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安室さんの言葉にぽかんと口を開ける。
私の元彼を知っているなんて言うからいつ出会ったのかと思えば、それは安室さんが自分の世界にいた時だという。しかも、安室さんが巻き込まれた爆発の原因である爆弾を仕掛けた、犯人だなんて。

「…えぇと…そっくりさん、とか」
「通常ならばそこを疑うのが普通だと思いますが、あまりにタイミングが良すぎる。犯人の顔はよく覚えています。そっくりという言葉で済ませられるようなレベルではなかった」

安室さんの顔は、冗談を言っているようには全く見えなかった。
元彼が彼の世界では爆弾魔だったなんてほんの少しばかり複雑である。けれど、安室さんが言うなら多分間違いないんだろう。
この世界の彼と、安室さんの世界の彼。確かに同じ人間が存在していたとなると糸口として考えられるかもしれない。

「非現実的なことに立ち向かうには、こちらも非現実的な思考にならなけれはなりません。そんなまさか、と笑い飛ばすようなことが、何かのきっかけになるかもしれないですからね」
「彼の存在が、安室さんがこちらの世界に来てしまったことに何か関係があるということですか…」
「ええ。彼の存在がなんらかの作用をもたらしている。…僕はそう考えます」

そんな馬鹿な、なんて言うことは出来ない。どこに可能性が潜んでいるかなんてわからないのだ。
ようやく掴んだ有力な手がかり。これを追わないはずはない。

「金輪際あなたに関わらないことを条件に見逃しましたが…僕は彼に接触する必要がありそうです」

安室さんの言葉に私は頷く。
安室さんが帰れるかもしれない可能性があるなら、私はそれに出来る限り協力すると決めたのだ。

「彼を呼び出しましょう」
「えっ?」

私が身を乗り出して言うと、安室さんは驚いたように目を丸くした。

「以前まだ付き合ってた頃、彼ジッポを失くしたことがあって。どこで失くしたかわからなくて彼も諦めてたんですけど…部屋の片付けした時にそれが見つかって、返せないまま私が持ってるんです。それを口実に、彼を呼び出します」
「しかし…」

金輪際関わらせない、と言った手前心苦しいんだろう。
けれど、安室さんの為に出来ることがあるのに、それをしないことの方が私にとっては一大事だ。

「私は安室さんに協力したいんです。私の心配をしてくださるのは嬉しいです。でも、私に出来ることがあるならなんでもしたいんです」

そう言うと、安室さんは少し考えるように視線を落とした。それから、小さく頷いて顔を上げる。

「…わかりました。ミナさんのことは必ずお守りしますから、お願いできますか」
「はい」

申し訳なさそうな安室さんに、笑顔で頷く。そんな顔をしないで欲しいし、安室さんには何の憂いもなく帰って欲しいのだ。
安室さんが元の世界に帰ってしまえば、もう二度と会うことはないだろう。この出会い自体が奇跡のようなものだった。次はない。
胸が痛むしそれを寂しく思うけれど、帰るべき場所がある人は帰るのが一番いい。この世界で、安室さんが生きるにはあまりに問題が多すぎる。その問題は、私では解決できないのだから。

スマホを取り出してメール画面を開く。
建前上さっきのことを謝罪し、以前失くしたと言っていたジッポが見つかり、返したい為どこかで落ち会えないかという内容で送信する。
すると予想外にすぐ連絡が来た。

「…夕方五時に、ここの近所の公園に来るそうです。それで良いですか?」
「わかりました。…家が近いんですか?」
「まぁ、はい。徒歩十分程度です。丁度彼との家の間に公園があるので、そこで待ち合わせることになりました」

彼が呼び出しに応じてくれたのは良かったが、先程あんなことがあった後すぐに何も無かったかのように返ってきたメールは少し不気味だった。彼が何を考えているかはわからないが、警戒はした方が良い気がする。
スマホを持ってじっと考えていた私を見て、不意に安室さんが小さく笑った。

