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透さんが、何やらとても忙しそうだ。夜こそなんとか帰ってきて一緒に夕食をとってくれるものの、朝は私が起きた時にはもう出かけた後、ということがここ数日続いている。
透さんが話さない以上聞くのもな、と思いながらもそれとなく仕事が忙しいのかと聞いてみたけど、答えは「探偵の方の仕事が立て込んでいて」といういつもと代わり映えのしないものだった。それと同時に、踏み込むなという意思表示でもあることを私は知っている。
透さんは必要があると判断すれば話をしてくれる。そうせずにはぐらかすのは、私には知る権利がないということだ。別にそれでいいと思っている。それでも透さんの傍にいたいと決めたのは私だし、知らないふりをする覚悟はしたのだから今更それを違えるつもりは無い。
…ただ、透さんは本当に忙しそうで。お仕事の内容がどんなものかはわからないけれど、疲れているんだな、というのは何となく感じていた。本当は夜も無理して帰ってきてくれているのかもしれない。そのことが、とても心配だった。

先日、コナンくんと私にそっくりな人物について話をしてから、彼はそのそっくりさんを見かけたら私に連絡をくれるようになった。連絡と言っても私がどうするとかではなくて、今日駅前にいたのはミナさん?だとか、さっき何処其処にいた?とか、コナンくんの中での確認作業のようなものだったけれど。
コナンくんの連絡の頻度から言って、恐らくそのそっくりさんの目撃情報は増えている…のだと思う。あのコナンくんでさえ、パッと見では私かそっくりさんかの判別はほぼ不可能のようだし、自分の知らないところで自分に成り済ましているような行動を取るその人物には気味の悪さを感じていた。
…かと言って、私に出来ることなんてない。そのそっくりさんに私は会ったことがないし、見かけてさえいない。
ドッペルゲンガーを見たら死ぬ、なんて話がある。その場合私とそのそっくりさん、どちらがドッペルゲンガーということになるのだろうか。


***


「いやぁ、あちこち歩き回ったね」
「疲れたけどすごく楽しかった」

冷たいアイスカフェオレを飲んで一息。私の目の前に座るのは園子ちゃんと世良ちゃん、隣に座るのは蘭ちゃんだ。
今日はこの三人に誘われて、東京金座に新しく出来たショッピングモールに遊びに来ている。ショッピングモールは四階建てで、お洒落な雑貨屋さんやブティックを始め少し高級なブランド店、本屋、スポーツショップなどなど様々なお店が軒を連ねており、今は四階にあるフードコートで休憩中だ。この階には子供向けのゲームセンターもあるようで、遠くからはゲーム機の音声が聞こえてくる。

「そう言えば世良ちゃん、さっき何か買ってたよね。何買ったの?」
「腕時計さ。デザインが気に入っちゃって。値段も手頃だったしね。園子君は?」
「私はスポーツタオル!真さんにプレゼントしようと思ってね〜」

いつもキッド様やらイケメンやらかっこいい男の人に目がない園子ちゃんにも、そういう唯一のお相手がいるんだなぁと思うと微笑ましくなる。園子ちゃんのお相手は京極真さんと言うらしく、杯戸高校の男子空手部主将で、なんと空手の公式戦では四百戦無敗。通称“蹴撃の貴公子”と呼ばれているとか何とか。今は外国で武者修行の旅をしている…なんておよそ高校生とは思えない経歴に呆気に取られてしまった。
蘭ちゃん曰く、その京極さんは園子ちゃんにとても一途で優しい人なのだそうだ。いつか会ってみたいなぁ、なんて思いながら頬杖をついた。

「蘭ちゃんもさっきぬいぐるみのマスコット買ってたよね。自分用?」
「なーに言ってんのよミナさん、サッカーボールを模したキャラクターのマスコットなんて、旦那にあげるに決まってるじゃない」
「そ、園子!」

あぁ、なるほど、と頷く。蘭ちゃんの彼氏さん(彼氏じゃない!なんてムキになってしまうから蘭ちゃんの前では言わないけど)である工藤新一くんは、サッカーが好きなんだっけ。好きなだけではなく実際プレイも上手いらしく、コナンくんのサッカーの上手さは工藤くん譲りだと私は睨んでいる。親戚だって言っていたし工藤くんのお家にコナンくんは自由に出入り出来るみたいだし、新一兄ちゃんなんて呼んでるし、サッカーも教えて貰っちゃってたりして。仲が良いんだろうな。…それにしても工藤くん、頭も良くて運動神経もいいなんてすごい。

