12

声が聞こえる。私を呼ぶ声。

遠かった感覚が、少しずつ少しずつ戻ってくる感じがする。最初は聴覚。それから、触覚。じゃりじゃりとした地面に自分が寝転んでいるらしいということをぼんやりと理解し、次いで気温の高さに眉を寄せる。

「お姉さん!大丈夫?!」
「お、おい…もしかして死んでるんじゃ…」
「や、やめてくださいよ!まだ確かめてないでしょう…!」
「救急車呼んだ方がいいんじゃない?!」

甲高い子供の声がたくさん聞こえる。聞こえているのに体が動かなくて返事を返すことも出来ない。
首筋に小さな掌が当たるのを感じる。もしかして死んでるのか確認されているのか。首筋で脈をとるなんてよく知っているね、なんてどこか的外れなことを思う。

「…大丈夫、生きてるよ」
「良かったぁ…!」
「でも、なんでこのねーちゃんこんなに厚着してるんだ?冬みてぇな格好じゃん」
「風邪を引いて病院に向かう途中だったとか…それにしてもボロボロですね」
「とりあえず救急車呼ぼう。頭を打ってるのかもしれない」

救急車は、ちょっと勘弁して欲しいなぁ。
思っただけのつもりだったが、どうやら私は唇を動かしていたらしい。掠れてしまって声にもならない声だったが、私の呟きが耳に届いたらしい子供達が小さく息を呑む気配を感じる。
動けと念じる。せめて目だけでも開けさせて欲しい。
肺に溜まっていた息をゆっくりと吐いて、吐いた分だけゆっくり空気を吸い込んだ。

「お姉さん?!聞こえる?」
「お姉さん、しっかりして!」

大丈夫、しっかりするよ。
ぎゅ、と瞼に力を入れて、ゆっくりと押し上げる。
あまりの眩しさに眼球に鋭い痛みが走ったが、私が動いたことに喜んだ子供たちの歓声が頭上から降ってきた。
数回瞬きをすると視界もハッキリしてきて、私を覗き込んでいた五人の子供たちの顔が見える。
男の子が三人に、女の子が二人。見たことの無い子供たちだ。

「お姉さん、自分の名前言える?」

眼鏡をかけた男の子に問いかけられ、ゆるりと一度目を瞬かせた。

「…佐山、ミナ……」
「ミナお姉さん、僕は救急車が必要だと思うんだけど、呼んでもいいかな」
「……いや……多分…大丈夫……。……もうちょっとで動けそう、なの…もう少しだけ、待って……」

喉が詰まって小さく噎せる。
大したことないのに救急車を使ってしまうのは忍びないし申し訳ない。体のあちこち痛いが、重体というような感じはしない。上手い表現が思いつかなくて申し訳ないが、しこたまお酒を飲んで酔っ払って階段から足を滑らせて落ちて、その場で朝を迎えて目を覚ました、みたいな、なんかそういう感じだ。酔っ払って階段から足を滑らせて落ちたその場で朝を迎えた経験がないから想像でしかないのだが。
ゆっくりと呼吸を繰り返すうちに手足に感覚が戻ってくる。暑さから背中に汗をかいているのがわかる。
指先を握り込むと思っていたよりも簡単に動かすことが出来た。そのまま地面に手をついて、ゆっくり体を起こす。
顔を上げると、心配そうにこちらを見つめている子供たちと目が合った。

「大丈夫?」
「……うん、大丈夫」

手をグーパーグーパーと動かし、軽く首を振る。大丈夫だ、問題ない。
小さく息を吐いて、汗ばむ気温に眉を寄せた。軋む体を動かしてコートを脱ぐ。

「お姉さん、なんでそんな暑そうな格好してるんですか?」
「風邪でも引いてるの?」
「え?…いや…だって、家出る時すごく寒かったから…雪も降ってたし……」
「雪ィ?!ねーちゃん、さすがにそれはねーよ」

体の大きな男の子がけらけらと笑った。
…確かに気温は高いし、どう考えても冬の気候ではない。目の前の子供たちもそこそこ薄着で、頓珍漢な格好をしているのは私の方だというのはよくわかる。

