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ふ、と意識か浮上した。
鼻につくのは清潔なシーツと消毒液の匂い。薄らと目を開けてみれば部屋の中は明るくて、窓の外の日の傾き具合からお昼くらいかな、と思った。
…なんだか不思議な夢を見ていた気がする。男性二人が出てきて…えぇと、名前はなんて言ったっけ。顔も声も曖昧になってしまっているが、どちらもタイプは違えどイケメンだった。…なんだっけ。壊れた宝石が…どうとか。いろんな話をした気がするけど、それもあまり思い出せない。…なんだっけ。価値は人それぞれとか…価値がないと思ったものでも、それは誰かの大切なものかもしれない…みたいな。なんかそんな感じだったような。

「ミナさん、起きた?」

少し高めの声に呼ばれて視線を向ける。ベッドサイドにいたのは、眼鏡の男の子…コナンくんだった。コナンくんは椅子に腰掛けて、軽く足を揺らしている。

「…おはよう、コナンくん」
「うん、おはよう。…もうお昼だけどね」

十一時過ぎてるよ、と言われて、昨日はどのくらいの時間に寝落ちたのかを考えたけど思い出せなかった。まだ明るい時間帯だったと思う。なんだかいろんなものが爆発してしまって、癇癪起こして…安室さんにも迷惑をかけてしまったな。成人女性が癇癪起こして泣くなんて面倒極まりなかっただろう。
ゆっくりと体を起こしてコナンくんと向かい合う。部屋を見回すが、蘭さんはいないようだった。

「…蘭さんは?」
「今日はボク一人。蘭姉ちゃんのお父さん…毛利小五郎のおじさんも来たがってたんだけど、ミナさんが落ち着いてからって言ってたよ」
「毛利小五郎…」

蘭さんのお父さん、と小さく呟く。
…そうか。私はコナンくんや蘭さんだけじゃなくて、そのお父さんとも付き合いがあったのか。わざわざ見舞いに来ようと思ってくれるくらいだから、家族ぐるみでそこそこ深い付き合いだったのかもしれない。

「コナンくんは、いつからここに?」
「十分くらい前だよ。今日は学校がお休みだから、ミナさんのお見舞いに行こうって思ってたんだ」
「…そっか。ありがとう」

自分自身があまり休みとは縁遠い生活を送っていたし、当然休みのある学生なんかとは関わることもなかったから、学校がお休みという言葉がやたらと新鮮に聞こえた。
コナンくんはスマホをいじっていたようで、その手に赤いスマホが握られている。それを見て、ふと私は口を開いた。

「…ねぇ、コナンくん。スマホでちょっと調べて欲しいことがあるんだけど」
「うん?なぁに?」
「夢占いで…宝石の夢について調べて欲しいの」
「宝石の夢?…どんな夢なの、それ」
「えぇと…」

イケメンさん二人のことはとりあえず置いておくことにして、夢で触れた宝石のことを思い出す。
割れて、輝きを失いくすんだ宝石。そして、その欠片をあのお兄さん達は探していた。つまり、宝石を探す夢、ということになるんだろうか。実際探していたのは私じゃないけど、夢に見たということはそういうことなんだろうと解釈する。
その通りにコナンくんに伝えれば、彼はスマホを操作して夢占いを調べてくれた。

「えぇと…まず、割れた宝石、だよね。その宝石を見て、何か感じた?例えばそれを見てすっきりしたとか、嫌な感じがしたとか…」
「……特に何も感じなかったけど…なんだろう、勿体ないな、とは思ったかな」
「…その時のミナさんの感情によって結果が左右されるみたいだよ。夢に出てくる宝石って言うのは、愛や魅力、創造力や潜在能力を象徴しているんだ」

宝石が割れて好印象であれば奇跡的な出来事の前触れ。逆に悪い印象であるなら、今までの人間関係や恋愛関係が壊れたり…信じたものを失うことを暗示しているという。

「輝きを失ってくすんだ宝石って言ってたけど…、……」
「…なんで黙るの?」
「………恋愛に対して不満に思ってる暗示、だって」
「………」

コナンくんは言い終わって気まずそうな表情を浮かべているけど、聞かされた私だって気まずい。何と答えたら良いかわからずに、私は小さく咳払いをした。
不満も何も。…自分が不満に思っているのかさえ、覚えていないのに。
小さく息を吐いて軽く頭を振ると、スマホの記事を読み進めたまま口を噤んだコナンくんに視線を向ける。

