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窓の外に気を取られていた。その瞬間を見たのは、たまたまだった。
国際会議場の方向を見つめていたら、炎が上がったように見えた。瓦礫の中から何かが飛び出したように見え…その刹那、上空に大きな花火が上がったのである。
その花火に、私は見覚えがあった。東都水族館での一件の時、コナンくんが蹴り上げたサッカーボールだ。オスプレイ目がけて蹴り上げたそのボールは花火となり、空を明るく照らしていた。それと全く同じものが、あの時と同じように空を照らしている。

「コナンくん、」

本当に君は、君たちは、諦めないんだね。強い思いは未来を変える力がある。
瓦礫から炎が上がり花火が上がるまで、その間数秒。花火の光が消えて、一体どうなったのかと考えた時にカジノタワーが大きく揺れた。何かが壊れるような音が断続的に続き、やがて一際大きな音を立てて…タワーの揺れも収まり、沈黙した。
悲鳴の上がっていた展望フロアも、揺れが収まると皆口を閉ざして状況を確認している。タワーが崩れる気配は…ない。電気も通ったままだし、エレベーターも一時止まったようだがすぐに動き出したようで音も聞こえる。
カプセルはどうなったのか。さっきの花火はコナンくんで間違いないだろう。ということは、もうカプセルは落下したのか。今の揺れは、カプセル落下の衝撃によるもの?

「エレベーターが来たぞ!」

人々の喜ぶ声がする。乗れる人はどんどん乗って、下へと降りていく。…カジノタワーは、問題なく稼働していた。
…カプセルの直撃は、免れたようだ。自分でも意識しないうちに身体が強ばっていたらしい。ゆっくりと息を吐けば、肩から力が抜けるのがわかった。

「ミナさん!」

呼ばれて振り返る。蘭ちゃんが慌てたようにこっちに走ってくる。

「ミナさん、大丈夫でした?!人の波がすごくて全然探せなくて…!」
「うん、こっちは問題ないよ。ごめんね、心配かけちゃったみたいで」
「下の方の階の人達がカジノタワーから出れたみたいで、エレベーターの動きも早くなったんです。私達も行きましょう」

蘭ちゃんに手を引かれて、少し離れたところで待ってくれていた毛利さん達と合流する。さっきの揺れもかなり大きかったが、皆転倒とかの怪我もしていないみたいだ。
毛利さんも…妃先生も、蘭ちゃんも園子ちゃんも、私も。皆無事で、こうして生きてる。
ここで助かった人達皆、ギリギリカプセルがぶつからない軌道で落下したと思っているんだろう。カプセルの直撃を避ける為に活躍した二人の探偵のことなんて、知る由もない。
それでも私は、知っているのだ。無謀を奇跡に変えた人達がいることを。

カジノタワーを出て、私は毛利さん達に一言謝ってから別行動を取らせてもらった。
さきほどの瓦礫と炎、それから花火。きっと透さんもコナンくんも、国際会議場の方向のどこかにいる。二人とも無事であると信じているけど、今すぐに会って確認したかった。隠れた功労者を、せめて私だけでも労いたかった…なんて綺麗事過ぎるかな。本当はただ会いたいだけだ。
会いたい。会って話がしたい。
コナンくんとも、透さんとも。


─────────


「安室さんさ、全部聞いてたんでしょ?」
「さぁ、何のことかな」

安室さんのRX-7は大破。なんとか無事に国際会議場の屋上に着地出来たとは言っても、安室さんは左肩を負傷している。…強化ガラスの破片が刺さったんだ。平気そうな顔をしているけど相当な大怪我のはず。
早く治療もして欲しいし、この後事後処理なんかもたくさんあるんだろうけど…でもこれくらいのお節介はしてあげないと、と思ったのである。思ったのだが、問いかけても安室さんはしれっとしているし、オレがじろりと見つめてもどこ吹く風。ムカつくからその左肩をぐりぐりしてやりたい。

「遠隔操作アプリで聞いてたんでしょ。どこまで聞いてたの?ミナさんが安室さんに会えなくて寂しいって、会いたいって言ってたの、ぜーんぶ聞いてたんじゃないの?」

そこまで言えば、安室さんはようやく観念したように軽く肩を竦めて苦笑した。やっぱり聞いてたんじゃねーか。

「…残念ながら全部ではないけどね。丁度その辺で君のスマホのバッテリーが切れたみたいだったから」

それもどこまで本当だかわからねぇけど。でもまぁ、ミナさんが病院に向かった時にスマホを確認したら確かにバッテリーは切れてたから、安室さんの言葉を信じるならミナさんのスマホの暴発までは知らないんだろう。
精々ちょっとは焦りやがれ、と思いながらオレは目を細めて笑う。

