104

「来週の日曜日ですか?」

透さんに来週末鈴木財閥の飛行船に招待されたことを伝えると、彼はきょとんとして目を瞬かせた。
たっぷり泣いて瞼が赤くなってしまったが、その分全て泣いて流したせいか頭も気分もスッキリとしている。今は透さんが用意してくれた濡れタオルで瞼を冷やしているところだ。
タオルで視界を遮っている為透さんの顔は見えないが、スケジュールを確認しているのかスマホをタップする音がする。その音を聞きながら、やっぱり厳しいだろうなぁと内心思う。…忙しい人だし、急なことだし。透さんがダメだったら私はどうしようかな。私一人でも行くか、今回は遠慮しておくか…だけど正直飛行船は魅力なのである。

「いいですよ。せっかくの機会ですし、是非ご一緒させてください」
「えっ、大丈夫なんですか?」

予想に反してOKをもらい、私は思わずタオルを瞼から離して身を乗り出した。えっ、いいのか。絶対にダメだと思ってた。透さんいつも忙しそうだし、そんな簡単に時間を作れるとは思えなかったし。そんな私に透さんは顔を向けると小さく笑って頷く。

「ええ。毛利先生達もいらっしゃるんですよね?」
「それは、はい。毛利さんや蘭ちゃんやコナンくん…阿笠博士や少年探偵団の子達も来るって」
「ミナさんも行きたいでしょう」
「それは…まぁ」
「なら、それでいいじゃないですか」
「でもお忙しいんじゃ」

もちろん飛行船はとてもとても魅力だけど、透さんに無理をして欲しいわけではない。例えば私に付き合ってしまった時間分、お仕事に追われるようになったりするのは嫌なのである。
その。…恋人になったからと言って互いに負担をかけてしまうような付き合い方はしたくない。…なんて、先程大泣きして負担をかけてしまったであろう私に言えたことではないんだけど。
無意識に眉尻を下げてしまっていたのだが、そんな私を見た透さんが頬を緩めた。

「ご心配なく。その辺は気にしなくて大丈夫ですよ」
「……ほんとですか?」
「僕ってそんなに仕事が遅そうに見えます?」
「滅相もない!!」

むしろ透さんは仕事なんてさっさと終わらせてしまうタイプだと思う。だからこそ、そんな透さんが日々忙しそうにしているのが心配なんだけども。
だって透さんが仕事が遅いなんてことは絶対に有り得ない。絶対なんて無いとも言うけどこれは絶対に有り得ない。つまり透さんは絶対に仕事が早い。そんな人が忙しいってことは、凡人にとっては山のような仕事量ということではなかろうか。
私が小さく唸っていると、透さんはじ、と私の顔を見つめる。…何やら居心地が悪くて身を捩れば、透さんは小さく首を傾げた。

「それとも、僕と飛行船に乗るのは嫌ですか?」
「それこそ有り得ません!!」
「じゃあ、決まりですね」

ぶんぶんと頭を振れば、透さんはくすくすと笑いながら手を伸ばしてぽんぽんと私の頭を撫でる。
…甘えるのと迷惑をかけるのとでは違う。きっと透さんは迷惑なんかじゃないって言うんだろうけど…その優しさに寄りかかってばかりではいけない。そう思いながらも、やっぱり透さんと一緒に飛行船に乗れることは嬉しく思う。

「…その。…嬉しいです。一緒に飛行船に乗れるの」
「僕もですよ」

…嬉しいな。透さんと一緒にたくさんいろんな景色を見て、たくさん思い出を作っていきたい。そしていつかそんな思い出の話をしながら、笑い合えたらと思う。


***


レベル4の細菌強奪。そんなニュースが流れたのはそれからしばらくしてのことだった。
なんでも、国立東京微生物研究所が七人組の武装グループに襲撃されたらしい。武装グループは研究所に厳重保管されていた殺人バクテリアを強奪。その後研究所を爆破して逃走したとのことだ。
更にその後、その殺人バクテリアを手に入れたというテロ組織「赤いシャムネコ」から「七日以内に次の行動に移す」という犯行声明が届いた。

「次の行動ってどういうことなんだろうね」
「さぁなぁ。悪い奴らの考えは俺にはわからねーや」

嶺書房でのんびりと仕事をしながら、黒羽くんとそんな話をして息を吐く。
赤いシャムネコから犯行声明が届いて今日で六日目。明日が赤いシャムネコが提示した七日の期限日であり、明日は怪盗キッドがビッグジュエルを盗み出すと予告した日…つまり、鈴木財閥の飛行船に乗せてもらう日である。
いろんなことが重なりすぎてわけがわからないし、鈴木財閥の相談役である鈴木次郎吉さんはキッドとの対決を赤いシャムネコに邪魔されておかんむりらしい。…まぁ、新聞の一面ニュースを赤いシャムネコに持っていかれたもんな。

「でも殺人バクテリアなんて…その名の通り、感染したら死んじゃうんでしょ」
「らしいな。なんだっけ、まず痒みを伴った発疹が出て、そのまま衰弱して死に至る、だっけ」
「随分と他人事だなぁ」
「だって他人事だし」

黒羽くんの能天気さに小さく息を吐きながら、ニュースで読んだ内容を思い出す。
黒羽くんの言った通り、その菌に感染すると痒みを伴った発疹が出る。感染経路は主に飛沫感染で、小さい子供には特に注意が必要…だったかな。出来るだけ外出を控えるように、みたいなことも書いてあったけど、現状被害が出ていない以上そういうわけにもいかない。ここ数日、透さんも輪をかけて忙しそうだった。

