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「冗談でしょう?」
安室さんの言葉に、思わず吹き出した。
真面目な顔で、この人は一体何を言っているのか。お付き合い?さすがに私でもその言葉の意味くらいはわかる。わかるからこそ、有り得ないと断定できるのだ。
だって安室さんは今、私と自分が恋人関係にあると言ったのだ。こんな、世の中の女性が放っておかないような容姿をした人が、である。物腰はとても柔らかく丁寧で、さっきは少し怖かったけど優しい人なんじゃないかなということはわかる。そんな人が、私なんかと恋人同士?こんな素敵な男性が私なんかを選ぶ?どう考えたって有り得ない。私をからかっているとしか思えない。有り得なさすぎて笑みすら浮かぶ。
「からかってるならやめてください。駄目ですよ、そういうこと他の女の子に言ったら。安室さんみたいなかっこいい人に言われたら、コロッと信じちゃう女の子だってきっといるでしょうから」
「からかってなんかいません。ミナさん、」
「だって有り得ないですもん。私なんかと安室さんみたいな方がお付き合いなんて到底釣り合わないです。本当だとしたら、安室さん相当趣味が悪いですよ。こんな女選ぶなんて」
笑っちゃう。
くすくすと肩を揺らしながらそう言うのに、安室さんが半ば睨むようにこちらを見つめていたことに気付いて小さく息を詰める。
…どうして、そんな顔をするんだろう。咎めるような視線に笑みも引っ込み口を噤む。
「…たとえあなた自身だろうと。…僕の大切な人を侮辱することは許しません」
侮辱、って。…安室さんの大切な人って?
よくわからずに口を噤んだまま目を瞬かせれば、安室さんは私から視線を外さないまま目を細める。その視線からは冗談やからかいの色はなく、私は小さく息を飲んだ。
だって、だって有り得ない。私みたいなのが安室さんの恋人だなんて絶対に有り得ない。私は大切な人なんて言って貰えるような人間じゃないし、わざわざ私なんかじゃなくたって安室さんの容姿なら、言葉は悪いけどいくらでも素敵な女性を選び放題のはずだ。
「…だ、だって。…安室さん、知らないと思いますけど、私料理からっきしなんですよ?普段からインスタント食品ばっかりだし、生活力もないし」
「知っていますよ。それに料理が出来る出来ないは生活力とイコールにはならないでしょう。女性だから料理が出来ないといけないなんてことはない。僕にとっては、あなたに僕の料理を食べてもらえることが嬉しいんです」
安室さん、料理するんだ。私が料理が出来ないことを知っていて、更には食べてもらえることが嬉しかった?ますます信じられない。
だって、元彼には散々怒られたのだ。料理が出来ないなんて有り得ない、そんなのは女じゃないって。けど、そんな料理をのんびりするような余裕もなくて、頑張って作っても結局食べてもらえなかったっけ。彼と別れてからは以前よりももっと自炊はしなくなってしまった。
自堕落だと笑われたって仕方がない。全部私が招いた、私の自業自得だとわかっている。私が、全部悪いのだ。私のせいだ。
「あなたは知らないと思いますが、僕はあなたに助けられました。あなたは僕の恩人で、」
「有り得ないですよ」
安室さんの声を遮って、へらり、と笑った。
私はいつも誰かに流されるばっかりで、自分の気持ちもちゃんと伝えることも出来ないし、伝える努力も多分していない。そうやってなあなあなまま生きてきて、自分の居場所を求めることに必死になって。
結局彼にも振られて、…私なんかのことを好きになってくれる人なんていないんだろうな、だって好きになってもらう努力もしてないんだからなんて思って。だから、仕事に打ち込んでいるのは他のことを考えなくて良いから楽だった。
たとえそれで多少体にガタが来てても、私の居場所を守るためなら大した苦ではなかった。滑稽だと頭のどこかでは理解している。それを見ないようにするのが、得意なだけ。
私がこの人を助けた?流されるばっかりの私がそんな大層なことをしたとは思えない。この人を私が助けるなんて、どんな状況なのかと笑えてくる。
出来損ないのガラクタみたいな私を、大切な人だなんて言ってくれる人がいるはずがないのだ。