「じゃあボクのスマホのバッテリーが切れた後だね。ミナさんのスマホ暴発して、壊れたんだよ。ミナさん大怪我。病院には行ったみたいだけど、かなりの火傷を負ってたんじゃないかな」
「えっ、」
「さっきは気丈に振る舞ってたけど、相当怖い思いもしてるだろうし…今は大丈夫かなぁ」

安室さんはボクの言葉を聞くなり、スマホを操作してどこかへ電話をかけた。…まぁ恐らくミナさんの番号だろう。繋がらないのを確認すると小さく舌打ちをしてスマホをポケットに捩じ込む。

「…なんというか、本当に君はいい性格をしているね」
「ボク子供だからわかんな〜い」
「全く。…じゃあねコナンくん。気をつけて行くんだよ」

安室さんはそう言うと、そのまま走って建物を降りていった。…左肩普通に動かしてたけど大丈夫なのだろうか。…いや、大丈夫じゃねぇだろうな。自分のことよりも相手を優先するって部分は、どうやら似たもの同士の二人らしい。
やれやれ、と息を吐いてからオレもスマホを取り出す。電波回線の混雑も、もう大分解消されただろうか。蘭に連絡をしておこうと思いメール画面を開いて、文字をタップしようとした指が止まる。
寂しいと、安室さんに会いたいと言っていたミナさんの顔が脳裏を過った。…やっぱり好きな人には、会いたいもの、なのだろうか。
蘭にとってオレはコナンであり、新一ではない。オレは当然のように蘭の傍にいるけど、新一は蘭の傍にはいないのだ。
…会いたいと、思ってくれてんのかな。あいつも。
しばし考えて、溜息を吐きながらメール画面を閉じた。代わりに開くのはダイヤルボタン。
メールはやめて、電話にしよう。オレも今は、蘭の声が聞きたいから。


***


国際会議場爆破の影響であの辺一帯は立入禁止区域になっているようだったが、お巡りさんの目を掻い潜ってそっちの方に行けたのはまだ現場が混乱から立ち直れていないという部分が大きかった、と思う。
なんといっても三万人の人が避難してきていたわけだし。しばらくはお巡りさんの目も光っていたがそれもカジノタワー周辺だけで、国際会議場の辺りまで来てしまえば人の気配は全くなかった。その分、街灯なんかも無くて辺りは暗い。周りにある建物の光で見えなくはないけど、それなりに暗い闇の中で私はコナンくんや透さんを見つけられるのだろうか。
…あの花火が上がったのは、カジノタワーから見て国際会議場の更に向こう側。まずはその辺りまで行ってみないと、と思いながらぎゅっと手を握り込んで走り出す。

「透さん、」

小さく彼の名を呟きながら足を動かす。どこにいるんだろう、上手く会えるだろうか。もし会えても、すぐに帰れって言われてしまうかも。けど今を逃せば、またしばらく会えないんじゃないかなんて考えてしまって、どうにもならなかった。
今すぐ会いたくて、どうにもならなくて。

「透さん!」
「ミナさん!!」

堪らなくなって彼の名前を大声で呼べば、予想外に声が返ってきて思わず足を止めた。
今、ミナさんって声が。耳をすましていれば、辺りに反響した足音が聞こえてくる。走ってる。きっと透さんの足音だ。透さん、一体どこに。

「ミナさん」

後ろから声が聞こえて、勢いよく振り向いた。
暗がりに人影。見にくいけれど、月明かりに彼の髪がきらりと照らされて見えた。
昨日も警視庁で会ったばかりだ。それなのにもう随分と会っていなかったような気がする。そう感じてしまうほどに、この数日…昨日今日は特に、色んなことがありすぎた。ずっと緊張の糸が張っていた。
透さん。寂しかった。会いたかった。言いたいことはたくさんあるのに、いざ彼を目の前にすると喉が詰まって上手く声が出てこない。

「…透さ、」
「ミナさん、怪我したって」
「えっ?」
「大怪我と聞きました。大丈夫なんですか」

口を開こうとしたら突然透さんが歩み寄ってきて、私の右手を優しく、けれども強い力で取る。手のひらに巻かれた包帯を見て目を細めた。
掌に視線を落とすと…強く握りしめていたせいで、水脹れが潰れて包帯に染み出している。気付いた瞬間、じくじくと痛み始めた。けれどもこの程度の火傷だ。大怪我、という程のものでは無い。

「あ、あの…大怪我って?」
「…コナンくんがそう言っていました。怪我はこれだけですか?」
「そ、そうです。スマホの暴発で手に火傷は負いましたが、大怪我ってほどじゃ」
「………なるほど、あの少年にしてやられたというわけですね」