「…でも、ボク見ちゃったんだよねぇ」

工藤くんのことを考えていたら、にや、と世良ちゃんが笑ってこちらに視線を向けた。
…え、なんだろうその顔は。

「さっきミナさん、紳士服のお店に入ってネクタイ買ってたよね」
「えっそうなの?!」
「ミナさんいつの間に…!」

おかしいな。彼女達が雑貨に夢中になっている間に、さっとその場を離れてさっと買って鞄にしまってすぐに戻ったのにいつどこで見られていたんだろう。
…そう言えば世良ちゃんは工藤くんに並ぶ女子高生探偵だったっけ。…ううん、抜け目がない。

「ちゃんとしたブランド店のネクタイ。もちろんミナさんが使うわけじゃないだろうし、ミナさんの知り合いで男性と言えば何人か浮かぶ顔はあるけど…でも、そう親密でもない相手にネクタイを渡すとは考えにくい。となると答えは」
「安室さんへのプレゼントね?!」

きゃあ、と声を上げる園子ちゃんと蘭ちゃん、そしてにやにやと笑みを浮かべたままの世良ちゃん。女子高生とは皆同じように色恋沙汰に興味津々なのだろうか。
まぁ、彼女達は私と透さんがお付き合いしていることは知っているし別に隠すことでもないのだが…でも何というか、小っ恥ずかしいと言うか。

「…そ、…そうだけど…」
「安室さん誕生日とかですか?!」
「えっ?いや、そういうんじゃなくて」

そう言えば、透さんの誕生日知らないな。…でも私も透さんに自分の誕生日を話したことはないし、今までにそういう話題も上がったことがないしな。
ずー、と音を立てながらカフェオレのストローを吸った。氷が溶けて味の薄くなったカフェオレが喉を過ぎていく。

「…私はいつも透さんに貰ってばかりだから。何かあげたいな…って思って…」

少しくすんだサックスブルーのネクタイと、シルバーのタイピン。パッと見て瞬時に透さんの顔が浮かび、彼にとてもよく似合いそうだと思ったのである。この色なら彼がよく着るグレーのスーツにも合うだろうし、ネクタイなら贈って迷惑がられることもない…と思うし。いつも貰ってばっかりで、私からなにかお返しがしたいとは常々思っていた。良い機会だと思って購入したはいいけど…確かに誕生日や記念日でもないのに贈り物をするのは少し、おかしい…かな。

「…変かな」
「いいんじゃないか?別に贈り物は特別な日じゃなきゃいけないなんてことはないし」
「そうよ、私や蘭だって贈り物を買ってるんだもの」
「安室さん、きっと喜びますよ」

三人に言われて自然と笑みが浮かぶ。
喜んでくれたらいいな。…着けてくれるかな。最近忙しそうだから、少し彼のお仕事が落ち着いたタイミングでお疲れ様ですって渡せたらいいな。



「あれ、」

そろそろ帰ろうか、ということになってショッピングモールの入口まで戻ってきた。時間を確認しようと思い鞄の中からスマホを探すが、入れたはずのスマホがない。
どこかに置き忘れ?でもスマホを置き忘れそうな場所なんてさっきのフードコートくらいしか浮かばないし…そもそもスマホをなくすなんて初めてのことで、自分が置き忘れる行動パターンがわからない。
どうしよう、透さんから借りてる大切なものなのに。

「ミナさん?どうしました?」

私が立ち止まっていたのに気付いた蘭ちゃんが振り返る。それにつられて、世良ちゃんと園子ちゃんも足を止めた。

「あ、ごめん…スマホなくしちゃったみたいで」
「えっ?大丈夫ですか?スマホ鳴らします?」
「ううん、鞄の中にはないみたい。多分さっきのフードコートに置き忘れたんだと思うんだけど…」
「私達がフードコートを出る時、忘れ物なんてなかったわよ?」

園子ちゃんはフードコートを出る時にテーブルやソファーも確認してくれていたらしい。私のスマホらしきものは見当たらなかったとのことだ。
しかしそうなると、どこに置き忘れたんだろう。ロックはかけてあるから中のデータを覗かれるなんてことはないと思うけど、それでももし見つからなかったら、なんて考えたら徐々に焦りが募る。

「どうしよう、」
「ミナさん、さっきトイレ行っただろ。その時に置き忘れたりとか、心当たりは?」
「…あ、」

世良ちゃんの言葉にはっとする。
そうだ、フードコートを出る前に私だけトイレに行った。そこで軽くメイクを直して…その時、鏡の前にスマホを置いたのを思い出す。それを鞄の中に入れたかどうかまでは覚えてない。トイレを出る時に女の人とぶつかってしまって、意識はそっちに向いていた。