「あの、嘘でもそんなふうに言ってもらえて嬉しかったです。でも、やっぱりおかしいです。私なんかと安室さんに接点があるとも思えないですし…」
何かの間違いだ。安室さんのことを私は知らないし、知らない人から突然恋人だったなんて言われても信じられない。私の無くした記憶に関わりがあるとしても、今の私には知らないことでしかない。
記憶を取り戻すって、何だ。知らないことをどうやって取り戻せばいい?こういうことがあったんだよって私の知らない人間関係を聞かされて、それを知ってるふりをすればいいのか?まるで他人事にしか聞こえないのに。
「ミナさん、」
「ごめんなさい、安室さん。…私はあなたのことを知らないし、わからないし。その、もういいですか?いろいろあって疲れちゃって」
安室さんと話せば話すほど、胸が苦しくなる。内側からも外側からも責められているような気持ちになる。知らないんだから、わからないんだから、仕方がないじゃないか。なんで私が責められなくちゃいけないんだ。そんなどうしようもない気持ちになって、頭が痛くなる。
パニックになって癇癪さえ起こしそうだ。だから、もう安室さんと一緒にいたくなかった。この人の目を見たくなかったし、声を聞きたくなかった。
俯いて、ぎゅうと目を閉じる。
「……お疲れのところ、無理をさせてしまいすみません。…また明日来ますね」
降ってきた安室さんの声はとても静かだった。
彼が立ち上がり、静かに部屋から出ていく気配がする。ドアが閉まる音がして、そこで私はゆっくりと顔を上げた。安室さんの姿はない。どうやら、言葉通り帰ったようだった。
無意識のうちに詰めていた息を吐き出す。なんだか本当に疲れてしまって、ベッドに横になってぼんやりと天井を見つめた。
なんで、こんなことになったんだろう。私はただ、今までの生活に戻れればそれでいいのに、何かおかしなことになっている。
安室さんは誰?安室さんが嘘を言っているようには見えなかったけど、でもたとえ安室さんが言ったことが事実だったとして…私には、その事実を受け入れることは出来ない。
…安室さんとお付き合いをしていたという私は、幸せだったんだろうか。
頭が痛くて、耳鳴りがうるさかった。
***
翌日病室に来たのは、昨日安室さんを呼びに行った眼鏡の男の子と高校生くらいの女の子だった。
丁寧にノックをして病室に入ってきた二人はどこか緊張した面持ちだ。男の子の方は昨日少しだけ会ったけど、女の子は初めて見る顔である。焦げ茶色の長い髪を揺らしている。
「あ、あの…こんにちは。私、毛利蘭と言います」
「ミナさんこんにちは。…ボクは江戸川コナン。よろしくね」
そのぎこちない挨拶で、あぁ、この子達もきっと私のことを知っているんだろうなぁと思う。
無くした記憶の中にいた私の知り合いなんだろうか。このくらいの年の頃の子達と繋がりを持つような生活はしていなかったはずだけど、私は一体どこでこんな人脈を増やしたんだろう。
「こんにちは。…佐山ミナです。コナン…くん?昨日はいろいろとありがとう」
「ボク、何もしてないよ」
「ナースコール押してくれたでしょう」
あの時部屋でいろいろと動いてくれたのはこの男の子だ。小学生くらいだろうに、随分としっかりした子だなと思う。
それから、私は女の子の方に視線を向けた。女の子は私と目が合うと眉尻を下げて困ったような顔をする。…見つめただけで困らせてしまったかな。
「えっと…毛利さん」
「…、はい」
「…初めまして」
悲しそうに視線を下げる彼女は、何を思っているんだろう。…私が何かしたわけじゃないのに、まるで私が悪いみたいだ。居心地が悪くて、叫び出したくなる。
「…その、……良かったら、私のことは蘭と呼んでください」
「…蘭さん?」
「……はい」
蘭さんは辛そうに笑う。それから、コナンくんと一緒にベッドサイドの椅子に腰を下ろした。
…蘭さんもコナンくんも居心地悪そうにしているのに、ここに居座るんだ。無理して私と話なんてしなくていいのにな、なんて思いながら小さく息を吐く。
「今日ね、ミナさんとお話しに来たんだ。ミナさん具合はどう?」
にこ、と笑ったコナンくんに問われて、ぱちりと目を瞬かせた。
「…そう、だね。…腕の怪我は痛いけど鎮痛剤も投与してもらってるし…怪我以外は元気だよ。正直すぐにでも退院したいくらい」