透さんは深い溜息を吐くと肩を落とした。…コナンくんに何を言われたのかはわからないけど、大怪我なんてとんでもない。現に私はピンピンしている。何やら心配させてしまったみたいで申し訳ない気持ちになるが、そんなことよりも今は透さんの方が心配だ。

「水脹れが潰れたんでしょう。病院で手当してもらった方がいい」
「私なんかより!透さんは、怪我してないんですか?コナンくんも、」
「コナンくんは無事ですよ。先程別れましたから」
「…よ、…良かった、」

ほ、と息を吐いて安心しかけて、いやそうじゃないと顔を上げる。

「透さんは、」

大丈夫なんですか、と彼の左腕に触れて、彼の体が小さく強ばったのに気付く。それと同時に、手のひらに濡れたような感触。嫌な予感がして眉を寄せる。

「僕なら大丈夫。さぁ、病院へ」
「うそ、」
「ミナさん?」

自分の右手を見れば、包帯は黒く汚れてしまっていた。ここが暗いだけで黒く見えるだけだ。光の下で見れば、真っ赤に染まっていることだろう。透さんはこれだけ血が流れるような大怪我をしている。
ざっと血の気が引くのがわかった。私なんかほっといたっていい、一刻も早く病院に行かなければならないのは透さんの方。
私がここに来たから?だから透さんはわざわざ私のことを優先して病院に行くのを後回しにしたの?取り返しのつかないことになったらどうしよう。今は平気そうにしているけど、でも、もしこれで手遅れにでもなってしまったら。

「死んじゃやだ、」
「え?」
「…し、…死んじゃ嫌です、やだ、透さん、死んじゃやだ…!」

子供か。
頭の中では自分に冷静に突っ込めるのに、ずっと張っていた緊張の糸がぷつんと切れてしまったらしく、ここ数日耐えてきた分の涙が堰を切ったように溢れ出して止まらない。これではまるで駄々を捏ねる子供である。
でもだって、もし透さんが死んでしまったらと思ったら耐えられなかった。どうしよう、ここで救急車呼んでもいいんだろうか、でも今ただでさえバタバタしてるのにこんなところまで救急車が来れるものなのだろうか。いや、そもそも私のスマホは壊れてしまっていて電話が出来る状態ではない。自分の無能さを実感してますます涙が溢れた。
こういう施設なら医務室みたいな場所があるのでは。お医者さんもいるんじゃないか。混乱した頭ではろくなことも考えられない。どうして私はいつもこう肝心な時に役に立たない。
半ばパニックになった脳内は、やがてひとつの結論へと辿り着く。こうして透さんと一緒にいられることは、決して当然なんかではないのだと。そう思ったらもう駄目だった。涙だけでなく、想いも溢れてぎゅうと胸を締め付ける。

「す、好きです」

この世界は、私の世界よりも危険な世界だ。犯罪率が高いということは、それだけ死の危険も身近にあるということ。大切な人が突然目の前から消えてしまうなんてことも、もしかしたら珍しいことではないのかもしれない。そんな世界で、当然のようにずっと平和に過ごせるなんてどうして考えられるだろう。
想いを伝えられないまま離れ離れになってしまうことだってあるかもしれない。気持ちを伝えるのなんていつでも出来るなんて、そんなことはないと私だって気付き始めていたはずだ。
この人に出会えたことは、きっと私に二度と起き得ない最上級の奇跡。

「好きです、透さん…あなたが好きです、私まだあなたの隣に自信を持って立てるような人間じゃないけど、あなたに好きになって貰えるような女性じゃないけど、でも私あなたのことが、す」

き、まで言うことは出来なかった。
後頭部を強く引き寄せられて唇を彼のそれで塞がれて、私の声は喉の奥に消える。ガソリンと汗、ほんの少しの血の匂い。けれどその全てが愛おしくて仕方がなかった。
透さんの全てが愛おしい。

「ん…っは、」

息を吸おうと口を開けば、透さんの舌が捩じ込まれて私の舌を絡め取る。じんと頭が痺れるような、どうしようもなく幸せなような…でも少しだけ苦しくて。幸せすぎると苦しい、なんて聞いたことがあるけど、こういうことなんだなとぼんやりと思う。
ちゅ、と音を立てながら唇が離される。透さんの顔を見る前に、彼に抱きすくめられた。
ああ、好きだ。透さんのことが好きで、好きで、たまらない。

「ミナさん、あなたが好きです」

甘く告げられる言葉に、また涙で視界が歪む。
この人が抱える秘密も隠し事も全て、知らないふりでもしてみせよう。透さんを好きでいられるなら、知らないふりなんて辛くもない。
幸せで幸せで、息が止まってしまいそう。苦しくて胸が痛くて、ただただこの人が愛おしい。

「あなたを、愛しています」


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