106

船内を見学に行く前に部屋を案内する、と園子ちゃんに言われて透さんと一緒についてきたのだが。

「安室さんとミナさんの部屋はここね!」
「へぇ、いい部屋ですね」

当然のように同じ部屋であることに顔を両手で覆った。
東京から大阪まで六時間の旅。その間にキッドとの対決もあるだろうし、実際この部屋を使うことはほとんどない、と、思う。けど部屋を使う使わないは置いておいて、透さんと同室で用意されていたことに言葉が出なかった。
いや、いい。私が深く考えすぎているだけだ。でも蘭ちゃんと園子ちゃんは同じ部屋だと言うし、毛利さんとコナンくんで同じ部屋だと言うし。だったら私が園子ちゃん達の部屋、透さんは毛利さん達の部屋、という分け方も出来たんじゃないかな。要するに恥ずかしさに殺される。
しかも、しかもだ。

「ベッドかひとつの部屋を用意したんだから、感謝してよね…!」

園子ちゃんは私にそう耳打ちして笑うけど、普段と何も変わらないなんて口が裂けても言えない。私は両手で顔を覆ったまま、「ぅん」と微妙な返事を返すことしか出来なかった。

「それじゃ、ごゆっくり〜!」

上機嫌で丁寧に部屋のドアを閉めて行ってしまう園子ちゃんを見ることも出来ないまま、私は一ミリも動くことが出来ずにいる。お願いだから落ち着いて欲しい…私。この部屋を利用することはほとんどない、セミダブルベッドがひとつの部屋を宛てがわれただけ。ただそれだけである。

「揺れもほとんどありませんし、窓がない部屋にいると空を飛んでいるなんて忘れてしまいそうですね」
「ぅわ」

透さんに後ろから抱き締められて、はっとして顔から手を離して振り返る。透さんは私の肩に顔を乗せながら、こちらをちらりと見て小さく笑う。

「顔、真っ赤ですよ?」
「不可抗力です」

そもそもあんなことを言う園子ちゃんが悪い。…意識させないで欲しい。それでなくてもいっぱいいっぱいなんだから。
どうしよう、と視線を前に移して固まっていると、後ろで透さんが笑った気配がした。そして透さんは私を抱き締めたままベッドの方へと足を進める。後ろから押される形になり、足をもつれさせながらも私は前に進まざるを得ない。
えっなに。どうするのこれ。

「よいしょ」
「ひぇえ」

透さんが私を抱き締めたままベッドへと倒れ込む。さすが豪華飛行船の客室のベッドというか、柔らかいマットと肌触りの良いシーツが私と安室さんを受け止める。高級ホテルのベッドみたい。そんな高いホテル泊まったことないけど。

「あっ、あの、船内の見学に行くんじゃ…」
「ええ。でもせっかくですからベッドの寝心地も確認しておこうかと思いまして」
「なんの為の確認ですか……」

呻くように言ったらクスクスと笑われてしまった。うなじの辺りに彼の吐息が触れて擽ったい。…ドキドキするのに、いつもと違う状況に緊張しているのに、それでも透さんに抱き締められていると安心して体から力が抜けてしまう。…多分これあれだ。小さな子供が不安になった時お母さんに抱きしめられると安心しちゃうアレ。

「…透お母さんだ…」
「すみません聞き捨てならないのですが」
「透さんに抱き締められると安心するんです」

心做しかウトウトとしてきて瞼が下りてしまう。ダメダメ、まだ船内を見て回っていないし、乗ったばかりだし、全然空の旅を楽しめていないのだから。
目を閉じたままそんなことを思っていたら衣擦れの音がする。透さんが私から腕を離して起き上がったようだった。
私も起きなくちゃ、と思った刹那、唇に柔らかいものが触れてぱっと目を開ける。
透さんのドアップに瞬時に頭が覚醒する。

「んっ?!」
「ふふ、目が覚めました?」

柔らかい口付けは触れただけ。それでも私の頭をはっきりさせるには充分な効果があった。口を押さえて起き上がる私を見て、透さんは悪戯が成功した子供のような笑みを浮かべている。

「……その、…透さん、なんかちょっと、浮かれてます…?」
「僕だって恋人とのデートくらい、年甲斐もなくはしゃぎたくなるんですよ」

またお母さんと言われてはたまりませんし。そう言われて言葉に詰まる。

「僕はあなたの?」
「……好きな人です」
「…間違ってはいませんけど正解じゃないですね」

まだ透さんを私の恋人だと言うのには抵抗がある。なんかだって、申し訳ない。恥ずかしいし。今は、声に出さずに自分の中で恋人という関係を噛み締めていられればいいやと思っている。

「…まぁいいでしょう。そういうのは追い追いで」
「……好きです」
「そこは疑っていませんよ」

恋人と胸を張れない分、気持ちだけは確実に伝えていきたい。透さんが好きだと言ってくれるその倍、私も想いを伝えていきたいのだ。ちゃんと…透さんの恋人として胸を張れるように、私も頑張りたい。
苦笑を浮かべた透さんが手を差し伸べてくれる。その手を取って起き上がると、透さんと一緒に立ち上がった。

「船内の見学に行きましょうか」
「はい」

透さんの言葉に頷いて、私は緩む頬をそのままに小さく笑った。


宛てがわれた部屋を出て階段を降りると、下のフロアはバーと喫煙室になっていた。バーにはスタッフも誰もおらず、その奥のドアを開けた先の喫煙室にも誰もいなかった。煙草の匂いが残っていたから、既に乗客かスタッフが使ったんだろう。私も透さんも喫煙室に用はない為すぐに移動した。
そうして今は、最初に私達がいたダイニングデッキとは反対側のラウンジデッキへとやって来ている。ダイニングデッキよりも小さいが、日当たりもよく落ち着ける空間だ。

