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佐山ミナに似た人物に気をつけろ。

そんなメールが昴さんこと赤井さんから届いたのは、学校帰りのことだった。
今日の放課後は阿笠博士の家で遊ぶ、なんて話になって、元太や光彦、歩美ちゃん、灰原と共に向かっているところだ。博士も多分おやつを用意して待っていることだろう。
…ミナさんに似た人物に気をつけろって、一体どういうことだ?よくわからずに首を傾げる。ミナさんと知り合ってからそこそこの付き合いになるが、今までミナさんに似た人物なんて見かけたことは無い。…でも、赤井さんが言うくらいだから何かあったんだろう、と思わざるを得ない。…でも、だったらせめてもう少し詳しい情報を教えてくれてもいいのに。直接話を聞いた方が良さそうだな。今日博士の家に寄るついでに、少し話を聞きに行こうか。

「…浮かない顔ね」
「…ん?…あぁ…ちょっとな」

隣を歩いていた灰原に言われ、小さく息を吐く。
なんというか、ミナさんは巻き込まれ体質だ。…自分のことを棚に上げるわけではないが、ただ純粋にミナさんはやたら面倒事に巻き込まれるというか…安室さんの言う警戒心が薄いというのもよくわかる。安室さん自身気が気じゃないんだろうな、なんて思う。…人のことが言えないのはわかっているけど。

「なぁ、灰原」
「なに」
「お前さ、ミナさんのことどう思う?」

オレが何とはなしに灰原に問うと、灰原は怪訝そうな視線をオレに向けた。…いや、そんな顔しなくてもいいだろうがよ。

「…その質問の意図がよくわからないのだけど?」
「意図も何もねぇよ、お前から見て、ミナさんってどういう人物に見えるかって聞いてんだ」

変な意味は何もない。灰原は溜息を吐きながら、視線を前を歩く元太達に移した。
元太と光彦と歩美ちゃんは、いつものようにやいのやいのとこれからのことを話しているようだ。博士の家に行って何をするかとか、おやつは何だろうとか。いつもの光景である。

「一言で言うならお人好し」
「…そうだな」
「…の癖に頑固ね、意外と」
「…だな」
「気はあまり強くないけど、自分が正しいと信じたことに関しては真っ直ぐに突き進んでいく人だと思うわ。だからこそ、信じた先にあったものがどんな結末でも受け入れてしまうような危うさはあるけど」

その通りだな、と思った。
正直ミナさんは強い人、だと思う。身体的にどうとかではなく、心根の話。今までの彼女を見てきた上で思ったことだ。それはオレ達を庇って刺された時から始まり、東都水族館での一件や毛利のおっちゃんが逮捕されて無人探査機のカプセル落下までのこと、それから先日の飛行船での一件に至るまで、様々なことが含まれる。
ミナさん本人は自身が強いだなんて丸っきり思っていないようだが、彼女ほどの度胸を持つ人間はなかなかいないんじゃないか、と俺は思っている。…だからこそ安室さんは心配するんだろうけどさ、目が離せないというか。
灰原が言った通り、ミナさんは多分…自分の選択には自身で責任を取ろうとするような人だと思う。「信じた先にあったものがどんな結末でも受け入れてしまう」というのはそういうところで、その結末が例えば悪いものでもそういうものとして受け入れ諦めてしまう。強い反面、そういう危うさを持っているというのは俺も同感だった。

「彼女は…とても優しい人だから。自分のことよりも他人を優先するの」

自分のことを顧みることは後回し。ぽつり、と灰原が言った。
…刺された時が一番そうだったな。自分が刺されて重傷だって言うのに、痛くないからと言ってオレ達を庇う為に犯人に立ち向かった。死んでもいいと思っているわけではないだろう。それでも彼女は、目の前で誰かが傷付くことを見逃せるような人ではない。

「あっ、ミナお姉さん!」

歩美ちゃんの声に顔を上げる。隣にいた灰原がぴたりと足を止め、目の前の元太達は道の先へと駆け出していく。
ミナさん。確かに俺の視線の先に立っていたのはミナさんだった。ミナさんは突然元太達に囲まれて驚いた様子だったけど、すぐに笑みを浮かべている。

「…こんにちは」
「ミナお姉さんこんにちはー!」
「ミナお姉さんがこんな時間にこの辺にいるなんて珍しいですね!今日はお仕事はお休みなんですか?」
「えぇ、そうなの。皆は学校帰り?」
「そうだぜ!これから博士ん家に行くんだ!」