えぇと、私はどうしたんだっけ。
夕方になって安室さんと一緒に家を出て元彼に会いに行った。そこで暴れだした元彼を安室さんが取り押さえて…元彼が突然カウントダウンを始め、嫌な予感から安室さんに叫んだのだ。彼から離れて、と。
そしてその後すぐに、…彼が、爆発した。
思い出してゾッとする。吹っ飛ばされた記憶の方が強くてかなり曖昧だが、恐らく彼は体に爆弾を仕込んでいたんだろう。
そして自分ごと、爆発した。
辺りを見回しても一緒にいたはずの安室さんはいない。それどころか、見覚えのある公園ですらなかった。
ひゅ、と息を吸い込む。

「…お姉さん、大丈夫…?」

突然青ざめてしまった私に、心配そうな顔で女の子が声をかけてくれる。はっとして視線を向け、慌てて首を横に振った。

「だ、大丈夫。ごめんね」

焦るな、落ち着け。
ばくばくと暴れる心臓を隠すようにそっと胸に手を置きながら、無理矢理笑みを形作る。

「…皆の名前を聞いてもいい?」
「私、吉田歩美!」
「僕は円谷光彦です。よろしくお願いします」
「俺は小嶋元太だ!」
「……灰原哀よ」
「歩美ちゃんに、光彦くん。元太くん。哀ちゃんだね。…えっと、それから…」

元気な子供たちだなと思いながら一人一人の顔と名前を一致させていく。最後に眼鏡の男の子に視線を向ければ、彼は少しだけ微笑んだ。

「江戸川コナン」

その名前に目を見開く。
その名前、知ってる。江戸川コナン。どこで知ったんだっけ、と考えてすぐに心当たりを思い出す。こんな変わった名前なのだ、一度見たり聞いたりしたら忘れない。
安室さんのスマホ。
電波の繋がらなくなった、安室さんのスマホに表示されていたのを一瞬だけ見た。本当に一瞬だけだったけど、珍しい名前だったから記憶に残っていた。
けれど、それでは。
私が、江戸川コナンくん≠ニ出会うことは、有り得ないことのはずなのに。

「…コ、ナン、くん」

からからに口が乾いている。
まさか、そんな。一つの可能性が脳を埋めつくして、血の気が引いた。
いくつか確認しなければ。不思議そうにしている眼鏡の男の子…江戸川コナンくんを見つめて、私は息を飲んだ。

「あ、の。コナンくん、聞いてもいいかな」
「う、うん。なに?」
「安室さんって、知ってる?」

私の世界に、安室さんを知る人は…いないはずだった。

「安室さん?安室透さんのこと?」
「ねーちゃん、安室の兄ちゃんの友達か?」
「安室さんなら、ポアロに行くと会えるよ。でも、最近はしばらくお休みしてるみたいで行っても会えないの」

子供が口々に安室さんのことを話している。
喫茶ポアロで働いてるだとか、安室さんの作るハムサンドが美味しいだとか。とってもかっこよくてポアロに来る女の子に大人気だとか。
一生懸命に話してくれるけれど、私はその言葉の殆どに反応することが出来なかった。息が震えて心臓の音がうるさい。
私にはまだ聞きたいことがあった。けれど、これを口にしてしまったら後戻り出来ない気がした。
爆発に巻き込まれた際に体をあちこちにぶつけたんだろう。痛みを感じていることに恐怖する。これは夢かもしれないなんて考えを、私が感じている痛みが否定している。

「…あの、ね」

私が口を開くと、子供たちも首を傾げてこちらに視線を向ける。
聞かなければ。確かめなければ。

「……ここ、は。…ここは、米花町、なの?」

私の世界には存在しない町。日本どころか、地球上のどこにも存在しないはずの町。
子供たちは一体何を言っているのかと言わんばかりの表情を浮かべている。そんな中、コナンくんと哀ちゃんだけは目を細め、じっとこちらを見つめていた。

「ここは米花町の米花公園だよ」

コナンくんのその言葉に、ぐらりと大きなめまいを感じた。
…あぁ、なんてことだろう。
安室さんが帰ってくるべき世界に、私が来てしまった。私が来るはずもなかったこの世界に、落ちてきてしまった。決して交わるはずなどない世界線に、私が交わってしまった。
瞬間、私を支配したのは絶望だった。
安室さんはどうなったんだろう。私と一緒にこの世界に帰って来られたなら良い。でも、もしあっちの世界に残されてしまっていたら?
あんな近くで爆発に巻き込まれて無傷なわけない。大怪我を負ってはいないだろうか。彼はどこにいるのだろう。