「…もしかしたら世良ちゃんの言う通り、トイレに置き忘れたのかも。私探して帰るから、皆は先に帰ってて?」
「いいわよ、行ってきなさいよ。待っててあげるから」
「そうですよ。入口側の椅子に座って待ってます」
「焦らなくていいからさ」
「…ごめんね、すぐ行ってくるから!」

待っててくれるという三人を入口に残して、私は最後に行ったトイレに駆け出した。エレベーターを待つのも何だかもどかしくて、エスカレーターを駆け上がる。
一階から四階、更に広いフロアの端にあるトイレまで向かうとなるとぱっと行って帰ってくるなんてことは出来なくて、四階に戻ってくる頃には私の息はすっかり上がってしまっていた。

「えっと、トイレは…」

トイレの位置を確認してそちらに足を向ける。女子トイレの中はしんと静まり返っていて、誰もいないようだった。パウダールームの方を覗き、鏡の前に見慣れたスマホがぽつんと置かれているのを見てほっと胸を撫で下ろす。
駆け寄って手に取り軽く操作してみるが、特に異常もない。

「良かった…」

急いで蘭ちゃん達のところに戻ろう、と踵を返して、私は一瞬何が起こっているのかよくわからなかった。
鏡、ではない。私は今トイレの出入口へと足を向けようとしたところで、鏡と向き合っているわけではない。けれどそこには、私の顔があった。驚いて息を飲んでいる私とは対照的に、もう一人の“私”は目を細めてうっそりと笑う。
ぞく、と背中が震えた。

「初めまして」

“私”が小首を傾げながら言った。
自分の声というのは、自分と他人では聞こえ方が違うという。私は自分の声を客観的に聞いたことは無いけど…それでも“私”の声は、あぁ、私ってこんな声なんだ、と思ってしまうような声だった。
髪型も、目鼻立ちも、体型や身長、声さえ…そのままコピーしたかのようなそっくりさ。…近頃米花町で目撃されていた私のそっくりさんとは、間違いなく今目の前にいる彼女のことだろう。そう何人もそっくりさんがいてはたまらない。
…なるほど、これは確かに見分けなんてつかないかもしれない。…私でさえ、混乱するほど似ているのだから。
“私”は、真っ黒いワンピースを着ていた。普段私はあまり着ない色だ。

「…あ、の」
「初めまして。私、佐山ミナ」
「…、え、」

ぽかん、と口を開けて目の前の“私”を凝視する。
佐山ミナ…私の名前を名乗った彼女は、にっこりと笑って私に一歩歩み寄る。言いようのない不気味さを感じて私が一歩後退りすれば、彼女は少し不服そうに唇を尖らせた。

「どうして逃げるの?」
「…、…どうして、って」
「もう一度言うね。私、佐山ミナ。…なんて言ったら…きっと誰も疑わないね?」

どういうことだ。理解が追い付かず、歯の根が噛み合わなくなる。歯がかちかちと小さく音を立てるのに、私はそこで恐怖を感じているのだと気付いた。
この人は、…“私”は。一体、何を言っているんだろう。
喉が張り付いて声が出ない。そんな私を気にすることなく、“私”は朗々と話し出した。

「まさかここまでそっくりな人がいるなんて思わなかった。死ぬ気であなたのことを調べたわ」

「交友関係、職場、どこに住んでいてどういう生活を送っているのか」

「どんな神様のお導きか知らないけど、とにかく私はあなたに感謝してるの」

「あなたのおかげで、私はきっと殺されずに済む。だって最高の身代わりがいるんだもの」

「ありがとう、あなたがいてくれてよかった」

「後のことは私に任せて」

「あなたの代わりに私が生きてあげるから」

「だから安心して」

あぁ、まるで悪夢をなぞるよう。聞き覚えのある言葉が耳を抜けていく。
“私”はもう一度にっこりと優しく微笑むと、一気に私と距離を詰めた。背中には壁。私はもう、後退ることも出来ない。

「やめ、」

強く腕を掴まれ引き寄せられる。混乱した頭で必死に抵抗しようと腕に力を込めたが、それよりも彼女の方が一瞬早かった。
つんとした匂いのする布を口元に押し当てられる。彼女を突き飛ばそうとした腕から、急激に力が抜けていく。ぐらりと視界がぶれて、声を上げることすら出来ない。

「あなたは私の代わりに死ね」

急速に閉ざされていく意識の中、甘く優しく囁く、…私の声がした。


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