「どうせ黒羽くん、そんなことよりキッドのこと、とか思ってるんでしょ」
「へっ」

大ファンだもんね、と思いながら黒羽くんの方を振り向いたのだが、彼はぱちぱちと目を瞬かせて何やらぽかんとしている。…あれ、何か私今違うこと言ったかな。

「…黒羽くん、怪盗キッドの大ファンだったよね。明日はキッドが予告した日でしょ?」
「…お、おぉ!そうそう、キッドの予告日だもんな!」

突然慌てたように頷く黒羽くんのことは何やら気になるというか変だなと思うけど…もしかしてキッドの大ファンなんて言われるのは恥ずかしいのかな。あんまり触れられたくない話題なのだろうか。どうせここには私と黒羽くんの二人しかいないんだから恥ずかしがることもないと思うんだけど。
レジのカウンター内側の椅子に座りながらパソコン(パソコンは資料のデータ化終了後に私がレジ傍に移したのである)をいじっていた黒羽くんに歩み寄り、そのモニターを覗き込む。

「あっ、やっぱりキッドの記事見てる!」
「いいだろこんくらい!」

別に構わないけれども。お客さんもいないし私もそこまで目くじらを立てたりはしない。
黒羽くんが見ているネットニュースの記事には、「怪盗キッドVS鈴木財閥!!」なんて見出しが出ている。記事を読んでいくと小さくコナンくんのことも取り上げられているみたいだ。キッドキラーだもんね。

「キッドが盗もうとしてる宝石ってなんだったっけ。レディーなんとか」
「天空の貴婦人…レディ・スカイだよ。世界最大のラピスラズリをあしらった指輪。…ほら、これ」

黒羽くんがマウスを動かして画像をクリックすると、レディ・スカイの写真が大きく表示される。指輪って言うからどんなものかと思ったけど想像していたような指輪ではなかった。なんて言うんだろう、こういうの。ガントレットリング、とでも言うのだろうか。
中心の大きなラピスラズリに金色の粒が散りばめられているように見える。ラピスラズリの青もまるで吸い込まれそうだ。

「なんでレディ・スカイっていうのかな」
「ここ、よく見てみて。金色の粒の一番大きいやつ」

黒羽くんが指差すところをよく見れば、ラピスラズリに浮かぶ金色の一番大きな粒が女性の横顔のように見える。

「女性の顔…?」
「そう、だからレディ・スカイ」
「すごいね。とっても綺麗」

さすが怪盗キッドが狙うだけあって美術品として見ていられるくらいに美しい。すごいな。…すぐ値段に結びつけるのは良くないと思うけど、でもこれ実際いくらくらいなんだろう…。

「今回は空の上だし…鈴木次郎吉さんもかなり気合い入れてるみたいだけど、キッドは本当に盗みに来るのかな」
「来るさ。飛行船だろうがなんだろうが、キッドは予告を裏切らない」
「…そっか。じゃあ、会えるかなぁ」
「えっ」

何気なく私が呟くと、黒羽くんは勢いよく振り向いてぱちぱちと目を瞬かせた。…何か変なことを言っただろうか。

「会える、って?」
「私明日この飛行船乗るんだ。園子ちゃんにご招待頂いたの」
「えっ」

キッドは基本的に派手好きというか、こっそり盗んで終わりにするタイプではないと聞く。となれば、きっと乗客の目の前に現れるくらいはしてくれるかな。
大きい飛行船とは言っても限られた空間の中だ。いつものようにビルの上から、集まったファンの人たちにサービスしてから逃亡するなんてこともないだろうし、限られた空間の中ならキッドとの距離も近くなるかもしれない。それなら、少しだけ話をするくらいは許されないだろうか。…相手が怪盗で、犯罪者だということは重々承知だが…それでも怪盗キッドが悪人ではないと思ってしまうし、ほんの少し応援したい気持ちもなくはない。
黒羽くんはといえば、私の言葉に驚いて固まっている。そんな驚くことか、と思いかけてはっとした。黒羽くん、キッドのファンだもん。私なんかよりもずっとキッドに会いたいはずだ。自慢のつもりはなかったけど、気が利かなかったなと反省する。

「ごめん…気が利かなかったね」
「へっ?」
「え?私がキッドに会えるかもしれないのが羨ましいとかじゃないの?」
「違っ、いや、…違…くはない…かもしれないけど…」

何やら煮え切らない返事。
黒羽くんは視線を泳がせながら頭を掻くと、小さく息を吐いて少し眉を寄せながら私を見つめる。

「ミナさん、キッドに会いたい、とか?」
「え?うん。キッドから貰ったうさぎのぬいぐるみのお礼を言いたいの」

ちゃんと役に立ちました、って。うさぎさんは役目を全うしてくれましたよって。優しいあの怪盗さんに、一言きちんとお礼を言いたい。
私が眠れるようになったのはうさぎのれいくんのお陰でもある。あの子のお陰で、暗闇の恐怖はかなり薄まったし心穏やかにいられた。感謝しているのだ。
そう言うと、黒羽くんは視線を逸らしてレジカウンターに頬杖をついた。その横顔が心做しかほんのり赤い気がする。

「ふぅん…そっか」
「うん」
「会えるさ、きっと」
「そうかな?」
「おう」

会えるかどうかはわからないけど、黒羽くんが言うと何故だか本当に会えるような気がする。
もし会えたらなんて言おうかな。お礼をちゃんと言えるように、話すことを考えておこうなんて考えると少しだけワクワクする。私は思っている以上に、キッドに会うのを楽しみにしているらしい。
明日が待ち遠しいな。透さんと一緒に飛行船に乗れて、怪盗キッドにも会えるかもしれない。どんな一日になるのだろう。
明日のことを思うと無意識に頬が緩んでしまって、そんな私を黒羽くんがじっと見つめていることには、気付かなかった。

Back Next

戻る