「…じゃあ、宝石を探すのは?」
「……」
「…コナンくん?」

コナンくんはスマホに向けていた目をほんの少しだけ細めた。それから顔を上げて、ことりと首傾げる。

「聞きたい?」

コナンくんの顔は、真剣だった。
私は、自分の見た夢にどんな暗示があるのか知りたかったからコナンくんに頼んだのだ。知りたいかと念押しされるとは思わず目を瞬かせる。…コナンくん自身話すことを躊躇するような内容…ということだろうか。
だとしたら。きっとそれは、私の記憶に深く関わるような内容なのかもしれない。

「…うん。聞きたい」

私が頷くと、コナンくんは小さく息を吐き出して再びスマホに視線を落とした。

「大切なものを失ってしまった暗示」

夢で聞いた、「君にとってはいらないと思うものでも、他の誰かにとってはとても大切なものかもしれない」という言葉がはっきりと脳裏を過った。
私は、いらないものだと思った。無くても困らないものだと思った。けれどそれは…誰かにとってはとてもとても大切なものかもしれなくて。例えば記憶を持っていた頃の私にとっては、きっと大切なものなのかもしれなくて。
そこまで考えて思わず笑いが込み上げた。私、何を真剣に考えているんだろう。たかが夢だ。たかが夢占いだ。何を夢に見たかなんて現実にそう影響するなんて思えない。
宝石が愛や魅力、創造力や潜在能力を象徴しているというのも、全ては後付けに過ぎない。そんなのは何とでも言えるじゃないか。
そう思うのに、酷く胸が痛む。
どうしてだろう。私は、どうしたいんだろう。無くした記憶を、本当は取り戻したいと思っているんだろうか? 思い出そうとすればするだけ面倒だともわかっているのに、何かが喉に引っ掛かるような思いに眉が寄る。

「…ミナさん?」

コナンくんに声をかけられてはっとする。
口を噤んで俯いてしまっていたようだ。顔を上げてコナンくんを見つめ、小さく首を振る。

「…ごめん、何でもないよ」

何でもない。言いながら、何でもないわけがないと内心苦笑した。
心が、捻じ曲がってしまったかのよう。自分がどうしたいのかもよくわからず、私は今までと同じように流されるまま生きていくんだろうか。
つきんと胸が痛む。漠然と…それは、なんだかとても嫌だなと思った。

「……ねぇ、コナンくん」
「なに?」
「……君から見た、記憶を失う前の私について…教えてくれないかな」

聞いたってどうせ他人事。何も思わないのなら、聞くことだって別に悪いことじゃない。自分で自分に言い訳をしながらコナンくんへと言えば、彼は少し驚いたように目を丸くしていた。それからすぐに真面目な顔になる。

「…ミナさん、そんなに焦らなくってもいいんじゃないかな。時間はあるよ。無理しないで、今はゆっくり休むことを考えても…」
「昨日、安室さんにも同じことを言われたよ。落ち着いてからって。…でも、落ち着くってなんだろう? 私に記憶が無いことには変わりがないし、私は…今は冷静に受け止められないとか、落ち着いたら受け止められるとか、そういうの、ちょっとよくわからない。記憶が無い事実は変わらないんだよ。何かの拍子に思い出すこともあるのかも知れないけど、自発的に思い出せなかった場合…私にとって無くした記憶はいつまで経っても他人事のまま」

きっといつ聞いたって、自分の事として聞くことなんて出来ない。落ち着くも落ち着かないも、関係がない。
安室さんやコナンくんが私のことを心配してくれているのはわかる。…でもだからこそ、いつまでも気を遣わせていたくない。人に気を遣わせるのは、私自身も気遣いが必要になる。
…無くした記憶を自分の事として受け入れる姿勢になれたのは、私にとっても大きな一歩なのではないかな、と思う。

「…私なら大丈夫。一度に多くじゃなくていいの。どういう人間関係を築いていたかとか、…そうだな、コナンくんや蘭さんとの出会いとか。そもそも私は仕事ばかりの生活だし、いつ安室さんやコナンくん達に知り合ったのかっていうのはすごく興味があるけど」