「良いですね。少しずつあなたの警戒心も培われてきたようです」
「えっ」
「家に押し掛けてきた彼を、半ば無理矢理といった形で追い返してしまっている。にも関わらず、すぐにあっさりと返信が来たことに疑問を抱いたんでしょう?」
「えっと…はい。…文面も何も無かったかのような感じですし…少しだけ気持ち悪いなって」

メール画面を安室さんに見せる。そこには、「わかった。それじゃあ十七時に四丁目の公園に行く」とだけ書いてある。

「…警戒するに越したことはないでしょう。先程の彼の様子から見ても、メールの返信の速さとこの文面にはやや違和感を覚えます」

安室さんの言葉に頷いて、私はスマホを握り締めた。


***


午後五時になる少し前に、私と安室さんは家を出た。
外は気付いたら雪が降り始めていて、ぐっと気温が下がっている。さすがに積もることはなさそうだが、これ以上激しく降られると傘が必要になってくるだろう。

薄暗い住宅街を歩いて、やがて見えてきた公園へと足を踏み入れる。
彼は既に来ていて、街灯の下に佇んでいた。

「…やっぱ一人じゃなかったか」

吐き捨てるように呟かれた言葉に息が詰まる。じろりと向けられた視線は冷たく、けれども不格好に口元だけは笑みを形作っている。

「ええ。ミナさんを一人であなたに会わせるわけにはいきませんから」

安室さんの言葉に、彼は目を眇めて不愉快そうに鼻を鳴らす。片手をポケットに入れたままゆっくりとこちらに歩み寄り、二、三歩離れたところで立ち止まってこちらに空いていた手を差し出した。

「とっとと返せよ、ジッポ」

ごくり、と息を飲んで、鞄から彼のジッポを取り出す。それを手に彼に歩み寄ろうとしたところで、安室さんに制されて足を止める。
安室さんを見れば、彼にじっと視線を向けていた。

「何を隠してるんです?」

安室さんは彼を見据えたまま動かない。
隠しているって、一体何のことだ。わけがわからずに立ち竦む私は、彼と安室さんの顔を見比べるしか出来ない。
沈黙を守っていた彼だったが、やがて鼻で笑うと大袈裟に肩を竦めた。

「なんのことだ?」
「あなたのそのポケットの中身。…中で何を握ってるんです?」
「あんたやっぱり普通の奴じゃねぇよなぁ」
「ただの探偵ですよ。…形、大きさから見て…スタンガン、でしょうか」

弾かれたように彼の手が入れられたポケットに視線を向ける。彼は降参とでも言わんばかりに小さく息を吐くと、ポケットから安室さんの言った通り…スタンガンを取り出した。
そんな物騒なもの、どうして。私が歩み寄ったら、それで私を気絶させるつもりだった?

「何も知らないうちに二人まとめて気絶させてやろうと思ったんだけど、まぁいっか」

スタンガンを手の中で弄びながら笑う彼の不気味さに、背筋を悪寒が走った。なんだろう。とても気持ちが悪い。
無意識のうちに小さく後退ると、そんな私を庇うように安室さんが前へ出た。大きな背中に安心感を感じながら、じっと彼を見据える。

「消えてなくなれ」

低く冷たい声。
彼は呟いた刹那、スタンガンを振り上げて安室さんに殴り掛かる。ギリギリで避けた安室さんが彼の腕を掴み、暴れる彼の腕を捻り上げて地に伏せる。その流れるような身のこなしに息を飲んだ。

「暴れるな!」
「うるせぇ!お前ら二人とも、消えてなくなれ!!」

まるで殺意を持った言葉だった。
安室さんに取り押さえられているというのに、少しも安心できない。暴れて叫びながら、何故彼は笑っている?何故。彼はまだ、何かを隠している?
強い耳鳴りがした。とても嫌な予感がして背中を冷たい汗が流れる。

