣替えしたよ。制服、夏服だよ。夏のセーラー服は良いもんだ、っておっさんみたいに言ってたじゃない。ね、見ないでいいの?

ねぇ快斗君。──ネックレス、チェーン外れちゃった。黒羽印の世界で一つのオリジナルな、頑丈なヤツ。何度も握りしめちゃってたせいかな。
俺の代わりに、って、言ってたじゃない。
頑丈に作ったって。ちゃんと、毎日、身につけてたんだよ。ないと、不安になるくらい。
落とすのが怖いから、今は、部屋に大事にとって置いてあるよ。本当は、肌身離さず持っていたいけど。
──戻ってきたら、もっともっと、頑丈に直してくれる?

ねぇ快斗君。
いっぱいいっぱい、話したいことがあるんだよ?
今。快斗君に、どこで、何が起きてるかもわかんないままで。どうしたらいい?

──ねぇ快斗君。貴方が無事だと、信じさせてよ。


緑水さんの、頭を優しく撫でる指が、どんどんとそんな感情を溢れさせて。
目頭が熱を持った瞬間。

思い出したのは、苦笑混じりの声。

──絶対泣くだろうと思ったら。泣かせたくねぇって。


ああもう。ほんっと、ずるい。


バチン!!

「ちょ、え?杏ちゃん?」

驚いている緑水さんを尻目に、ばちん!!と、もう一度両頬を思いっきり叩いて。
必死に抑えていた、溢れそうになる色んな感情を、持ち直した。

ほんとずるいよ、快斗君は。
あんな顔であんな風に言われたら、泣いてたまるか、ってなるじゃないか。

「──わかりやすく泣いてくれたら、ここぞとばかりに慰めれるんだけどねぇ」
「ふふ。文句は、快斗君が戻ってきたら、快斗君にお願いします」
「あーあ。本当頑固だよこの子は」


いつの間にか、車は停まっていて。

「さ。降りよっか」

その声に従いドアを開けた瞬間、磯の香りがした。

「んーー。いくらなんでもまだ、海で泳いでるコは居ないねぇ」
「わざわざ水着ウォッチでもしにきたの?」

普段の言動を顧みると、緑水さんならやりかねないと、思わずそう尋ねる。
緑水さんは、にぃ、と笑って。ゆるく首を振った。

「色々嫌になった時とかにねぇ、海の広さを感じたくならない?」
「──緑水さんでもあるんだ、そういう時」
「そうだねぇ。博士に虐められた時とかねぇ」
「虐めてるの間違いじゃない?」
「あーあ、杏ちゃんが冷たい!」

いじめ過ぎたかねぇ。その後慰める予定だったのに、結局ただのイジワルみたいになっちゃったしねぇ。と呟きながら、こちらに向き直って。
海風が、もじゃもじゃな緑水さんの髪の毛を攫う。前髪が浮かび上がって、濃緑の瞳が、はっきりとこちらを見ていた。

「あとは、まあ、大事なことを言う時、シチュエーションを大事にしたほうが良いのかな、と思ってねぇ。ね、杏ちゃん」

そう、私を呼ぶ声色と。その、瞳が。
いつものふざけたそれではなく、どこか真剣身を帯びていて。
無言で、その濃緑の瞳を見つめ返す。


 
「──このまま、俺と一緒に、心中しない?」
 






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