私がそう言うと、コナンくんは小さく息を吐いて視線を落とした。それから苦笑して軽く方を竦める。

「…やっぱりミナさんはミナさんだね」
「…うん?」

コナンくんの言葉の意味はよく分からなかったけど、彼は私に話をしてくれる気になったらしい。椅子に座り直すと、そうだなぁ、と呟きながら視線を宙に向ける。

「…ミナさんと安室さんの出会いは、実はボクも詳しくは知らないんだ。公園にボロボロな姿で倒れてたミナさんを、ボク達が見つけたのが一番最初」
「…いろいろツッコミどころはあるんだけど、ボク、“達”って?」
「ボク、同級生の奴らがやってる少年探偵団の一員なんだ。ボク以外に小嶋元太、円谷光彦、吉田歩美、灰原哀…それからミナさんも、いろいろあって探偵団の一員だったんだよ」
「えっ、私が?」

少年探偵団なんてすごいなと思って話を聞いていたから、突然自分がその一員だったと聞いて目を丸くした。
…そもそも私は少年少女という年齢をとうに過ぎ去った歳なわけだけど、それで少年探偵団を名乗っても大丈夫だったのだろうか。

「出会った当初、ミナさんは怪我もしてたし…ボクは救急車を呼ぼうとしたけど、ミナさんに止められたんだ。それから、安室さんのことを知ってるか聞かれてさ」
「…その頃には、もう私は安室さんと知り合いだったってこと?」
「うん。その時はボクもミナさんがどういう人かわからなかったから…安室さんの連絡先を聞かれて知らないって答えたんだけど、その後に安室さんに確認取ったらミナさんのことを“大事な人”って言ってた」

大事な人、って。…そんなはっきりと口にするような言葉なのだろうか。どことなくこそばゆくなってコナンくんから視線を逸らし頭を掻いた。
安室さんは…どうして私が大事だったんだろう。私なんかのことを大事だと言ってくれたんだろう。どうしてあんなに素敵な人が…私みたいな人間を、気にかけてくれるんだろう。

「…その、コナンくん」
「なに?」
「……安室さんに、お付き合いをしてるって言われたんだけど…冗談、だよね?」

どうしても信じられなかった。安室さんは冗談を言ったんだと…私をからかったんだと思った。でも、彼は真剣な目をしていた。冗談やからかいなんかじゃないと言っていた。けど、私はそんな言葉を簡単に信じられるほど安室さんのことを知らない。
コナンくんはじっと私の目を見ると、ゆるりと首を横に振る。

「恋人同士だったよ。安室さんとミナさん。お互いにものすごく好き合ってるんだなって感じるくらいだったし…それは、ボクや蘭姉ちゃんが保証する」
「……こいびと、」

私と、安室さんが。

「ボク、ミナさんが安室さんと恋人になる前から知ってるんだ。ミナさんは安室さんのことをよく目で追ってたというか…あぁ好きなんだなって思った。実際にミナさんに聞いたこともある。そしたらね、ミナさんこう言ったんだよ」

好きだけど、想いを通わせるだけが恋愛じゃない。安室さんのことを好きだなと想い続けられればそれでいいと。
その言葉を聞いて、自分でその言葉を言った記憶はないのに…あぁ、私の言葉だなと感じた。
私は多分、心から人を好きになったことがない。きっと、いざ本当に誰かを好きになった時私は踏み出すことが出来ないだろう。想い続けられるだけでいい。想わせてくれるだけでいい。そう考えるであろうことはなんとなく予想がつく。

「…コナンくん、安室さんって…どんな人?」
「どんな人、って?」
「…なんというか、あの人…ちょっとこう、ミステリアスというか…」
「あぁ、簡単に信用出来ないって?」
「…そこまで言ってないよ」

唇を尖らせれば、コナンくんはボクも疑ってた時期があったからわかるよ、なんて嘘なのか本当なのかいまいちわかりにくいことを言う。

「安室さんは確かに裏が読めないところもあるけど…ミナさんに対して、不誠実なことはしないよ。絶対」

コナンくんはそう言葉を締めると、私を見上げてへらりと笑った。


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