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「ミナさん!」

閉店も間際になった頃。客足も落ち着いて少しうとうととしていた時間帯だ。突然飛び込んできた声にはっと顔を上げ、反射的にいらっしゃいませと口にしようとして…私はぽかんと口を開けたまま目を瞬かせた。
そう言えばコナンくんがここに来るのは初めてだなと思うと同時に、快斗くんがいない時で良かったとこっそり胸を撫で下ろした。
おばあちゃんが帰った後しばらくは自分に似た人物のことばかり考えてしまっていたが、数時間もすれば落ち着きを取り戻していたらしい。コナンくんや快斗くんのことを考えられることにほっとする。
店のドアをやや乱暴に開けながら飛び込んできたコナンくんは学校帰りらしくランドセルを背負っている。息を切らせているけど、ここまで走ってきたのだろうか。

「こんにちは、コナンくん。そんなに慌ててどうしたの?」

コナンくんは私の挨拶や問いには答えず、何やら小さな機具を取り出しそれを手に店内をぐるりと一周する。それはさながら本物の探偵さんのようだ。コナンくんが何をしているのかはなんとなく想像がついた。
恐らく、盗聴器の類を探しているのだろう。彼はきっと、誰かに聞かれては困るような話をしに来た。
コナンくんは慎重に店内を見回り、それから機具がなんの反応も示さなかったことを確認すると、神妙な顔で私に歩み寄ってきた。そうして、じっと視線を合わせてくる。
深い青の瞳に見つめられて、全てを見透かされるような気がしてどことなく居心地が悪い。小さく身動ぎすれば、彼はゆっくりと息を吐き出したようだった。

「ミナさん。…ミナさんは、ミナさんだよね」

その質問の意味がわからずに首を傾げかけるも、もしやと息を呑む。
私は、私。それはもしかして。

「…それは…私のそっくりさんのことを、言ってるのかな」
「知ってたの?!」
「……そういう存在のことを認識したのは、今日のことだけど」

認識どころか、気にさえしていなかった。先程おばあちゃんの話を聞くまでは。
長い話になりそうだな、と思いながらコナンくんをレジカウンターの内側へと招き入れる。時計を見れば閉店まで残り三十分を切っている。もうお客さんが来ることもないだろう。仕事中であるという罪悪感はあったけど、コナンくんの話を聞かなければいけないとも思った。
コナンくんはレジカウンターの内側に入ると、無造作に置いてあったパイプ椅子へと腰を下ろす。彼も、話をするまでは帰らないつもりのようだった。

「まず確認したいんだけど」

コナンくんは私を真っ直ぐに見つめ、眼鏡の奥の双眸を鋭く細めた。

「東都水族館でミナさんを助けてくれたのは誰だった?」

唐突な問いに目を瞬かせる。
東都水族館と言えば、観覧車が崩壊したあの一件しかないだろう。コナンくんの問いにどんな意味があるのかはわからないけど、この子が質問してくるのならきっとなんらかの理由がある。
…あの時に私を助けてくれたのは誰だったか。私はあの時たくさんの人に助けて貰った。一人一人思い出しながら口を動かす。

「…キュラソーさん…それから赤井さんに、コナンくん…透さん。いろんな人に助けてもらったよ」

私がそう答えると、コナンくんは表情を変えないまま次の質問へと移る。

「ボクとミナさんが一番最初に出会ったのって、どこだったっけ」
「米花公園だったよね。倒れてた私を少年探偵団の皆が助けてくれた」
「ポアロのケーキが溶けちゃった理由、なんだった?」
「えぇと…IoT家電のポットが、タクシーの無線に反応しちゃってその湯気がストッカーに入り込んだんだったよね」
「ミナさん、昴さんと一緒に飲んで酔い潰れたことあったよね」
「……なんでコナンくんがそれを知ってるのかな」