はっとして、肩から斜め掛けにしていた鞄を開ける。外見はボロボロだったが、中に問題はなかった。スマホを取り出して安室さんに電話をかけようとして…圏外であることに目を見張る。
そうだ。安室さんのスマートフォンもそうだった。違う世界では、自分の世界のスマートフォンは使えない。存在する携帯会社が異なる為だ。同様に、安室さんに持ってもらっていた携帯も不通だろう。これでは連絡を取ることが出来ない。
そう考えてはっとする。
自分の世界のスマートフォンしか使えないということは…ここでは、安室さんが持っていた自分のスマートフォンには連絡ができるはず。

「あ、あの、安室さんと連絡が取りたいの。コナンくん、安室さんの連絡先知らない?」

安室さんのスマホに彼の名前があった。ということは、安室さんはコナンくんの連絡先を知っているはずなのだ。であるなら、コナンくんも安室さんの連絡先を知っていると考えるのが普通である。
そう思って問いかけたのだが、コナンくんは真剣な顔でじっと私を見つめ、少し低い声で言った。

「…どうして、僕が安室さんの連絡先を知っているかも、って思ったの?今お姉さんは僕のことを名指ししたよね。…元太や光彦、歩美ちゃん、灰原だっているのに」

自分がなにか悪いことをした訳では無いのに言葉に詰まる。私を疑念のこもった目で見ていたのはわかったけど、今のコナンくんは完全に私を疑っている。
こんな格好で、こんな所で倒れていたんだから不審者と思われても仕方が無い。

「安室さんのスマホを見せてもらったことがあって、その時にコナンくんの名前がそこにあったから…コナンくんも、安室さんの連絡先、知ってるんじゃないかと思って……」
「…安室さんがスマホを見せた…?」

怪訝そうな顔をされる。なんだろう、とても気まずいというか居心地が悪い。刺さるような視線に体が強張る。
じっと私を見つめて何やら考えている様子だったコナンくんは、やがて首を横に振る。

「ごめんね、知らないんだ」
「……そ、…そっか、」

また、一線。
一線引かれることには慣れているような気がしたけど、こんな子供にまで距離を置かれると胸が痛む。
…まぁ、信用なんて出来ないよね。わかる。こんな不審者に知り合いの番号を教えて欲しいなんて言われて、そう簡単には答えないだろう。正しい警戒心である。

「…あの、駅の方向を教えて貰ってもいいかな」

駅の方に行けば何か情報もあるだろうし、正直この格好のままあまりフラフラしたくはない。季節感もない上に擦り切れたり破れたり焦げていたりと、私の格好はなかなかに酷い。特に一番上に着ていたコートは酷いもので、もう着れないなと思った。どこかで服を買って着替えたい。

「駅ならあっちの方向だけど…お姉さん、大丈夫?」

心配そうな顔をしている歩美ちゃんに視線を合わせて小さく笑う。子供に心配されているなんてやっぱり私は情けない。

「大丈夫。とりあえず、駅の方に行ってみるよ」

立ち上がって、気休め程度にしかならないが服に着いた埃や砂利を叩いて払った。
安室さんは日本円は共通していると言っていた。幸い、まとまった金額の現金を引き出したばかりだ。一週間くらいならなんとかなるはず。その間に状況の整理と、これからのことを考えなければならない。

「ごめんね、助けてくれてありがとう」

子供たちにお礼を告げて、痛む体を動かして歩き出す。
子供たちの何か言いたげな気配は感じたが、引き止められはしなかった。
まずは、服を着替える。それから、地理の把握。
…そう言えば、安室さんが働いているという喫茶店の場所くらいは聞いておくんだったな。聞いたところで、米花町の地理がわからない私に辿り着けるとは思えなかったが。


────────


「良かったの?あのまま行かせてしまって」

博士の家に向かう途中、灰原にそう聞かれて視線を向ける。
元太、光彦、歩美ちゃんは、俺と灰原よりも前を歩いていてこちらの話は聞こえていない。

「この季節にあんなボロボロの冬の格好で、しかも安室さんを知っていて、安室さんのスマホで俺の名前を見たなんてどう考えても怪しいとしか思えねぇだろ。疑問は尽きねぇけど、今は彼女を追うよりも安室さんに確認を取る方が先決だ」

とは言え、しばらくポアロを休んでいるようだし…これは本職の方の仕事が忙しいと見るべきか。すぐに連絡が取れれば良いが、と思いながらスマホを取り出し、ダメ元で安室さんの番号を呼び出す。

数回のコール音が聞こえて、ぷつり、と途切れた。

『…はい、安室です』

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