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「挨拶はそのくらいでいいじゃろう。さ、紹介しよう」
「あ、ちょっと!」

中森警部の静止も聞かず、次郎吉さんは私の背中を押してレディ・スカイの台座へと歩み寄った。既に子供達が台座の周りに集まっている。

「これが今日彼奴を誘き寄せるラピスラズリ…ビッグジュエル、レディ・スカイじゃ」

写真で見たのとは違う、本物の輝き。光を反射して輝いているのではなく、光を吸って輝いているようなそんな不思議な光。思わず感嘆の息が零れた。

「綺麗…」
「この青い色がなんとも言えないわね!」
「金色のつぶつぶが光ってますよ!」
「お星様みたい!」

皆の反応に満足そうに笑った次郎吉さんが、レディ・スカイの名前の由来について話してくれる。その内容は、黒羽くんから聞いていたのと全く同じ。
…黒羽くん、よく調べているんだな。キッドファンは伊達じゃない、と思いながら頷く。
この台座もただのガラスケースではないという。機関銃の弾をも跳ね返す防弾ガラスに、次郎吉さんの指紋と暗証番号が一致しない限り開かない鉄壁の装置、とのこと。凄いなぁ、と思いながらガラスケースを正面から覗き込む。

「これ押したらどうなるんだろうな」

私の真後ろに立っていた毛利さんが、ガラスケース脇のタッチパネルを見て目を細めた。黒いモニターに緑の光でパネルが表示されている。…なんか最先端技術って感じ。

「押してみりゃいいじゃん」
「ダメだよ元太くん、勝手に触っちゃ」
「平気平気!こうやったらな、どうなんの?」

言いながら元太くんがタッチパネルに触れる。瞬間、エラー音が鳴ってパネルが赤く点滅し始めた。
待って、これ何かやばいやつだ。空の上だし突然警備が駆けつけるなんてことはないだろうけど、嫌な予感に変わりはない。
ガラスケースの手前、丁度タッチパネルの横の部分が突然開いて、何だろうと顔を近付けかけたその時だった。
突然すぐ隣にいた透さんに強く肩を抱き寄せられ、思わずよろめいて彼の腕の中に飛び込む。どうしたのかと顔を上げかけた時、私のすぐ後ろから毛利さんの悲鳴が聞こえた。

「ふげぇ!!」

振り向いたら毛利さんがいない。違う。私が顔を近付けた丁度そこから、ボクシングのグローブのようなものが勢いよく飛び出したのである。毛利さんはそれに顔面を殴られ、遥か後方に吹っ飛ばされていた。

「も、毛利さん!」
「お父さん!」

蘭ちゃんが慌てて駆け寄っていく。あそこまで吹っ飛ぶってそれ、相当な威力なのではないか。唖然としていたら、頭上から透さんの小さな溜息が聞こえた。

「危なかったですね」
「……透さんが助けてくれなかったら吹っ飛ばされていたのは私だったってことですよね。毛利さん、大丈夫でしょうか」
「ええ。…毛利先生には悪いことをしました」

顔面を正面から殴られて勢いよく吹っ飛ばされた割に、毛利さんは鼻血を出したりしている様子はない。すぐにぱっと起き上がるとこちらに駆け寄ってきて、元太くんにゲンコツをしようと腕を振り上げているし。しかし今度は柱にあったセンサーが反応し、毛利さんは電撃の餌食となってしまっている。というか電気ショックまで用意してるって…次郎吉さん、本当に徹底的にやるつもりらしい。
キッド用の罠を一身に受けてくださった毛利さんはすっかりくたくたになってしまったようだ。後でちゃんとお礼を言っておこう。
中森警部は一部始終を見て溜息を吐くと、だが、と言いながら右手をピストルの形にして次郎吉さんへと突き付けた。