私話したことあったっけ、と自分の失態を思い出して頭を抱える。けどコナンくんの顔は相変わらず真剣だった。

「その時にミナさんが気に入ったバーボンの名前、教えて」

私はその問いに、ゆっくりと目を瞬かせた。
先程からのコナンくんの質問。それは全て、知らないと答えられないことばかりだ。特に最後の質問は、私と沖矢さんしか知りえない。ここまであからさまな質問を受ければ彼の意図は自ずと知れる。
コナンくんは私を試している。私が私のそっくりさんである可能性を危惧して、本物の佐山ミナであることを確認しようとしている。そうする必要があるからだ。少なくとも、コナンくんと私にとっては。
ゆっくりと息を吸って、吐き出す。

「…エンジェルズ・エンヴィだよ。沖矢さん、買い足しておいてくれるって言ってた」

答えると、コナンくんの瞳からようやく鋭さが消えていく。コナンくんは溜息を吐くと顔を上げて、ほんの少しだけ笑ってくれた。
いくらコナンくんが子供とは言っても彼の眼力は凄まじい。剣呑な瞳で真っ直ぐ見つめられながら質問されるのはなかなかに緊張するものだ。質問と言うよりも、今のは尋問に近かったような気がする。尚更だ。

「……本物のミナさんだね」
「詳しく話を聞いてもいい?」
「うん。でも、もうすぐ閉店でしょ?話はそれからにしない?」

コナンくんの言う通り、閉店時間はもう間もなくだった。確かにこんな状況で話し込んでも落ち着かないだろう。私はコナンくんの言葉に甘えて、閉店の準備を始めた。


***


閉店後、シャッターを半分くらいまで閉めてから改めてコナンくんと向かい合った私は、先日こんなふうに快斗くんとも話をしたのを思い出した。キッドキラーと怪盗キッド。敵対する二人と、同じような環境で話をするなんて少し不思議な感じだ。
私にそっくりの人物が、ここ数日米花町周辺で目撃されている。コナンくんの話はつまりそういうことであった。

「沖矢さんとボクは昨日、駅前でミナさんそっくりな女の人と会った。見かけただけじゃない、話もしたんだ」
「話もしたって…じゃあ、その人が私じゃないことくらいはわかったんじゃないの?」

見かけただけなのかと思っていた。話をしたなら、その私に似た女性は突然知らない人に声をかけられたことになる。自分に置き換えて考えてみればすぐにわかるだろう、突然知らない人が友達のように気さくに声をかけてきたら正直怖い。人違いじゃないか、なんて問うのも当然のことだと思う。

「その人、ミナさんって呼ばれて…平然としていたんだ」
「…え?」
「昴さんが声をかけた時は、少し戸惑ってたみたいだけど…でも、ミナさんって呼ばれてそれを否定しなかったんだって。時間的にその一、二時間後くらいに学校帰りのボクや元太達もその女性に会ったんだけど、その人は…まるでミナさんそのものだったよ。少し淡白な印象は受けたけどね。ボク達とも顔見知りみたいな表情だったし、ボクもミナさんだと思ってた」

理解はできる。だが思考回路がついてこない。
私にそっくりな人物がいて、その人は私の名前を…ミナと呼ばれて、それを否定しなかったと。
姿形がよく似ていて、その上名前までもしかしたら同じ、とか?そんなの、どのくらいの確率で起こり得ることなのだろうか。寒気がした。

「それでね、ボク調べたんだ」
「…調べたって、何を?」
「そのミナさんにそっくりな人が、いつ頃から米花町で見かけられるようになったのか」

コナンくんによると、その女性が見かけられるようになったのはここ数日のことらしい。具体的に言うと、三、四日くらいのことのようだ。
私は昨日寝込んでいた以外はいつも通りの生活を送っていたし、一日のほとんどはこの書店にいた。その時間でも、駅前の方で私の目撃証言はあったそうだ。そんなことまで調べちゃうなんてさすがコナンくんだな。

