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その日私は、コナンくんに呼び出されて阿笠博士のお家へと向かっていた。先日飛行船での一件で壊されてしまった私の探偵団バッジを、博士が作り直してくれたのだという。
あの探偵団バッジの有用性はひしひしと感じている為、壊されてしまったのは痛いなぁと思っていたところだったので本当にありがたい話だ。
阿笠博士のお家にはコナンくんと博士の他に今日は哀ちゃんもいるらしいので、駅前で焼き菓子の詰め合わせを買った。せっかくだし皆で食べられるかなぁと思いながら住宅街を進み、そうしてやがて博士のお家が見えてくる。
チャイムを鳴らすとインターフォンから「開いとるから入っておいで」という博士の声が帰ってきたのでお言葉に甘えてそのまま上がらせてもらう。
ドアを開けると、コーヒーの良い香りが鼻先を擽った。

「こんにちは」
「おぉ、ミナさん。よく来たのう」

中に入ると、玄関まで出迎えてくれた博士がスリッパを用意してくれた。靴を脱いでそれに履き替えると、博士に「バッジを取りに行くからリビングで待っていてくれ」と言われ、地下へと降りていく博士を見送ってそのままの足でリビングへと向かう。
リビングに行くと、哀ちゃんとコナンくんがテレビでニュースを見ているところだった。こういうときに子供向けのアニメを見たりしていないのがコナンくんと哀ちゃんらしいというか…やっぱり子供離れしているなぁと苦笑する。

「こんにちは、ミナさん」
「コナンくん、哀ちゃんもこんにちは」
「こんにちは。…漆かぶれ、大分良くなったわね」

哀ちゃんに言われて自分の腕に視線を落とす。もう痒みはないし、肌の発疹自体は落ち着いている。あとは発疹跡の色素沈着が治ってくれればすっかり元通りだ。ちゃんと治るのかと心配にもなったけど、色素沈着もかなり薄くなってきているしお医者さんにもこの調子なら元通りになると言って貰えたので安心している。

「うん、もうちょっとで完治って感じかな」
「…あら、でも手首のところ、どうしたの?」

哀ちゃんに指摘されて目を瞬かせ、自分の手首に視線を落とす。それから思わず顔を赤くして、慌ててその手を後ろに隠した。
…馬鹿だな、こんなことしたら何かあったと言ってしまっているようなものなのに、今更隠した手を出すことも出来ない。

「…な、なんでもない…よ」
「なんでもないって顔じゃないわね」

哀ちゃんが言ったのは、透さんに付けられたキスマークのことだ。透さんと肌を重ねたあの日に付けられた痕は三日ほどで消えたけど、透さんはその後も定期的に痕を付けるのである。嫌なわけではなくてただただ恥ずかしい。
…なんの意味があるのかと問うても、にっこりと笑うだけで教えてはもらえなかった。

「む、虫刺されだよ!最近蚊も増えてきたし…」
「随分と大きな蚊に刺されたものね」

もうやだこの小学生。
私と哀ちゃんのやり取りをコナンくんは黙って見ていたけど、やがて溜息を吐いてやれやれと首を振った。
「安室さん、やるな」なんて呟いてる。小さい声で言ってるから聞こえてないとでも思ってるのかな、ばっちり聞こえてるよ小さな探偵さん…!というか哀ちゃんにしろコナンくんにしろ、この痕がキスマークだと気付いてしまうあたりやっぱりこの子達怖い。

「…そ、それはそうと、焼き菓子買ってきたの。皆で食べよう」
「いいね。博士にコーヒー淹れてもらおうよ」
「中身はどんなものなの?」
「マドレーヌとかフィナンシェとか…クッキーもあるよ」

持ってきた焼き菓子の箱をリビングのテーブルに広げると、コナンくんと哀ちゃんの顔がぱっと明るくなる。喜んでもらえてるみたい。良かった。
哀ちゃんの隣に腰を下ろしたところで、地下から博士が戻ってきた。その手にはぴかぴかの探偵団バッジが握られている。

「ミナさん、先にこれを渡しておこう」
「ありがとうございます…嬉しいです、」

博士から探偵団バッジを受け取る。あの日壊されたものと寸分違わない同じものだ。ボタンの配置や数も同じ。
人工衛星はくちょうのカプセル落下の時も、飛行船の時も、この探偵バッジが活躍したのを思い出して自然と笑みが浮かぶ。このバッジを持っていると、私も少年探偵団の一員でいられるんだなと思って嬉しくなる。
今度こそ壊さないように大切にしようと思いながら探偵団バッジを大切に鞄にしまった。

「今更だけどさ」
「うん?」

コナンくんに声をかけられ、視線を上げながら首を傾げた。

「飛行船でのハイジャックテロの時。ボク達を庇ってくれてありがとう」

テログループの前に子供達が突き出された時のことを言っているんだろう。私は探偵バッジを証明として、少年探偵団に指示を出していたのは自分だと言って彼らの前に立った。そのこと自体はあのテログループのリーダーも信じてくれたようだったけど、結局コナンくんは彼に捕えられて窓の外に放り出されてしまった。…快斗くん…怪盗キッドが一緒に乗っていたから助かったものの、もしあの場にキッドがいなかったらコナンくんを助ける手立てなんてなかった。
私にはお礼を言われる資格なんてない。コナンくんを守り切ることは出来なかったのだから。

「…私には何も出来なかったよ。結局コナンくんを危険な目に遭わせてしまって…足手纏いになってしまった」
「そんなことないよ」
「あの時あなたが子供達の前に出なかったら、あの場で子供達全員撃ち殺されていた可能性だってあるわ」