「奴がこうしたらどうする?こうして拳銃を突き付けられれば、あんたのその指で開けざるを得ないだろう」
「あの、多分ですけど…キッドはそんなことはしないと思います」

私が言えば、皆の視線が私に集まる。思わず言葉に詰まる。いきなり注目されるとやっぱり緊張するな。

「その根拠は?」

中森警部に聞かれて、視線を少しだけ床に落とす。
拳銃を突きつけて脅す。…あの紳士的なキッドが、そんな手段を取るとはどうしても思えない。彼は確かに怪盗で犯罪者だ。けれど決して悪人ではないと思うし、心優しい人だと思う。
うさぎのぬいぐるみの話をしてしまいたいけど、そうすればきっとぬいぐるみは鑑識とかに回されちゃう…ような気がする。それは嫌だった。

「…根拠というか。…以前一度だけ怪盗キッドに会ったことがあるんです」
「何ィ?!怪盗キッドに?!」
「えっと、はい。少し話をしただけですけど…」

とても丁寧な物腰で、優しかった。人を傷付けるような人間には見えなかった。そう告げると、次郎吉さんも頷いている。

「儂も彼奴がそんなことをするとは思えん。思えんが、まぁその時は…」

次郎吉さんがタッチパネルを操作する。押したキーは、4、7、それから#。瞬間、中森警部の足元がパカリと開き、そのまま落とし穴へと落ちてしまった。

「んわーっ!」
「わっはっは!その時はこうするまでじゃ」
「もしかして、海まで落ちちゃったの…?」
「んなわきゃあるまい」

歩美ちゃんの心配そうな声に答えた次郎吉さんが再びパネルを操作すると、中森警部が落ちた穴が再び開いた。人一人が入れるくらいの深さしかない。
ここの床がマス目状になっているのはこの仕掛けの為だったのか。それにしても、どうやったら中森警部の足元だけ狙えるんだろう。見ればコナンくんがにやりと笑っている。…仕掛けがわかったらしい。後で聞いてみようかな。

「とにかく、彼奴が現れるのは夕方だ。それまでここで見張っている必要はないじゃろう」
「ふん!下で作戦の練り直しだ!行くぞ!」

…中森警部、やる気だなぁ。中森警部は部下の刑事さん達を連れて行ってしまった。
キッドと対決しようとしてるのは次郎吉さんのはずだけど、中森警部もキッドに執念を燃やしているように見える。あそこも何かワケあり、かな。
刑事さん達を見送っていたら、園子ちゃんに強く肩を叩かれた。それからニヤニヤと笑いながら、耳打ちをされる。

「見せつけてくれちゃって!このこの!」
「へっ」

はっと気付けば、私は透さんに抱き寄せられたままの格好だ。慌てて透さんから距離を取る。皆の前であんまりにぼうっとしすぎてしまった。恥ずかしい。
透さんを見れば少し楽しそうに笑っているし、…透さんは私と恋人だと皆に知られてしまっても良いのだろうか。ポアロには彼のファンの女の子もたくさん来店する。そういう噂は、あまり良くないんじゃ…けど当の透さんがあまり隠そうとしていないような。
いいのだろうか…これで。

「いやぁ、面白いものを見せてもらった。お陰さんで良いルポが書けそうだ」

後方を見れば、藤岡さんが刑事さん達を見送ったところだった。煙草を取り出して火を点けようとしているのを見て、チーフスチュワードの男性が止めている。

「あ、申し訳ありません。お煙草はBデッキの喫煙室でお願いします」
「ふん…毛利さんも、ご一緒にどうです?」
「あぁ、いや、俺はちょっと部屋で休むよ…もう何が何だか…」

毛利さん大丈夫だろうか。大分フラフラみたいだけど。
藤岡さんは毛利さんの返事を聞くと、そのままこちらを振り向いて軽く手を上げる。

「おう、そこの兄ちゃん。あんたは煙草は吸わねぇのか」
「すみません、僕も遠慮しておきます」
「そうかい」

透さんが答えると、藤岡さんはそのままエレベーターの方に向かっていった。
透さんは煙草を吸わないし、さっき喫煙所を覗いた時もほんの少し顔を顰めていたから煙草自体あまり好きではないんだと思う。

「この後は、軽食とデザートをご用意致します。二時半までにダイニングデッキにお越しください」
「わぁ、デザートだって!」
「楽しみですねぇ!」
「うな重出るかな!!」