「生きているうちに飛行船に乗ることが出来るなんて思ってませんでした」
「なかなか乗る機会もないですからね」

飛行船なんて日常生活に関わりのない乗り物である。飛行船に乗るなんてことをまず考えたこともなかったし、人生どこで何が起こるか本当にわからない。…それは、透さんと出会った時から痛感していることではあるが。
それにしても、このベル・ツリーT世号。広い。ものすごく広い。乗る前に「建物ひとつ飛ばすのと同じ」と思ったけど、正しくその通りだったなと息を吐く。
お金持ちって、本当にすごい。

不意にスマホが震えて取り出してみれば、園子ちゃんからのメールが届いていた。開いてみると、スカイデッキの見学に行くからエレベーターホールに来て欲しいという内容だ。

「スカイデッキを見学ですか」
「はい。今回キッドとの対決のために用意したレディ・スカイもそこにあるみたいですよ」

園子ちゃんにすぐ行く旨返信し、私はスマホをポケットにしまった。
エレベーターホールは、こことダイニングデッキの間くらいにあったはずだ。
レディ・スカイ。黒羽くんに画像は見せてもらったし説明も聞いたけど、実際に見るのはきっと全然違うだろうな。


***


このベル・ツリーT世号は、全長246メートル、最大直径42.2メートルもあり、世界最大の飛行船だそうだ。
スカイデッキに上がるエレベーターの中でチーフスチュワードの人が説明してくれた。コックピットには最先端のコンピューター制御の操縦装置も搭載されているとか。エレベーターはガラス張りで、飛行船の内部がしっかりと見られる造りになっている。

「…こうして見ると…鉄の塊が空を飛んでるんだなって実感する…」
「その空を飛んでいる鉄の塊に乗ってるんだよ、ミナさん」
「…そうだね…」
「飛行機やヘリコプターも鉄の塊だよ」
「……そうだね…」

私のぼやきにコナンくんが的確なツッコミを入れてくれる。飛行船に乗っていると思うと普通なのに、空飛ぶ鉄の塊に乗っていると思うと急に不安になるのは何故だろう。傍にいた毛利さんがコナンくんの言葉で更に青ざめたから、あまり刺激することは言わないようにしようと思う。
程なくしてエレベーターはスカイデッキに到着した。天井はガラス張りで、光をたっぷり取り込む広いホールになっている。え、すごい。空がすごく近く感じる。

「すごい……」
「上ばかり見て転ばないでくださいね」

ぽかん、と空を見つめていたら、透さんに笑われてしまった。慌てて半開きになっていた口を閉じる。…確かに上ばかり見たまま歩いて転びそうだ。気をつけないと。
スカイデッキの中心にはレディ・スカイが配置されているようだが、その周りに何やらスーツ姿の男性が数名佇んでいる。物々しい雰囲気だ。

「わぁ!」
「お宝だぁ!」
「ミナお姉さんも行こ!」
「えっ、えっ?あ、引っ張らないで!」

歩美ちゃんに手を引かれ、子供たちと一緒に中心へと向かう。後ろからは次郎吉さんのスカイデッキについての説明が聞こえてきた。

「屋根は一部開閉式でな、日光浴をするも良し、星を眺めるのも良し。楽しみ方はいろいろじゃが、今回は、彼奴を捕まえるためにちょっとした仕掛けを施しておる」

ちょっとした、で済むような仕掛けなのだろうか。こんなすごい飛行船を建造してしまうような人が?…考えにくいな。
レディ・スカイの台座へと私達が歩み寄ると、物々しい男性の人達がこちらを振り向く。真ん中にいた髭の生えた人が子供たちと私を見て顔を顰めた。あれ、なんだかすごく嫌そう。

「お宝見せろよ!」
「子供が見るもんじゃない!」
「えぇー?!」
「いいじゃないですか!それにミナさんは大人ですよ!」
「ダメ!」

これはもしかして私も子供カウントなのかなと思って苦笑する。でもせっかくレディ・スカイを見に来たのにな。
さてどうしようか、と思って後ろを振り向いたら、私達に追いついてきた毛利さんが目の前の男性を見て目を瞬かせた。

「中森警部?」
「ん?おぉ、毛利さん」

中森と呼ばれたこの人、警部さんだったのか。毛利さんとも顔見知りみたいだし、ということはキッド捕獲の為に呼ばれた人なんだろう。それはともかく、中森という苗字に私は目を瞬かせた。

「中森?」

中森と言えば。青子ちゃんの苗字も中森だったはず。さほど珍しい苗字でもないし、同じ苗字の人かなと思っていたんだけど以外にも私の声に反応したのはその中森警部だった。

「…いかにも私が中森ですが…」
「あっ、す、すみません!知り合いに中森っていう苗字の女の子がいるので、ちょっとびっくりしただけです」
「女の子?…もしかして、中森青子ですかな」
「えっそうです。青子ちゃんのことをご存知で…」
「青子は私の娘です」
「むすめ」

ということはこの中森警部。青子ちゃんの、お父さんである。思考が追いついて慌てて頭を下げた。

「あ、青子ちゃんにお世話になっております!佐山ミナといいます…!」
「もしや嶺書房の店員さんですか。こちらこそ娘がお世話になっています。今後とも仲良くしてやってください」

青子ちゃんと会ったのはお店に来てくれた時一度きり。あの時にお話して仲良くはなったけど連絡先の交換もしてないし、黒羽くん伝いに話を聞いたりしているだけだ。…これもせっかくの機会だし、黒羽くんに青子ちゃんの連絡先聞いてみようかな。


Back Next

戻る