「…6、5、4、3、」

彼の口が小さく動いている。距離があって声は聞こえないはずなのに、彼が何を言っているのかはっきりとわかる。
何を、カウントして。

「ッ安室さん彼から離れて!!」
「2、1…」

第六感が叫んでいた。何かがおかしい。このままではいけない。
わけもわからないまま安室さんに声を上げる。
安室さんが弾かれたように私を見つめ、それとほぼ同時に彼から手を離して後ろに飛び退く。

「ゼロ」

不敵に笑った彼がそう呟いた瞬間、耳を劈くような大きな音ともに体が吹っ飛ばされる。
感じたのは熱と、背中を打つ強い痛み。
がくんと首が仰け反って、あまりの痛みに息が止まる。強い耳鳴りは私の脳内を支配して、強い頭痛が私を襲った。

何が起こった?安室さんは?

目が開けられない。呼吸もできない。
ぐるぐると吸い込まれるような目眩の中、意識が黒く塗りつぶされるのを感じて…そのまま、暗転した。


*********


私は、両親に会ったことがない。
物心着いた時には年老いた祖父母の元で暮らしており、父親、母親という概念さえしばらくは知らなかった。
祖父母は私の両親の詳しい話をしたがらず、私は漠然と「私には両親がいない」と思って成長した。

ミナちゃん、おかあさんいないの?え?おとうさんも?えー!変なの!

私は変なのだろうか。疑問はあったし、お母さんとお父さんがいなくて変だと言われることに傷ついたこともあった。
でも、いないものはいないのだ。何故いないかを問えば祖父母は悲しそうな顔をした。聞き出せるはずもなかった。
だから私は、両親がいない理由を知ろうともしなくなった。

高校の時に祖父が亡くなった。
悲しみの中で始まった、祖母との二人暮らし。一番辛くて悲しいはずなのに、祖母は優しく私を励ましてくれた。
祖母は料理が好きで、その料理を褒められることに喜びを感じていた。だから家事の手伝いは選択や掃除が私の役目。毎日三食祖母の料理を食べて、美味しかったよ、と言うのが日常だった。
静かな家庭だったけど、それでも毎日一生懸命に生きて、穏やかな日々だった。

大学に入学後すぐ、祖母が亡くなった。
いるかもわからない親戚を頼ることも出来ず、私は一人暮らしを始めた。
祖父母がかなりの貯金を残してくれていたお陰で金銭的に苦労することは無く、私は大学生活を送った。
夢は?やりたいことは?社会に出る近い将来を思いながら話を弾ませる友達の輪の中で、私は自分のことを特に話すことも無く、多分浮いていたと思う。
夢も、やりたいこともなかったのだ。

就職して、取引先の会社で出会った彼と付き合うことになった。
仕事に慣れてだんだん忙しくなって、後輩が入ってきてから更に忙しくなった。
彼との時間を取ろうとしても取れなくて、やがて彼に振られて私を支えるものは仕事だけになってしまった。
忙しいけどそれはやり甲斐があることだから。
頼りにしてもらえるのは嬉しいから。多少食べなくても寝なくても死にはしないから。
そんなことを考えながらがむしゃらに働いて、私には何が残った?
家族はいない。
友達とも連絡を取らなくなってしまった。
やりたいこともない。趣味もない。
私という人間の価値は、どの程度だった?

消えてなくなれ

呪いのようだと思ったあの言葉。刺さるような痛みと冷たさを伴った言葉だった。
でもそれは本当に呪いの言葉だった?

消えてなくなっても良い存在だから。ガラクタの寄せ集めのような私だから。
言われて当然の言葉だったから、胸に刺さったのではないのか?

ぐちゃぐちゃ考えるのは禁止って、安室さんに言われたのにな。

自嘲の笑みが浮かんだ。
そしてずぶずぶと、どこかへ音もなく沈んでいく。

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