チーフスチュワードさんの言葉に子供達が歓声を上げる。軽食と言ってるしさすがにうな重は出ないと思うよ…元太くん。
そう言えば、朝を食べたきりだったからお腹も空いてきた。時計を見ればまだ二時前で、あと三十分くらいある。さてどうしようかな、と思っていたら、歩美ちゃんに手を引かれて視線を下げた。

「ねぇねぇ!皆でトランプやるの!ミナさんと安室さんもやろうよ!」
「トランプ?」
「うん!どうせなら皆でやりたいもん!哀ちゃんはパスって言うし」

ちらりと哀ちゃんを見れば、阿笠博士の陰に隠れてしまった。…今日は哀ちゃんとあまりお話し出来ていなくて寂しいけど、距離を取ってるのを私から詰める訳にはいかない。後で少しでもお話し出来たらいいなと思いながら、小さく笑って手だけ振っておいた。
それから透さんを振り向けば、彼は少し目を瞬かせてから小さく笑う。

「トランプですか。いいですね」
「やったぁ!じゃあ下行こ!ミナお姉さんもやるでしよ?!」
「わかった、いいよ。皆でトランプしよ」

きっとどんなゲームをしても、コナンくんと透さんの一騎打ちになってしまうんだろうなぁなんて考えて、思わず苦笑が浮かんだ。


***


軽食の時間になるまでラウンジデッキで子供たちと一緒にトランプをすることになった。カードを配ってくれている間に御手洗にと思って一度席を立ったのだけど、軽くメイクを直して御手洗を出た瞬間、突然伸びてきた手に左腕を掴まれた。

「っわ、」
「はは、驚いたか?」

見れば、藤岡さんが笑みを浮かべて立っていた。煙草の匂いがするから、丁度吸い終わったところなのだろう。
御手洗を出たところで腕を掴まれたということは…多分この人、私を待っていたんだと思う。掴まれた腕を放して欲しくて軽く引いてみたのだが、藤岡さんの手は離れなかった。自然と私は眉をひそめる。

「…何か、御用ですか?」
「あんた、さっき怪盗キッドに会ったことがあるって言ってたろ?話聞かせて欲しくってよ」

藤岡さんの手が私の腕をするりと辿り、手を握られそうになってそのまま振り払う。
…なんかやっぱり、この人苦手だ。にやにやとした笑みも、軽い言動も。

「子供たちと遊ぶ約束があるので」
「そう言うなよ、ネタはたくさんあるに尽きるんだ」
「私が怪盗キッドに関して話せることなんてほとんどありません。…失礼します」

食い下がる藤岡さんを振り切るように頭を下げて、急いでラウンジデッキへと向かう。
触られた腕が気持ち悪くて、私は右手で無意識に左腕を擦った。
…あと数時間、可能なら藤岡さんとは関わりたくない。せっかくの楽しい時間や気分を邪魔されたくない。透さんの傍にいるようにしよう、と思いながら急ぎ足でラウンジデッキに戻れば、既にカードを配り終わって皆が待っていた。
少し待たせてしまったようで、私の顔を見た元太くんが拗ねたように口を尖らせる。

「おっせぇぞミナ姉ちゃん!」
「ご、ごめん、お待たせ。何やるの?」
「ババ抜きです!負けませんよー!」

透さんの隣の椅子に腰を下ろせば、透さんがじっとこちらを見ていることに気付いた。な、なんだろう。真顔で見つめられると緊張する。いや、透さんに見つめられると大体緊張するんだけど。

「…何かありました?」

そっと声をひそめながら問いかけられて、私は緩く首を横に振る。

「いえ、ちょっと藤岡さんと話をしてただけなので…大丈夫です」
「…そうですか」

透さんはまだ少し腑に落ちないような顔をしていたけれど、子供達がババ抜きを始めるとそちらに意識を向けてくれた。余計な心配は極力かけたくない。

「はい、ミナさんの番だよ」
「あ、うん」

コナンくんにトランプを向けられて、慌てて自分のカードを持った。
気分、上げていかないと。よし、と気持ちを切り替えて、私はコナンくんのカードを一枚引いた。

「うわジョーカー」
「ミナさんカードゲーム苦手?」

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