光彦の言う通り、確かにミナさんが平日のこの時間に外を出歩いているのは珍しいな。…ミナさんは確か嶺書房で働いているんだったか。嶺書房の定休日は水曜日と日曜日だし、どちらにも当てはまらない。…まぁ、臨時休業も多い店だから今日もそう言う感じなのかもしれないが。

「そうだ、ミナお姉さんもこれから博士の家に行こうよ!」
「ごめんなさい、これから行くところがあるからまた今度ね」
「えぇー?」

…しかし、なんだ。妙な違和感を感じる。
先程赤井さんから変なメールを貰ったから、だろうか。間違いなく目の前にいるのはミナさんだと思えるのに、何かが引っ掛かる。明確な答えが出ない。

「じゃあね」

ミナさんは渋る元太達に軽く手を振ると、そのまま足早に立ち去って行った。
…随分とあっさりしてるな。いつものミナさんだったらもう少し子供達を宥めることに時間を使いそうなもんだけど…急いでいたのだろうか。
仕方がないと口々に言いながら再び歩き出す元太達に続こうとして、ふと隣にいた灰原が立ち止まったままだったことに気付いて振り返る。

「灰原?」

灰原は、ぎゅっとランドセルの持ち手を握り締めて俯いていた。…様子がおかしい。

「灰原?おい、どうした」
「今の、」

歩み寄って声をかければ、灰原の顔は青ざめていた。息を飲んで言葉の続きを待つ。

「…今の、…ミナさんじゃないわ」
「…なんだって?」
「違う。ミナさんじゃない。あなたは違和感を感じなかったの?」

小さく睨まれて眉を寄せる。
違和感なら、確かに感じていた。けれどはっきりとどう違うと言えるほどの違和感ではなかったから、取り立てて言うことでもないと思った。けれどそれと同時に、先程の赤井さんからのメールが脳裏を過る。

佐山ミナに似た人物に気をつけろ。

ミナさんに似た人物って、まさか。そんな、ほんの少しの違和感さえ気の所為だと流してしまうほどに似た人物、ということだったとしたら。

「……私もはっきりと感じたわけじゃないから言い切れないけど……、…奴らの、」
「…奴ら?」
「……組織の、匂いが」

戦慄が走った。
組織の匂い。今のミナさんは…ミナさんに似た人物で、組織の関係者だということか?そうなった場合真っ先に考えられるのはベルモットだけど。

「ベルモットの変装か?」
「いいえ、違うと思うわ。…そんなに強い気ではなかった…多分幹部じゃない」

幹部じゃない。…だとしたら、組織の末端?
灰原もはっきりとしたことは言えないと言ってるし…けど、赤井さんのメールのこともある。オレが感じた違和感もきっと気の所為ではない。
ミナさんそっくりの組織の一員がいたとしたら…なんの為にここに?先日ミナさんがジンと遭遇したこととも何か関係があるのだろうか。

「おーい!コナン!」
「哀ちゃん、コナンくん!置いていっちゃうよー!」

元太と歩美ちゃんの声に灰原と揃って振り向いた。大分先に行ってしまった元太達が立ち止まっている。

「…ひとまずこの件は後回しだな。オレも調べてみるよ」
「…それがいいわ」

灰原と短く言葉を交わすと、オレ達を待つ元太達の元へと歩き始めた。


***


「さて説明してもらいましょうか」
「ひぇ……」

なんということでしょう。
沖矢さんに家の近くまで送ってもらい帰宅したら透さんの方が先に帰宅していて玄関で仁王立ちをしていた。
鍵が回らない時点でひやりとしたものが背中を走り、そうっとドアを開けたもののその先に佇んでいた透さんに思わず一度ドアを閉めた。めちゃくちゃ怒っている。
ドアを閉めたままどうしたものかと思っていたら、今度はドアが独りでに開いて腕を掴まれ、そのまま中へと引きずり込まれた。怖い。
あれよあれよという間に手に持っていたビニール袋は取り上げられ、ベッドに倒され、布団をかけられた。
枕元に佇みこちらを見下ろす透さんの、それはそれは怖いこと。助けを求めてハロに視線を向けたものの、ハロは知らん顔をして和室を出ていってしまった。薄情者。いや、私が…悪いんだけども…。