「駄目だよ、大怪我してるんだから」
「これくらい大丈夫だよ。…会社に行かないと」
病院にいる期間が長引けば長引くほど、きっと私は焦りを覚えるんだろう。私がぽつりと言うと、コナンくんはほんの少し眉をひそめたようだった。
「…あの、」
蘭さんに声をかけられて視線を向ける。
彼女はどうしようか迷うように視線を泳がせていたが、意を決したように私に目を合わせて唇を開いた。
「気分を害したらごめんなさい。…お医者様から、…記憶障害のことは…聞いたんですよね…?」
「…はい、聞きました。でも、関係ないですから」
「…関係ないって…?」
「無くした記憶というのがどういうものかはわからないけど…でも、無くたってきっと困るものではないと思うので。自分のこともわかるし、私にとっては記憶を無くしたなんてことがそもそも信じられなくて。このまま記憶が戻らなくたって別に」
私も気が立っていたんだと思う。だからするりと言葉が流れ出てしまって、言った後にさすがに無神経だったとはっとした。
目の前の二人は、きっと私の無くした記憶の中での知り合い。私とどの程度の関係なのかはわからないけど、記憶が戻らなくていいなんて言って、良い気はしないんじゃないだろうか。
謝ろうとして口を開きかけて、…それでも思うような言葉が上手く出ずに口を噤む。だって、思ったことは本心だ。
記憶なんていらない。なくたって困らないし、だって本当に大切なものなら手放さない。無くなってしまったならきっと不要なものだったのだ。昨日安室さんに言ったのと同じ気持ちが湧き上がって視線を逸らした。
「駄目です、」
突然手を握られて、小さく息を詰める。
ゆっくりと顔を上げたら、泣きそうな顔をした蘭さんがいた。
どうして、そんな顔をするんだろう。
「…駄目、です。そんなこと言っちゃ、駄目です…!」
「でも私はそんな記憶なんて、」
「ミナさん、違います!」
大きな声で言われて思わず口を閉ざした。
蘭さんはとうとう溢れた涙をぐいっと拭い、それから真っ直ぐに私を見た。病室に入ってきた時の弱々しい表情は、もうどこにもない。
「私も、以前記憶を無くしたことがありました。母や父のこともわからなくなって、親友や…大切な人のことも。何もわからないから、無くした記憶の大切さもわからなくて。…でも、記憶が戻った時…この記憶を取り戻せなかったらと考えたら怖くなりました。とてもとても大切な記憶だったって思い知りました」
無くした記憶の大切さなんて、記憶を取り戻さない限り気付かない。なら、気付かないままでいる方が気が楽だしそれが幸せなんじゃないかと思った。
その記憶を知らないまま、大切さなんて知りたくないと思う。どうしてここまで自分が頑なになるのかは自分でもわからなかった。
「ミナさんが記憶を取り戻したくないなら無理はして欲しくないです。それが私の本音です。でも、無くした記憶はきっとミナさんにとってとてもとても大切だったはず。無くたって困らないなんて言わないでください。記憶なんていらないからって、向き合うことから逃げないでください。ごめんなさい、勝手なことを言ってるのはわかってます、でも、…でも私、」
「蘭姉ちゃん、」
蘭さんが言葉に詰まると、コナンくんがそっとその腕を叩いた。蘭さんははっとして、握ったままだった私の手を離す。
「…ごめんなさい、ミナさんだって…混乱してるのに」
「…いえ。大丈夫です。…ごめんなさい、私も無神経でした」
蘭さんは、良い人だ。…他人の為に一生懸命になれる。今の言葉が心からの言葉だってことは痛いほど伝わってきた。きっと自分自身が記憶喪失になったことがあるから、私のことも気にかけてくれるのかな。優しい人だな。
蘭さんの言葉は強く胸に刺さるようだった。痛くて、熱くて、自分よりもずっと年下であろう彼女にここまで言わせてしまって申し訳ないと思う。
「ミナさん、またお見舞いに来るよ」
ボク達とミナさん、結構仲良かったんだよ。
コナンくんにそう言われて目を細める。
お見舞いに来てくれる友人がいる。心配して、本気の言葉をぶつけてくれる相手がいる。
無くした記憶の中の私は、どんな生活を送っていたんだろう。
たくさん、笑っていたのかな。
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