「ここ最近、ミナさんの周りで何か変わったことは無かった?」
「変わったこと、って言われても…。…例の黒いポルシェを見かけたことくらいしか。でもあれ以来見てないし…」

脳裏を過るのは雨の日。不思議な女性との三度目の出会いだ。あの人とのことを話そうかとも思ったけど、お姉さんは二度目に会った時に、話した内容や会ったことは口外しないように、と言っていた。三度目の時は口止めこそされなかったけど、それでもこの出来事を誰かに話すのは気が引ける。

「ミナさん」

いつしか視線は床に落ちていて、コナンくんに呼ばれて顔を上げる。
コナンくんの目は、真っ直ぐに私を射抜いていた。嘘偽りは許さない、そう言われているような気になるほどの強い瞳。小学生がする表情じゃないな、と思いながら小さく苦笑した。
コナンくん相手に、誤魔化しが効くだなんて思ってはいなかった。けど、話さなくていいことは話さないままでいたいと思った。どうやら、私が話さなくて良いと判断を下しても…それはコナンくんにとっては、必要な話のようだ。
ふぅ、と息を吐いて肩を落とす。

「……綺麗なお姉さんに会ったよ。外国人で、緩いウェーブの金髪の人。ものすごい美人で、その辺を歩いてると違和感さえ覚えるような人だった」
「それって、」

コナンくんの顔色が変わる。驚いたように目を見開いたコナンくんは、そのまま身を乗り出した。

「その人、名前言ってた?」
「ううん、誰なのか聞いても教えてくれなかった」
「会ったのは一度だけ?」
「三回、かな」
「そんなに?!…安室さんはそのこと知ってる?」
「お姉さんに、会ったことや話した内容は口外しないようにって言われたの。だから話してないよ」

次々に投げかけられる質問に答えながら、あのお姉さんもやっぱり訳ありなんだな、とぼんやりと思う。
観光客という雰囲気ではなかった。彼女のオーラは一般人の持つそれではなかった。どこか危険な香りをまとった、息を呑むほどの美人。コナンくんは、あのお姉さんのことをよく知っているようだった。

「…あの人は、誰なの?」
「言えない」
「そっか、」

私が踏み込んではいけない領域の話。コナンくんが言えないというのなら、私にはそれを聞くことは出来ない。
これは私が決めた一線だ。許可なく越えないと決めたから、気になったとしても私は知らないふりをする。知らないままでいる。

「ミナさん、ボクもいろいろ調べてみるけど…とにかく、気を付けて。…ごめん、話せるのはそれだけなんだ」

コナンくんも、透さんと同じ。小学生だからとかは関係なく、彼にはきっとたくさんの秘密がある。そしてそれはほとんどが口外出来ないことなんだろう。
だからと言って、それは私がコナンくんを疑ったりする理由にはならない。今までのコナンくんを見ていたら、彼が正義の旗を背負っていることくらいはわかる。私が誠実でいる限り、コナンくんはきっと私の敵にはならない。

「…うん。わかった。気を付けるようにするよ」

ありがとう。そう言うと、コナンくんはほんの一瞬瞳を揺らした。噛み締めるように眉を顰めて視線を落とし、すぐに顔を上げて笑う。その笑みは子供らしくもあったけどそれと同時に酷く大人びても見えて、とても曖昧な表情だった。この表情を私は知っている。…快斗くんも、時々こんなふうに、曖昧な表情で笑うのだ。

「ボク、ミナさんのこと大好きだもん。ボクだけじゃないよ。ミナさんに関わってきた皆、きっとミナさんのことが大好きで大切なんだ。だからミナさんは、笑っていてね」

この世界にとって異分子でしかない私だけど、この世界に来て繋いだ人との関係は真実だ。この世界でたくさんの知り合い、お友達が出来て、仲間が出来て…唯一の人だって見つけた。
私は笑っていられる。この世界で、これからも。

「うん。…私も、コナンくんが大好きだよ」

そう言うと、コナンくんは柔らかく目を細めて笑ってくれた。


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