それくらいのことはやってのけたはずよ、と哀ちゃんに言われて視線を向ける。
あの場で子供達が撃ち殺されていたらなんて考えたらゾッとする。死にたいわけではない、子供達の為に命を擲つ覚悟なんてない。それでも、撃ち殺されていたかもしれないと聞いてやっぱりあの場で私が取った行動に後悔は湧かなかった。
…かといってコナンくんが危険な目に遭ったことに変わりはないわけで、良かったとは言えない。どうするのが最善だったのかと考え始めても、きっと答えなんて出ない。

「ミナさん。あまりごちゃごちゃ考えても良いことはないぞい」

かちゃ、と音がして目の前にコーヒーカップが置かれた。いつの間にかコーヒーを淹れてくださっていたらしい。阿笠博士はコナンくんや哀ちゃんの前にもコーヒーを置き、最後に自分もコナンくんの隣に腰を下ろした。

「皆欠けずに無事で帰って来られたんじゃ。それでいいんじゃよ」
「…でも、」

私が余計に庇ったりしなければ、もしかしたらもっと穏便に事は運んだんじゃないか、とか。後悔はないなんて思っても、やっぱりぐちゃぐちゃと思考はループする。全て終わったことなのに私の中ではちっとも消化し切れてなくて、もしものことばかり考えてしまうのが自分でも滑稽だ。
視線を落とせば、ぽん、と哀ちゃんに背中を叩かれる。

「胸を張りなさい。今更あれこれ考えたって仕方ないのよ」
「…哀ちゃん」
「あなたのお陰であの子達が助かったのは事実だわ。それに対するお礼くらい、ちゃんと胸を張って受け取っておきなさい」

…哀ちゃんの言うことは尤もだ。今の私は、コナンくんの気持ちにも向き合わずに愚痴愚痴言っているだけ。これではコナンくんに対しても失礼である。
小さく深呼吸をすると顔を上げる。コナンくんと目が合うと、彼は小さく笑って小首を傾げた。

「…ありがとう、ミナさん」
「…うん。…どういたしまして」

ようやく笑顔になれば、博士や哀ちゃんもほっとしたように微笑んでくれた。


***


「そう言えばミナさん、あれから特に変わりはない?」
「あれから?」

博士が淹れてくれたコーヒーと私が持ってきた焼き菓子でティータイムを楽しみながら、ふとコナンくんに言われて首を傾げた。
始めて入る洋菓子屋さんで買った焼き菓子の詰め合わせだったけど、甘過ぎず食材の味もしっかりしていてなかなかに美味しい。お土産にいいお店を見つけたなと思いながらコーヒーのカップを口に運ぶ。

「黒いポルシェを見かけた日から」

コナンくんのその一言に、隣にいた哀ちゃんの体が強ばったのを感じた。
黒いポルシェと言われて思い浮かぶのは銀髪の男性と出会った日のことだ。沖矢さんからもコナンくんからも気を付けるようにと言われてしまったけれど、あの日から黒いポルシェを見かけることもなければ銀髪の男性に遭遇もしていない。あの殺意の視線を感じることももちろんなかった。

「何も無いよ。黒のポルシェも、持ち主の男性も見かけてない」
「…そう、ならいいや」

何故今の話で哀ちゃんが体を竦ませるのがわからない。…哀ちゃんの方に視線を向けると、俯いたままじっとしている。…何か黒いポルシェに嫌な思い出でもあるのかな。

「それにしてもミナさんが車好きだったとは思わんかったわい」
「あ、別に車好きっていう程では…。透さんの車、かっこいいじゃないですか。スポーツカーなんて乗ったの初めてだったし、なんとなくかっこいい車は気になっちゃって」
「わしの車も負けとらんよ!」
「黄色くて丸くて可愛いですよね。フォルムが好きです」

にわかな知識しかないしこんな状態で車好きなんて言うことは出来ないけど、でも昔よりはずっと車に対する興味もある。…運転出来たら楽しいんだろうなぁとか。免許があればいろいろと便利なのかもしれないけど、今から免許を取るのも大変だしお金もかかるし、現実的に考えてなかなかに難しい。…まぁ免許を持っていたところで透さんの車なんて運転出来るはずもないし、かといって自分で車を買うもいうのもまぁ有り得ないし、役立つ場面はそう浮かびはしないけど。…身分証明書代わりになってしまうかも。

「ミナさん」

隣から服の裾をくい、と引っ張られて視線を向ける。
哀ちゃんは、下を向いたままだった。視線が絡むことは無く、私の視線は哀ちゃんのつむじの辺りに向けられている。

「…どうしたの?」

黒いポルシェの話をしてから哀ちゃんの様子がどうもおかしいけど、下手に踏み込んで聞いて良いことなのかわからず尋ねることは出来ない。
哀ちゃんはゆっくり息を吐くと顔を上げ、私を見た。その瞳は不安や恐怖で揺れているように見える。

「…江戸川くんにも言われたんでしょうけど、黒いポルシェを見かけても絶対に近付いてはダメよ」
「…う、うん。わかってる」
「絶対よ。約束」

言葉尻を奪うような勢いで言われて、私はただ頷くしか出来ない。
哀ちゃんの瞳は真剣だった。理由はわからないし、聞くつもりもない。これはきっと、哀ちゃんにとっては踏み込んで欲しくない話題のような気がした。酷く怯えたような様子は、普段の哀ちゃんからは想像しにくい姿だ。先程私の背中を叩いて叱咤してくれた強さはすっかりなりを潜めている。
哀ちゃんの事情には踏み込まないけど、この忠告はきっと大きな意味がある。
沖矢さん、コナンくん、そして哀ちゃん。…皆が揃って警戒するあの黒いポルシェと、銀髪の男性。
何者なんだろう、と思いながら目を細め、私は少し冷めたコーヒーを口に運んだ。


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