「どこに行っていたんですか」
「………その…スーパーまで…」
「何をしに?」

透さんなら私から取り上げたビニール袋でどこに行ったかもその理由もわかっているはずなのに、わざわざ聞くあたりが更に怖い。
布団を鼻の下まで引き上げながら、ちら、と透さんを見上げた。

「……アイスキャンディを…買いに…」
「スマートフォンも持たずにですか」
「…………すぐに…戻るつもりだったので…」
「ホォー」

すぐに戻るつもりだったのは間違いない。いつもなら片道十五分だし、一時間どころか頑張れば三十分で買い物まで終えて帰ってこられると思っていた。…ただしそれは平常時の話だ。
時計を持っていなかったからわからなかったが、沖矢さんに車で送ってもらったにも関わらず、私が家を出てからもう一時間以上も経過してしまっていた。片道どれだけ時間をかけていたのか。
その間に透さんが帰宅し…今に至るというわけだろう。

「どうして風見を呼ばなかったんです」
「…どうしてもどうにもならなくなったら、って…決めていたので…。…私は動けるし、一人でも大丈夫だと…思ったから……」

出来る限り、自分のことは自分でやりたかった。
だって、前の世界では独りで何とかやってきたのだ。透さんやいろんな人に甘やかされて、かつては出来ていたことが出来なくなるなんていうのは嫌だった。
風見さんだって刑事さんだ、暇なはずがない。風邪で寝込んだ私なんかに構っている暇はないはずなのだ。忙しい人の手を煩わせたくなかった。
…結局こうして透さんに心配や迷惑をかけてしまっていたら、何の意味もないけれど。

「……ごめんなさい、」

こんなことなら、最初から素直に風見さんに助けをお願いしていたら良かったのだろうか。それとも、アイスキャンディを買いに行こうなんて、食べたいなんて、思わなければ良かったのだろうか。そもそも私が風邪なんて引かなければ。
ぐちゃぐちゃと考え始めたら自分がとてつもなく情けなく思えてきてしまって、じわりと視界が歪んだ。
透さんのことも怒らせてしまった。迷惑をかけてしまった。せっかく作ってくれたお粥もちゃんと食べられなくて、こんな風に寝込んで、私ったら何をしてるんだろう。情けなさが恥ずかしくて、悲しくて、ぎゅうと布団を握り締めた。

「……何か勘違いをしているようですが」

はぁ、と溜息を吐いた透さんが、ベッドの縁に腰を下ろした。

「僕が怒っているのは、誰かに頼ろうとせずにそんな体で外に出たこと、ただその一点のみです」

透さんの手が伸びてきて小さく体を震わせたが、彼の手は優しく私の髪を撫でるだけだった。ほんの少しひんやりとした手のひらが心地よくて目を細める。

「もっと頼っていいんです。今のあなたは一人で生活しているわけじゃない」
「……はい、」
「そんな体調でろくに食事が出来ないのも予想の内です。だからどうにもならなくなったら連絡を、と言ったでしょう?」
「………どうにかなると思ってたんですもん…」

じわぁ、と浮かんだ涙が目尻から零れていく。
子供か。癇癪起こして泣く子供か。熱にやられて冷静にさえなれやしないし、涙腺はどうやらぶっ壊れてしまっているようだし。泣いてどうする。
ぐすぐすと鼻を鳴らせば、透さんは苦笑を浮かべて私の目尻を親指で拭ってくれた。

「…もうこんなことはしないと約束してくれますか?」
「…やくそく、します」
「心配しました。あなたの姿はないし、スマホは置きっ放しだし」
「…ごめんなさい」
「わかってくれれば、いいんですよ」

透さんは優しく笑って、私の頭を繰り返し撫でてくれた。
頼るって、とても怖いことだ。それは相手を信頼出来ないからとかそういうわけじゃなくて、頼ることで相手に迷惑がかかったらと考えてしまうから。ずっとそういう風に生きてきた。この考え方は、簡単には変えられそうにない。

「アイスキャンディを持ってきます。それを食べて、少し眠るといい。夜は柔らかく茹でたうどんを用意しますよ」
「……あんまり食べられなくて、ごめんなさい」
「そんなことは気にしなくていいんです。…早く元気になってくださいね」

早く元気になって、透さんのご飯を美味しく食べたいと思った。


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